2016-06-05 06:12 | カテゴリ:未分類

兵庫県芦屋市の西を流れる芦屋川の海岸沿いの右岸には、宮川小学校と精道中学校の校区でなかったためなのか、小生には友達がいなかった。だから、小生の遊ぶ範囲ではなかった。遊ぶ範囲は芦屋川左岸(東側)から夙川(しゅくがわ)右岸(西)までの東西の2キロと、北は阪急電車の線路から南は海岸までの南北の3キロであった。

 

今回、友人から、芦屋川右岸の平田町に虚子記念文学館なるものがあるという知らせをもらったので、実に遅まきながら出かけてみた。高浜虚子の長男年尾の娘稲畑汀子の自宅隣に「虚子記念文学館」を開設しているということであった。

   

高浜虚子のことは常識的なことは知ってはいたのだが、今回この文学館のなかの展示物では彼の感性の変遷の系統的な解説がわかりやすくなされており、少し賢くなった。

  

虚子は正岡子規と並んで論じられることが多いので、どうしても子規と比べると、子規の強烈な天才的インパクトの背景に消え入りがちな人物としてしか存在を感じてこなかった。しかし、今回の展示は無知な小生のその先入観を変えるものがあった。
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なぜか特に以下の掛け軸に書かれていた晩年(昭和31年)の俳句には感動した。

笑い話かもしれないが小生は放射能汚染されたジョロウグモの採取と分析に凝って来たので、このクモが愛くるしくて仕方がない。それで一見さりげないこの掛け軸に感動したのかもしれない。

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            蜘蛛に生まれ
 

           網を張らねば
 

           ならぬかな 
 

                虚子

            

『人生なるようにしかならないんだ。あなたも研究者としての本能に従って精一杯生きなさい』とクモが網を張る不可避の本能にかこつけて、虚子が小生にも呼び掛けているように思えたのである。実に遅まきながら。。。。

      

    

(森敏)

付記1: ガラスケースの展示物の最後に虚子が昭和29年にもらった文化勲章が、さりげなく置かれていた。当時はまだ戦後の食糧難で朝鮮事変動乱の直後である。年金がつく文化勲章は定時収入のない文人虚子にとってはありがたい生活費だっただろう、と俗物的なことを考えた。
 

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付記2:芦屋川ぞいの月若公園には、芦屋川の春を読んだホトトギスの親子三代句碑がある。以前は貧相な木製の立て看板であったらしいがいつからか六甲山から切り出したと思われるりっぱな花崗岩に筆文字が刷り込まれていた。
 

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 咲きみちてこぼるる花も無かりけり 虚子
    
 六甲の端山(はやま)に遊び春隣 年尾
   
 目に慣れし花の明るさつづきをり 汀子
     

    

ネットで検索すると、この虚子の俳句は、虚子の気力が充実した時期のもので、その昂然たる気持ちを表している、とかの解説があった。なるほど。
         

付記3:朝日新聞では夏目漱石の 『吾輩は猫である』 を復刻して連載しているが、その中でこの本のタイトルに関して意外な解説文を石崎等元立教大教授が書いている。(2016年4月18日)

       

::::高浜虚子と夏目漱石は道後温泉に浸かり俳体詩を作って楽しんで以来親交を重ねてきた仲だった。

::::タイトルは、はじめ「猫伝」が考えられたが、虚子によって冒頭の一句「吾輩は猫である」が選ばれ、若干の修訂を加えた原稿が、根岸の子規庵で行われた文紹会「山会」の席上で朗読された。::::

 

       
(森敏)
追記:後日2017年7月30日に文京区役所シビックで幸田露伴展があり、そこに第一回文化勲章受章者として、幸田露伴の文化勲章が飾られていた。その説明に勲章の中間部分にある植物は「橘」であると書かれていた。勲章には京都御所の紫宸殿の右近の橘が飾りに用いられていることを初めて知ったのである。この高浜虚子を紹介したブログに偶然文化勲章の写真を撮って載せていたのだ、改めてよくみると、虚子のものも幸田露伴のものと全く同じであることが分かった。この芦屋の虚子の記念館では自由に写真が撮れたのだが、文京区の展示では写真が取れなかった。どういう違いなんだろう? 写真が取れない文学者の展示会は立ちつかれるので、あまり熱心に見る気がしない。


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