2011-11-15 07:14 | カテゴリ:未分類

去る11月12日には報道陣に対して初めて東電福島原発敷地内へのバスでの立ち入りが許可された。各紙が第1面でそのバスツアーの記事を書いている。
 

これに関しては、NHKなどで報道された原発敷地の動画はわずかに3分ぐらいであったと思う。ネットでの各紙の動画も長くて5分ぐらいであった。
 

これらの動画を見ていると、たとえ原子炉建屋などの映像が、吾輩のような素人には破壊の様相に唖然とするしかないが、その破壊の様相を静止画にして、専門家がよくよくつぶさに観察すると、非常に重要な貴重な情報を含んでいるように思われる。
 

原子炉設計にたずさったことのある人たちや、核科学者たちが仔細にみると、いろいろと想像を喚起するものがあるだろう。 
 

報道陣の原発施設内への立ち入りは3時間であったという。30人ぐらい参加した関連の報道各社は、この全行程で撮影した動画フィルムを、余計な編集をせずにぜひネットで見られるようにしてもらいたい。
  

報道陣がせっかく自らが被ばくしながらものにした貴重な映像だから、国民に対しても有効に利用してもらうようにした方が断然いいだろう。
   

それにしても東電は徹底的に国民を愚弄している。東電福島原発暴発以来7カ月もたつのに、周辺住民や日本国民、世界の諸国に対して、第三者からの報道を一切許さないできた閉鎖的な態度は、断固糾弾されるべきである。
   

これが終わりでよいはずがない。今後も頻繁に定期的に、冷温停止や廃炉に向けての工程を、報道陣に公開すべきである。もちろん東電以外の専門の科学者や技術者たちにも立ち入りを許可すべきである。
    
東電とグルになっている第3者的な組織を標榜している保安院の報道なんて、全くあてにならないのだから。
      

現役の原子炉工学の大学の連中は、隠密裏にせよ原子炉現場に立ち入っているのだろうか? 非常に言い方は悪いが、見方によってはこれほど「おいしい」原子炉破壊実験の場は、彼らの研究人生の中でも希少なものであるだろう。それを積極的に原子炉改善のためにせよ、原子炉解体のためにせよ、自らの研究対象にしない手はないだろう。
      

スリーマイル原発やチェリノブイリ原子炉暴発の後の、外国の誰かが書いた後付の論文を読んで、あれこれ推測して、テレビや雑誌でしたり顔に解説するばかりが大学の研究者の態度ではない。日本で起こっている原子炉破壊の現場に自らが入らずに、テレビであれこれ理論ごとの御託を述べても全く迫力を欠く。
  

全国の量子工学の研究者は被ばくを恐れずに、いざ原子炉施設へ向かおう。そうすれば死ぬほど学ぶことがあるだろう。
  
これは決して過激な提案ではないと思う。

        
       

激しく崩れ落ちた原子炉建屋、大津波で大破した設備、見えない高線量放射線の恐怖――

 12日、東京電力福島第一原子力発電所の事故後初めて報道陣に公開された原発敷地内は、8か月が経過した今も生々しい爪痕をさらけだしていた。全面マスクと防護服の完全防備で、変貌した姿の原発に近づくと緊張感が体を覆った。

 原発へは、南に約20キロ・メートル離れた事故復旧拠点「Jヴィレッジ」からバスで向かった。着用していたゴムと綿の2重手袋、つなぎの防護服の中で、汗が噴き出す。手前3キロ・メートルのところで全面マスクの装着を求められた。内部被曝(ひばく)を防ぐためだが、息を吸うたびにマスクが顔を圧迫し、息が詰まる。これで作業するのは大変と痛感する。

 正門では完全防護姿の職員数人が出入りの車両のチェックに目を光らせる。バスに同乗する放射線管理要員が「現在、毎時20マイクロ・シーベルト」と刻々と放射線量をアナウンス。緊張が高まっていく。

 事故のすごさを目の当たりにしたのは、撮影のため設定された海抜34メートルの高台。手前に高さ45メートルの4号機が鉄骨の骨組みをわずかに残し、大きく崩落した姿を現した。見えるはずのない、圧力容器から燃料を取り出す緑色の大型クレーンがはっきり見えた。その奥の3号機はさらにひどく、ひしゃげた鉄骨がむきだしになっていた。

 3月14日に水素爆発した3号機から流れ出た水素で4号機も爆発したとされる。放射性物質の漏れを防ぐ「最後の(とりで)」の原子炉建屋は、厚さ約1メートルのコンクリート壁。それを吹き飛ばす爆発の破壊力に圧倒されるとともに、作業員がよく巻き込まれなかったと感じる。

 「(毎時)40マイクロ・シーベルト」の声が飛んだ。原子炉建屋とほぼ同じ高さの海抜10メートルの海岸線エリアにバスが到着。タービン建屋がある海側は、津波で全面が水没。爆発時のがれきの処理は、陸側に比べて進んでいない。

 その時、線量計が急に跳ね上がった。4号機タービン建屋前「800マイクロ・シーベルト」、3号機建屋前「1ミリ・シーベルト(1000マイクロ・シーベルト)!」。

 東電職員は「水素爆発で飛び散った放射能を帯びたがれきが散らばり、破れた建屋から放射線が出ているため」と解説する。報道陣の被曝量を抑えるため、バスは人が走るくらいのスピードに上げた。

 タービン建屋脇には、車輪が12個も付いた大型トレーラーが数台、前部が地面に突き刺さっていた。食堂などが入る「厚生棟」は、1階部分が根こそぎなくなっていた。

 対照的に、タービン建屋の低層階の壁は傷がなかった。津波の威力に耐える強固な建造物だったが、すき間からの海水の侵入は防げなかった。非常用電源が地下に設置されていなければ、水没を免れ、未曽有の事故には発展しなかったとの思いがわく。

 福島第一原発の吉田昌郎所長らが陣頭指揮をとる免震重要棟。2階には復旧班など約100人の職員が詰める「緊急時対策本部室」が設置され、敷地内で作業する約3000人に指示を出していた。

 同行した細野原発相は免震重要棟に集まった職員に「ここまでこられたのは、作業員のがんばりだ。世界が見ている。年内に何としてもステップ2を達成しよう」と激励した。

 原発施設内の移動はすべてバスで、滞在したのは約3時間。携帯した線量計の積算値は75マイクロ・シーベルトを表示。胸のレントゲン撮影の1・25倍を被曝した。Jヴィレッジに戻った時は、暑さと疲れから気分が悪くなった。(科学部 安田幸一)

201111130105  読売新聞)

 

 

(管窺)

追記1:ほら、今頃になって、東電はベントの配管が壊れていたといっているではないか。まったく!(12月6日)

ベントの配管、地震で破損か 東電社員、保安院に説明

経済産業省原子力安全・保安院は6日、東京電力福島第一原発事故を受けて同社社員らに対して実施した聞き取り調査結果のメモを公表した。原子炉格納容器内の気体を外に逃して圧力を下げるベント(排気)を実施する際、配管が地震で壊れていたために操作が難しくなった可能性を指摘する社員がいたことがわかった。
 

追記2: 東電はまたまた今頃になって 配管の弁が云々 と小出しに釈明している。実に愚劣極まりない。故障の原因は津波じゃなくて、地震だろうが。

福島第一原発:1号機 復水器再稼働なら炉心溶融に至らず

東京電力福島第1原発事故で、1号機の原子炉を冷却する非常用復水器(IC)が津波襲来から1時間以内に再稼働した場合、炉心溶融に至らなかったことが8日、原子力安全基盤機構(JNES)の解析で分かった。ICは電源が失われても動く唯一の冷却装置だが、ICにつながる配管の弁が閉じ、機能を果たせなかった。迅速に弁を開ける方法を準備していれば、炉心溶融は避けられた可能性がある。

 解析は経済産業省原子力安全・保安院がJNESに依頼し、9日に発表する。

 1号機は3月11日の津波で全電源を喪失、原子炉に水を注入する緊急炉心冷却装置が使用不能になった。2系統あるICは放射性物質を閉じこめるため、電源喪失に伴い弁がすべて閉まるよう設計されており、地震発生後は断続的に動いたが津波後に閉じた。2時間40分後の午後6時18分、蓄電池が復旧して弁が開き、7分だけ稼働したものの、運転員がICの冷却水不足を懸念し手動で停止。再稼働はさらに3時間後だった。

 解析によると、IC停止から約1時間後に冷却水につかっていた炉心が露出。露出後は温度が上昇し、水素が発生し始めてICの効率が低下するため、炉心溶融を回避するのが難しくなったことが判明した。保安院は午後6時18分には既に炉心溶融が始まっていたとみている。ICを再稼働させるには、運転員が現場に行き、弁を手動で開く必要があった。東電は毎日新聞の取材に対し「真っ暗で線量の高い現場に行ってすぐにICを復旧させるのは無理だった」としている。【岡田英】毎日新聞(最終更新 129日 333分)

 


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