2012-04-24 07:02 | カテゴリ:未分類

 「大学改革 授業と入試を一体で」 というタイトルの社説が朝日新聞に載っている(2012年4月23日)。その中でこういう文章がある。

  

:::::::日本の大学生は1日平均で4時間半しか勉強しないという調査がある。::::::::こうしてはどうか、と中教審はいう。前もって課題を与えて予習させ、議論や意見の発表をさせる。一方通行の授業を改めて、自ら学び、考える力をつけさせる。::::::

     

  この文章を読みながら、おもわず1960年代の東大教養学部での時の、今は亡き清水恒先生の「化学概論」の授業を非常に懐かしく思い出した。
    
  先生の授業の第一声は「あなたが考える“分子”とはなんですか?」というものであった。これを学生全員に指名して答えさせた。小生はそのとき必死で考えたのだが、そんなことそれまで一度も考えたこともなかったので分子を定義できなかった記憶がある。

       

先生の授業は、あらかじめご自身の著作「化学概論」(上・下の2巻)を教科書として買わせて、「次回は何ページから何ページについて授業を行います。読んできて、教科書に書かれている設問に解答してください。」と言って、次週には解答を出席簿の順番に板書でおこなわせ、

「ここまでの教科書の内容で疑問に思ったことを質問してください。質問がなければ、こちらから逆に質問します」と言って、学生の理解度を確認するものであった。(学生の素っ頓狂な理解度や質問が、たぶんこの教科書の改訂版として反映されていったのだろう。)

      

  いま改めて考えると、これはすごい授業だったと思う。栄養失調でほとんどの授業をさぼるか寝ていた小生は、この授業だけは皆勤だった。何もわからない生意気な学生であったが、先生の教科書の内容が理解できなければ、将来は研究者にはなれないだろうと、おぼろげながら当時確信したからだろうと思う。そのうち先生の教科書を読みながら「不可逆過程の熱力学」が面白くなって、自分でいろんな関連の専門書を買って独学で読むことになった。しかしいずれの本もそこで展開されている数学が難解でついていけなくなり途中で挫折した。自分の適性がわかり始めた最初のきっかけでもであった。

       

  先生の授業で学んだことは、「学問は体系的にできている」ということがわかったことに尽きる。その後の自らの研究内容の展開を顧みるに、無意識にせよ興味の赴くままばかりではなく体系的な展開をしてきたのは、きっと清水先生の授業の影響があったからだと思う。

       

  前掲の「前もって課題を与えて予習させ、議論や意見の発表をさせる。一方通行の授業を改めて、自ら学び、考える力をつけさせる。」という中教審の指針はすくなくとも教養教育に関しては小生には正しいと思える。

           

それを教員が実践するには教員自身が懇切丁寧な教科書を書くなど、膨大な努力をしなければならない。名著といわれる他人の教科書を凌駕するものは、現役の大学の教員にはとても一人では書けない。学問の進歩が速すぎるので、時間的余裕もない。つくづく教養教育は難しいと思う。

   

      

(森敏)

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/1449-8b049160