2013-04-11 07:34 | カテゴリ:未分類

    知恩院は小学校の遠足以来縁がなかった。今回初めて修理中の本堂の中に入って「なみあみだぶつ」の勤行を見学した。知恩院は法然上人を祭っている。

 

  外に出て、境内の裏山を登って重さが70トンもあるという、除夜の鐘(かね)で有名な「大鐘楼」をみた。そのあと、ここから秀吉の女房の「ねね」の高山寺に行くにはどうしたらいいのか迷ったので、腰を下ろしている観光客でもなさそうなやさぐれた服装の「おじいさん」に話しかけたら、いきなりまくしたてられた。
 

「知恩院のくそ坊主がなんぼのもんやねん。大きな寺たてて600年間嘘ばっかりこいて大衆から金を巻き上げてきたんやんか。あんたらこの上のほうに法然さんの洞窟があるの知ってるか?ほーたるくついうねん。洞窟や。比叡山で修行して2日かかって当時は奥深いやまのここの洞穴にたどり着いたんや。そいで、そこからまいにち京都の町に托鉢にでかけて、そこへ帰ってきて住んどったんや。そこへあとで親鸞がきて教えを乞うて、親鸞は真宗を作ったんやんか。」(おじいさん)

「本当にそんな洞窟があるんですか?」(小生)

「嘘や思ったら、案内してやるがな」(おじいさん)

 

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写真1: 香川県(讃岐)の人たちが建てた記念碑
 
  ということで、山道を200メートルぐらいのぼって、「法垂窟」(ほーたるのいわや、と読むんだそうである)という皇紀2600年(昭和16年)に建てたと裏書きしている大きな2x4メートルぐらいの大きさの石碑が横に立っている洞窟に来た。道々おじいさんは枯れ枝や枯葉を「毎日わしが道を掃除してるんやねん」といいながら拾ってわきに取り除いていた。ここは高山寺山国有林の管轄であるという札が建っていた。

 

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写真2:法然がこもっていた法垂窟 
 

  洞窟内には仏さんが飾ってあり、奥が2メートル横が2メートル高さが1.5メートルにも満たない小さなもので、中は少しずつしずくがたれて水がたまっていた。中は年中暖かいということであるが、ちょっと入ってみてもよくわからなかった。

  

  おじいさんは現在77歳ということで、ご自身が、猟師、住職、大金持ちであることなどを、声高にいろいろ聞かされた。どこまで話が本当かわからなかったが、なかなか面白かった。

  

  それにしても法然上人の経歴上こんなにも重要な場所が、京都の名所から無視されて、手入れされていないうえに、観光マップにも載っていないのはなぜだろうか? 香川県(讃岐)には法然寺があり、そこにはリアルな法然上人の座像がある。この讃岐の人たちが、洞窟の周りの石碑などを立てているのには、やはりこの洞窟は由緒があるのだろう。この洞窟を囲む遊人会というのがあったのだが今では何も催しものをしていないのだそうである。このおじいさんが毎日ボランテイアで洞窟の周りの清掃をしてるのだとか。

  

  おじいさんの毒気にあてられて、宿に帰ってきた。この人は案外京都では偏屈でとおっている有名人なのかもしれない。
 
(森敏)
追記:早速読者から皇紀2600年は昭和15年だというコメントをいただいた。

秘密

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