2015-12-08 10:26 | カテゴリ:未分類

   一昨日の日曜日には、情操欠乏を感じて、日比谷に「黄金のアデーレ」という復刻版映画を急に思いついて見にいった。だが、ときすでに遅し満席だった。仕方なしに付近の映画館を物色していたら「杉原千畝 SUGIHARACHIUNE」をやっているところがあった。監督、脚本、俳優と国際色豊かな作品なので、学校できちんと学ばなかった戦前・戦中・戦後の現代史を勉強する意味も兼ねて切符を買った。
   

上映までにまだ1時間あったので、そこら辺をぶらついていると三省堂があったので、ちょうど必要かなと思っていた「2016年用の日記帳」を買った。MENsビルで強烈な男性用香水の匂い(じゃ香:ムスクか?)を嗅ぎながら冬物ブーツを物色したが高くて買わなかった。ビルの外に出たら、日比谷公会堂から3000人ばかりの延々続く「戦争法案反対」「脱原発」のゆっくりした車道のデモに突然ぶつかった。一方の人道側の西銀座の10カ所ばかりの宝クジコーナーでは2千人ばかりが年末宝くじを買う順番待ちで、ヒトがあふれかえっていた。
       
さて、  

杉原千畝は情報戦のエキスパートとして、当時のソ連とドイツ国境の動向調査のために1939年リトアニアのカナウスに領事館設立の任務を帯びて副領事として赴任する。任務はソ連の動きに対する情報収集活動である。しかし杉原はリトアニアで結果的に約6000人(記録に残っているのは約2300人)のユダヤ人の「日本通過ビザ」を発注するべきかどうかの事態に追い込まれることになる。結局「ビザを発注する」と決断するのだが、それは日本本国とリトアニアの手紙での通信の交換に時間がかかるという時間差を利用した実に巧妙な外交官としての才覚だったようだ。ユダヤ人にビザを支給して良いかどうか3回も本国に問い合わせて松岡洋右外相から3回目の否定の回答が来るまでの約1週間の時間差を利用した。
 
  情報収集プロとしての彼の現地の動向観察から、向こう一週間後にはドイツ軍のソ連への宣戦布告により、逆にリトアニアは進軍するソ連に占領されて、国が消滅している可能性が高い。だからその時はリトアニアの日本領事館も閉鎖されているだろう。だから日本領事館は本国政府からの訓令を受け取ることができない。だからその間杉原副領事はビザ発注に関して「独自の判断をせざるを得なかった」という屁理屈である。その時間差を巧妙に利用して、サインペンの続く限り、大使館閉鎖後も、ホテルや、駅の待合室でも杉原はユダヤ人にビザを発注し続けた。現在、そのとき救済された子孫のユダヤ人は全世界に4万人にも達する、という。
   
  杉原は結果的に本国の訓令に背いた、すなわち公務員の服務規程に違反したということで戦後1947年に外務省を辞職(実態はクビ)させられている。
外務省ではキャリア組ではなかったことが、いろいろな意味で杉原の人生観を支えていると思った。映画では「オマエは今も世界を変えたいと思っているか?」という外交官同志の問答が2回も出てくるが、上意下達に忠実な旧帝大出身者では決して杉原千畝のような行動は取れ無かっただろう。また後藤新平が制定した千畝が卒業した「ハルビン学院」のモットー「自治三訣」は、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう(杉原千畝:Wikibedia)であり、これが千畝の人道精神を強く鼓舞した、と映画では語られている。
    
 

その後杉原千畝は1991年(辞職後44年目)に名誉が回復されたが、余りにも遅すぎた対応だったというべきだろう。これも世界に冠たる日本の偉人を日本人自身がなかなか認めたがらない一例である。
   

映画では主役の唐沢寿明の演技がすばらしく光っていた。杉原の決断でユダヤ人が日本渡航ビザの申請ができることになって、リトワ二アの日本領事館門前で出国希望するユダヤ人たちが歓喜雀躍するクライマックス場面では、久しぶりに心が洗われた。
           
               
(森敏)  

 付記1:小生の義兄は外交官であったので、この映画で展開されている情報戦(スパイ合戦)は興味津々であった。現在も東京をはじめ世界中でスパイ合戦は行われているだろう。戦後70年日本では平和が続いてわれわれは平和ボケになっているが。
        
付記2:1990年代にイスラエルで開催された「植物鉄栄養学会」に学生たちと一緒に参加した。その時にも、杉原千畝が救ったユダヤ人入植者がいたはずなのだが、うかつにも小生自身はこの話は全く知らなかった。その後小生の研究室にはイスラエルから留学生が来たり土壌学と土壌微生物学の教授を短期滞在で日本に招請したがことがあるが、イスラエルの人たちは今でも親日であることは間違いないと思う。杉原千畝のおかげだと思う。
 
付記3:言うまでもなく現下の日本では、あらゆる手練手管を弄した、マスメデイア、ミニコミ、インターネットを通じた『原発再稼働』への ”情報戦”がまさに熾烈を極めている。
 
追記1:後日以下の記事が読売新聞に載った。実にめでたいことだ。この通りは永遠に「日本―イスラエル友好」のメモリアルになるだろう。


イスラエルに「スギハラ通り」命のビザ

20160607 2023

【ネタニヤ=上地洋実】イスラエル中部ネタニヤで7日、第2次世界大戦中にユダヤ人へ「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝(ちうね)氏にちなんだ「スギハラ通り」の命名式が行われた。

 杉原氏はリトアニアの日本領事代理だった1940年、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民に日本を通過するためのビザを発給し、約6000人の命を救った。ネタニヤには、この時に助けられたユダヤ人が多く移り住んでおり、今年が杉原氏の没後30年にあたることを記念して通りの建設が決まった。

 式典には杉原氏の四男、伸生さん(67)も出席し、「大変名誉に感じている。亡くなった父もどこかで見守ってくれていると思う」とあいさつした。伸生さんは式典に先立ち、杉原氏から「命のビザ」を受け取った人々やその家族とも面会した。

 

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/2018-49bb8a6a