2013-09-05 06:48 | カテゴリ:未分類

    内村鑑三・新渡戸稲造・矢内原忠雄といえば、大学生時代に耳にタコができるぐらい聞かされた、無教会派の正統である。それ以降はカリスマ性の高い人物が出てこないで、いろいろな分派が入り乱れて現在に至っている、というような話を、東大農芸化学科の大先輩である今は亡き原島圭二氏から昔聞かされたことがある。

 

新渡戸稲造は北海道大学の資料館に詳しい紹介があるし、北大の門の入り口に胸像が立っているし、「太平洋にかける橋」という小学校の教科書での文章を勉強したし、旧制一高の校長を務めているし、いくつかの農業関係の著作も読んだので割合身近に感じてきた。矢内原忠雄は大学に入学後、駒場の9番教室で話を一度だけ講演会の聞いたことがある。あまりに聴講者が多くて、何を語ったのかまったく聞き取れなかった。この時の前座を務めたのが原島圭二氏で、矢内原先生の略歴を紹介をしたのだと、かなり後になってご本人から聞かされた。しかしこの矢内原先生も小生はあまり身近ではない。ましてや内村鑑三先生となると、小生の世代では直接接していないので、ちょっと雲の上の人である。

 

そこで今回機会があったので、野次馬根性で、軽井沢の内村鑑三記念堂というところに行ってみた。石組みの「石の教会」という教会の地下に内村鑑三記念堂という一室があり、そこに人物紹介のパネルがあり、手紙やはがきや書画がガラスケース内に展示されていた。ざっと見て一番印象に残ったのは、内村鑑三がお習字が下手くそであるということであった。若くしてアメリカに渡ったのでお習字をきちんと習わなかったのだと思う。だいいち使っている筆が絵筆ではないかと思われる。いろんな掛け軸にいろいろな名文句が書かれていたが、小生でも書けるぐらいの下手さである。お世辞にも「揮毫」とは呼べない。でもそれが却って彼の神に対して従順な精神を体現しているようにも思わせる図1のような掛け軸もあった。 一方内村鑑三は筆で英語を書く手法を編み出しており、これはなかなか芸術的でさえあった(図2)。

 
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図1.日本語の書

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図2.英語の毛書のレリーフ

 

図1に示すのはそこに展示されていた、彼が精神を充実させて実に生真面目に書いているなーと思った日本語の掛け軸である。

    松下の朝の祈祷

 霧凝りて露と滴る松ヶ枝の

 下にたたすむ神の祈祷児

      大正12年夏於沓掛 内村鑑三


  敬虔なクリスチャンが早朝の松の樹下にひざまづいてじっと神に祈りをささげている。その彼の肩に、立ち込める霧が凝集して露となって松の枝から滴(したた)っている。彼はそれを気にしないで一心に祈っている。そのような油絵の中世の宗教画のようなイメージが想起される書である。
 
一方、図2に示すのは毛筆による英文の掛け軸の銅板のレリーフである。

 I for Japan;

 Japan for the World;

 The World for Christ;

 And All for God.


 

(森敏)

付記1:小生が訪れた時にはこの「石の教会」では結婚式が行われており、中に入れてもらえず石造りの建物の全貌が見られなかった。この教会は近年は年中結婚式ラッシュで、おおいに若者に持てているとのことである。ちなみにオーナーは星野温泉のオーナーだとか(真偽のほどはわからない)。

付記2:内村鑑三は偶像を排する無教会派の創設者なのに、なぜ教会という建物の中に、展示物が収蔵されているのか、少し違和感があった。のだが、これまで詳しく知らなかったことがすこしわかったので為になった。

付記3:内村鑑三の書いた資料を見ていると「学堂」という言葉が出てきた。非常に珍しい言葉なので少し驚いた。京都大学が10年ほど前に「環境学堂」という研究科を作った時には、もしかしたら教授のどなたかが内村鑑三のこの言葉を知っていたのではないだろうか。

追記1:知らなかったのだが、1885年、新島襄の紹介でアーモスト大学に入学した内村鑑三が2年かけて取得したのも理学士の学位である。と学士会会報で本井康博同志社大学元教授が紹介している。
 
追記2:以下の写真は作家の名前を忘れましたが、そこに展示されていた内村鑑三の肖像画です。
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秘密

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