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2019-03-20 07:45 | カテゴリ:未分類

  駒場(東大教養学部)の同窓会館での同窓会のあと、皆と別れて一人で、近くにある日本農学の原点ともいうべき 「ケルネル水田」 を40年ぶりに訪れてみた(1)。ここは都会のど真ん中にある水田である。その由来は、そこに建てられた標識によれば以下のとおりである(2、図3)。筑波大学付属駒場中学校、高等学校の生徒たちは、この水田を用いた田植え、水管理、稲刈り、脱穀、精米までのすばらしい体験実習をしていることと思う。






 
スライド3 
図1.都心に珍しい本格的な水田  上流水口(みなくち)からの眺め。


 

    
 
 
スライド2 
図2。左は「ケルネル田圃」の説明文(以下に転載しました)。
右は農作業の手順を絵でわかりやすく示している。

 
ケルネル田圃

ケルネル水田は、旧駒場農学校の実習田です。駒場農学校は、明治政府が近代農学に基礎を置く欧米農法取り入れるために、農業指導者を養成する学校として明治11年に設置されました。

   
 札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対して、駒場農学校にはドイツ系統の農学が取り入れられました。
  

 ドイツ人オスカー・ケルネルは、駒場農学校の教師として招かれ、日本農業の特質を配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌、肥料などの研究と教育を行い、多くの成果を収めました。
  

 ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田圃は、新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学校の実習地の跡として貴重な史跡です。
  

 なお、駒場農学校は、のちに東京農林学校となり、東京帝国大農科大学などを経て筑波大学に継承されました。
   

 現在、ケルネル田圃では筑波大学付属駒場中学校、高等学校により教育水田として生徒が実習しています。

 
   
  
 
 
 
 
スライド1 
 図3.水田の周辺に建てられている掲示板と碑文。
左:目黒区緑の散歩道。駒場で花開いた近代農学  のタイトル
右:水田の碑
 
  
 
 
 

  このオスカー・ケルネル先生の像は、古くから当初は確か小生も長く在籍した東大農学部2号館の正面玄関内にあったと思うが(不遜にも今となっては記憶が定かでは無いのだが)、いつの間にか3号館の正面玄関内に運ばれて、今はその片隅に追いやられて、狭い思いで立っている(4)。この胸像は建物の中にずっといたので、東京大学の中央の広報関係者もあまり知らないらしく、最近大学から送られてきた「学内広報」の東大の胸像群の写真には載せられていない。農学部正門に向かって入り口を入って左側にある上野英三郎先生と忠犬ハチ公が戯れている像の方が今では有名である。



オスカー・ケルネル先生の像1 
図4.オスカー・ケルネル先生の像。 文京区向ヶ丘弥生の東大農学部3号館の玄関の中に胸像が建っている。
   
   
 

 (森敏)
2019-03-07 07:45 | カテゴリ:未分類

ヨモギに似た植物は幾種類もあるので、同定がむつかしいのだが、以下の植物は葉の特徴から一応ヒメムカシヨモギと同定した(図1)。2016年の秋に抽苔して多数の花をつけていた(図2)。これをオートラジオグラフに撮ると、全部ではないが結構濃くうつる花器があることがわかる(図3、図4)。このように花器が濃くうつるものは不稔ではなく、種子がきちんと充実したものである。分析すると花器が結構放射能が高いことがわかる(表1は花器全体の平均値)。確実に放射能は生殖器に移行して次世代に取り込まれているのである。
      
  こういう写真(図3、図4)を展示場や学界で見せると、根はどうなっているのか? という質問をよく受ける。いつも述べているように、根は、土がついていて、それを完全に洗い落とすのが至難のわざなので、それを撮像すればいつもむちゃくちゃに強く感光する(つまり、根自身の放射能を正確に測ることは困難である(根にこびりついた土の放射能の寄与が大きすぎる :アーテイファクト)。その上に実際上根付きで植物を土から掘り起こす作業は、いくら丁寧にやっても必然的に土ぼこりを巻き起こすので、地上部も土で汚染しかねない。だから、あえて根元から下は現場で切り落としてサンプリングしている場合が多いのである。これまでもいくつかそういう根付きの放射線像を示してきたが、根の強い放射能のイメージがあったほうが見るほうには驚きがあるという意見もあるので、最近は幼植物は、できる限り根付きでサンプリングしている。





ヒトツバヨモギ 
 
 図1.ヒメムカシヨモギ



 
 

ヒトツバヨモギ (2) 
 
図2.図1のオートラジオグラフ。左と右下の濃い点は外部被ばくである。たぶん土埃と思われる。 花器の内部被ばくが顕著である。左の株は右の株と近接した10センチ離れたところの株である。根が張っている土壌の部位によって、放射能汚染の度合いが極端に異なるためである。
 


ヒトツバヨモギ(ネガ) 
図3. 図2のネガテイブ画像
 
 
 
表1.ヒメムカシヨモギの部位別放射能(図1の右側の株について)

ヒメムカシヨモギの放射能1  
 
 
 
  
  

(森敏)
2019-03-04 13:13 | カテゴリ:未分類
  イネ科植物は一般的にセシウムの土壌からの移行係数が低いと思っていました。

  現在、空間線量が毎時17マイクロシーベルト、という双葉町の線量下で、コンクリートの割れ目に貧弱に成長していた高さ30センチ弱のイネ科植物を採取して来ました。名前が同定できなかったのですが、トダシバの仲間だろうというのが、若林芳樹氏(株式会社アスコット)の見立てです。読者のどなたか同定していただければありがたいです。

  実験室で測ると、トダシバの穂の部分が、ガイガーカウンターで1050cpmというとてつもなく高い線量で、NaIスペクトロメーターでの放射性セシウム含量も 葉>茎>穂 の順でしたが、1kg乾物重当たり28万ベクレルから55万ベクレルというとてつもない放射能の高さでした(表1)。

 
  暴発原発から風に流れて降下してきた放射能が周辺のコンクリートに付着して、それが当時あるいはその後の降雨により、コンクリートの割れ目に流れ込み、土壌に吸着されて、その可溶性成分をこのトダシバが吸収しているものと思われます。


  
  




図1。 トダシバの仲間
スライド3   



図2。 上の図1の穂の部分の拡大図
 

スライド4 

図4.図1のオートラジオグラフ。

スライド1 
 
 
 図4.図3のネガテイブ画像

スライド2 
 
 
    
 
 表1 トダシバの部位別放射能

イネ科濃い われめ 
 
 
  
   
  
(森敏)
 
2019-02-03 10:00 | カテゴリ:未分類

これまで全く立ち寄ったことがなかったのだが、最近整備された上野公園の小高い一角に、なんとアメリカのグラント大統領の石碑が建立されており(1)1879年(図明治12年)825日に大統領お手植えのヒノキ(檜:Cupressus lawsoniana)と夫人のお手植えのタイサンボク(泰山木:Magnolia grandiflora)があった(図)。それぞれの木の下に石碑が建てられていた(図3、図4)。タイサンボクは別名のぎょくらんが石碑には記されている。
 
    (江戸開国後こんなに早くからアメリカの大統領が日本を表敬訪問していたとは知らなかったなー。第2次世界大戦での敗戦後は、日本の首相は、代替わりのたびにアメリカの大統領を表敬訪問する朝貢外交をやらされているのだが。)
     

  ヒノキは一枝のみが健在でいまにも枯れかけているが、タイサンボクはおどろくほど旺盛に上下左右に翼を伸ばしてこんもりとしている。いずれも20メートルを超えると思われる高さである。小生はこんなに大きなタイサンボクを見たことがない。よほど土壌が合っているのだろうと思われる。一方のヒノキの土壌は根の張りに障害があるのかもしれない。計算するとこれらの木は樹齢140年以上ということになる。
 

  上野恩賜公園は1876年(明治9年)4月開園、東京大学の創立が明治10年だから、両木は東京大学とほぼ同じ樹齢ということになる。そう考えると140年の風雪に耐えてきた両木がなんとなくいとおしい。どうかこのヒノキ君が枯れないようにと願わずにはいられない。
     
スライド2 
 
グラント大統領(中央の像)の訪日記念碑。 左のアルミ版に由来が書かれている。
 
スライド1 
 左が大統領婦人お手植えのタイサンボク、右が大統領お手植えのヒノキ
 
スライド3 
 
右から俗称グラント・ヒノキとかかれた石碑
 
スライド4 
 
右から俗称
グラント・ギョクランと書かれた石碑
        
この小高い一角は、桜並木のすぐそばなのだが、人々の流れから外れているのか、普段はあまり人がいないようだ。
  

(森敏)
付記:「このグラント将軍が自ら植えたとされる松が増上寺にあり、【グラント松】との名称で親しまれています」という記事をネットで見つけた。なるほど、訪問記念に木を植えるということは、後世に残る行事だが、その受け方の方を考えると、末代までの維持管理に気を遣うのは結構大変だと思う。現にこの上野の グラントヒノキ は、 いまや息絶え絶え であるとお見受けした。

2019-01-03 17:27 | カテゴリ:未分類

明けましておめでとうございます。
 
  今年も時々飽きもせず、福島の動植物の放射能汚染状況を、淡々と放射線像でご紹介いたします。
       
  空間線量17
µSv/hという双葉町の民家の前のコンクリートの割れ目に、生育不良気味の丈が45センチぐらいの淡い色のシダが生えていました。割れ目の土壌表面は、いまだに35µSv/hもありました。なんとなく葉っぱがゆがんで対称形でなかったので、放射線の影響を受け続けているのではないかと思われました(図1)。

     

オートラジオグラフを撮ると外部に付着する放射能汚染は全くなく、全身内部被ばくでした(図2、図3)。もちろんこのシダは発生以来150mSv以上の積算空間線量を外部からも受け続けていたはずです。これは生物で十分突然変異が起こりうる線量です。

  

シダ自身の放射能もベラボウに高かったです(表1)。
 
 
 
スライド2 
図1.ひねくれたシダ 
 
スライド1 
図2.図1のオートラジオグラフ 
 
スライド3

 図3.図2のネガテイブ画像
 


 
 表1. ひねくれたシダの放射能
シダ 
  
   
 
(森敏)

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