2015-05-04 18:34 | カテゴリ:未分類

           連休で遠出するのもお金と体力がいる。なので、これまでふらっと休館日に訪れたために、肩すかしを2度ばかり食らってきた新装の記念館を、きちんと開館日であることを電話でたしかめて、訪れた。ビーグルという文京区の循環バスに乗れば100円で30分で行ける距離であった。これまでもあちこちで記念展示会なるものを見てきたが、それらは昔の偉人伝にある資料をなぞるぐらいなもので、どれも似たり寄ったりであった。その上、小生は40年ばかりまえに日本土壌肥料学会のエクスカーションで津和野の外の生家を訪問し、西周(にし・あまね)など彼に影響を与えた津和野の人間関係も歩いて調べたことがある。(このころは学会は1週間にわたるエクスカーションを組んでくれてずいぶんためになった。)

  

今回の展示は、実に充実していた。はじめて見るものがいっぱいあった。の3男であった森 類氏が保管していた資料6千点を、類氏の御遺族が文京区に寄贈したのだそうである。今回展示されていたのはそのうちの300点ぐらいであろうか。いずれも小生にとっては、なぜだか自分でも分からないが、興味津々の資料であった。小生はiPadで青空文庫からの著作や雑文をダウンロードして読んでいたので、展示物の一つ一つの位置付けが非常によく理解された。

   

小生には、と年齢が数歳下の夏目漱石の両人が、後年文壇で功成り遂げて有名になって本郷界隈(今の文京区あたり)に住むようになっても、あまり両者の直接の対面の交流がなかったのは何故だろうか、という疑問をずっと持ち続けていた。生涯で両者は4回だけしか遭遇していないということである。多くは正岡子規が介在していたとのことである。この点に関しては、時系列を追った展示の説明によれば、両者は自らの新著作が出版されるたびに贈呈しあっていた、とある。だから、お互いに自らの新作に対する評価を気にしていたことは確かであると思われる。しかし世間に対してはあからさまには互いの感想を述べてはいないようである。この点に関して、展示物を詳しく見ていて、実に驚いたことに、「倫敦塔」「幻影の盾」「趣味の遺伝」「坊っちゃん」「野分」などを長男の於菟に読ませるために、外はわざわざそれらが連載されていた本をほぐしてその部分だけを集めて手製の製本にしていたという。その実物が展示されていた。この筋書きが本当ならば、は漱石を密かに非常に尊敬していたものと思われる。の隠れた側面を見たような気がしてなぜか胸にすとんと落ちる物があった。

    

見学は全く飽きなかったのだが、展示物はほとんどがガラス越しで、近眼鏡で近くの平置きの展示物を、老眼鏡で壁に掛けた絵写真や文字を、交互にメガネをかけ変えながらの中腰の姿勢を繰り返していたので、足先と腰が痛くなってきた。なので、1時間半集中して見たのだが、さすがに途中で集中力がとぎれて詳しく見ることをギブアップしてしまった。令(とし)には勝てない。
  
  一階の喫茶室でコーヒーと和菓子をいただいて一服して退館した。展示資料が入れ替わったら、是非又出かけたいと思う。洋風ケーキがなかったので次回来るときにはぜひドイツ風の分厚いケーキを提供してもらいたいと思った。完全に暇になったら森 鷗外記念館の「会員」になって、喫茶室のこのケーキにつられて2階の図書室にある森鷗外全集その他を読みに何回も訪れることになるかも知れない。

  

(森敏)


追記:鷗外と漱石に関しては、昔以下の一文を書いたことがあります。


なりたくない自分になるな

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/1951-400213da