2008-07-02 05:44 | カテゴリ:未分類

人はなぜ落書きをするのか?

 

   イタリアのフィレンツエの大聖堂に日本人が実名で落書きしたからという理由で、学生や教員がその大学で謝罪させられたり、処分を受けたりしている。

 

   確かに名所旧跡で落書きを見ると非常に不快である。多分落書きはその場の雰囲気を突然破壊してしまうからだろう。(小生は京都の孟宗竹の藪の竹に書かれた落書きを見たとき、怒りがこみ上げてきた)

 

   それにしても、どうして人は自分の名前を落書きしたがるのだろう。小生にはその心理が全く理解できない。

 

   落書きでなくても、お布施を寄贈したということで名前が貼られているパネルなどはどうだろうか? 神社仏閣などではよく金額と団体名ばかりでなく個人名が延々と掲載されている所がある。この場合はキチンと神社仏閣の側で名前が習字で書かれている。金額の大小で大きさが違うのは「ま、そんなものかな」と、さほどの不快感はない。

 

   神社で木製の絵札を買って、それに自分の祈願を書いて署名しているのが、木枠にわんさとつり下げられているのは、見る方がはずかしいが、ほほえましい点もある。これは合法的な落書きと言えよう。

 

   3年前に北朝鮮を訪問したときにピョンヤンの大同江に立つ有名なチュチェ(主体)塔に案内された。そこの入り口の壁には、200-300名分、40cmx60cmぐらいの陶器のタイルがはめ込まれていた。この世界一と言われる200メートルもの石塔を建てるために、基金を寄贈した世界各国からの人のものであった。いずれのパネルも金日成の「主体思想万歳」と言う意味のことばが書かれていた。その中に日本人の名前が数パネルあった。小生も知っている有名人もいた。彼/彼女らはこの塔の建設当時は「チュチェ(主体)思想」の熱狂的な信者だったに違いない。この塔は金日成70才の誕生日を祝って建てられたものであった。

 

 

  だが今歴史は反転してしまった。今の日本人は北朝鮮につめたい。パネルを見ながら小生は“あわれなことだな”と思った。げに歴史は恐ろしい。今、それらを寄進した本人が自分のパネルを見たらどう思うだろうか。彼らは未だにチュチェ思想に傾倒しているのだろうか? この思想の実質的なゴーストライターであった黄長氏自身が韓国に亡命を余儀なくされているのは周知の事実である。

 

  ところで、東京大学はナントカ基金を募集している。寄金30万円以上はその人名を刻印したパネルを金額に応じた色調で安田講堂の壁に貼ってくれるのだそうである。うーん!? と多くの卒業生は戸惑ってるのではないだろうか。それって「貴方に変わって大学側が貴方の名前を落書きしてあげる」というのと変わらないのじゃないだろうか。後世にこれを見る在学生達が不快にならないことを祈りたい。寄進した本人自身も後悔しなければいいのだが。。。

 

(森敏)

追記:

   北海道洞爺湖サミットに際して、オーストラリアからの4人の人物が日本の入管当局に入国を拒否された。彼らが落書きの常習犯であると同定されたからであるという。このニュースを聞いて非常に合点がいった事がある。

   10年ほど前になるが、オーストラリアのシドニーで学会があった。学会の暇を見つけて一人で列車に乗って郊外見物に出掛けたことがある。その時行けどもいけども、延々と線路に沿った民家や工場の壁に落書きが続いていた。2-3キロはあったように思う。

  落書きする輩(やから)のこのタフさかげんがどこから来るのか不思議であったし、いったいどんな時間帯にこんなどでかい落書きができるのか非常に不思議に思ったことである。いまだに分からない。同じことがロンドン郊外に向かう地下鉄などの沿線にも延々見られた記憶がある。両者はたぶん同じ犯人グループなのだと思う。

 

  上記の入管で日本への入国を拒否された落書き未遂犯候補生達は、「日本ほど落書き天国はない」とうそぶいていたそうである。彼らはなぜ落書きをするのであろうか? 着色スプレーでなぞった絵や文字のほとんどが不快なものであるが、本当にときたまではあるがハッとする表現のものがあるので、こちらも戸惑ってしまう。アートの才能がある落書き犯人もいるようなので実に始末が悪い。

   落書きは ≪オレは瞬時に芸術的表現が出来るのだ!≫ ということを誇示したいがためなのだろうか?

 

 

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