2008-07-16 15:37 | カテゴリ:未分類

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ファーブル昆虫館に展示しているチョウチョウのコレクション。

     よく見ると少しずつ変異が見られる。

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      ファーブルは植物画も描いた。

  動植物を問わず生き物の形態学に興味があったのだろう。

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         ファーブルの自筆のペン字。

   数学と物理学に強かった非常に几帳面な性格が伺える。

ファーブル伝に思う

 

文京区にある『ファーブル昆虫館』に出かけてきた。実は小学校のころ偕成社かどこかの出版社で簡単な伝記を読んで、ファーブルは昆虫学者と思っていたので、小生は長じても彼の「昆虫記」をまともに読んでいない。

 

一方、小生の中学校の生物の教師が植物の授業を丁寧に行ったので、羊歯(シダ)の収集などでは牧野富太郎著「植物図鑑」(北隆館)を良く活用した。したがって植物学者である牧野富太郎の名前はよく知っていたし、その後も彼の伝記は詳しく読んだ。かれは小生の郷里の高知県出身でもあるので、親しみを持っていた。長じても高知にある牧野植物園には何回か足を運んだ。小生が次第に植物に研究対象を絞り込んでいったのも、このような背景があったからだとも思う。

 

ところがここの「ファーブル昆虫館」の展示物のなかに、ファーブルの、なんと、植物に関する精密画集があった。彼は植物も実によく観察していたのだということを知って少し感動した。同時に展示しているファーブル自筆の細いペン字が目を引いた。実に繊細な正確を期する性分と見た。そこで本当の所、ファーブルとはどういう学歴と経歴の人物なのか少し詳しく知りたいと思った。

 

そこで今回、『ファーブル昆虫記 伝記 虫の詩人の生涯』 奥本大三郎訳/解説(集英社)を図書館で借りてざっと読んでみた。簡単な履歴は以下のとおりである。

 

1847年(23才)モンペリエ大学数学の学士号取得

1848年(24才)モンペリエ大学物理学の学士号取得

1849年(25才)コルシカの自然にふれ、アビニオンの植物学者ルキアンと、コルシカの山々で植物採集をする

1854年(30才)ツールーズ大学博物学の学士号取得

1855年(31才)「ソラマメ属の花と果実の観察」など、植物に関する論文を次々に発表

以降、ルキアン博物館館長、師範学校の物理の教授、成人学校講師、科学啓蒙書を書き虫を観察する生活 

1878年(54才)「昆虫記 第一巻」を書き始める。

1909年63歳の時に23才のジョセフィーヌ・ドーデルと再婚

1909年(85才)昆虫記第11巻を書きかけたが、未完

1915年(92才)死去

 

一見して、なかなか個性的な激動する人生を歩んでいることがわかった。個性が強い故に定職に就けずに、野(や)に下って、アマチュアで生活する時期もたびたびあったようで、後半の人生は昆虫記を書きながら、その印税で飯を食っていたと思われる。好きとはいえ、本当によく頑張ったのだなあと素直に敬服した。若いときから数学や物理学が強かったことが明らかであるが、この才覚が昆虫の動態や形態の観察や分類学にどのように役にたったのだろうかと、非常に興味が湧いた。年取って(63才!)から二十歳代の若い女性と再婚して、当時としては驚異的な長寿(92才!)の生涯を送っている。何人かの子供たちは早死にしているが、本人は遺伝的にも非常に健康な長寿の家系であったのだろう。

 

ある年令の時に彼が何を考え、どう難問に立ち向かい、どう行動したか、などは、このファーブル昆虫館での簡単なビデオの紹介や、この奥本大三郎氏による伝記を読んでも残念ながら全くわからなかった。子供にはそこまで理解してもらう必要がないということなのだろう。遅ればせながら機会があったらもう少し詳しいことを知ろうと思う。

 

(森敏)

秘密

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