2017-02-14 16:27 | カテゴリ:未分類
野鳥の会・法政大学人間環境学部共催のシンポジウム開催予告です。

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シンポジウム 福島の生きものは今 ―現在、そして、これからを考える

 

東日本大震災から約6年。巨大地震と大津波に端を発した原発事故に
 
よって、福島の自然及び社会には大きな影響が出ました。
記録映像、現地で調査を行なっている研究者や福島在住の方の報告に
基づき、それぞれの視点から今後について考えるシンポジウム「福島
の生きものは今
現在、そして、これからを考える」を34()
に開催します。
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日 時:201734() 10:0017:30 (9:30開場)

 会 場:法政大学 市ヶ谷キャンパス 富士見ゲート校舎 G402教室
 
定 員:300
 
参加費:無料
 
申込み:不要
 主 催:(公財)日本野鳥の会・法政大学人間環境学部
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プログラム>
 10
時~

・映画上映
 
「福島の生きものの記録 シリーズ4 ~生命~」岩崎雅典(群像舎)
 
・トークショー
 
岩崎雅典(群像舎)×遠藤孝一(日本野鳥の会)

 

13時~
 
・研究報告
 
「放射線の性質と生物にとっての特徴」
      石田健(東京大学)
 
「野鳥の個体群レベルの保全と放射線 ―ウグイスを例に」
   石田健(東京大学)
 
「ツバメとカラ類への放射性物質の蓄積」
   山本裕(日本野鳥の会)
 
「放射能汚染地域の魚は健康なのだろうか?」鈴木譲(東京大学名誉教授)
 
「福島県の小型哺乳類における放射性セシウム蓄積の実態と生息環境」
 
山田文雄(森林総合研究所)
 
「フクロウの繁殖に与える放射能の影響」
    西海功(国立科学博物館)

 

15時30分~
 
・福島からの現状報告
「失われていく里山、伝統」 稲葉修(南相馬市立博物館)
 
「寸断された地域の絆、つながり」 松村直登(NPO法人 がんばる福島)
 
「失われた自然体験の場を取り戻す」
      弦間一郎((公財)ふくしまフォレ
                                           スト・エコ・ライフ財団)

 

16時30分~
 
・パネルディスカッション 「福島のこれからを考える」
 
<モデレーター> 高田雅之(法政大学)
 
<パネリスト> 石田健、稲葉修、弦間一郎、松村直登、山本裕

 
会場では、放射線像・写真展も開催します。
  [協力:写真家 加賀谷雅道、東京大学名誉教授 森敏]

 
<お問合わせ>
 (
公財)日本野鳥の会自然保護室
           TEL03-5436-2633 E-mailhogo@wbsj.org

 
<シンポジウム情報ページ>

 http://www.wbsj.org/activity/event/symposium-current-fukushima/

 
多くの皆さまのご参加をお待ちしております。

スライド1 
 
 

 
 
スライド2
 

  
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(森敏)

付記:
会場では我々の撮像した「放射線像」も15枚ばかりごらんいただけます。

2017-01-15 14:09 | カテゴリ:未分類

男の子がなりたい職業、「学者」2位に急上昇 連続ノーベル賞効果か 第一生命調査

 第一生命保険が6日発表した「大人になったらなりたいもの」のアンケート結果によると、男の子で「学者、博士」が2位となり、前回の8位から大幅に上昇した。第一生命は「日本人のノーベル賞連続受賞の影響があるのではないか」と分析している。

 男の子の1位は7年連続で「サッカー選手」、3位は「警察官、刑事」だった。前回18位の「水泳選手」が8位に浮上した。2016年夏に開かれたリオデジャネイロ五輪で日本人選手が活躍した影響とみられる。

 女の子は「食べ物屋さん」が20年連続の1位となり、人気を維持した。2位は「保育園・幼稚園の先生」、3位は「学校・習い事の先生」と続いた。また「ダンスの先生、ダンサー、バレリーナ」が10位と、09年以来のトップ10入りとなった。

 アンケートは第一生命が1989年から毎年実施しており、今回は16年7~9月に実施。全国の幼児や   小学生ら1100人の回答を集計、分析した。
 
 
 
      このニュースはすべての全国紙に掲載されているようだ。実にノーベル賞の効果は大きいと思う。子供は将来の生活のことなんか考える必要がないから、純粋に「理想の人物像」を具体的にノーベル賞受賞者 やサッカー選手に自らを同化して考えることができるのだろう。
 
  
    自分のことを顧みても、なんと言っても1949年の日本人初の湯川秀樹博士によるノーベル物理学賞受賞の影響は強烈だった。当時小生は満8才で、高知市旭第一小学校から芦屋市宮川小学校に転校したころであった。研究内容などはなんにもわからなかったのだが、世界で賞賛される栄誉みたいなものがまぶしくて仕方がなかった。5年生の時の国語の教科書には湯川スミ夫人によるノーベル賞受賞記念式典のときの印象記が載っていたと強く記憶している。
 

                

その後大学に至るまでや大学に入ってからも湯川の随筆や対談など多くの出版物では、彼の物理の専門書は歯が立たなくても、それ以外はほとんど全部読んだ。特に「創造性」や「独創性」や「直感」に関する彼の哲学的発言には、他の内外のどの科学技術論者よりも最も強く影響を受けたと思う。
    

おかげで、将来何になりたいかなど特に考えることもなく「研究者」以外になりたいと思ったことはない。もちろん「自分が研究者に向いているだろうか」とか「研究者になるためにはどういう生活をしなければならないか」などの点については、在学中や助手になりたての時は真剣に悩んだ。
      

先日から強烈な風邪を引いているのでぼんやりとテレビを見ていたら、昨日の 超絶 凄ワザ! というNHKの番組で、「油が水ですぐ取れるまな板がほしい」という命題を出した小学生が、番組の最後に司会者から「君は将来何になりたいですか?」と問われて「研究者になりたいです」と明言していたのにはいささか感動した。子ども達にも一昔前のロマンチックな科学者像が再現してきはじめたのかもしれない。これは第一生命の調査通りにノーベル賞効果だと思ったことである。
   

  科学への投資は、将来の人材育成への投資でもあることは明らかである。過去20年間にわたって1%シーリングで国立大学の研究予算を減らし続けてどん底に落とし込み、逆に防衛予算を飛躍的に増やし、フィリピン、インドネシァ、ベトナムなどに桁違いの海外援助資金で国家予算をじゃぶじゃぶ散財し続けている安倍政権のやり方は、人材育成の面から国を内部崩壊させつつある。

    
   
      
 
(森敏)
2016-08-10 22:17 | カテゴリ:未分類

         村上春樹「職業としての小説家」が昨年6月頃出版されたときに、気になる本の題名だったので店頭ですぐ買おうと思ったのだが、紀伊国屋が80%買い上げて通常の本の流通経路の独占を排したいということだった。なので、早期の店頭買いは不可能とあきらめ、読む時期が遅れてもいいからと近所の図書館に閲覧を注文した。ところがこの本はすでに30人待ちだとかいうことで、仰天した。その後はそのママ忘れていた。なんと一年以上経って先日やっと「順番が回ってきた」と図書館から連絡があった。

 

        この本は小生にはとてもおもしろかった。丸5時間かけて文章を味わいながら集中して読了した。

 

        日本の作家の場合、自分が小説家として生長していく人生航路や、自分の小説の創作過程を、赤裸々に開陳した、という話はあまり知らない(小生が知らないだけなのかもしれないが)。

 

        思うに、村上春樹は正確な「自伝」を残しておきたいという年齢に達したのかもしれない。現世や後世の評論家などによって書かれた「外伝」が村上春樹の死後、世の中にまかり通って「正伝」となるのでは、とてもかなわないと思ってのことかもしれない。他人が書いたものは事実関係も含めてほとんどが作家本人の意志と異なることは必定だからである。「いいかげん、評論家の村上春樹論は現在でもずれてるんだから」と村上春樹自身がきっと思っていることだろう。

 

        村上春樹はこれまでもいくつかの随筆の随所で、自伝的なことを述べているので、いわゆる心底からの「村上教」信者(ファン)にとってはこの自伝はあまり新規な内容ではないのかもしれない。しかし、小生には非常に新鮮で、ぐいぐい一気に引っ張られて読めた。彼の小説と異なり、レトリックに凝ることなく首尾一貫してだれにでもわかりやすい言葉で書かれているのである。

  

        全部で12章あるうちの一章を「オリジナリテイー」について開陳している。小生でなくても読者が科学者なら、小説家が正面から語る「オリジナリテイー」には興味津々だと思う。ということで小生はこの章から読み始めた。

   

        正面から構えて音楽、絵画、小説などの順にオリジナリテイーとは、と展開しているが、結論的には「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」(105ページ)と総括されている。しかしこれは、実は作品を見る外側からの観点であって、創作者自身の内面からの心的過程を語るものではない。一点「作家にとってそれを書いているときが楽しくなくてならない」と言うことがかかれていて、これは大いに納得した。しかし「なぜ楽しいのか?」という自分の内面を分析して誰にでもわかるように表現することは至難の業で、それどころか、それは事実上不可能というべきであろう。創作の動機は内面に材料がたまってきて沸々と「書きたい」という気持ちがわいてくるのだそうである。実はこれは自然科学の研究者である現今の我が身に引き比べてもきわめて納得できることでもある。

 

        小生が現役の時は、国から研究費をもらっているので毎年一定数のレベルの高い論文を書かねばならないというストレスに追いまくられていた。(いまでも世界中の研究者が戦々恐々で先駆性や独創性を競ってそのほとんどが、こう言ってはなんだが、「研究費獲得のための研究」を行っている。) そのために、アイデアがわくたびに学部生・大学院生・ポスドクの尻をせっかちにたたきまくった。幸いアイデアには事欠かなかったが、なぜそのアイデアが自然にわいてくるのか、に関しては、自分でもよく把握できなかったところがあった。発想の源泉みたいなものはたぶん小生のような鈍才にはあれこれの努力(通常科学をくりかえし地道にやること)の過程で、状況が煮詰まって、ある日突然自然現象の「法則性」が漠然と見えてくることだったと思う。

  

        現在現役を退いているので、論文を書かねばならない必然性はない。しかし福島原発事故による放射能汚染調査に関わっていると、試料やデータの蓄積や見聞の蓄積から、「論文を書きたい」という気持ちが沸いてくることも事実である。これは何ら義務ではない。だからこの欲求は研究者としての初期の素朴な気持ちである「未知の自然現象を解明したい」という興味から出発した本来に立ち返っているのかもしれない。

 

        話は振り出しに戻るが、「職業としての小説家」を google でキーワード検索すると、amazonで読者感想文が100点ばかり掲載されている。掲載のだぶりをのぞくと実質的には50点ばかりの感想文だ。全部読むのに1時間以上時間がかかった。それらを読むと、あまり村上文学に親しくない人から,なかなかの深淵な村上文学論を有するプロの評論家まで、様々な意見が開陳されていて非常におもしろかった。村上春樹の小説や随筆は好き嫌いはあれ、とにかく老若男女の誰にでも「ちょっと気になる」作品であり続けていることがよくわかる。(実際、村上春樹の芦屋市精道中学校時代の国語の先生であった広井大 先生は、村上春樹の本は、「気になるので、必ず買って読んでいる」とのことである。しかしほとんどが先生の気分には合わないので、結局積読(つんどく)になっているんだそうである)。「職業としての小説家」である村上春樹は、その外野席からのいろいろなうわさ話をきっと「ピントがくるっているなー」と余裕をもって楽しんでいるのではないかと小生には思われる。

 

      諸般の 材料がたまって 「書きたい」という気持ちが煮詰まってきたら数年後にまた刺激的な村上春樹の大作が世に出ることを大いに期待している。それまで楽しみに生きていよう。
      
(森敏)

 

     

2016-06-05 06:12 | カテゴリ:未分類

兵庫県芦屋市の西を流れる芦屋川の海岸沿いの右岸には、宮川小学校と精道中学校の校区でなかったためなのか、小生には友達がいなかった。だから、小生の遊ぶ範囲ではなかった。遊ぶ範囲は芦屋川左岸(東側)から夙川(しゅくがわ)右岸(西)までの東西の2キロと、北は阪急電車の線路から南は海岸までの南北の3キロであった。

 

今回、友人から、芦屋川右岸の平田町に虚子記念文学館なるものがあるという知らせをもらったので、実に遅まきながら出かけてみた。高浜虚子の長男年尾の娘稲畑汀子の自宅隣に「虚子記念文学館」を開設しているということであった。

   

高浜虚子のことは常識的なことは知ってはいたのだが、今回この文学館のなかの展示物では彼の感性の変遷の系統的な解説がわかりやすくなされており、少し賢くなった。

  

虚子は正岡子規と並んで論じられることが多いので、どうしても子規と比べると、子規の強烈な天才的インパクトの背景に消え入りがちな人物としてしか存在を感じてこなかった。しかし、今回の展示は無知な小生のその先入観を変えるものがあった。
新しい画像

 

 

なぜか特に以下の掛け軸に書かれていた晩年(昭和31年)の俳句には感動した。

笑い話かもしれないが小生は放射能汚染されたジョロウグモの採取と分析に凝って来たので、このクモが愛くるしくて仕方がない。それで一見さりげないこの掛け軸に感動したのかもしれない。

新しい画像 (1)   

  

            蜘蛛に生まれ
 

           網を張らねば
 

           ならぬかな 
 

                虚子

            

『人生なるようにしかならないんだ。あなたも研究者としての本能に従って精一杯生きなさい』とクモが網を張る不可避の本能にかこつけて、虚子が小生にも呼び掛けているように思えたのである。実に遅まきながら。。。。

      

    

(森敏)

付記1: ガラスケースの展示物の最後に虚子が昭和29年にもらった文化勲章が、さりげなく置かれていた。当時はまだ戦後の食糧難で朝鮮事変動乱の直後である。年金がつく文化勲章は定時収入のない文人虚子にとってはありがたい生活費だっただろう、と俗物的なことを考えた。
 

 新しい画像 (2)

付記2:芦屋川ぞいの月若公園には、芦屋川の春を読んだホトトギスの親子三代句碑がある。以前は貧相な木製の立て看板であったらしいがいつからか六甲山から切り出したと思われるりっぱな花崗岩に筆文字が刷り込まれていた。
 

DSC07895--.jpg
  
   

 咲きみちてこぼるる花も無かりけり 虚子
    
 六甲の端山(はやま)に遊び春隣 年尾
   
 目に慣れし花の明るさつづきをり 汀子
     

    

ネットで検索すると、この虚子の俳句は、虚子の気力が充実した時期のもので、その昂然たる気持ちを表している、とかの解説があった。なるほど。
         

付記3:朝日新聞では夏目漱石の 『吾輩は猫である』 を復刻して連載しているが、その中でこの本のタイトルに関して意外な解説文を石崎等元立教大教授が書いている。(2016年4月18日)

       

::::高浜虚子と夏目漱石は道後温泉に浸かり俳体詩を作って楽しんで以来親交を重ねてきた仲だった。

::::タイトルは、はじめ「猫伝」が考えられたが、虚子によって冒頭の一句「吾輩は猫である」が選ばれ、若干の修訂を加えた原稿が、根岸の子規庵で行われた文紹会「山会」の席上で朗読された。::::

 

       
(森敏)


2016-01-09 11:32 | カテゴリ:未分類
  DSC05465--.jpg
                      脱気白菜
       
 
   暖冬で野菜が取れすぎて、栽培費、収穫作業費、輸送費などを考えると店頭で売れても、差し引き赤字になるので、農家は圃場現場で野菜を廃棄処分せざるを得ない事態に追い込まれているところが、年末にテレビで報道されていた。実にもったいないことだと思っていた。
  

   店頭を物色していたら、確かに野菜は全般的に安かった。そのなかで、茨城県産の白菜が4分の一にカットして、脱気してビニール包装されているのが目にとまった。これは見た目にも衛生的で店頭での日持ちがとても良さそうである。
  

   廃棄せずにこういう状態で共同組合施設の倉庫で保存して2-3週間も耐え凌げば、いずれ白菜不足の時期が来るので、元が取れるのではないか、と思っていたら、当時は税込みで98円であったが、年を越した本日は129円になっている。
  

   農家の営業努力に脱帽して前回も今回も買った。白菜スープにして食べている。
  
 
   小生が知らないだけかも知れないが、漬け物は別として「新鮮野菜」ではこういう脱気貯蔵の手法はまだ一般化していないと思う。全国的に広まりそうだ。何よりも輸送中や、店頭での腐れの進行が観察されないので、調理する場合に外側の一枚をめくって台所で廃棄する無駄がなくていいと思う。ビニール袋が廃棄されなければならないのが難点だが。
  
  
 
(森敏)
付記:脱気状態での長期保存実験をどの程度しているのか、植物生理学的に興味をそそるところがある。エチレン生成、酸素分圧の変化、ビタミンCの含量変化、などとてもおもしろい研究課題だと思う。すでに研究していると思うが。
 
追記1: なんと2016年1月18日の時点では、前掲と異なるスーパーで地方の白菜がセロファン簡易包装で半切が80円で売られていた。まだまだ暖冬の影響は続いているようだ。
 
追記2:3月8日にはカット白菜(茨城)以外に、カットカボチャ(メキシコ、ニュージランド)、カット大根(神奈川)、カットキャベツ(愛知)、カット長芋(青森)と脱気包装のものが、隣同士で店頭に陳列されていた。察するに、脱気包装は、当初の小生の予想に反して、このスーパーの流通業者が、商品の残り物を、不要部分を捨てて、こじんまりカットして、きれいに見せるために,脱気包装しているものとおもわれる。なかなかやるじゃないか。べつにわるいことではないが、生産加工業者がやっていると思っていたのだが、うっかり惑わされるところだった。


 

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