2008-06-21 06:33 | カテゴリ:未分類

大学の教員の「出前授業」の成果は? 

 

以前このブログ(「若手科学者への生活待遇が悪すぎる」)にも書いたように、OECD調査によると、日本の中高生の科学に対する興味や科学者に対するあこがれの気持ちは非常に低い。これは日本の科学教育の裾野を基礎から作り替えなければならないことを意味している。科学技術振興機構(JST)でもいろいろな試みがなされている様であるが、それらの試みがどれだけの効果を上げているのかの検証が必要であろう。JSTはこれまでにその検証をやっているのであろうか?

 

  一方、現在多くの大学で、教員は社会貢献と称して、主として将来の受験生を獲得するために、出前講義(あるいは出前授業)というのをやらされている。いくつかの講義のメニュー(講義のテーマ、内容、講師の名前)を大学のホームページ開示して、それに小・中・高の学校や各種の団体から申請書を出してもらって、日程を調整して大学の先生は講義に出かけていくのである。この試みは、今ではかなり定着しつつある様である。

 

出前授業では大学の先生方は、テクニカルターム(専門用語)でしゃべるのではなく、日常用語にかみ砕いてしゃべらなければならない場合が多い。そういう努力をしても、聴衆にはこちらの意味が全く理解してもらえないし、こちらが興味をもってもらいたいことと全く別の横の事に興味を示したりする。どういう創意工夫の授業の形式を取るにせよ、出前授業は大学の授業よりもはるかに疲れる。徒労感が強い。

 

受講者達は我が大学を受験してくれるのだろうか? 我が授業は彼らの知的レベルの向上に貢献できただろうか? 前者の疑問に関してはその気になれば検証可能であるが、後者の疑問に関しては検証が不可能に近い。したがってこんな事のために膨大な準備や出張の時間を取られたりするよりは、自分自身が研究をしてすばらしいデータを世に出す方がはるかに人類の役に立つのではないだろうか?とまじめに悩む教員も多い。

 

「教育」、「研究」、「管理運営」、「社会貢献」など、大学の教員の個人評価項目は、いくつか設定されているが、これらの項目をすべての教員にひとしなみの重み付けで強制することは全くばかげている。個々の項目への比重の置き方は、まず個々の教員の意思を尊重し(ボトムアップ)、それを大学の中長期計画の中で調整する(トップダウン)という手法を踏む事につきるだろう。不得手なことをやらせるのではなく、得意なことをどんどんやらせて、教員の人材の活用を計り、総体としての大学の活性化に向かうべきなのである。

 

こんな事は国立大学法人法の精神として大学の執行部は先刻承知の当然のことではあるが、定着するまでにはまだ時間がかかりそうである。学長の悩みは深い。

 

(森敏)

秘密

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