2014-12-27 16:34 | カテゴリ:未分類

 「地デジ」のテレビチャンネルがバラエテイー番組とコマーシャルばかりなので、腹がたって「BS」に切り替えたら、盲目のピアニスト辻井伸行さんの演奏が始まるところだった。スイスのラフマニノフの生家を見学したあとでのスイスの管弦楽団とのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の協演だということであったと思う(小生は全く音楽に疎いので正確には覚えていないのだが)。

 

演奏が始まって、息をのんだ。引きずり込まれた。おそらく聴衆側からではよく見えないであろうと思われるが、テレビがしつこくクローズアップして撮影し続ける彼の両手の指の動きには小生の目が釘付けになった。盲目でも片時も休まることなく首を左右に振りながら多分アクセントをとりながら、華奢で繊細な長い指先が鍵盤の上を微妙に痙攣するように検索しながら、しかも猛スピードで鍵盤上左右に行き交いながら鍵盤をタッチする映像は得もいわれぬ迫力があった。まるで10本の全部の指先には目が附いているようである。実際そうなのではないだろうか?彼の指先には視神経が交錯しているのではないだろうか? 第3楽章まで全くの暗譜で弾ききった。およそ人間業と思えなかった。プロのピアニストなら当たりまえのことかも知れないが、盲目なんだから。

 

伸行さんは、盲目で視覚が一切関係しない分だけ、聴覚や微妙な会場の空気の動き(雰囲気)などの触覚や嗅覚などが異常なまでにとぎすまされているのだろう。事実、演奏後の楽屋では「会場と一体となって演奏できてとても楽しかった!」と述べている。脳内空間に収容された全楽譜が手と連動して時系列で抑揚を付けながら紡ぎ出される、小生には全く理解不能な神経回路の動きを知った、至福の時間だった。

 

盲目の邦楽家宮城道雄を思い出した。彼は琴の演奏や作曲の傍らで、いろいろな自伝的随筆をモノしている。それらは「青空文庫」で読める。健常者がいかにぜいたくに、のうのうと人生を歩んでいるかを知らされる文章ばかりである。辻井さんも身を以てわれわれにそのことを教えてくれている。「ぐだぐだと生きるべきでない」と、あらためて小学生のように身が引き締まった。

 
  

(森敏)
付記1:『ピアノはともだち』 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密 (こおやまのりお著:講談社) という本を親戚からから紹介された。2011年4月25日第一刷 であるから、最近の3年間の辻井伸行さんのことは書かれていないが、この間も飛躍的な活躍があったものと思う。 この本でわかったことは、幼いころから、盲目の伸行さんの周辺情報の風景や出来事の翻訳者(interpreter)が元アナウンサ―であった、おかーさんの「いつ子さん」であったということです。おかーさんが「風景」というアナログ情報を「言葉」というデジタル情報に変換していたことになります。おかーさんは物事や風景の「美しい側面をすくいとって」伸行さんに伝えてきたのでしょう。伸行さんの頭の中は美しい楽しい情報がいっぱい詰まっており、それらが彼の頭の中で音楽というアナログ情報に変換されて紡ぎだされてくるのだと思いました。

余計なお世話かも知れませんが、この本のタイトルは「ピアノはボクのからだ」としたほうがより実態に即していると思いました。
 
追記2.「NOBUYUKI TSUJII plays LISZT 」というCDを図書館から借りてきて聴いた。辻井伸行さんによるリストの曲が9曲演奏されたものが収録されている。実にすばらしい演奏だと思った。(2015年2月8日)

秘密

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