2011-07-04 23:47 | カテゴリ:未分類

子どもが消えた 
     
   

JR福島から福島交通のバスで伊達市掛田まで行き(そこから先は相馬方面には、飯館村などが避難区域になってしまったのでバスが通らなくなってしまっていた)、そこから霊山寺石田までを国道に沿って放射線量を測りながら往復約25キロを歩いた。霊山寺石田地区は空間線量が高く、そこへはまだ立ち入りができるということであったから。

    

歩いた空間では子供にあったのは一人だけであった。石田小学校は校舎の洗浄と校庭の天地返しの真っ最中であった。誰も道を歩いている人はいなかった。

 

子どもは真っ先に避難させている様子である。それにしてもどこに?

  

ヒマワリを畑の一面に植えているところも所々散見された。

 

定期的に放射線量を測定する車が巡回している。救援のための自衛隊のジープが、一瞬ラゲッジを引きずりながらとぼとぼと歩いている小生を「救済の対象」と思ったのか、U-ターンして戻ってきたが、無事を確認して、黙っていってしまった。

 

沿道の食べ物屋は全部廃業か、閉まっていた。

 

「老人は、あと何年生きるかわからないから、これから放射能浴びても、それが死亡原因かどうかわからないから避難なんかしないんだ、という70歳代のおばあさん二人が霊山寺の子供村の入り口のレストランで店番をしていた。ここにだけ2つのレストランがあって、ドライバーの休憩所になっていた。新聞報道ではここの放射線量は1~3μSvだということである。

 

人がいるとも思えないあばら家に、道端からのぞくと、老人が所在無げに食卓に座って、おばあさんが、外で洗い物をしていた。絶対に避難しない御仁と見受けた。

 

(森敏)

秘密

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