2008-06-07 10:49 | カテゴリ:未分類

縄文杉のまわり

 

    35年前に九州大学であった学会のエクスカーションの後、足を延ばして小生(当時助手)は研究室の2人(技官と修士コースの大学院生)と一緒に屋久島を訪れた。一泊して次の日の早朝から宮之浦岳に向けて日帰りの強行軍を試みた。まず屋久杉の肥培管理調査ということで営林署長に挨拶して、材木運搬用のトロッコを動かしてもらい、営林署員の案内でトコトコと樹齢3000年杉であるウイルソン氏が見つけたという杉に向かって登って行った。

 

   ウイルソン杉はすでにかなり前から枯死しておりその株の中が広い空洞になっていて、確か祠(ほこら)があったように思う。その切株を栄養にしてその上に子株がかなりの大きさにすでに生長していた。切り株のまわりは14メートルもあると説明を受けた。そこから上に歩いて1時間以上もかかる標高にある樹齢7000年の「縄文杉」へは当時は道が不分明で、特別な案内人がないと見つけることが出来ないと言うことと、日帰りのためには時間がなかったので、登坂を断念した。

 

   今回その縄文杉をテレビで見ることができた。写真のグラビアなどでは何回か見ていたが、テレビの映像はやはり迫力があった。現在ではウイルソン杉から縄文杉までのアクセスが便利になっていて、多くの人が訪れて、記念写真を撮ったりしているようである。そのために縄文杉の周辺の根を傷める羽目になったのであろう、木の下から見上げる樹冠が非常に貧相に思えた。うっそうと茂っていると言う感じではない。枯れた枝が何カ所か切り取られているようである。それかあらぬか、樹の下から半径数メートルの周りの土壌への立ち入りを禁止にしているらしい。これは当然の処置だと思ったことである。

 

   我々は山道などを歩くときに道に盛り上がっている木の根があると、それを無意識に踏みつけがちである。公園や庭園などでも銘木に近寄って鑑賞しようと、無意識に足下の樹木の根を踏みつけている。根を痛めつけないまでも土壌を堅く締め付けている。樹木の根は呼吸している。それには土壌がポーラスでなければならない。空気からの酸素の拡散が必要だからである。また植物は根から養分を吸収している。靴で踏んで樹木の皮を傷つけて導管を切ってしまうと養分と水分が地上部に行かない(小生のブログ「通導組織はどうなっているのだろうか?」を参照ください)。こういう心ない観光客のせいで多くの銘木がダメージを受けて枝を枯らしていく。たまにしか訪れない観光客達はその樹木の崩壊の変化に気がついていない。したがって庭師は樹の周りに無粋な立ち入り禁止の柵を設けざるをえない。樹の根は我々が想像する以上に広域に根を張っているのである。

 

   先日、日光の戦場ヶ原を歩きながら道に沿っていくつものミズナラやシラカバの樹が根をさらけ出して倒れていたのを目撃した。数え切れない人数のハイカーに踏まれ踏まれて樹はついに<根の息が絶えた>のであろうと推測した。(以下の写真には日光戦場ヶ原街道のハイカーに踏まれているミズナラの根株、松島の福浦島の観光客に踏まれた松の根株、周辺が立ち入り禁止の柵で整備された六義園のケヤキの根株を示しておいた。)

 

   ウイルソン杉を見た登山の下りは、トロッコの道をテクテクと歩いて帰っていった。行き帰りに雨と晴れ間がそれぞれ3回ずつぐらい訪れた。本当に気候変化のはげしい雨量の多い島だと思った。晴れの間にはトロッコ道のレールの上に大きなシマヘビが昼寝をしているのを2回も目撃した。

 

   屋久島の訪問目的であった肥培管理した杉の成長に関しては、未だ植林に施肥して数年も経っていなかったので、結果が出るまでにはあと数十年かかるということであった。営林署も林業行政上仕方がないにしても、樹齢、数百年の旧い杉を切り倒すことには心が痛むようであった。確か、我々の訪問の時点ですでに屋久島の国有林の3分の2の杉を明治以来切り倒して来たと説明を受けた。残りの杉に対して現在どのような伐採計画が実行されているのかは聞いていない。

 

(森敏)

注:肥培管理 貧栄養の山の樹に健全な成長を促す目的で施肥をすること。

 

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ハイカーに踏まれている日光戦場ヶ原街道すじのミズナラの根

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松島の福浦島の踏まれ続けるクロ松の根

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東京の六義園の根の周辺を保護されたケヤキ

           (根が全く傷んでいない)
 
 
追記:2017年8月18日に以下の記事が載った。お城や庭園などの樹木の管理者の能力がはっきりと問われている例である。
   

(神戸新聞)

 「天空の一本」枯死、来年伐採へ 潮来竹田城跡

松兵庫県朝来市和田山町竹田の国史跡・竹田城跡の一角に立つ「一本松」と呼ばれるアカマツが、枯死したことが分かった。城跡南端の見晴らしのよい場所にあって周囲を歩く観光客も多く、幹周辺の土が踏み固められてしまったため、衰弱していた。放置すると危険なため、市は周辺の見学通路を立ち入り禁止にし、来年1、2月の冬季閉山中に伐採する方針という。(長谷部崇)


 一本松は城跡の「南千畳」と呼ばれる場所にあり、樹齢は推定100年以上、高さ約15メートル。石垣の上にそびえる姿は麓からもよく見え、城跡のシンボル的存在だった。

 しかし、雲海などの人気で急増した観光客が周辺を踏み歩き、2011年ごろから地表の草が失われて土壌が露出。根もむき出しになって樹勢が衰えていた。

 樹木医が経過観察していたが、今年1、2月の大雪なども影響し、この夏から急速に葉が落ち、全体が赤茶色にくすんでいったという。異変に気付いた市民から「あのマツを助けてやってくれ」との声も市に寄せられたが、かなわなかった。土壌改良による木の治療や植樹は、遺構を掘り起こすことになり、国史跡では不可能だという。

 和田山観光ボランティアガイドの上山哲生会長(66)も「城跡の景観に趣を添え、地元でも愛されていたのだが…」と寂しがる。市は、一本松の周辺に自生するアカマツの幼木を柵で囲むなどして保護。「大きく育つまで十数年かかるだろうが、長い目で見守るしかない」としている。

スライド1

秘密

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