2015-07-15 09:38 | カテゴリ:未分類

         中学生のころは六甲山のシダ植物を50種類ばかり採取して押し葉にして、夏休みの理科の宿題として提出したことがある。その時は「牧野植物図鑑」(牧野富太郎 著)が最高の指南書であった。押し葉の標本にラテン語の学名を付すのがなんとなくアカデミックな気分を味わえた。

   

長じて農芸化学科に進学してからは植物栄養肥料学(三井進午教授)研究室では選択的除草剤の研究を石塚皓造助手(現・筑波大学名誉教授)が行っていたので、田畑や大学構内の雑草の名を「日本原色雑草図鑑」(編集 沼田真、吉沢長人、企画日本植物調節剤研究協会) とにらめっこで必死で覚えた。が、記憶力の悪さに我ながら嘆息した。その時覚えた雑草の名前が最近はほとんどすぐには思い起こせない。

    

名古屋大学の植物栄養学教室の教授であった谷田沢道彦先生(故人)は、若いときにイギリスの国立植物園「キュー・ガーデン」に留学しておられて、日本土壌肥料学会などで、エクスカーションでいっしょになると、そこら辺の雑草の名前をラテン名で諳んじており、次から次へとメモに書いて小生に見せるほどの博覧強記であった。分類学者でもないのにこの先生の頭の構造はどうなっているのだろうと驚嘆したものである。先生がロンドンで集められた多くの植物分類学の数十冊の原書は今どうなっているのだろうか。名古屋大学を退官されるときに寄贈先を探すのに苦労されていたのを思い出した。

   

原発の放射能汚染地帯の調査に行くと、植物の採取も行うので、必然的に学名を正確に同定しなくてはならない。ほとんどが通常の雑草や樹木だから、ほとんど同定の間違いは起こらないはずだが、最近は名前がすらすらと出てこなくなった。とくに樹木は持ち帰った葉の形だけとか木の実だけでは分類が難しいので、まだ放射線量測定にもかけず、データが取得できていない。。

    

最近本屋をぶらついていると、以下の文庫本4冊が同じところに平積みで置かれていた。本屋さんの販売戦略だとは思ったのだが、この4冊が日本のわれわれがふだん目にする個々の野草をどのように表現しているのか、素人に一目で分かりやすく描けているかどうか。比較検討してみることにした。いつも寝入りばなに読んだ。

   

新編 百花譜百選 木下杢太郎画/前川誠郎編 岩波文庫

柳宗民の雑草ノート 柳宗民 文/三品隆司 ちくま学芸文庫

シーボルト 日本植物誌 大場秀章監修・解説 ちくま学芸文庫

身近な雑草の愉快な生き方  稲垣栄浄 文/三上修(画)ちくま文庫

      

いずれの本も小生には大変有意義だった。中でも一番わかりやすかったのは木下杢太郎の色刷り写生画で、これが何とも言えず芸術的で、カラーであることもあって草花の同定には一番役に立ちそうであった。絵には戦時下の東大医学部教授であった彼の行動が添え文に淡々と記載されている。太平洋戦争末期に戦況が悲惨になって食糧難に悩まされている中で、よくもこの先生は3-4日もかけて深夜もぶっ通しで一枚の絵を仕上げていたものだ。一種の諦観の境地(どうせこの戦争は負けるのだ)というのか、厭戦気分を感じながら植物の写実に気分を紛らわしていたのだと、添え文を読みながら確信した。鬼気迫るものがある。終戦直後に胃の疾患で亡くなっている。確かな病名はわからないがおそらく癌だろう。いまから30年ほど前に小生は医学部の友人の案内で伊東市にある市立木下杢太郎記念館を訪れたことがある。その時には、展示物を見ながら木下杢太郎は細菌学・文学・絵画をこよなく愛するが、単なる『デイレッタント』ではないのか?としか小生には思えなかったのだが、今回この「百花譜百選」を、寝ながらじっくり読んでいて、当時の己の浅薄さに大いに恥じ入った。

    

  柳宗民の雑草ノート は世界を股にかけて見聞した柳氏の博学さがにじみ出て、うんちくが傾けられており、植物名の起源などについて大いに参考になった。読むのに一番時間がかかった。最も正統派の植物分類の解説書だと思った。学問させられたという印象が強い。だからか?読んでいる途中から、すぐ眠れた。

     

シーボルトの日本植物誌は 小生の知人でもある大場秀章氏の解説によると、描画が当時の西欧流のパターン化した堅い表現になっているので、カラー描画にもかかわらず本物と異なるように見えるものが多く、素人による植物の同定には向かないと思った。ただし、巻末にシーボルト伝として20ページにわたって、小生の全く知らないことが大場氏によって紹介されており、非常におもしろかった。

    

身近な雑草の愉快な生き方 は 稲垣栄浄氏(現静岡大学教授)による、雑草を擬人化した解説書で、なかなか面白おかしく読ませるものである。つい最近まで稲垣氏は東京新聞に連載で<植物の偉大さ>をいろいろと解説してくれていた。此の本はその彼の発想法の延長線上のものであると思う。初版が2011年4月11日(なんと東電福島第一原発事故直後!)であるが、すでに6刷りである。よく売れているようだ。三上修氏による絵が、カラーでない線描画で、ときどき肉眼で見えにくいところを部分拡大で表現されているところがあるので、直ちには植物を同定しにくいところもあるのだが、よくみると、納得がいく。これは牧野植物図鑑もそうであるので、オーソドックスな手法ではあるのだが。

   

  このようにいくら本を読んでも、現地で植物名がなかなか出てこないのに変わりはないのが、実に情けない。
  


(森敏)
追記:(2015.10.20.記)
この記事を読んだ読者から 『わたしの木下太郎』 岩阪恵子(講談社) という本を紹介された。この本の最後に、太郎の死後ただちに「解剖の結果、胃幽門部に癌を生じ、膵、肝に癌性浸潤が及んでいる事が分かった」ということが紹介されている。

「『百科譜』の のぼろ菊の図譜 には「為事をたくさん持って夕7時に帰宅 食後すぐに始めなければならないのに、こんな草(のぼろぎく)の写生までした」 と記されている。つまり植物写生は、仕事に忙殺されている太郎にとって、息抜き急速だったというのである。言い換えるならそれは彼が本来の彼に戻れるひそかな悦楽に他ならなかったといえよう」と岩崎恵子氏は推測している。

 「あらためて木下太郎の生涯を見渡した時、やはり彼は「真個の一頭」にはなりきれず,「両頭の蛇」であり続けたように私には思われる。::::彼の作品に接した人々がしばしばそこに感じる寂寥、悲哀、諦念はこのような彼の生き方から生まれたものだ。我慢強くあった人だからこそよけいに我慢の裏に隠されてきたものが濃い影となって落ちている。この影の濃さがまた何らかの影をひいて生きる人々を魅するのであろう。と岩崎恵子氏は推測している。
  
この『わたしの木下太郎』 はなかなかの名著だと思う。
秘密

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