2012-05-04 07:40 | カテゴリ:未分類

早春の飯舘村に入ってみた。

    
  高地の飯館村はいまが桜の花盛りである。桜の咲いた枝を伐採して記念に積んで帰る車に出会った。連休を利用しての里帰りなのか、ときどき人がいる雰囲気の民家が見られたが、この一時帰宅の住民たちは庭の満開の桜を鑑賞する暇もなく、持ち出すべき用具の選別などに時間を惜しんでいるのだろうと思われた。
    
  道路沿いに裏面に平成23年10月建立の 願主4名の名が刻まれた「復興の桜村民の絆づくり」という大きな記念石碑があった。下図の写真の石碑の背景は、上から下まで約100本の全山満開のソメイヨシノである。 
     
  
   誰もいない。車も通らない。4.5-5.1マイクロシーベルト/時間 の空間放射線量が飛び交う、静寂な悲しい光景であった。  
     

      

   

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  今年3月に来た時にはまだ小さなつぼみであった長泥の山頂の公園の桜も満開であった(下の写真)。ここは10-13マイクロシーベルト/hrの空間放射線量である。あまりに放射線量が高いので、時たま通り過ぎる車はスピードをあげでこの峠の桜並木を潜り抜けていく。

    

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車を転がしながら村内あちこちに垣間見た6つのすべての小・中学校には、定番のように、校庭や周辺小山に、多くの桜の木が植えられているのだが、生徒たちに鑑賞されることもなく、孤独に咲き誇っていた。
    


    

    

(森敏 5月2日 記)
   

追記1:この記事を書いた2日後の5月4日19時46分に、NHKでこの桜を植えた会田征男ご夫婦の映像が流れた。植えたさくらはぜんぶで2000本とか。映像ではさくらはすでに散り始めていた。すでに名所になっていて、原発事件の前には毎年村民が集まってきていたのだそうです。 
 
追記2:5月4日に下の記事が載っていました。
 

今を生きる 復興願い桜の石碑 2000本見ごろ 村民の目印に なき長男の名刻む(2012.5.4 福島民報)
飯舘村伊丹沢の農業 会田征男さん 66
 東京電力福島第一原発事故で全村が計画的避難区域に指定された飯舘村伊丹沢の農業会田征男さん(66)が自宅の敷地に植えた2000本の桜が3日、見頃を迎えた。会田さんは3月、桜を見渡す敷地の一角に「復興の桜 村民の絆づくり」と刻んだ高さ3メートルほどの石碑を建立した。「避難でばらばらになった村民が、いつの日か戻る時の目印になれば」
 養蚕を営んでいた会田さんは平成10年、たくさんの桜が村おこしにつながればと、桑畑だった約2ヘクタールの敷地に桜の苗木をまず、100本植えた。毎年数を増やし、14年には7ヘクタールの敷地にソメイヨシノとオオヤマザクラ2000本が並んだ。「3000本まで増やし、東北一の桜の名所にしよう」と春が来るたびに山里に映える桜の姿に胸を躍らせていた。
 東日本大震災と原発事故で村の生活は一変した。JAそうま営農経済担当常務理事を務める会田さんは、相馬市の借り上げ住宅に避難し、管内で被災した農家の支援に追われた。忙しい中、毎週のように自宅に戻り、桜の手入れに汗を流した。昨夏、妻のツタ枝さん(65)と話し合い「避難を続ける村民が集う場になれば」と桜の近くに石碑を建てることを決めた。
 小山を覆うような満開の桜に、一時帰宅で訪れた村民は足を止め、村内をパトロールする見守り隊の隊員が目を細める。石碑には17年に交通事故で亡くなった会田さんの長男正善さん=当時(37)=の名前が刻まれている。「いつからか桜の世話が息子の供養につながる気がしている。私が死んでも桜は50年、100年と咲き続ける。孫や村民が桜を見て、少しでも穏やかな気持ちになってくれれば」。会田さんは山里に淡く広がる桜を見上げた。
 


 

   
   

秘密

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