2013-01-26 10:46 | カテゴリ:未分類

  芥川賞が史上最年長75歳の黒田夏子「abさんご」に決まって、その受賞の感想を朝日新聞(1月12日朝刊)が掲載している。実に文学のオリジナリテイに関して考えさせられた。その感想文の一部をとばしながら引用させてもらうと

 

「:::::::このところ恒例の新人ということで取りざたが多く、作品を読まれるきっかけになるのならそれはそれでいいとはいえ、いったい遅さの新記録などというものが成り立つのか、きみょうな逆立ちではないか、:::::::賞というものはなるべく早いうちに授受されるのが正当、そうでないといつついえてしまうかわからないわけで、今回のような老人の事例が、放っておいても強情者は生き残るだろうというへんな楽観をよばないよう、巳年の蛇足ながらねがっておく。」

 

  また、黒田を芥川賞受賞以前に早稲田文学新人賞に選び発掘したといえる仏文学者の蓮実重彦は「日本がまだこのような人材を育てる社会で、高度な文化水準を保っていた。それを認識し、こんな才能を目覚めさせるために、今までのやり方を変える機会になるといい」と話した。というコメントが載っている。

 

  この両者の発言は、文学作品の評価に対する痛烈な批判だと思う。芥川賞をもらっても直木賞をもらっても、そのあとが続かないでくずれていく作家が大部分だが、新しい文体の試みをやる若い作家は、未熟でも優先的に評価すべきだということなのだと思う。かつまた、今まで一見人々の注目から外れていたジャンルの人物でも、きちんと再評価して、日本文学の歴史に位置づけておくべきだ、ということだとおもう。

 

一昨年に芥川賞をもらったに西村賢太氏が石原慎太郎氏とのテレビ対談で「あとほかにどんな文学賞をもらいたかったですか?」と尋ねられて「『川端(康成)』文学賞」がほしかったんだけれど、この賞は選考委員がだめだからもういらない!」と叫んでいたのがおかしかった。どんな賞でも世間は評価委員の側をも厳しく評価しているのである。

 

これは、例えばノーベル賞のような分野でも同じことが言えるだろう。最近は一定の時間が経過しないと評価が定まらないということで、ノーベル賞受賞者も超高齢化してきた。その結果、すでにかなり功なり遂げた死ぬ寸前の人がもらったりしている。それでもきちんと評価しないよりましだが、本人はもっと早く若い時からから評価してもらったなら、研究費も潤沢について、こんなに苦労はしなかっただろうにな、という感慨があるのではないだろうか。

 

その意味では、今回のiPS細胞での山中伸弥氏の若年受賞はよかったと思う。たとえこれが将来実用化されなくても、基礎科学としておもしろいテーマを多くの医学研究者に与えたからである。かつまたジョン・ガードン氏(79歳)がきちんと再評価され同時受賞されたのもよかったと思う。

 

しかし一方では、ノーベル賞の医学生理学分野ではマイナーな対象領域である「植物」の側から言わせてもらえば、細胞の分化や脱分化はカイネチンとインドール酢酸という2つのホルモンで自由自在に制御できることは、1950年代にすでにMurashige-Skoog両氏らによって発見されている。それが現在は茎頂培養(メリクローン:meristematic clone)技術として、ウイルスフリーの培養細胞から一本の植物を再生させる技術に実用化され、農業分野に多大な貢献がなされているている。しかし、Murashige –Skoog両氏はノーベル賞の栄誉に浴していない。植物の分野では、大昔から、1つの細胞が1個体の植物に成長する全能性(Totipotency)を有することは知られていたし、これは高等学校の授業でも習っているはずである。 ノーベル賞において動物と植物の発見に対するするこの評価の違いはどこから来るのであろうか? 人の命を維持する「食べ物」の重要性と人の命を治療する「医療技術」の産業界にたいする重要性の比重の違いに帰するようである。つまり国民総生産(GNP)にどれだけ寄与するかである。
 
    しかし生命現象の基礎科学の知見である「細胞の脱分化」と「細胞の分化」の制御因子の発見という観点からすれば
iPS細胞の3つの遺伝子の発見と、植物ホルモンによる脱分化や分化誘導の発見は同等の価値を有するものである。

 

以上、芥川賞の史上最年長受賞にかこつけて、植物学研究者のだれもが思っている見解を紹介した。
   


(森敏)

  

 

付記:さっそく「abさんご」を書店で買って読んでいる最中である。

 

大部分がひらがなの、けっしてカタカナを使わない、句読点の極めて少ない、センテンスの長い横書き表記法は、読みなれないので読みにくいのだが、文字の意味をつかむために、ゆっくりと読むことになるので、平安朝の時間が流れていくような浮遊感覚である。

 

上記の小生の文章を芥川賞作家黒田夏子氏流に表現すると以下のようになる。

 

だいぶぶんがひらがなのけっしてかたかなをつかわない句読点のきわめてすくないせんてんすのながい横がき表記法はよみなれないのでよみにくいのだが、文字のいみをつかむためにゆっくりとよむことになるので平安朝のじかんがながれていくようなふゆうかんかくである。

 

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/1609-453d9e27