WINEPブログ
この画家の同じようなパターンを繰り返し繰り返し性懲りもなく画面いっぱいに描く根気と気迫に圧倒された。写実画でなく、抽象画で、脳内構造を彷彿させるので、興味が尽きなかった。
彼女の何か意味のあることを表現しようとしている絵よりも、彼女の幻覚の中で脳内に浮かび上がってくる形象を画布に細やかに記載し続けた絵が、わけもなくとても魅力的だった。
会場でのテレビ解説画像では統合失調症で精神科病棟からアトリエに通っているとのことである。
その後、昨年秋は「日展」審査の不祥事が報道されていたが、思うに草間弥生のような絵は「日展」審査ではあまり評価されてこなかったのではないだろうか?小生には全く記憶がない。詳しい経過は知らないが、彼女がこれまでに文化功労者を授与されていることは、美術界にとって救いかもしれない。「日展」不祥事が報道されて、なんとはなしに去年は「日展」には行きそびれた。小生のようないい加減な対応の絵画ファンも多かったのではないだろうか。
「日展」にこれまで何回か応募して時々受かり時々落ちている小生の親類の画家が、昨年は日展に落ちて、今度は上野の東京都美術館での「日洋会」に出展する(入場無料)と年賀状で知らせてくれた。この「日洋会」は初めてだが行ってみた。ひいき目かもしれなが、彼の絵はすぐわかり、すばらしい絵だと思った。
先日、腰痛気味で寝ているときにiPadで上向きに青木文庫の寺田寅彦の 『ある日の経験』という随筆を読んでいたら、彼が上野の帝国美術院の展覧会に出かけた時の感想文が載っていた。(多分100年前の話である)。彼の感想では、日本画も洋画もどれも印象的でなかったのだが、「。。。。。。。。。。。 おしまいのほうの部屋の隅に、女の子の小さな像が一枚かかっていた。童女は黒地に赤い縞の洋服を着て、右の手に花を一輪持っている。一目見ただけで妙な気がした。これはこの会場にはふさわしくないほど、物静かな、しんみりとした気分のいい絵であるとおもった。云々。。。。」
とあって、物理学者の寺田寅彦先生は、「何かしらしみじみと『胸』に滲みこんでくるような感じの絵」が、そのときは好きであったようである。 この絵はたぶん岸田劉生の「麗子」だとおもう。
また、寺田寅彦のほかの 『異質触媒作用』 という随筆には、「帝展の洋画部を見ているうちに、これだけの絵に使われている絵の具の全体の重量は大変なものであろうと考えた。その中に含まれているPb(鉛)とZn(亜鉛)だけでもおびただしいものであろうと思われた。こんなことを考えるほどに近頃はこうした展覧会の絵に興味を失ってしまったのである。批評などはする気にも慣れない。。。。。。。。。来年あたりから、ためしに帝展の各室に投票箱を置き、「いけない」と思う絵を観客に自由に投票させて、オストラキズム(貝殻追放)の真似をしたらどうかと思う。推薦するほうの投票だと「運動」が横行して結果は無意味に終わるに決まっているが、排斥する方の投票だと、その結果は存外多少の参考になるかもしれない。そうして最後に残った絵だけをもう一度陳列してみたらどんなことになるか。これはためしに一度やってみる価値があるかもしれない」
とある。
ちなみに、高知市の寺田寅彦の自宅は今は寺田寅彦記念館として無料で開放している。書斎の一画に飾っている寺田寅彦の描いた油絵の自画像は、まあお世辞にもうまいとは云えない。陳腐である。
このように彼我の普通の絵の鑑賞者は実に「無責任」で「ムラッ気」なのです。
絵の展覧会ではたくさんある絵のなかで、「あ!これは!」と胸に響く絵がたったの一枚でもあればハッピーだったというのがいつもの小生の感想です。もう何十年も全く油絵を描きませんが。
(森敏)
統合失調症であることは存じませんでした!!!
彼女の幸福と苦しみ、ご家族の悲喜こもごも。
母親が同じ病気で、10代より30年にわたる介護を、
独りで成さねばならなかった私には、察して余りあるものがあります。
呉秀三の、
「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし。」
という言葉が、いまだに実感される日本。
ケネディ教書に感動して、ボストン郊外までたずねたこともあります。
草間さんの作品は苦手でしたが、今一度拝見いたします。お教えいただき、有難うございました!