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2019-11-19 13:34 | カテゴリ:未分類

   雑誌「文芸春秋」をめくっていたら
 『マチネの終わりに』 対談 平野啓一郎x福山雅治 
というのが掲載されていた。この対談を読んだら、この平野啓一郎原作 西谷弘監督 の映画「マチネの終わりに」を見に行きたくなった。

 

もういつ死んでもおかしくない年代になって、この中年男女の恋愛小説の映画を鑑賞して、自分がどういう感情を抱くのかに、多少の興味があった。最近は、現実の生活で、何かに高揚するという感情をほとんど持たないので、映画の虚構を見て自分が泣けるかどうかも興味があった。

 

映画では全編に殆ど隈なく流れるギターの音色がまず非常にここちよかった。

 

俳優福山雅治が精いっぱい自然体に演じようとしているのが痛いほど分かった。だが、小生にはNHK大河ドラマの若い坂本龍馬を演じた時の健康優良児の福山雅治の印象がいまだに抜けきれずに観ていた。この映画では彼の演技は少し生硬な感じがした。(大昔、仲代達矢が新劇俳優からのたたき上げで、映画俳優を演じ始めたころの、生硬さに似ているなと勝手に思った。)彼は、まだ三船敏郎や高倉健のような円熟した演技派とは言えないだろう。

 

しかし、女性によっては、それが<うぶこくって>かえっていいのだ、という人がいるのかもしれない。現に、小生の隣の二人の30台と思われる女性は、幕が閉じても最後まで座席にのこって、ハンカチで涙を拭きながら話し合っていたから。小生には女優の石田ゆり子が、憂愁を帯びた自然体でとても魅力的だった。

 

映画を見てから家に帰って、再度この「文芸春秋」の記事を読み返してみたら、映画では全くわからなかった、福山雅治の舞台裏の役つくり、特にギターの猛練習の努力などが語られていて、とても参考になった。

 

映画のセリフでは 「未来をよくすることでしか過去を肯定できない」 というのがこの映画の主題のようです。熟年恋愛が成就されなかった二人には、これからのそれぞれの人生が本番です、と、まだある先の長い人生に問題をゆだねています。

 

  人生の余命が長いということは、それだけでもうらやましいことです。

 

  観客には小生のような老人は一人もおりませんでした。ほとんどが女性でした。

  小生が泣けるシーンはなかった。
    
  冒頭の対談では、平野啓一郎は「自分の小説の映画で泣けるとは!」と語っております。

 

 

(森敏)