2008-05-02 23:01 | カテゴリ:未分類

苦戦する大学での教育実践

 

官公庁や法人や団体から大学に教員として赴任してくる人たちが案外苦戦しているようである。何に苦戦しているかというと、学生の「教育」に苦戦しているのである。研究に対してはうまく進行しなくても自己責任であるから客観的に納得がいくが、教育は日々変動する学生との関係であるから社会人相手の場合と違って赴任してきた当初は理解を超えることも多いのである。外から見ていると、大学人はのんきな稼業のように見えるかもしれないが、実態は決してそうではない。

 

ゆとり教育の結果、恐ろしく学生の学力が低下しており、入学早々から授業についていけない生徒を土曜日などに補講しなければならない大学が増えている。学生は授業料を払っているので、親はそれなりの対価を要求するだろうし、学生は自分が授業内容を理解できないのは「教員の教え方が悪いからだ」と考えがちである。文科省による大学の「認証評価」制度が導入されたので、学生による教員の授業評価はほぼ100%の大学が行っている。その評価の結果が教員の給与に反映し始めている大学も増えている。私学は特にその傾向が強くなっている。少子化で入学生の取り合い合戦が始まっている。入学者数が入学定員を切るとその学科や学部がお取りつぶしになりかねない。文科省による補助金が削減されるからである。

 

教員として赴任してくる前の職場では、部下は給与をもらう立場であったから、職階性を利用して、業務命令で部下を動かせただろうが、大学の学生は授業料を払ってくれているので、教員は学生にそれ相応のサービスをする立場である。「あの学生はバカだから教える気がしない」とか「そんなこと自分で勝手に勉強しろ」と突き放すことはできない。基本的に教育は「ダメな(実力の養成されていない未熟な)学生」を「一人前の社会人に養成する」行為なのである。教育はサービスなのである。もち論その過程で教員も若い学生に学ぶことも多いことは論ずるまでもない。学生は労働者ではないので教員の研究の手足としてこき使ったりしてはいけない。

 

法科大学院以外の「専門職大学院」の場合は、実際に自腹を切って、仕事が終わってから授業に駆けつける職業を持っている社会人学生が圧倒的であるので、授業に対する真剣度が学部の学生とまったく違っている。学生との議論で自信を失ってやめていく教員も多い。教育経験のない社会人が教員に赴任して来てもその賞味期限はせいぜい2年であるといわれている。自分の社会人としての経験だけでは持続的な魅力ある教育は決してできない。人寄せパンダとして有名人や評論家を教員に迎える大学も多いが、あまり成功するとは思えない。そんな一過性の人物をかきあつめてカリキュラムを構成しても、決して体系的なカリキュラムの実践者として彼(彼女)は長続きはしないだろう。

 

法人や民間の研究所などで研究業績をあげたから、ある程度年をとって定年でお払い箱になるまえに大学にでも転職して学生達と楽しい思いをしようかと思っている御仁が意外に多い。しかし現今の大学はそれほど甘くはない職場なのである。大学教育はなんやかんやとなかなか一筋縄ではいかない。けっこう奥が深いのである。

 

(森敏)

秘密

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