2014-01-10 06:05 | カテゴリ:未分類

  個人的なことだが、正月の年賀状に、兄が高知の両親の墓を、面倒を見る体力が無くなったので、横浜の墓地に移す、ということを書いて来た。あらかじめこのことには小生も同意しておいた。父が86歳でいなくなり、つぎに母が94歳でいなくなって10年たった。その間、家はいったん更地になり、すぐに草ぼうぼうで灌木が生えはじめていた。もめにもめた末に兄弟姉妹間の共有名義のこの土地をやっと1昨年ついに処分した。  
    
  郷土土佐の坂本竜馬の大のファンであった親父が、竜馬の親族の墓のある山(今は高知市の公園になっている)のすぐ隣の小山の頂きに、生前に自分用のお墓を建てていたので、そこに両親の遺骨が眠っていた。ふもとの菩提寺が管理するその山は急峻で、雑草が生えて迷路になっており、80歳を超えた兄は山を登れなく墓参りができなくなった、ということであった。ついに家屋の土地も処分し、お墓も移転することになったので、小生は「土佐の高知」には全く未練がなくなってしまった。郷土愛を喪失したが、なぜか気持ちが吹っ切れた。

    

  むかし、東京に出てきたころは、母親から、「関東に出た子はみんな親不孝者になる」という暗示的な言葉を投げかけられたことがある。その時はその意味がわからなかったのだが、半世紀以上たつと、やはり我々関東に住むことになった5兄弟姉妹は、関西に住む3兄弟姉妹よりは間違いなく親不孝者であった。土佐の高知は関東から距離が遠いこともあって、あまり頻繁には両親を訪ねなかったし、両親が死んでからも年に1回も墓参りをしなかったのである。あげくのはて、今回は父が愛してやまなかったであろう高知市内を見渡せる春は桜が満開の山頂の墓を撤去したのだから。

    

  だが上述のわれらの家族がたどった故郷をめぐる経緯は、超少子高齢化社会に突入しているいまの日本では今後ますます加速度的に進行していく平均的な運命だと思う。地方の村々では、寺の永代供養に任せて親族のだれも墓守におとずれてこなくなった墓や、買い手がつかない古い民家などが、すでに数えきれないぐらい出現している。そればかりか、身近な都心でも、谷中の墓地や、青山墓地や、吉祥寺の墓地など、小生が奇形タンポポの調査で仔細に回ってみた墓地でも、その無数にある墓の半分が荒れ放題である。のら猫の捨て場になっており、かれらのおもいのままの住処になっているところもある。明治維新以来の歴史上の人物の墓が誰にも手入れされずに荒れているのは実に無残である。 
   
  若い時は故郷(ふるさと)がなつかしく、そこにいつまでも両親や祖父母がいて風景もいつまでも変わらずあってほしいというのが人情だろうが、多くの都会に出てきた人々には、これからは故郷回帰はかなわぬ夢になりつつある。定年で退職して幸い故郷に帰っても実家を引き継いで農業に携われるのは足腰が丈夫なせいぜい70歳前後までであろう。そのあとは子供も孫も訪ねてこない、連れ合いを亡くせば、一層孤独な生活となる。奥山では車も運転できなくなると病院にも行けない。だから、10年間前後の帰郷生活ののちには、またまた都会に回帰して子供たちのそばに転居するか、同居するか、老人ホームに入るかである(入れればいい方である)。そういう人が身近に何人もいる。
 明日は我が身である。
      
   過去の諸氏から頂いた年賀状からも、そういうプロセスをたどる諸先輩の例が散見される。
  
   
   放射能汚染地域の「原発被災者」の中にはまだ故郷(ふるさと)放棄を決断しかねている人がいる。なかでも先の短い老人は故郷(ふるさと)に強い強い未練があるだろうが、若い人は辛いかもしれないがさっさと相応の避難資金をがっちりと東電から獲得して、故郷(ふるさと)回帰を断念して新天地で生活を始めるべきなのだ。最近になって行政もやっとその流れになりつつあるのは小生にはきわめて妥当なことだと思われる。
     
  原発被災者に関わらず、この超少子高齢化社会では、多くの日本人は帰るべき郷里(ふるさと)というものはあまりあてにできない。これからは故郷(ふるさと)では終生を全うできない。超少子高齢化社会では「故郷(ふるさと)喪失」はあたりまえになる。マスメデイアも故郷(ふるさと)故郷(ふるさと)とノスタルジックに過去志向で騒ぎすぎ。もっと若い人に対しては未来志向を奨励してもらいたい。日本で肩身が狭いなら家族で海外移住でもいかがか? 
  
  以上暴言に聞こえるかもしれないが、故郷を喪失した老人の繰り言です。
  
(森敏)
付記:小生も含めてわが兄弟姉妹の半分以上は大戦前の中国大陸や朝鮮半島で生まれています。その意味では敗戦で異国の「故郷(ふるさと)」からは強制的に物理的にも心理的にも遮断されて生きてきています。

追記:コメント欄に直ちにミャンマーからの連絡があった。下記に転載する。原発被災者に対するミャンマー移住のすすです。

「ミャンマーに来て8ヶ月になる。子供達が裸足でかけまわる社会がある。米は50kg1200円で買える、夕飯は”おこわ、赤飯”がふたつかみで30円、テレビは隣近所と一緒に見る。60年代の日本がここにある。言葉は6ヶ月もすればわかるような気になる。生活には困らない。日本の行き過ぎた閉塞感はない。選択の一つにミャンマーを薦める。」

 

 

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