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2018-11-12 06:26 | カテゴリ:未分類

  以下の2か月前の記事のように、時々北朝鮮政府は外国の重要人物にマッタケを贈ります。たしか、小泉純一郎首相訪朝の時もマッタケが何トンか送られましたよね。何故だと思いますか? 
 
  それは北朝鮮にはマッタケしか高価な贈答食品がないからです。

  韓国も北朝鮮も壮絶な朝鮮戦争で無数の爆弾が投下されて山がはげ山になりました。戦後北朝鮮では人民に暖房や飯炊きの熱源がないために、さらに焼け残った山林を伐採しました。そのために山に有機物がなくなり、照葉樹林などの豊かな腐葉土を形成する樹種がなかなか育たなく、貧栄養でも育つ「松」のみのモノカルチャーになりました。
 
  松の樹の根系には
菌根菌がまつわり寄生していて、朝鮮半島の屋台骨を形成している貧栄養の花崗岩の山には希少なリン酸をその菌根菌の菌糸が吸収濃縮して松が成長しているからです。ですから韓国の山でその松の木に寄生するマッタケ栽培が盛んなところは、実に一見風光明媚です。その山は厳格に国によって管理されていて、入山して木を切ろうものなら即「死刑!」だと聞かされました。
 
  経済力がないために治山治水が十分ではなく毎年のごとく山崩れや洪水が発生しています。もちろん餓死も。日本でも山崩れは最近の異常気象で頻繁になりましたが、北朝鮮では普段から起こっていることらしくあちこちに露出した山肌が散見されました。砂防ダム建設など治山治水の経済力がないからだと現地の技術者が嘆いておりました。
 

  我々日本人は太平洋上で発生した台風がその進路で日本をよけて、朝鮮半島や中国に向かったら、胸をなでおろします。が、朝鮮半島でどのような被害が発生しているかほとんどマスコミが伝えませんので、日本国民の興味の対象外です。ましてや北朝鮮の悲惨な映像は、世界に発信されません。
   

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北朝鮮キム委員長 韓国に2トンのまつたけ贈る

16:41

韓国大統領府は、ムン・ジェイン(文在寅)大統領の北朝鮮訪問に合わせて、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長から、およそ2トンのまつたけが贈られ、20日午前、韓国に到着したと発表しました。

このまつたけは、来週の「チュソク」と呼ばれる旧暦のお盆までに、朝鮮戦争などで南北で離れ離れとなった離散家族のうち、高齢の4000人に500グラムずつ配られることになっています。

まつたけには、「北の山河の香りが感じられるまつたけが、肉親を思う離散家族の皆さんにとって少しでも慰めとなってほしい」とのムン大統領のメッセージが添えられるということです。

北朝鮮は、2000年にキム・デジュン(金大中)大統領、2007年にノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領が訪朝した際にも、韓国側にまつたけを贈っています。


 
(森敏)
追記:今月号の文芸春秋には、11ページにわたって1953年板門店での休戦協定時に通訳として参加した、ジョージ・フラー氏による南北朝鮮半島の、コダ・クローム(ASA10)フイルムに撮影された鮮明な写真が、山本晧一氏によって掲載されている。この写真をつぶさに見ると、南北朝鮮を問わず、終戦直後の朝鮮半島の花崗岩の山並みの木、がことごとく地肌を見せてぱらぱらであることがわかる。薪炭用の過酷な伐採や猛烈な空襲による山林火災の故であろう。
 私的記憶では、終戦後の芦屋市の裏山の六甲山(全山花崗岩!)も、こんな状態であった。

 


2018-11-08 10:02 | カテゴリ:未分類

 おつりjpeg     
いつも立ち寄っているスーパーに、今日はいつもと違う若い女性がレジ打ちしていた。マレーシア系の外国人だ。

   

      1000円札で消費税込みの322円の食べ物を買った。

    

      「ありがとうございました!」といって、お釣りに 500円硬貨1枚、50円硬貨1枚、10円硬貨2枚、5円硬貨1枚、1円硬貨3枚を渡された。これでは678円のはずのお釣りには100円硬貨一枚が足りない。

    

      ちょっと危ういなと思っていたら、案の定だ。「100円硬貨が一枚たりないよ」と伝えたら、小生の手の中のお金をきょとんとして数えなおして、50円硬貨を一枚追加してきた。「これではあと50円玉一枚が必要だよ」と伝えると。怪訝な顔をして、もう一度考え直して、「すみません!」と50円玉を1枚追加してくれた。

    

      50円玉と5円玉は穴が開いており、ほぼ直径が同じで色も似ており見分けにくい。100円玉と10円玉は直径が同じである。6種類の日本の硬貨を、在住期間の短い外国人には、なかなか瞬時には見分けがつきにくいんだろうと、同情した。

    

      「がんばってね!」と可愛い子ちゃんを激励しておいた。

    

   
(森敏)
2018-11-02 21:18 | カテゴリ:未分類

以下、さる学会中での昼食での雑談の一部です。

  

MS:なんだかあちこちとんがった世の中になって、人々のこころに余裕がなくなってきたように思うがどうかね。

 

MK:この世の中、知能指数(I Q: intelligent quotient)の高いと称する人間がやることが、日本ばかりでなく世界を破滅に向かわせているのではないか?

 

MS:そうだね。人物評価の基準に使われる I Q って、ごくごく人間の一側面しか見ていない。国が破滅に向かわないためには、ほかの適切な人物評価の基準が必要だよね。

 

MK:I Q の対極に E Q ってのが提唱されているよ。これは emotional quotient の略だ。感性とか情緒とか、心とか、もやもやとしたわけのわからないものをはかる基準だ。

 

MS: それはいいね! E Q E emotional よりも elegant の方が僕にはぴったりくる。美意識とか、審美眼とでもいおうか。プラトンやダビンチやゲーテは極めて古典的な意味で古くから I Q E Q を統一的に体現した人物とみなされてきたといえるんじゃないか?

 

MK:科学論文の評価もギシギシと論理的に組み上げたデジタル情報の集積した起承転結のメリハリのついた論文を評価する一方、また違った基準の評価が必要になっていると近頃は強く思うね。「それは美しいか?」だ。

 

MS:研究者にとっては、まず対象を研究すること自体が「面白い」というところから出発しているのだろうけれど、面白いという心の深層には、美しさの法則性を見つけたいという、欲求があるんじゃないだろうか? 天・地・人は美しいはずだ、という期待があるんではないか。この点では科学も芸術も基準は同じなのではないか。

 

MK: 話がいきなり飛ぶけれど、 I Q E Q のほかに、Q が付く言葉から 阿Q って言葉を連想したよ。魯迅の「阿Q正伝」からだ。主人公の 阿Qの 認識の構造パターンは、自分がいくら揶揄(やゆ)されていても、いくら貶(おとしめ)められていても、そうとは考えずに、常に自分は正しく、いつも自分が褒(ほ)められているのだ、と、感情のベクトル変換をする人物なんだ。最後は市中引き回しの刑をうけ、銃殺処刑されるのだが。こういう自己中の人物が一番付き合いにくいよね。頑迷固陋(がんめいころう)の老人は自意識過剰でそうならないように自戒すべきだ。

 

MS: いや若者こそがそうならないように警戒すべきなんだ。オリンピックとかで、やたらに「ニッポン、ニッポン」と元気な日本をあおる若者には辟易するね。

 

MK: 日本国家予算の負債が1000兆円と年関予算の10倍という全くの大赤字で、どこにも余裕がないはずなのになのに、外交で世界中に金をばらまいたり、要らない高額の戦闘機や迎撃ミサイルを買ったり、なんなんだろうねこの国は。しかもそれを未来を担う若者が批判しない。

 

MS: いや君、今気が付いたんだが、おたがい、若者を批判し始めたら、老害の始まりだよ。紀元前のエジプトの粘土板ロゼッタストーンにもそういう文章が書かれていたというじゃないか。お互い年取ったね!

 

2018-10-12 14:55 | カテゴリ:未分類
コウノトリはぐくむお米jpeg 
コウノトリ育むお米 有機米

Organic Healthy+Beauty +Ecology の表示

 

 


     

千葉の「幕張メッセ」で農業EXPOが本日までおこなわれている。(1010-12日)

「国際ガーデンEXPO,

「農業資材EXPO,

「次世代農業EXPO,

「6次産業化EXPO,

「道工具作業用品EXPO

に加えて、今年は大々的にブースを広げて

「日本の食品輸出EXPO」(ここだけで主催者によれば600社10000商品とのこと)が併設して開催されていた。

 

すぐには実用化を必ずしも期待されていない大学の研究紹介と異なり、すでに商品化されていたり、これからの商品としての可能性を探る試供品が、多数展示されていた。多くは中小企業の人たちの取り組みで、実に真剣な熱気が感じられた。小生はこのイベントに毎年参加して勉強させてもらっているので、今年も新しい企画や商品だけに興味を絞って、各所の展示ブースに立ち寄ったのだが、どのブースでも、うっかり立ち寄ると、熱心な説明員の売り込みに応答して多少の議論をしなければならないので、たえず気圧され気味であった。
 
  あまりにもブースの数が多すぎて、とても回り切れなくて、2日間だけでドット疲れた。ただし、「日本の食品輸出EXPO」の展示では、600もあるほほ半数のブースで、試食や試飲が出来たので、生来食い意地の張った小生にとってはとても楽しかったのだが。ここの商品は輸出狙いなので英語や中国語でのラベルが多く、会場はアジア系外国人バイヤーでごった返していた。

    

ところで、小生の一番の興味はどこかの業者が「米パン」を学校給食に採用する取り組みがないかであった。先日見たばかりのテレビでは、お茶碗に盛った “白いご飯”と並べて“小麦粉パン”を学校給食で児童に出してみると、およそ7割が、パンを選んだということであった。その理由として、ご飯は残すと先生に叱られる、食器を洗う手間がわずらわしい、などなど。それにくらべてパンなら完食できる、というような児童の感想が紹介されていた。

 

そこで子供たちにお米をどんどん食べてもらうためには、どうすればいいのだろうか? と考えた。「米パン」や「米あんパン」や「サンドイッチ米パン」を提供することが考えられる。そこで展示会場で大企業の小麦の製粉メーカーや、米粉メーカーや、米パンメーカーに、いろんな角度から質問を投げかけてみると、おおよそ以下のことが分かった。

 

 10年ほど前から学校給食にお米を取り入れることは文科省で薦められて普及しているが、使用量は頭打ちかむしろ低下傾向にある。「米パン」はもちもち感があることと、冷えると固くなるので、給食の時間のタイミングに合わせるのがむつかしい。日本ではパンのイメージが大略 “ふわふわ感” があるべきだと子供たちの頭に刷り込まれているようなので、冷えた「米パン」は、「これはパンではない」、という違和感があるのではないか。「米パン」にすると、現時点では国産のお米の原価が小麦の2倍である、。「米あんパン」などにすると子供達は食べるかもしれないが、さらに値段がかさむ。一食300円弱の学校給食で決められている値段ではほかの栄養成分のおかずなどに影響が出るので、とてもむつかしいだろう。

 

などと供給側は「米パン」で学校給食に食い込むのは実に消極的で、製品化する前にほぼ断念を強いられているようである。できない理由ばかり聞かされた。

    

それでも、米麺(べいめん)を細切りにしてサラダで提供したり、月に一食は地産地消農産物を採用すべきであるという自治体の規則で、辛くも週にいっぺんは米飯にしているところもある。というぐあいであった。

 

義務教育での「食育」は単に「栄養と健康」に関する知識ばかりでなく、当たり前のことだが、食べ物の生産と環境問題が切っても切れない関係にあることも教えるきっかけにすべきものである。お米の生産現場である水田の多面的機能(洪水時の貯水機能、景観保持機能、生物多様性の保持機能などなど)を環境問題として、しっかり教育すべきなのである。日本ではお米の生産は国土保全に必須である。だから子供のときからお米をおいしく、おなか一杯に食べてもらうことが必要である。

 

少子化の日本の次世代への教育投資は、今や喫緊の課題である。子供の健康な体を作り、環境問題に貢献する「お米食」はもっと強く推し進めるべきだと思う。それが限界にきているのなら、子供達が食べやすい「米パン食」 さらには「サンドイッチ米パン食」 などを学校給食用に開発すべきであろう。多少とも費用が掛かっても、次世代の育成と環境保全のためには実に安い投資だと思う。

   

正確な記憶でないのだが、今回文科省は学校の地震に危険なブロック塀除去対策に60億円、夏の高温の教室のクーラー対策に800億円を補正予算で計上したと、たしかテレビで報じられていた。

    

文部科学省の調査(2014年5月1日現在)で全国平均の学校給食費の個人負担の月額は、公立小学校高学年で4277円(1食あたり246円)、中学校4882円(同286円)ということである。これにあと毎食50円ぐらい国が負担すれば「サンドイッチ米パン」をつくることはさほど困難ではないだろうか? これだとおかずを米と共に摂取するので、一挙両得ではないだろうか? 
      
 
というようなことをつらつら帰りの東京駅まで40分ばかりかかる京葉線の鈍行のなかで夢見心地で考えていた。  


 (森敏)

2018-10-05 20:48 | カテゴリ:未分類

 プレゼンテーション1車いす運動jpeg         
車いすの運動(NHKラジオ体操 からのぱくり)
   
   
    
   NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」では、薩摩藩家老の小松帯刀( こまつたてわき )の家で、薩摩藩と長州藩の薩長連合の合意が結ばれた。坂本竜馬の立ち合いで薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允による。ドラマを見ていて、帯刀(たてわき)という名の友人を思い出した。この友人の両親はなぜこの名前を彼に付けたのだろうかと、前々から不思議に思っていたのだが、帯刀君本人に聞いたことが無い。聞いたのかもしれないがいまの小生には記憶にない。父親が薩摩の生まれなのかもしれない。彼の結婚式の時に帯刀にかこつけた和歌で祝電を打った記憶がある。文面は忘れたが。

 

  帯刀君は幼少の時に伊豆を襲った狩野川台風の時に修善寺に住んでいて、狩野川が大氾濫して、大洪水に実家が見舞われて、狩野川の濁流に家ごと流されたのだが、偶然流れてきた丸太に必死で捕まって、そのまま駿河湾沖合まで持って行かれたが、自衛隊に無事救助された、という、なかなかの強運の持ち主である。その時彼の両親などがどうなったのか、聞いたのかもしれないが、これまたいまでは小生の記憶にない。

 

  帯刀君本人は大人(たいじん)の風格で、あまり物事に動じない。坂本竜馬が初対面の時の西郷隆盛を称して『大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く』という太鼓に例えてその人物の大きさに圧倒されたという話が司馬遼太郎の本に書かれていた。帯刀君はそのような風格があるおっとりとした人物である。牽強付会かもしれないが、だから彼は洪水からも助かったのかもしれない。

 

  小生は、最近、腰から下がいわゆるロコモテイブ症候群で、このままいくと、車いす生活になるだろうという恐怖を抱えて生活している。
 
  これに関してだが、最近老人たちが優先的に(というと語弊があるが)大雨洪水警報にもかかわらずたかをくくっていて、ダムの放水やがけ崩れで逃げ遅れて、自宅の2階の階段を昇れずに,圧死したり溺死していると報じられている。実に痛ましいことだ。そこで思ったのだが、足腰が弱っていて立ちあがれなくても、上半身を常日頃から鍛えておれば、両手と背筋力で、手すりにつかまりながらでも何とか必死で階段を這い上がってでも2階に行くことが可能な場合もあったのではないか? 少なくとも首から上が水面から出ていれば息ができてただろうから。
 
  これはばかげた妄想だろうか? 小生は小学校の2年生の時に芦屋の浜でおぼれた経験があるので、そのときの息苦しさは今でも忘れられない。

 

  NHKのラジオ体操でも下半身が車椅子の人の体操が必ず健常者の場合と並行してなされている。これまでは車いすのほうの女性の体操はあまり気にしていなかったのだが、この車椅子体操は結構重要なことなのだと改めて見直している。今の筋肉をほぐすラジオ体操に加えるに、車椅子体操にはバーベルとかエキスパンダーとかの筋力あっぷの体操も加えればいいと思う。
 
  つまり今日の日本の治山治水では近年の異常気象にはぜったい勝てないのでロコモテイブシンドロームの高齢者は、災害時に備える常日頃からの自助努力(体操)が必要である。帯刀君の場合のように洪水のときに丸太につかまって浮いているぐらいの腕力と背筋力がほしいものだ。

 
(森敏)

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