2013-11-14 23:12 | カテゴリ:未分類

「人物本位」入試の怪シサ

 

政府の教育再生会議が、「人物本位」の大学入試への改革を打ち出した。面接などで能力や意欲を多面的に評価し、主体性、創造性を備えた多様な人材を育成するためだという。つめこみ型の勉強から解放されるかのような心地よい言葉に、どんな意味が忍び込んでいるのか。

 

という前書きで、朝日新聞が記事を書いている。

 

一連の記事の中でのしめくくりは、

東大の田中智志教授(教育臨床学)は、

「そもそも“人物”は言語化したり計量化できない領域のもの。それを評価できると思い込んでいること自体が問題なんです」「“人物”を評価することの難しさに、そのうちみんな気が付くでしょうからね」
(朝日新聞2013年11月6日)

 

  田中教授のいう通りだと思う。

 

  私見では、大学は総合的な一定のレベルの「基礎学力」があるか、特定の科目での「とびぬけた学力」があるか のどちらかで学生を選抜すべきで、学生の ”人物評価” なんかすべきでないし、できるわけがない。極端に言えば入試での面接試験は ”学生いじめ” に過ぎない。時代が変われば下手をすると”人物評価”は「思想調査」になってしまう可能性を秘めている。

  大学がすべきことは入学後の学生のやる気を奨励する知的物的環境整備をするしかない。それをしても学生がどういう方向に伸びていくのか大学教員にはわからない。小生の経験では卒業後の学生の進路でこの学生はこう成長するだろうと思った方向に行った学生は一人もいなかったといってもよいくらいだ。多くの大学教員は小生と同じ感想を持っているのではないだろうか([それはお前が無能だからだ]、といわれれば[すみません])。

  しかし、なんでこんなしんどい入試対策を大学教員にやらせるのだろう。各大学はいまでもいいかげんに多様な入試対策に時間を取られているのに、ますます大学教員が疲弊して、研究が劣化してしまう事を危惧している。大学教育ではよい研究者であることはよい教育者であることの必要条件である(かならずしも十分条件ではないが)。 大学教員自身が創造性を備えていなくて、学生の創造性を育てるなんてことは土台無理であるからである。

追記1:朝日新聞は、2013年11月8日(朝刊)、の「教育」のページで
大学入試「人物本位」への試練
と、題して、再論を試みている。執念深くやってほしい。
 

 (森敏)

 

秘密

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