2018-04-05 17:45 | カテゴリ:未分類

テレビ史を揺るがせた「100の重大ニュース」
スクープ映像の舞台裏

◆TBSテレビ

 4月8日(日)

 午後6時30分〜午後10時48分

 総合司会:恵 俊彰

 キャスター:膳場貴子 井上貴博

 ゲスト:黒柳徹子 柴田理恵 辺真一 与良正男 ほか


◆HP

 
http://www.tbs.co.jp/100bignews/

過去3回の放送でいずれも高い評価を得た特別番組「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース」。これまで、「緊急報道特番の放送時間」、「トップニュースの回数」、「テレビ欄に登場したニュースの回数」をもとに、それぞれ100の重大ニュースを取り上げてきましたが、今回、第4弾では、「ニュース速報になった回数」をキーワードに100の重大ニュースを選び出し、JNNの膨大なニュース映像で検証します。

ニュース速報は、日時や放送されている番組を選ばずテレビ画面の上部に表示されます。発生した事件事故やその詳細、記者が他社に先駆けて入手した情報をいち早く視聴者に伝える手段です。

そこでこの番組では、記録の残る1970年から、約48年分のTBSのニュース速報を集計。100のニュースを選出しました。

TBSが放送してきたニュース速報の中で、最も多く登場したニュースは何か!100位から1位までのニュース項目の発表とそのニュースに隠された“今だから語れる真実”と“新たなスクープ・驚愕の新証言”、そして“初公開映像”にこだわり重大ニュースを検証していきます。





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付記:小生(森敏)も寸評で出るようです.


追記:この放映は小生が琉球政府調査団員として関係した「沖縄の毒ガス撤去」の部分は100項目のうちの第22位だったと思うが、放映時間はわずかに9分ぐらいであった。その中でも小生が登場するインタビュー場面は3分ぐらいであった。某所でのインタビュー撮影は3時間ぐらいかかったので、撮影フィルムの60分の一しか放映されなかったことになる。そんなものだろうからまあそれは良しとしよう。 
     
40年前の事だからこのインタビューを受けるに際しては、記憶を新たにして、事実の正確を期するために、デイレクター氏にいろいろな過去の文献(当時の琉球政府の公文書、雑誌への小生の寄稿文2編、沖縄教職員組合への小生の寄稿文、同じく琉球政府調査団員であった小山内宏さんや和気朗さんの雑誌への寄稿文、などなど)を探し出してもらって、添付メールで送っていただきそれらを読み込んで十分復習することになった。
    
そこで感じたことはやはり公文書の管理の重要性であった。当時の米軍基地内の様子などもたぶん米軍側から撮影された映像記録資料が使われていたのだと思う。歴史をねつ造しないためには、公文書資料の管理は敵味方に関わらず必須の要件であると思ったことである。現在の安倍内閣官邸管理下での各省庁の公文書のねつ造は、現時点で誰の目にも明らかな形で歴史を歪曲しつつある典型である。










2018-03-14 10:17 | カテゴリ:未分類

NHKスペシャル 「被曝の森2018」見えてきた汚染循環 を以下のネットで再視聴できます。

  

http://www.dailymotion.com/video/x6fu0tm

  

  この番組は一度見ただけでは、かなり見落としたところがあった気がしたので、深夜の再放送を見たのですが、寝そびれて最初の15分を見られませんでした。しかも起き抜けで寝ぼけていたので、あまりよく見れていませんでした。
     

  ところが一昨日この番組に0.1秒だけ写っていた女性から、上記のネットで動画が見られると教えられました。そこで、再度慎重にストップモーションで映像を再確認しながら見ました。2016年の「被爆の森」の映像よりも、住民からの批判にも、科学的批判にも、十分に耐えられる映像になっているのではないかと思いました。
      

福島の放射能汚染の現状については、世界の科学界ばかりでなく、世界のジャーナリズムが、その継続的な分かりやすい日本からの情報を待ち望んでいます。NHKにはぜひ海外版を作成して発信していただきたいと思います。

  

(森敏)

付記:小生のところにも、10数名の方から、この番組に対する感想文をいただきました。

 

 

2018-01-24 07:14 | カテゴリ:未分類

         西部 邁氏の多摩川への入水死で、生物学で言う「プログラム死」という言葉を思い浮かべた。詳細が明らかではないけれども、相当考えに考えた末の死に方なのだろうと思う。水泳ができる小生にはこんな死に方はできない。

  

      氏の死にはいろいろの方面の方が、感想を述べておられる。いずれも彼の死の側面をとらえているだろうが、彼のいつもの持って回った議論の仕方の特徴から推測するに「俺の死はそんなんじゃないぞ」と言う反論が必ず返って来そうな気もする。

 

    禅坊主を含めて、どんな高邁な思想家でも、肉体的な劣化が精神的な無気力につながることは、絶対に避けられない。西部氏は遅かれ早かれ来る、己の終末期の醜悪な姿を、人前にさらしたくなかったのだろう。論客としての武士の矜持なのだろう。

   

      家族にとってはとてもつらいことだと思うが、評論家の故・江藤淳氏の自刃の場合のように、ぜひ遺書を公開してもらいたいものだ。

         

      <潔い死> に冥福を祈りたい。

       

(森敏)

付記1:西部さんは、1960年安保闘争の真っ最中に小生が駒場の教養学部に入学したときの自治会の委員長であった。彼は自分の演説に酔って涙を流しながらの「センチメンタル・アジテーション」で有名であった。うぶな小生もアジられて、4月28日(ヨン・ニッ・パー と呼んでいた)の日に、駒場だけで1000人以上の規模でスクラムを組んで、駒場→渋谷→三宅坂→国会チャペルセンター前デモに出かけて、そこで、さらに唐牛健太郎全学連委員長のアジテーションにあおられて、ずらりと横並びに道路を封鎖した機動隊の装甲車を怖いもの知らずに、乗り越えた。国会内に突入して、待ち構えていた機動隊にポカスカやられて、靴が脱げて 時計が無くなり、シャツを破かれて、這う這うの体で中央線で三鷹寮に帰ったものだ。当時の駒場には教養課程2学年で総勢4000名以上の学生や、ほかに大学院生や教官がいたはずだから、ご存命のかたなら、西部さんのその後の思想の変遷に対する好悪は様々であっても、今日に至るまで、当時の彼の残像は強烈であっただろうと思う。
 
追記1:ネット上での報道では、以下の事が記述されている。極めて合理主義といおうか。。。なかなかまねできない実行力ですね。

 

     
:::::::

近著「保守の真髄」でも「生の周囲への貢献がそれへの迷惑を下回ること確実となるなら、死すべき時期がやってきたということ」と記述。家族によれば、遺書にも迷惑をかけたくない旨が記されていたという。:::::::
 
追記2:やはり西部さんは水泳ができなかったようだ。しかし当時の駒場教養学部の時代は学生には「体育」の科目が必修で、夏には25メートル野外プールで水泳の検定がおこなわれたはずだ。泳げるまで泳げるようにようにさせられたはずだが、彼はなんとかかんとかしてそれをさぼったのだろう。小生は水泳部に入ったのだが、大阪湾で我流で学んできた平泳ぎではいくら頑張っても競泳では勝てないと悟り、また、水泳部の「卑猥さ」に辟易して、3か月で退部してしまった。とかなんとか回想するのもなんだか懐かしいですね。
 
追記3:昨日発刊された月刊誌「文芸春秋」での対談記事(保坂正康x浜崎洋介)では、
西部さんの入水自裁について、家族にはここらあたりの場所で死ぬとか、娘さんに自裁の同意を得ていたとか、実際には水死体が発見されやすいように体に縄をつけていたとか、の間接情報が語られている。どこまでが真実かわかりませんが。(2018年2月13日 記)
 
 

追記4.週刊文春の記事によれば、手が不自由であったにもかかわらず、西部さんの死体では両手を縛られていたということである。そんなことを自分でやれるわけがないので、誰かが自殺ほう助の罪に問われることになるだろう。西部氏の本意ではなかったのだろうが、誰かを巻きこまざるを得なかったようだ。(2018年3月16日)

 

追記5.案の定、西部信者の2人が自殺ほう助で逮捕された。彼らには罪悪感はあまりないのではないだろうか。こういう場合に、もし彼らが刑事事件として起訴されたら、裁判官はどういう判決を書くのだろうか、難しい判断を迫られると思う。かなり興味がある。


 

 

2017-11-28 15:32 | カテゴリ:未分類

 常磐線双葉町架橋工事中jpeg
       双葉町で地震にやられた常磐線の新路線架橋工事中


      去る2011年3月11日の東日本大震災の時の事である。その翌日の3月12日には常磐線大みか駅下車の「茨城キリスト教大学」で「生物の鉄栄養」に関する市民講座をやることになっていた。東大で研究室ゼミに参加しているときに午後246分に震度5のかつてない激震を経験した。その後、タクシーが全くつかまらないので、重い荷物を引きずりながら東京大学から30分かけて上野駅まで歩いて行った。ところが上野駅に着くと、すべての電車がストップしていて、常磐線もいつ再開するかわからない状態。1時間以上待ったのだが、上野駅にいったん集まった人たちが四方八方に駅から逆流して歩いて家路に向かうらしいのを見て、これはけっこう大地震だったのだとだんだんわかってきた。常磐線がストップすれば茨城キリスト教大学での受講者も参加できないので、小生の講演も中止になるだろうと確信した。そこで意を決して、またとぼとぼとラゲージを引きずりながら歩いて自宅に帰った。それにしても、主催者自身から小生に電話が来ないのも、へんだなと思った。こちらからも携帯電話がつながらない。後で聞いたら、水戸の自宅が被災して電話も不通で、大学にも車でいけなかったので、講演開催中止の情報を全く市民講座参加予定者にも拡散できなかったとのこと。そんなにも北関東で事態が深刻だったとは、その時はあまり考えられなかったのだ。長い時間かけてパワーポイントで作った市民講座への講演内容だったので、天災とはいえ、いきなりそれが遮断されたので、なぜだか以後すっかり講演をするのが嫌になった。翌年同じく市民講座を頼まれたのだが固辞した。常磐線にまつわる苦い思い出です。

    

ところが小生は最近、これまでの福島現地への放射能汚染調査に東北新幹線の郡山駅や福島駅からレンタカーでのアクセスを、常磐線側からに変更しつつある。常磐線特急で終点のいわき駅までいき、そこから車で双葉町や浪江町や飯舘村に入るルートに切り替えつつある。以下はそれにまつわるつまらない話の一端です。

      

1.

つい最近まで、常磐線はJR上野駅から始発するものと頭から思い込んでいたので、切符を買うときは無意識に「上野駅-いわき駅 往復」で発注していた。今回水道橋駅でそういう注文をしたら駅員が

「お客さん、東京駅からご出発されませんか? 上野発と東京駅発は同じ料金ですが」と質問された。

「えー? 常磐線に乗るのに東京駅からわざわざ上野駅に行くのは時間がかかるでしょう? 京浜東北とか山手線とかを使っても、上野駅で乗り換えないといけないので面倒でしょう?」

「いえ、東京駅から上野までは5分です、乗りかえなくてもそのまま常磐線に入ります。料金は同じです。」

「えー? 常磐線は上野駅発ではないんですか?」

「今は品川発東京駅経由もございます」

ということで、東京駅発にしてもらった。知らなかったなー。

     

福島の放射能調査のときは東北新幹線で、行きも帰りも、押し葉用に大量に新聞紙を入れた大きな重いラゲッジを持ち込むので、いつも早めに予約して特急のグリーン車の一番後ろの席を確保していた。だから、今回も腰痛を抱えている小生には、タクシーなどは使わずに、わが家からは各所で、エレベーターが使える本郷三丁目ー東京駅経路が一番便利である。

         

今回東京駅の8番線で朝653分時発の「特急日立1号」を待っていたら、常磐線からの通勤客が7番線に次々と到着する車両からどっ、どっと降りてきたのにはびっくりした。どうりで最近の東京駅の中央改札コンコースは朝から晩までむちゃくちゃなラッシュアワーが続くわけだ。(その分上野駅での乗降客がかなり減少したことだろう)。特急日立一号に乗ったら、「20171015日から常磐線が品川―東京―上野までつながった」ことが車内に掲示されていた。

     

実は常磐線で特急の終点である「いわき駅」まで行くのには東京駅から2時間25分もかかる。これは東海道新幹線なら京都駅に到着しているし、北陸新幹線なら金沢駅に到着している時間である。実は、行きの「日立1号」も帰りの「日立28号」も上野駅―水戸駅間は小さな駅をすっ飛ばして、気分的にはすいすいと約1時間でいく感じなのだが、水戸駅―いわき駅間は、小生には名前がなじみのないいくつかの駅に各駅停車に近い頻度で停まった。乗降客はほとんどいない。なぜ水戸駅からいわき駅まで無停車で直行しないのか不思議である。ほとんど特急の意味がない。結局いわき駅には一番早くても午前9時18分に着くことになった。各駅をすっ飛ばせばこの間は30分で行けるだろうに。

 

いわき駅からは車で6号線と高速道路を使って北上し、途中でコンビニに寄って昼飯を調達して、防護服に着替えて、双葉町の帰還困難区域入口のゲートまで約1時間半はかかるので、午前中の調査時間が1時間もない。その上、最近は午後4時になるともう大陽が山の端にかたむいてくるので、全部で5時間も調査時間がない。だから常磐線の東京駅発時間があと1時間でも早い列車を調達してくれれば非常に助かるのだがと、勝手に思ったことである。

 

2.
 
干し芋農家のミルクアイスjpeg 
    茨城 ほしいも農家のみるくアイス (評判とか)
        

今回は双葉町での2日間の調査にかなりの積算放射線量を浴びた後なので、東京への帰路の「特急日立28号」で、甘いものでちんたらと疲れをいやそうと、車内販売で、アイスクリームの「干しいもアイス」を頼んだら、売り子が「お客様、それは残念ながら品切れです。バニラアイスかストロベリーアイスならありますが。。。。。」

「品切れって? 今いわき駅を出発したばかりじゃないの? そんなに早くさばけちゃったの? 先日干しいもアイスがおいしかったのでまた頼んだのですが」

「いえ、本日は早朝最初から在庫がないのです。茨城県の干し芋や金沢の金時芋が最近どこかのテレビで放映されたらしく、お芋自体が売り切れて、在庫が払底して、生産が追い付かず、その上「干しいもアイス」や北陸新幹線での「金時いもアイス」も爆発的な人気を呼んでいて、いもアイスの製造ができないのだそうです。私も今朝直接問屋さんに問い合わせたのですが、そういうお返事でした」

仕方がないので「バニラアイス」で我慢した。(上掲の写真は前回の調査のときに撮影したものです。)

                                                                     

3.

水戸を過ぎてからうとうとして寝ていたら、「あと5分で上野駅に到着です」という車内放送で起こされた。そろそろ降りる準備をしなくちゃ、と思って、リクライニングシートを起こして、立ち上がろうとしたら、両股の内側の筋肉(大腿直筋か?)に激痛が走った。筋肉が痙攣してどうにも片足でも両足でも立ち上がることができない! これは大変だ、このままだと出口のドアに歩いても這っても行けなくて、終点の品川駅まで行って担架で運ばれなければならないことになるかもしれない、と久しぶりに真剣に焦った。若いころ、錦糸町駅で尿管結石の激痛で、途中下車して、激しくおう吐し、担架で病院に運ばれた悪夢がよみがえった。しかしここは頭を冷やして、「冷静に対処しなければ」と、足をゆっくりと左右に動かしながら、痙攣が拡大しないような姿勢を23分真剣にまさぐった。血液を圧迫しているのがいけないのかと思ってそろりそろりと靴下を脱いで、腰のジーパンのベルトも取っ払った。そうすると、ある角度の姿勢で、座席シートのアームや窓辺に手を付きながら腕に力を入れて実にゆっくりゆっくりと立ち上がることができた。そのままの姿勢でじっとしていると、痙攣が少しずつ収まってきた。立ったままでラゲッジの取っ手に寄りかかってじっとしていた。立ったままボー、としている小生の姿を見ながら不信顔で何人かがドアを開け閉めして通過していった。上野駅に到着前に少し歩けるようにり、東京駅では無事列車を降りることができた。

 

あとから考うるに、常磐線のリクライニングシートはほかの新幹線よりも傾きが大きくできて、寝心地が良かった。その間両足先を前席の足掛け(フットレスト)に乗せたままであったのだが、そのぶん脚が宙ぶらりんになっていたので、この大腿直筋をずーっと1時間にわたって緊張させ続けていたので、立ち上がろうとしたときについに痙攣したのかもしれない。これまでもこのか所の筋肉が脱水症のために痙攣したことは自宅で一度だけあった。その時は痙攣が一時間以上続いたのでほとんど気を失うところだった。今回もどうなることかと不安で緊張したが、なんとか命拾いした。

 

最近とみに各所の筋肉の劣化が著しい。これでは外国への長期の飛行機旅行はほとんど絶望的だ。生前の父が、年老いて外国観光ツアーについていけなくなったので、夫婦での海外旅行をあきらめたといっていたことを思い出した。実は機上で醜態をさらさないために、小生はもう5年ばかり外国での学会に参加していない。

           
(森敏)
2017-10-16 22:38 | カテゴリ:未分類
  双葉町には、これまで「官公庁の放射能関連の研究費をもらっている研究者しか入れてもらえない」、とうわさに聞いていたので、小生らは、この町に入ることを遠慮していた。小生らはそういうお金をこれまで一切もらえていないので。

  しかし福島第一原発から半径10キロメートル以内の「双葉町」は地理的にはそれより外側の浪江町の高放射能汚染地域の「小丸地区」に隣接しているので、双葉町も強烈な汚染地域がまだあ るはずである。そういう地域の動植物の生態系の変遷を、本当は原発暴発事故初期から継続的に放射線による環境影響調査をしておかないと、この地域のデータが後世にブラックボックスになることをずっと危惧していた。そこで今回すでに原発事故から6年経過しているのだが、思い切って、立ち入りを役場に申請したら、許可が下りた。
    
  今回時間の許す限り、われわれ自身がこれまでの調査のなかでも最高に高い被曝をしながらも、詳細に調査してきた。のだが、住民の個人情報になるので、細かい写真がここで開示できないのが残念である。 
      
  原発事故の影響は気が遠くなるほどだ。放射能汚染生物の放射能を実測すると、現在すでに放射線量としてはCs-134Cs-1371割程度に減少しているので、放射能の主成分はCs-137である。Cs-137の半減期は30年であるから。現在のこの双葉町の高い総放射線量は、これまでのように急速に減少することはないと考えられる。このままでは、今生きている避難住民が、生きているうちに帰還して住めるようになるのはちょっと絶望的だ。
   
  2011年3月をあらためて思い出そうではないか。
   
 
  
   *18日に、いくつかの写真を追加しました。

 
 
    
スライド1 
 
立ち入り禁止区域にやっと入れた。防護服の警備員から「どうぞお入りください」の合図。
  
  

スライド2 
  
JR双葉駅。JR常磐線はまだここまでは開通していない。駅前広場などは除染されていた。

   
   
 
 
スライド6 
  
レールの敷設のためのコンクリート製の枕木がずらーっと、プラットホームに並べられていた。高放射線量なので、JRの下請け業者が作業員を集められないのだとか。
 
   
  

 
スライド3 
 
駅前商店街は完全なゴーストタウン。一階が地震で破損しているところが多いので、住むつもりなら、高濃度放射能汚染と地震とのダブルパンチなので、軒並み建て替えが必要なことは言うまでもない。 

 
 
 
スライド4  
 
典型的な一例。目の錯覚かと思わせる震災で一階が傾いたままの本屋さん 

  

 
 
スライド5 
つぶれた家屋の門になぜか「福助足袋」の石像
   
  
  
スライド7 
   
ゆきわりそう:忍耐 の町の紋章のマンホールのふた。原発事故で避難させられて忍耐を強いられている双葉住民にとっては強烈な皮肉。
  
   
スライド6 

幹線道路を時たま通るのは、おそらく原発付近の中間貯蔵施設に向かっている放射能汚染廃棄物が入った1立(リューベ)のフレコンバックを積んだトラックのみ。
  

  
  
スライド8
 
   
「福島県双葉高等学校」の校庭。 雑草が立ち枯れしている。線量計は毎時0.279マイクロシーベルトという低い値を示していたので。一度は除染したものと思われる。

    
 
 スライド1
   
真に驚いたことに、福島県双葉高等学校の敷地内には、双葉町による原子力災害集合場所として「ひなんばしょ」の標識が建てられていた。原発建設時から、町民は原子炉災害を覚悟していたのだろうか? 原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?

    
  
  
   
スライド5 

上記と同じく、さる道端の小さなプレハブ集会所には、原子力災害時の「ひなんばしょ」なる標識が張られていた。原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?
   
こういうパネルは福島第一原発から10キロ圏外では見かけた記憶がない。
   
   
 
   
 
スライド9 
   
村社八幡神社。これも目の錯覚かとおもわせる、傾いて今にも崩れそうな本殿。ふしぎなことに屋根瓦は一枚も損傷していない。
   
ここでは紹介しないが、室内に神具と思われる「小太鼓」が安置されているが、床は生活用品やガラスの破片が飛び散って荒れ放題である。右の開いたドアから入った野生動物による足跡がいっぱいで、彼らによる狼藉と思われる。
  
  
スライド4  
   
上記神社の、向かって手前の左右2体の石像はサルなのか狛犬なのか顔面にびっしりと苔が生えていて、正体が不明。この右の像の苔は原発事故当時相当な高線量被ばくをしたと思う。まだその放射能は残っているはずである。数百万ベクレル/kg乾物重 はあるのではないだろうか? 
     
小生にはこの像が広島の原爆被害者の全身被ばくケロイドに見えた。
現在の空間線量は毎時5.9マイクロシーベルト。 


 
   
  
 
スライド10 
  
民家のガラス戸。左のガラス戸の下部が割れている。ここからネズミ、ハクビシン、イノシシなどの野生動物が入ったためだろうか、室内は見るも無残な荒れ具合である。
     
全ガラス戸の下部にはイノシシが鼻をくっつけたと思われる刷り跡が認められる。部屋の中は差し支えるので紹介しない。

 

  
 
  
スライド11 
 
イノシシには2日間で3回遭遇した。あまり車を警戒しないようである。車を止めて、このイノシシが道端の雨水で湿った高濃度放射能汚染ヘドロを掘り繰り返して、ミミズなどを土と一緒に摂取している様子を初めて身近に数分間観察できたので、これではイノシシの筋肉や糞がいつまでも高濃度汚染しているのも納得! しかし今回はサルには遭遇しなかった。
       
柿、クリ、キウイ、アケビなどが熟していたが、落下したクリは全部きれいに食べられていた。サルのせいかもしれない。柿を食べて下痢をしたような水便が道路に認められた、イノシシかな?
     
  
スライド2  

  
イノシシはこのように道端の湿った部分が大好きで、そこの生き物を土と一緒に食べている。
  
  
 
スライド12 
  
双葉町の元の水田地帯には、見渡す限り現在2.5メートル高のセイタカアワダチソウがびっしりと繁茂している。ヤナギやチカラシバも群落としてみられる。
    
これらは除染される1年前の浪江町の水田の姿と同じである。

   
 
 
   
スライド13 
    
高濃度放射線地帯でなぜか竹が一斉に立ち枯れしている場所があった。竹は根でつながっているクローン植物なので、放射能が均一にいきわたって循環しているから、6年目の時点で致死線量に達して一斉に枯死したのかもしれない。まさに予期せぬ根絶やしか。
   
   
 

 
スライド14 
  
道路沿いには前田建設(除染業者か?)による放射線量の危険度の表示の旗が建てられている。
    
表示によると、青(1以下) 緑(1-2) 黄(2-5.5) 赤(毎時5.51マイクロシーベルト以上)
 
  
この赤い旗の標識がある場所は毎時10マイクロシーベルトであった。 
  

 
  
  
 
スライド15 
あらゆる道端の茂みにかなりの数の出産前のおなかの大きいのジョロウグモが繁殖していた。ジョロウグモは放射線に強いのかもしれない。 
     

 
  
 
  
スライド16 
異常な成育を示すもみの木の幼植物が多数見られた。ここの空間線量は毎時12.83マイクロシーベルトであった。もみの下の木の直下の土壌は毎時35マイクロシーベルト。 
     
この実生からの植物は4-5年令と思われる。横に伸びてはいるが、主茎の生長点がやられており、縦には伸び悩んで高さが35センチしかない。 
    
      
   
スライド7  
    
サトイモの奇形。葉の形がゆがんでいじけており、いくつかの若い葉の葉脈の間が白化している。
       
湿地に生えているので、周りの道路と山の斜面から流れ込んでくる放射能汚染水で、落ち葉などの有機物が放射能をため込んでおり、それをこのサトイモが根から吸収して、内部被ばくが大であるために、高い外部被ばくとあわせて放射線障害が起こっているものと推察される。

      
  
          
     
 
 
キイロスズメバチの巣jpeg 
 
農家の厩舎の堆肥場の屋根裏にキイロスズメバチの巣と思われるものを見つけた。ハチがその周りをぶんぶん回っているので、余り近寄れなかったので、これは遠くからの拡大写真である。2日間で民家の軒先に全部で数個見つけた。
      
ツバメの巣と同じく、過去の各年度の巣がたくさん回収できれば、なにか法則性が得られるかもしれない。今でもスズメバチ自体や巣自体は放射能汚染が高いものがある。スズメバチは肉食で食物連鎖の上位に位するからなのかもしれない。
         
原発事故年度前には、行政が「ハチに刺されないように」という警告の看板を各所に掲示板を出していて(それが今でも各所に残っており)、民家の軒先では蜂の巣を住民が撤去したり、破壊した巣跡が散見された。
      

ちなみにこの厩舎の放射線量は毎時16.55マイクロシーベルトと驚くべき高さであった。スズメバチは放射線に強いのかもしれない。  
  
            
  
スライド18  
 
道路わきの土壌のホットスポットを見つけた。土壌表層が毎時108.5マイクロシーベルト!  
  
       
    
 
スライド19 
上の写真の土壌の場所の1メートル高の空間線量は毎時23.6マイクロシーベルト!
      

これは小生らが今までが経験した2番目に高い放射線量値である。最高値は浪江町の小丸地区で100マイクロシーベルトの空間線量のホットスポットを経験している。双葉町でも林内に立ち入ってきちんと詳細に調査すれば、空間線量100マイクロシーベルト以上の地区があるかもしれない。
      
 
 

 
(森敏)
追記:このハチの巣は1850cpm以上あった。今でもこんなに想像を絶する高濃度とは!
 キイロスズメバチによる巣材は樹皮などによるので,この巣の付近の半径数十メートル範囲内の樹木の、まだ原発爆発当初からの高濃度放射能による外部被ばくのままでいる立木の樹皮を、キイロスズメバチがかみくだいて、唾液でかためて制作しているのかもしれない。(茨城キリスト教大学・桑原隆明博士 談)
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