2013-07-21 21:54 | カテゴリ:未分類

約5時間の長丁場の列車の帰路を過ごすために、最近になってようやく書店で手に入れた7刷めの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をキャリーバッグに詰め込んできた。帰路の列車に乗り込んで、座席に座って初めて開いた(行きの列車では講演の準備があったので禁欲して本を開かなったのだ)一ページ目から、これはこれまでの村上作品と違うと感じた。あちこちにちりばめられている、修辞や暗喩が印象的だったので、ついついボールペンを取り出して線を引きながらゆっくりと腰を据えて、なめるように読む羽目になってしまった。これまでの彼の作品のように流し読みするのはもったいないと感じた。

 

小生は中学生の時には、芥川龍之介の「侏儒の言葉」や、太宰治の美しい文章表現を鉛筆で線を引いて、時々ノートに書き写し取っていた。だから、それ以来、読みたい本は自分で買って、印象的な文章には線を引く癖ができてしまった。しかし、近年の作家にはあまりそういう文章表現に接することがすくなくなくなってしまっていた。多分年を取ってこちらの感性がどんどん鈍磨してきたからだと思う。

 

しかし今回の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、本当に久しぶりに、作者がゆっくりと時間をかけて練り上げた力作だと思った。村上春樹と臨床心理学者の河合隼雄(かわいはやお)との交流の成果が熟成されて内容の展開に反映されていると思った。

 

この本の読者はこの本の中で必ずどこかで自分にうなずける片言隻句にぶつかるだろう。そう思わせて読ませるところが今回の村上作品のなかなか冴えた巧妙な技法だと思う。以下に引用するのは、ごくその一部だ。
 

以下、村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』より引用する。

   

P.53  「失礼なことを言うようですが、限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」

P.54  「思考とは髭のようなものだ。成長するまでは生えてこない。・・・・」

P.64   まるでそこにあったいくつかの美しい瞬間が、時間の正当な圧力に逆らって、水路をひたひたと着実に遡ってくるみたいに。

P。66   自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります

P。66   ・・論理に自然な生命を与える。それが思考における自由の中核にある   ものです」

P.68   「様々な宗教において預言者は多くの場合、深い恍惚の中で絶対者からのメッセージを受け取る」

P.69   ただ今ではそれは潮のように満ち干するようになったということだ。それはあるときには足下まで押し寄せ、あるときにはずっと遠くに去って行く。

P.74   どんなに穏やかで整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。

P.80   集中してその音楽を聴いていると、自分がどこか別の場所に運ばれていく紛れもない感触があった。

P.8283 「具体例か」と緑川は言った。酒を一口飲んで、顔をしかめた。「しかし時としてそのような具体例は、それが現れた時点では、受け入れるか受け入れないか、信じるか信じないかという一点に帰せられることになる。そこには中間はない。いわば精神の跳躍だ。論理はそこでほとんど力を発揮できない」

    「たしかにその時点では発揮できないかもしれません。論理というのは都合の良いマニュアルブックじゃありませんから。しかしあとになればおそらく、そこに論理性を適応することは可能でしょう」

P.89   跳躍することを恐れない人々ということに。。。 

P.93   君もいずれは死ぬ。で、死を迎えたとき­ーーーいつどんな死に方をするかは知らんがーーー必ずこの話を思い出す。そして俺が言ったことを丸ごと受け入れ、そこにある論理を隅々まで理解するだろう。真の理解をな。

P.94   論理の糸を使って、その生きるだけの価値なるものを、自分の身になるたけうまく縫い付けていくんだな」

P.107  意識と無意識の境目について考えれば考えるほど、自分というものがわからなくなった。

P.109  つくるは言った。「だれかを真剣に愛するようになり、必要とするようになり、そのあげくある日突然、何の前置きもなくその相手がどこかに姿を消して、一人であとに取り残されることを僕は怯えていたのかもしれない」

    「だからあなたはいつも意識的にせよ無意識的にせよ、相手とのあいだに適当な距離を置くようにしていた。あるいは適当な距離を置くことのできる女性を選んでいた。自分が傷つかずに済むように。そういうこと?」

P.114  相手の頭の中で何かが盛んに進行しているらしいが、その何かがどういう種類のものなのか、つくるには見当がつかない。

P.115  意識と筋肉を結ぶケーブルは外されたままだ。結点のボルトは抜け落ちたままだ。

P.116  しかしそこには現実の持つ重みがない。

P.120  架空の一点に焦点を結んだ一対の瞳が、そのことを告げていた。きれいに透きとおってはいるものの、その奥には何もうかがえない。彼が抽象的な命題について思考するときに見せる目だ。それはいつも樹木の隙間から見える山中の泉をつくるに思い出させた。

P.121  しかしつくるはそれ以上その問題を追及しないことにした。どれだけ深く考えても解答は得られそうにない。彼はその疑問を「未決」名札のついた抽斗のひとつに入れ、後日の検討にまわすことにした。彼の中にはそんな抽斗がいくつもあり、多くの疑問がそこに置き去りにされている。

P.123  人々はみんな彼のもとにやってきて、やがて去っていく。

P.123  自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。

P.125  一緒に同じ部屋にいて、親密な沈黙を分かち合った。

P.131  その不思議な深く澄んだ一対の眼差しの記憶だけだった。

P.145  それに僕らはどれだけ親しくつきあって、腹を割って率直に話し合ったようでも、本当に大事なことはお互いよく知らなかったのかもしれない」

P.146  袋に開いた小さな穴から水がこぼれるように、身体から力が抜け出ていった。

P.146  プールの水底で聞いている声のように、意味をなさない遠いこだまでしかなかった。

P.147  心がその事実に追いつくのにまだ少し時間がかかるだけだ。

P.166  定められたフィールドの中で、定められたルールに従って、定められたメンバーと行動するときに、彼の真価が最もよく発揮される。

P.176  一方で高い金をとって見栄えの良い言葉をでっちあげる人間がいる」

P.177  しかしそれと同時につくるには、二人のあいだで語られるべき大事なことはそれ以上ほとんど残っていないようにも感じられた。

P.178  意味はわからないが、とくに難解ではない。

P.185  「社員教育のアウトソーシング」とつくるは言った。

P.188  「私は自分の頭でものを考えている」と思ってくれるワークフォースを育成することだ」

P.188  もうひとつは本当に自分の頭でものを考えられる人間だ。この連中はそのままにしておけばいい。

P.194  「シロはおそらく心を病んでいた」

P.201  本人の意思とは関係なく活発に動く何かがあった。その光と熱があちこちの隙間から勝手に外に漏れ出ていた。

P.203  でも昔はおれにも、何人かの素晴らしい友だちがいた。おまえもその一人だった。しかし人生のどこかの段階で、そういうものをおれは失ってしまった。

P.206  最後になって自然に口から出てきた。

P.213  まるで洞窟の入り口を塞いでいる重い岩をどかせるみたいにおずおずと。

P.221  彼女のあらゆる資質は十代で、春の庭のように勢いよく咲き誇り、それを過ぎると急速にしぼんでいった」

P.226  それらは彼の中でまだうまく順序や居場所をみつけられていない。

P.233  人は日々移動を続け、日々その立つ位置を変えている。次にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。

P.235  灰田もおそらくおれの中につっかえているものごとのひとつなのだと

P.238  なんて言えばいいんだろう、直観を遡って行くみたいに」

P.243  そのことが何より厳しく切なくつくるの胸を裂いた。

P.246  自分が心に抱え込んでいるのがただの深い哀しみであって、重い嫉妬の軛でないことにあらためて感謝した。それは間違いなく彼から眠りを奪ってしまうはずのものだった。

P.272  クリーム色のマグカップは手作りだった。取っ手がいびつで、不思議な格好をしていた。

P.283  難解な図形を判読するようにじっとつくるの顔を見た。

P.297  君にはなんとか一人で冷たい夜の海を泳ぎ切ってもらうしかなかったんだ。

P.307  人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結び付いているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。

P.319  まるでおもりを外したように、時間の流れがほんの少しだけ軽くなった。

P.323  「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」

P.357  妙によそよそしく、味気なく感じられた。つくるが求めているものは、あるいは懐かしいと思うものは、そこにはもう何ひとつ見いだせなかった。

P.364  感情のコントロールを絶え間なく要求する緊密な人間関係に、それ以上耐えられなくなったのかもしれない。

P.365  そして均衡がうまくとれているからといって、支点にかかる総重量が僅かでも軽くなるわけではないのだ。
 

(森敏)
付記:村上春樹氏は小生も通った芦屋市立精道中学校の後輩である。直接顔見知りではないが、だから少しだけ親近感がある。

 

 


秘密

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