2008-06-13 11:21 | カテゴリ:未分類

生きる意味は1つもない。。あ

 

友達にブログで「死ね!」と書きこまれて、

「生きる意味は1つもない。。あ

というブログを残して首吊り自殺した女生徒がいる。

 

ブログや、メールでの文字情報は、その時の相手の書き手の表情がわからないので、真意がわからない。それが軽い冗談かどうかは、文字からは判読できない。であるから、畢竟(ひっきょう)、真意を詮索(せんさく)することになり、懊悩(おうのう)することになる。

 

メールの場合はやりとりをすればするほど、議論が深まるのだが、互いに一層とげとげしくなるのが通例である。文字はデジタル情報であり、<表情>ではないので、圧倒的に感情のニュアンスが欠落している。詳しく心情を書き込めば書き込むほど、相手にとって必ずと言って良いくらい疑問が噴出する構造になっているように思う。言語は感情のほんの一部にすぎないから。

 

そういうときは即座に、まよわず、電話で、相手の声を聞いて、真意の感触をつかむことが肝心である。顔が見えなくても音声情報で、すこしは安堵(あんど)するはずである。もちろん直接会って対面で話をするのが一番良い疑問の解消法であるのだが、それができる人間関係なら元々問題は生じないだろう。

 

学生と教員との関係などでは、学生が面と向かって云えないで、メールで無ければ話せないことも多々あるようである。我が輩もそういう学生に何回か遭遇した。しかし、ブログやメールの氾濫は情報交換のスピードアップには寄与しているが、かならずしも人の世の関係を潤してはいないと思う。数年前にヨーロッパへの飛行機に乗っているときに 「You've Got Mail」 という映画が上映されていたのを思い出した。これはすれ違いの男女がメールのやりとりで確かハッピーエンドになった筋書きだったと記憶する。

 

写メールのやりとりがハッピーかどうかはこれを使ったことがない時代遅れの我が輩には良くわからない。

 

 

(管窺)

 

 

秘密

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