2008-05-27 07:59 | カテゴリ:未分類

マンガ家養成コースについて

 

   文星芸術大非常勤講師・日本マンガ学会員 石川翠(みどり)氏が 「大学は実技偏重脱却を」(朝日新聞5月6日 私の視点)というコラムを寄せている。

 

「私が思い描く未来の養成コース像は、マンガの制作技術だけでなく、その歴史や理論にも詳しい、広い意味でのマンガ教養人の育成を目指す教育機関だ。高校・専門学校・大学のマンガ科教員、図書館のマンガ担当司書、編集者、さらに海外にマンガ文化を伝えるパイプ役となる人材を養成するのである。」

  

   一方で、編集部が意図してかどうかわからないが、この紙面のちょうど裏側には、漫画家村上もとか氏による 「おもしろいって、どういうことだ。答えは自分で探すしかない。」(あの人とこんな話 欄)というタイトルでインタビュー記事が載っている。

 

「敬遠して遠ざかっていた、世の中でヒットしていたベストセラー小説を片っ端から読破したら、寝食を忘れるほどおもしろかった。やっと気づいた、エンターテインメントというものすごさ。このとき人になんといわれようが、自分で本気で夢中になれるものを描くべきだとわかりました。そしてそれは自分でしか発見できないことも」

  

  つまり、“教養”なんである。漫画家として息が長く<おもしろい漫画>を描くための技能や技術は教養と不即不離のものである。

 

法科大学院を含めていろいろな専門職大学院では ”一般教養”の授業課目を一定の比率で学ばせる(単位取得させる)ことにしている。しかしともすればこの点は学生ばかりでなく教員によっても軽視されがちである。教養の欠落した学生が将来大きく羽ばたけないのは、あらゆる場面で証明されていることである。これに当てはまらないのは超天才の場合であるが、高等教育は天才の育成を目指すものではない。天才は自ずと育つ。なので、特殊な秀でた能力を持った人のことを教育はあまり考えなくて良い。彼らにはただ干渉しない “自由な場” を与えればよい。

 

安陪内閣が立ち上げた教育再生会議なるものに、その道に秀でた有名人が列席しているのは、本当に良くない。彼らの特殊例をいくら集めても、一般解はなかなか出にくいだろう。大部分の凡人の教育は市井のあまたの<努力の人々の>情報から得られるものではないだろうか。もちろんスポーツという生得的な(遺伝的)天才の素質を持った人たちの教育をどうすべきかは天才集団で論議すべき課題である。

 

 話がそれたが、マンガは現在1兆円以上の外貨を稼いでいると聞いている。世界に冠たる日本のマンガを一層発信し続けるためにも、真に組織的な漫画人の養成が必要であることは論を待たない。科学技術振興機構の理事長である北澤宏一氏も息子や娘に突き上げられて、なかなか漫画には造詣が深そうである(いつかの「学士会報」に、そんなことを書いておられた)ので、文科省ばかりでなく科学技術振興機構にも漫画人の養成機関はどんどん資金援助を申請したらいいのではないか。

 

(森敏)

 

 

秘密

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