2013-05-10 22:44 | カテゴリ:未分類

 将棋トップ棋士が電脳に初の敗北 団体戦も3敗で負け

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将棋のトップ棋士が公の場で初めてコンピューターソフトに負けた。20日、東京都渋谷区の将棋会館で行われたプロ棋士と将棋ソフトの5対5の団体戦、第2回電王戦の最終第5局は、最高峰リーグのA級順位戦に在籍する三浦弘行八段(39)が102手で将棋ソフト「GPS将棋」に敗れた。GPS将棋は、昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した実績がある。

 プロ棋士は1勝3敗1持将棋となり、団体戦でも敗戦が決まった。

 これまでトップレベルの棋士と将棋ソフトの対戦は07年、渡辺明3冠が「ボナンザ」に勝利していた。

 昨年の第1回電王戦は、故米長邦雄永世棋聖がソフトに敗北。第2回から団体戦となった。

(共同)

 

 

 「チェス」はルールの単純さと駒の活動盤面の狭さで、最初にコンピューターに敗れた。次にチェスよりもルールがはるかに複雑であると思われる「将棋」がコンピューターに負けた。単純に帰納法からいえば、いずれ羽生さんも負けるだろうとだれもが予想できる。「囲碁」ははるかに将棋よりもルールが複雑である上に(と素人の小生には思えるのだが)盤面が広いので、コンピューターに負けることはしばらくないだろう。しかし、いずれその時が来るだろう、とコンピュータープログラミングのド素人の小生には単純にそう思われる。

 

ずっと以前にもこのブログでも書いたことだが、『実存主義かマルクス主義か』(ルカーチ著)『直感はいずれ論理的に解明されるものである』というようなことが書かれてあった記憶がある。教養課程の学生の頃はこの唯物論哲学者はずいぶん明解に「人の頭脳の働き」を言い切るもんだなといぶかった。しかし人間の頭脳が物質でできている限り、唯物論的にはそう断言するのはあたりまえのことであろう。唯物論では「意識」は物質の最高位の運動形態と位置づけられているからである。

  

実際、形而上学の最たる職業である数学者の回顧録などを読むと、この世界では、何世紀にもわたって解かれていない数学上の設問に対して、長年の熟考の末に、ある日突然直感的に「解」がひらめいて「解けた!」と実感し、その後にさまざまな解法を使っての実際の論理的な証明に至るのが常識のようだ。すなわち直感的にひらめいた「解」は、徹底的に形式論理の延長線上にあるということなのである。そうである限りどんな数学的難題もいずれはコンピューターでの形式論理による解法が適用できるはずである。「解がある」(解ける)か「解がない」(解けない)かも含めて。

  

  

 実際に将棋でコンピューターが人に勝ったという単純明快な出来事に接してみれば、あくまで限定条件下での「設問」に対して超高速コンピューターが人の「直観」よりもすばらしい「解」を迅速に提示できるのは、今後も当然起こりうることだと思われる。コンピューターは「過去問」の解法にはめっぽう強いらしいからである。   
 
   

  だから、我々凡人によるさまざまな宗教上の修行や、勉学での演習や実験、何よりもプロとしての職業を通じて得る厳しい人生体験は、数学でいえば、いわば演習によってさまざまな解法を学んでいく、すなわち発想を豊かにする(さらに言葉を変えていれば「直感を養う」という)潜在的な形式論理操作の訓練をしている作業であるともいえよう。それが体で覚えるということであるだろう。

 
 特定の「課題」(問い)に対する最適な「解」(答え)を迅速に見出す「直感」(ひらめき)が訪れて来るのはそういう人達に対してである。
 
  しかしあたりまえのことだが既知の知見の組み合わせの延長線上にある「発明」はともかく、「発見」はコンピューターではけっしてできない技である。「発見」とは、全く予測不可能な「自然界の法則性」を見出すことである。それは全くの偶然でしか起こりえない。新しい発見(法則性)が次の自然現象を解明する公理(形式論理の前提条件)になるのである。生命現象ではDNAの発見がその典型である。
 

  既往の理論からの予測や仮説が当たる実験結果は、感動的ではあるが、ことばの真の意味では「発見」とは言えない。

 
  頭がふやけた小生の今は、学生時代のようにギリギリと唯心論か唯物論かの論争をする気にもならないが、唯心論(宗教)が世界を危機に陥れていることは間違いないと思う。
 
      宗教家は皆「悟り」(直観)からその道に入っている。その直感が間違っているとコンピューターで証明されるまえに、人類は原子力爆弾や原子力発電や自らがばらまいた新種の病原菌で自爆して滅びているかもしれない。
 

  直感ではないがわが人生の終末のコースに差しかたったいまはそういうきわめて悲劇的な「予感」がしている。

 
(森敏)
  
  

付記1:学生時代に読んだこの本は、ネットで調べるとタイトルが以下の本ですが、小生は自宅の本を全部廃棄処分してしまったので、正確な文言を引用できません。

『実存主義かマルクス主義か』 Existentialism ou Marxism ? Tr. du hongrois par E. Kelemen. Nage. Paris. (城塚・生松訳・岩波現代叢書)
 
付記2:小生は、人が作ったルールに従う勝負事やゲームには全然興味がわかない。犯人を探る探偵小説なども、どこが面白いんだろうと思ってしまう。答えがあることがわかっているからである。自分の頭の回転の悪さがすぐに露呈してしまうことが明らかだからでもある。

 

 

秘密

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