2015-06-19 12:14 | カテゴリ:未分類

         ノーマン・ボーローグ博士は驚異的な多収性コムギの育成で1970年ノーベル平和賞を受賞した。世界的にコムギは約6億トン生産され、多くの国で主食の基幹穀物となっている(米は約4億トン)。この多収性コムギ育成の母本に稲塚権次郎氏が育成した農林10号(NORINTEN)が使われていることは農学関係者には農業技術史で学ぶはずであるから常識なのだが、他分野の方にはあまり知られていないかも知れない。この映画「NORIN TEN 稲塚権次郎物語」は、現在北陸地方で上映されているようだが、是非全国で上映してもらいたいものだ。

          

映画要旨(転載です)

1987年、富山県城端町西明、三輪バイクで町を行く稲塚権次郎の姿があった。90歳近くなっても、バイクを乗りまわすことは近所迷惑となっていた。明治末期、貧しい農家の長男に生まれた権次郎は、向学心に溢れ、富山県立農学校(現在の南砺福野高校)を首席で卒業。恩師から学んだ「種の起源」(ダーウイン著)に出会う。貧しい農家を救うためには、美味しくて収量が高い米を作ることが大切、育種家の道を邁進し、東京帝国大学農学実科に進学。

  大正7年農商務省に入り、秋田県農事試験場陸羽支場(大曲)に配属。

 まず取り組んだのが「陸羽132号」の品種選抜、「水稲農林1号」の育種に取りかかる。権次郎は生真面目な性格、それゆえに周りに溶け込むことができない。上司の永井の勧めで「謡」を習うようになり、生涯の伴侶となる佐藤イトと出会う。幼少のころ父母を失ったイト、一目ぼれした権次郎は、ふるさと西明で祝言をあげた。大正15年、突然岩手への転勤を命じられる。岩手は小麦の育種が主流、美味しくて収量が高い稲の品種改良の夢は取り上げられた。稲の研究成果は、新潟農事試験場の並川に受け継がれ、「水稲農林1号」はやがて「コシヒカリ」となる。稲の育種の機会を奪われ失意に沈む権次郎だが、小麦増産が国家的プロジェクトであると知らされる。岩手県農事試験場に移り次々と小麦の新種を開発。

 

 昭和6年、9年と東北では大飢饉が起こり、各地で娘が売られるという悲惨な事態が起こった。権次郎は育種の成果をあげなくてはならなかった。昭和10年秋、小麦農林10号=NORINTENが完成した。特色は半矮性、従来の小麦に比べ、背の低い品種で穂が倒れにくく、栄養が行きわたりやすかった。

 

 昭和13年、権次郎は華北産業科学研究所(北京)に異動。イトも同行した。

14年には、父 竹次郎が死去。日本には戻れなかった。そして敗戦、中国側の意向により、研究指導の名目で留め置かれた権次郎にとって大きな不幸が訪れる。戦争末期の混乱により、イトが精神的に錯乱を起こすのだった。「イトを連れてくるんじゃなかった」権次郎は悔やみに悔やみきれないと、自分を責め、終生イトをいたわるのだった。

 

 昭和22年秋、中国から帰国。権次郎は育種家の道を諦め、地元金沢農政局に勤務、

戦後はイトとの穏やかな生活を選んだ。定年後は地元の農家のために、圃場整備に力を注いだ。昭和41年、母 こうを野焼きで見送った権次郎の元に、しばらくして思いがけない知らせが届いた。「小麦農林10号」の種が戦後米国に送られ、世界の食糧危機を救う、「緑の革命」の基になったというのである。ノーマン・ボーローグ博士は、その業績により、1970年にノーベル平和賞を受賞したのだった。

 

 昭和48年、最愛の妻イトが亡くなると、村人と共に、野焼きで見送った。

「妻 イトには中国で大変な苦労をかけてしまった」と悔やんだ。

 

 昭和56年、ノーマン・ボーローグ博士と対面。世界の小麦を変えた二人が手を握った。

 

 昭和63127日、稲塚権次郎死去。享年91。

 

 

 

(以下、南砺市ホームページより転載です)

城端地域の西明出身で世界の食糧危機を救った「緑の革命」の礎となる「小麦農林10号」を開発し、人類史に残る偉大な功績を残した偉人、稲塚権次郎氏の生涯を、遠戚にあたる稲塚監督が撮影した本作。設立当初の福野農学校の姿を今に残す「巖浄閣」をはじめ、市内各所でロケが行われました。このほど映画のポスターが完成。さらに、59()から行われる県内3(TOHOシネマズフォボーレ富山、富山シアター大都会、TOHOシネマズ高岡)での先行上映スケジュールも決定しました。
 ポスターの仕上がりに感心しきりの田中市長は、「本当に素晴らしいポスターになりましたね。仲代さん演じる権次郎さんの赤いシャツが見事に麦畑に映えて、本当に美しい!」と絶賛。さらに、支える会の松本久介会長から映画の題字を城端地域の書家山根美幸さんが手がけ、劇中歌として南砺の歌姫 林道美有紀さんが歌う「こきりこ」が採用されると聞き及ぶにつき、「南砺の偉人の生涯を描いたこの素晴らしい映画の良さをどんどん広げていきましょう。」と喜色満面。稲塚監督は「2年前に市長にお会いしてから、映画の製作・完成までが大変早かった。支える会の皆さんをはじめ、多くの方々にお力添えをいただけて本当に良かった。英語版の製作も進めており、今後多くの映画祭に出していきます。これを通じて南砺を世界にPRできると考えています。」と話されました。その後の歓談は、映画撮影経過や今後のPRなどについて大いに盛り上がりました。
 歓談後、インタビューに応じた稲塚監督は、「南砺に生まれ、世界的な功績を残した偉人 稲塚権次郎さんの物語を、皆さんの誇りとしてご覧になっていただければと思います。」と呼び掛けられました。
 南砺が誇る郷土の偉人の生涯を描いた傑作、ぜひ劇場に足をお運びになって、ご覧ください。

 

 


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