2015-08-11 17:47 | カテゴリ:未分類

年を取ればとるほど毎年8月は暑いのと70年前の敗戦のことで息苦しくなる。

   

  先日は昭和天皇による敗戦の「聖断」(ポツダム宣言受諾)をテーマにした「日本のいちばん長い日」(半藤一利原作、原田眞人監督)を池袋の「シネマサンシャイン池袋」で切符を買うのに15分暑い中を街路で並んで、ぎりぎり12時15分の開演に間に合った。役所広司(陸軍大臣・阿南惟幾)、本木雅弘(昭和天皇)、山崎努(鈴木貫太郎首相)が、熱演して全く飽きなかった。阿南の切腹自刃の意味が少し理解できた。小生は敗戦後近衛連隊が遁走した宿舎を、特攻隊や予科練帰りの無頼の徒が占拠した「東京学生会館」に大学一年生の時に住んでいたので、映画の舞台になった皇居近辺がとても身近に感じられた。

    

  今日は皇居の英国大使館の横にある写真館のJCIIフォトサロン(地下鉄半蔵門駅から歩いて5分)に出かけて

「知っていますか・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾-被曝から70年― 」という写真展に出かけた。昔、ヒロシマの原爆資料館で見た記憶の写真もあったが、たとえようもなく壮絶な写真の羅列で、見ていて、先ほど歩いていて暑くて飲んだばかりのポンジュースが胃酸とともにこみ上げてきた。一つ一つの映像が、よくみると深い意味を持っていることにあらためて気がつき実に感銘を受けた。後でじっくりと考えようと58枚の展示写真が全部収録されている白黒の写真集をここの売店で買った。例えばその一枚がこれである。
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ヒロシマ赤十字病院で顔面に熱傷を負った女子学生(宮武甫カメラマン撮影)
  

     展示写真の中には 爆心地のミミズを採取する生物学科学斑の調査活動。細工町(爆心地から70m) というのがあって、二人の学者がマスクもせずに素手で焼け跡の土を掘ってミミズを採取している写真があった。放射能というものが何なのかを何も知らされていない研究者だったと思われる(林重男カメラマン撮影)。

        

  そのあと、写真館から暑い中を15分ばかり歩いて「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」に墓参した。閑散としていたが70歳代とおぼしき男性3名が墓参の後小生に2つのカメラを渡して献花台を背景に記念写真を撮ってほしいというので、撮影してあげた。「この5年間毎年来ているんだ」といってなぜだかうれしそうであった。野外休憩所ではたぶん80歳代の老婆が汗をふきながらひとり静かに杖をもって座っていた。小生もキクを一輪献花した。別棟の休憩室には書架が置いてあって約2000冊の第2次世界大戦に係わった軍人や兵士の戦記物が収蔵されていた。先の映画「日本の一いちばん長い日」を見ながらも痛切に感じたのだが、若いときにこういう手記ものを全部読んでおくべきであった。開戦から終戦に至る過程は小生が受けた小・中・高の歴史でももっとも欠けていた部分である。戦争の犠牲者には頭を垂れるしかない。今では史実をあれこれの角度から気合いを入れて検証しようと言う時間があまりないのが悔やまれる。
  

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  千鳥ヶ淵戦没者墓苑の中央祭壇 
 

  先ほど6歳上の姉から電話がかかってきたので、「高知で終戦時の天皇の『玉音放送』を覚えているか?」と聞いたら、「覚えている覚えている。家にはラジオがなかったので、となりの店先に付近のみんなが集められて聞かされたけれど、その時はなんのことかさっぱりわからなかった」ということを生まれてはじめて姉から聞いた。
        
(森敏)

秘密

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