2011-05-03 22:13 | カテゴリ:未分類

研究者(科学者)は政治にどうかかわるべきか?

  
     

東大の小佐古教授が内閣府参与を辞任したことが、国会でも放射能汚染校庭を持つ現地でも、菅内閣追及の議論ネタになっている。

 

この問題は、国立大学法人の教員に対して「科学者が行政とどうかかわるべきか」という、古くてあたらしい問題を突き付けている。

 

国立大学法人の教員は100%国民の税金で養われているのだから、当然政府(行政当局、内閣府)や国会(立法)から問題を諮問されたら、その時点での学問水準の最先端の成果を、開陳(紹介)する義務がある(だろうではなくて、ある!)。内閣府に乞われて参与まで踏み込んで引き受けるかどうかは本人の個人的な事情も含めて政治判断によるだろう。今は政治には関れないという場合は、断固として断る手もあるだろう。

 

内閣府に招請されて参与を引き受けたら、そこで自由な活発な議論を行う義務がある、黙っていてはいけない
 
しかし、政治の場は、学問の場ではないので、そこにご自身が行政の一員として主体的に繰り込まれた限りは、議論の中身に関しては守秘義務が生じている。行政の場での議論は単なる科学論争だけではなく、じつにおどろおどろしい人文・社会・文化・芸術などもろもろの議論の場でもあるからである。
 
審議会などでの自由な議論の内容が無制限に政府の外部にさらけ出されれば、さまざまな個人情報などが漏えいして、人々が傷つくばあいがかならずといっていいほどありうる。(これは、だから
行政側が議事録を開示してはいけないと言っているのではなく、議論の内容は各委員のチェックを受けて整理して開示されなければならない。普通はそのようなプロセスを踏んでいるはずである)
 

であるから、「内閣府の決定は自分の学説に合わないから責任を負えない」といって、参与の辞表を一方的に菅首相に提出して、独自の記者会見で、自説を開陳して、自分だけが正しい(間接的にほかの委員の中傷を行うことになる)ということは許されないだろう。
 

科学的に正しいことと、行政当局が判断することとは、しばしば異なる。行政当局が判断することは、おおむね科学的には間違っていることも多い。しかし、政治家や行政当局は日常的に時々刻々の判断を迫られている。多角的に判断し、決断と決定をしない行政当局は、無能であり、てきぱきと決定しないことが悪でありうる。そこに人がいて生活をしているからである。行政当局の判断は、いつの世も微分的な最適解である。短期的には正しい。しかし、積分的には誤解であり、最悪解でもありうる。 
 
しかし、行政の決定内容で、人々が一時的にも納得し、未来に向かって進もうと合意すれば、それでよいのである。それが政治であろう。
  

そのときは無視されても、研究者や科学者の信ずる真理は(あくまでいつも「絶対真理」というものはなく、科学はいつまでも「近似解」なのだが) 必ず、いつかは世の中に浮かび上がってくるものなのである。
  
記者会見で自分の意見と異なる決定がなされたのは「科学者としての生命にかかわる」という言い方は、ちょっと大げさだと思う。
 

行政とは妥協である。大学で、真理のみが認められる、ぬくぬくとした研究環境での悠久の振る舞いは、行政では許されないのである。
 
だから、人の世には、政治家という、鵺(ヌエ)みたいな高尚な人種が必要なのである。政治家というのは科学者には理解不可能な、多変量解析を瞬時に頭で行う人種なのである。

 

   

以下のニュースをご参考に
 

 小佐古氏は原発事故への助言を求められ3月16日に参与に就任したが、4月29日に菅政権の対応を「法律や指針を軽視し、その場限りだ」として辞意を表明。特に小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという基準を「とんでもなく高い数値。年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と厳しく批判した。

   

 首相は「政府は参与の意見も踏まえた議論の結果に基づく助言で対応している」と、小佐古氏の批判はあたらないと反論した。  

高木義明文部科学相は年間被曝量20ミリシーベルトの基準について「国際放射線防護委員会の勧告を踏まえた。この方針で心配ない」と述べた。高木氏は「放射線による疾病よりも、被曝ということ自体のストレスが大きな問題だという評価もある。過度の心配をするのはよくない」とも述べた。 

 枝野幸男官房長官は30日の記者会見で、小佐古氏の辞表を同日受理したとしたうえで、「(小佐古氏は)明らかに誤解している。20ミリシーベルトまでの被曝を許容する基準では全くなく、20ミリを大幅に下回る見通しのもとで示している」と説明。「辞任の意向と聞き、今日の予算委終了後に総理が会うと伝えたが、突然辞表を持ってきた。慰留する状況ではなかった」とも明らかにした。

 

 

(管窺)
 
追記1:名古屋大学の知的財産法専攻の鈴木将文教授の言がU7 37 April 2011に載っている。いわく
「法律学における学説の価値は、自然科学の場合のように客観的真理との整合性、というものではありえず、社会における説得力で決まるといえる。その点で僕は、過去に政策形成の現場で直接経験をさせてもらったことを研究にも生かし、説得力ある成果をあげられたらうれしいと思っている」
 
追記2:菅直人首相が「浜岡原発の停止」を要請した。不意打ちを食らった中部電力はパニックに落ちいったが、世間はおおむね首相の決定に同意しているようである。30年以内の東海大地震の発生確率が87%というのが唯一の根拠であるが、世間はそう言う理由でも納得するのである。政治家である首相の頭の中では「うるとらCのベクトル変換」があり、浜岡原発中止という決断が下されたのである。経団連首脳は、「首相の頭はブラックボックスだ!」と揶揄している。彼には理解不能なのだろう。さらに科学者なら「あーでもないこーでもないと」議論して決して決定は下せないだろう。政治家の頭は時々刻々の決断を迫られている多変量解析の世界だからである。

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