2008-06-30 07:50 | カテゴリ:未分類

限界集落の大先輩とわが同期の桜

 

御高齢(超後期高齢者!)の大学の大先輩は、定年後海岸ベリの空気のよい村に一軒家を構えて、執筆活動をしたり、近所の子供を集めて遊んだり、悠々自適しておられた。なぜか奥さんは都心にお住まいである。ところが近年徐々に本人にいろいろな病状(老化、動脈硬化、糖尿、心不全、脳梗塞)が同時多発して進行しはじめており、毎日の医者通いが欠かせなくなってしまった。腕や指がしびれて料理ができなくなり、葉書を書くこともおぼつかなくなった。食事配達等週4日のデイサービスを受けていたが、買い物にも行けなくなり、それでは量が足らなくなってきた。一番のショックはかかりつけの医者が、都会に去ったことであった。ついに音を上げてしまった。現在では、都会の娘の家に同居する羽目になっている。家に残してきた2000冊以上の世界の植物フロラの蔵書の処理や200点以上の中国や南方諸国で集めたコレクション(自ら作成した写真、解説、文献付き)の処理に頭を悩ませている。

 

先日、大学の教養学部のクラスの同窓会があった。その時の「同期の桜」の幾人かが大病院ではなく町医者として活躍している。その何人かは日本の僻地でがんばっている。CT,MRI,PET等を使わなくても、だいたい“勘”で診断がつき、余程のばあいは大病院へ転送しているとのことである。ところが、高知の僻地で活躍されている医者のT君が今回同窓会に現れなかった。彼は一日150人から200人の患者を診ていると言うことであった。前回のクラス会では飛行機で日帰りの強行軍で出席してくれた。きまじめを画に描いた男という評判なのだ。今回T君本人からの葉書では、本人自身が脳梗塞ということである。医者が病気になっては仕方がない。そのために限界集落の多くの患者さんも診療を受けられなくて命の危機を感じているのでは無かろうか。T君には是非とも再起を祈りたい。

 

いくら素晴らしい自然があっても、医者がいなければ、人は住めない。急速に過疎を促進しているのは、高齢化と少子化に対応できない日本の医療政策でもある。先日、鶴瓶(つるべ)のテレビ番組を見ていたら、地方のローカル鉄道や、バスなどのご高齢の乗客のほとんどが、「今から病院(または歯医者)に行くところです」とか「病院(または歯医者)からの帰りです」と答えていた。半日かけての病院通いが普通のようである。限界集落では「生きることは半日かけて病院に通うことである」ような世の中になってきた。田園まさに荒れなんとす(陶淵明)どころか、荒れ続けている。

 

(森敏)

 

 

 

秘密

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