2016-07-04 18:55 | カテゴリ:未分類

聖路加病院の日野原重明理事長は95-6才のときだったか「病院の階段を2段飛びに駆け上がる」とかいう、まことしやかな話が長いこと流布していた。しかし、最近の朝日新聞の日野原先生のコラムでは「車いすに乗って息子のお嫁さんに押されて近くのコンビニに買い物にいって楽しかった」由が述べられている。さすがに104才のご高齢で足腰が弱られたのだ。

 

先日2日間にわたって浪江町で帰還困難区域の調査を行った。今回は2日間の積算で37マイクロシーベルトという十分すぎるほど危険な放射線を浴びてしまったし、様々な放射能汚染サンプルの採取も順調に進んだので、二日目は午後3時半頃に浪江町の検問所を脱出した。案の定、今回の調査では1日目は調査の最中に4回も防護服の下のTシャツを着替えねばならぬほどの高温多湿であった。2日目は炎天下の時は太陽光線と放射線でまぶされるので、一度に20分間以上続けて車の外で調査することは不可能であった。

 

東京への帰りの新幹線の予定キップは午後9時半福島駅発にしていたのだが、駅に早めに着いたので、キップの変更を行った。のだが、心理的にも体力的にも疲れていたためか、いつもの番線に漫然とエレベーターで上がったところ誰もプラットホームに人がいない。変だなーと思って、はたと、今回はキップを時間を繰り上げ変更したので出発番線が線路をまたいで向こう側の番線に変わっているのだと気が付いた。出発までの残り時間が4分ぐらいしかない。急いで先ほどのエレベーターで下って、歩いて水平移動して当該番線に上ろうとしたが、エレベーターもエスカレーターも瞬時には見あたらなかった。なので、目の前の約100段もある階段を駆け上がることにした。

 

最近は自宅のマンションで早朝の新聞取りはエレベーターを使わずに階段を下りて新聞を郵便箱からとってふたたび階段を上がることで足腰を鍛えることにしているのだが、たった4階分をあがるのが結構きつい。ゆっくりあがっても途中で休んで膝の屈伸運動をしないときつい。あがりきっても腰ががたがたで、おまけに息が絶え絶えである。低血圧なので、苦しい。

 

今回、急いでいたので、思わず駅の階段を2段飛びに駆け上がり始めたのだが、20段目で早くも膝に来てよろめいた。10kgぐらいのリュックサックを背負っている上に、右手には某氏が開発した1.2メートルぐらいの放射線測定器を大事に持っていた。左手があいていたので左手で思わず倒れ込んで制動した。一呼吸置いて、冷静にならねばと思いながらも、すぐまた少し速度をゆるめて2段飛びに残りの80段を登り切ってプラットホームに出た。完全に息があがって、膝に来て、しばらくはもう一歩も動けなかった。

 

見渡すと乗客たちがまだ出発待ちで、車両のドアが開いていなかった。幸いなことに、ここ福島駅で山形新幹線と東北新幹線の車両がドッキングする直前であった。階段をあがった目の前に冷房入りの休憩室があったので、そこにゆっくりと座って、両新幹線車両のドッキングの光景を見ながら、あえぐ息をゆっくりと整えた。2-3分はかっかったと思う。こんなに急激な動悸の経験は数年ぶりだったので、「うーんひょっとしたらここで心臓麻痺で死ぬのかな」とまじめに思いながら心臓の鼓動を冷静に数えた(普段は50である)。

 

一見、普段から健康な人が、あるとき突然「あっという間」に死んだという報告を最近はよく聞くようになった。たぶん今回のように我を忘れて緊急事態に追い込まれたときに、動転して若いときの気分で体力を消耗して荷重がかかりすぎて本人も失神して急死するのだろうと、我が身に引きつけてシミュレーションしてみた。

 

時間的にせよ空間的にせよ突然予期せぬ余裕ができたときでも、最初に立てた予定を勝手に変更したりするような器用なことはあまりしない方がよい。というのが今回の教訓である。
 
 
(森敏)

追記:

後日、自宅の台所でドリップ式でコーヒーを入れていた。時間がかかるのでじっと待っていたのだが、台所の流しに10個ばかりの食べ終わった食器が置かれているのに目が留まった。そこで殊勝にも、コーヒーの抽出にまだ時間がかかりそうなので、これらの食器を洗いはじめた。ところが最初の一枚の皿を食洗機にいれる動作の途中で、皿をドリップ中のサーバーに真横からぶつけてしまって、コーヒーカップごと倒してしまった。せっかくほとんど抽出し終わったコーヒーの約100mLが全部台所に散布してしまった。老人が途中で時間があるからと突然合間に新しい計画を入れると、ろくなことが無いという事例である。

 

秘密

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