2016-11-04 17:25 | カテゴリ:未分類
PB040063ゴッホ収穫 
ゴッホ作「収穫」
   
DSC02179 ゴッホのマグカップ 

「収穫」をラベルした、ゴッホとゴーギャン展の記念のマグカップ

         

前回の東京都美術館での「若冲展」は見逃した。暇ができたので上野公園に出かけたのだが、都美術館前は長蛇の列で、入館には5時間待ちだということであったのであきらめたのであった。

    

今回「ゴッホとゴーギャン展」のキップが手に入った。長蛇に並びたくないので今回は朝飯もそこそこ勇躍早朝に出かけた。東京都美術館には午前9時に着いたのだがすでに3名のご婦人たちが門前に並んでいた。すぐに続々と人々が集まって来て、小耳に挟むと山梨から昨晩発の夜行バスで来られた方もいるようであった。マニアがいるもんですね。9時半に開門したのだが、案内にしたがって歩いていると前の3名はキップを持っていなかったので、彼女らは切符売り場に行った。なので、なんと!結局小生が一番最初の展示会場への入場者だった。こんなことは人生で初めての経験だ。完全に自分のペースで名画を鑑賞することができた。久しぶりの至福の時間だった。

    

会場にはゴッホの絵が27点、ゴーギャンの絵が18点あった。その間に他の有名画家の絵がちりばめられて絵が増量(?)されていたのが少し煩わしかった。

    

ゴッホの絵は数点を外国や日本の美術館のどこかで実物を見たことがあるが、ゴーギャンは全部実物を初めて見るものだった。ここでは絵が傷むからという理由で照明を絞っているので、ゴーギャンの絵はたぶん白日の下で見る絵よりも独特の「赤色」がくすんでに見えたのではないかと思う。実に残念だ。

 

ゴッホで小生が一番気に入った絵は『収穫』という、遠近法だが遠くの人物の細部までしっかりかかれている明るい田園風景である。ゴッホがまだ精神を病む前の絵である。絵の教科書にも載っていたと思うのだが実物はさすがにすばらしいと思った。

 

ゴッホは病状が進行してくるとテンペラ画になって細部を描かなくなってくる反面、幻覚の脳内画像をそのまま描く、揺らいだ筆のタッチになっていく。それはそれで面白いのだが、いつまでも近くに置いておきたくなる絵ではない。ゴッホの自画像を含めた諸々の人物画については小生にはあまり興味をそそるものがなかった。その後、両耳切断ピストル自殺に至る。

 

一方、ゴッホと一時同居して画業を競い合ったというゴーギャンに関しては、ゴーギャン自身の自画像がとても迫力があった。理知的で自信に満ちた自画像である。絵画について確たる理論を持っていたのだろうと想像した。二人は絵画論を熱心に議論しあって、お互いに大いに刺激を受けたが、結局けんか別れしたということである。両雄並び立たずということなんですね。しかしこのケンケンがくがくの議論について詳細な内容が二人の手紙や書簡で後世に残されていないらしいのは残念である(すくなくともこの展示会では紹介されていなかった)。

 

帰りにA5版の大きさの「収穫」の絵のコピーとその絵はがきと、この絵が貼り付けてあるマグカップを買った。本ブログの冒頭に掲載したように、いずれも会場の本物の実物とは雲泥の差のコピーだが、仕方がない。早速コーヒーを入れてカップの絵を見ながらこのブログを書いている。

     

(森敏)
追記::精神が病んだ画家としては最近文化勲章を受章した草間彌生がいる。彼女については以前に述べたことがある。彼女の絵はゴッホをはるかに超越していると思う。
     2014/02/01 : 絵画展雑感


秘密

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