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2019-02-20 13:36 | カテゴリ:未分類

 ブタの断末魔に戸惑い 自衛隊が殺処分支援完了へ 隊員のメンタルに配慮 (201928212分 産経新聞)

豚コレラをめぐる豚の殺処分の支援で延べ千人余りの隊員を3県に出動させていた自衛隊は9日にも支援を終え、隊員を撤収させる。

 豚コレラの発生は平成4年以来のため隊員にとって支援は未知の任務で、豚の断末魔の叫びに戸惑う隊員もいた。東日本大震災での対応の教訓で隊員の精神的負担を和らげるメンタルヘルスも重視した。

 豚コレラの感染は5府県に広がり、このうち自治体だけでは対応できない愛知、岐阜、長野の3県の知事から自衛隊に災害派遣の要請があった。これを受け、陸上自衛隊の第10師団(愛知)や第12旅団(群馬)を中心に延べ1055人の隊員が6日から出動し、24時間態勢で支援活動にあたった。

 活動内容は(1)豚舎内での豚の追い込み(2)殺処分した豚や餌などを埋却地に運搬して処理(3)養豚場の消毒支援-で、隊員に最も負担が大きかったのは豚の追い込みだった。獣医師が注射や電気ショックにより殺処分するにあたり、豚を集めたり、暴れないよう押さえたりすることが求められた。

 ある自衛隊幹部は派遣された隊員から、「命あるものを処分せざるを得ないのは心苦しく、たとえようのないむなしさの中、心を無にして臨んでいる」との報告を受けた。愛らしい子豚を正視できない隊員や、豚舎に悲鳴が響き渡るのに悩まされる隊員もいた。

 こうした経験は隊員に無力感を抱かせかねない。東日本大震災では多数の遺体を収容した隊員が精神的に消耗しないよう一日の活動を終えた後、隊員同士で苦しみや痛みを共有する時間を設けた。それを教訓に今回も同じような時間を取り、心理カウンセリングが専門の隊員も派遣した。

 自衛隊が派遣されていた3県のうち岐阜、長野両県は8日に支援を終了し、愛知県についても早ければ9日に終える見通しだ。

 

 

 

この記事を読んでいて、思い出したことがある。

 

1972年から1975年にかけて発生当時は全く原因不明であった妊娠牛による流産・死産・奇形産で、全国で42000頭もの子牛が死亡した。この時小生は、牛の生産地である千葉県、茨木県、鹿児島県などを車で駆けずり回って、家畜衛生試験場などからデータを収集したり、病気の奇形子牛の脳をもらい受けたりした。(当時小生はダイオキシンの研究をしており、原因として農薬や飼料添加物へのダイオキシンの混入を疑っていたからである。結局、ヌカカという蚊が媒介するアカバネウイルスが原因であると同定されたのは、流行が収束してからであった。)

   

当時各地の獣医師の方に大いにお世話になったのだが、ある老獣医師の言葉が今でも忘れられない。

     

「僕ら獣医師は病気の動物の命を救う仕事が使命だと教育されてきたんだ! 発症原因が今だ全く不明なので、感染症かもしれないという懸念から、感染の拡大を防ぐためには予防措置として殺処分はやむを得ないとはいえ、奇形牛を殺す側に立たされるのには耐えられない!!」

 

この時は、獣医師は牛の殺処分に自分で手をかけたわけではなが、今回の豚コレラの件では万を超える頭数の豚が殺処分されている。この上記の記事によると 獣医師が注射や電気ショックにより殺処分する とある。実に残酷な役回りだと思う。

 

それにもまして、実に同情に耐えないのは、豚の殺処分に動員された自衛隊員たちの役割である。彼らが目の前で殺されゆく阿鼻叫喚の豚たちを見て、しばらくは、いわゆる「心的外傷後ストレス障害(PTDS」で悩まされるであろうことは小生には十分すぎるほど理解できる。

 

最近小生は近親者が逝去してすっかり気持が鬱(うつ)気味になっているので、こういう記事を読むと一層気が滅入る。

 
   

(森敏)
付記1:岐阜県では豚コレラに対していったん終息宣言を出して、自衛隊員を引き上げたようだが、他の養豚場で10カ所目が再発して、下記の記事のようにまた自衛隊員に動員がかかった。
  
   


 家畜伝染病「豚(とん)コレラ」の感染が拡大している問題で、岐阜県は十九日、新たに同県瑞浪市の民間養豚場の複数の豚で、豚コレラの陽性反応を確認した。昨年九月以降、県内の飼育施設での確認は十カ所目。県は陸上自衛隊第一〇師団(司令部・名古屋市守山区)に災害派遣を要請し、飼育していた全約五千八百頭の殺処分を進めている。

 埋却は約八キロ離れた場所で行い、三月三日までに一連の防疫作業を終える。

 県によると、十八日に養豚場から「一週間前からエサの食いが悪い豚がいる」と県東濃家畜保健衛生所に連絡があった。立ち入り検査で三頭が死んでいるのを確認。同じ豚舎の二十頭の血液検査をしたところ、複数から陽性反応が出た。

 県は半径十キロ以内にある別の養豚場一カ所(三千四百二十頭)と、一頭を飼育する個人一人に対し、出荷などの移動を制限。陽性反応が出た今回の養豚場に豚を出荷したり、同じ食肉センターを使っていたりした県内の八養豚場についても、出荷などを制限した。

 今回の養豚場は地域のブランド豚肉向けの豚を飼育していた。県は、経営者が同じでこの施設に子豚を出荷していた同県海津市の養豚場でも、感染の有無を確認している。

 :::::::(中日新聞 2019年2月20日)

2019-02-06 18:08 | カテゴリ:未分類

        偶然、今日は足腰に故障が出て、家にいて漫然とテレビを「消音」で流し見していたのだが、日本時間の昼頃から突然テレビでトランプ大統領の「一般教書」の演説があるということで、トランプの議会への入場シーンからLive中継が始まった。

 

        それで、いそいでテレビを「音声」に切り替えた。なんと1時間20分も演説は続いた! 小生にとって一般教書演説に付き合ったのは生まれてこの方初めてであった。しかしこのLiveは見ていて飽きが来なかった。ヘタなドラマよりも、シナリオとトランプ大統領の振る舞いが、実にドラマテイックにできていたと思う。

 

        予想外の長さにNHKは番組を変更して演説を全部Live中継し、途中で「第2回米朝首脳会談が22728日にベトナムで開かれる」というトランプの発言の直後には、緊急速報として、それをテロップでLive画面に流した。

   

        この恒例の一般教書演説は、民主党の抵抗で2週間ばかり延期されたようだが、トランプにとっては、そのおかげで入念な下準備ができたのではないかと思われるものであった。

     

        まだ生きている様々な分野でのトランプ大統領の視点からの英雄(軍人、宇宙飛行士、米軍によってナチスから解放されたユダヤ人、国境警備員、無実の長期拘留者、脳腫瘍の可愛い少女などなど。。。。。。)を議会の2階傍聴席に招請して、実名で紹介し、その老若男女をほめたたえるのであった。紹介された人たちは本当に誇らしく時に涙を浮かべてうれしそうであった。
 
  もちろん抜け目なく、この間の短期間での大統領在任中でのアメリカファーストの方針で、アメリカ経済が失業率が急速に低下し赫赫たる成果を上げているという自慢話があった。これにはいささか閉口した。

 

        その風景を与党共和党員はいちいちスタンデイングして拍手を送っていた。全部で数十回にもなったのではないだろうか。あくまで議員個人の自発的な賛意を表する振る舞いなんだろうが高齢の議員には、立ったり座ったりの連続は実に負担だろうなと甚く同情相哀れむものがあった。その光景を苦虫をかみつぶして座って考え込んでいる、サンダース議員(?)など民主党議員も映し出されていたのにはつい笑ってしまった。

 

        アメリカの赫赫たる歴史が語られ、世界大戦での勝利への貢献や泥沼の中近東でのアメリカ兵の膨大な人数の犠牲(7000千人死亡、52000人の大けが、7兆ドル戦費)が語られたが、アメリカが加害国であった長期にわたるベトナム戦争でのアメリカ兵の犠牲や「敗戦」が語られることはいっさいなかった。

 

その戦場であったベトナムで、来る22728日に第2回米朝首脳会談が開かれると宣言した。実に株屋さんらしいプラグマテイズムだと思う。

       
(森敏)
追記:本日(2月9日) 米朝首脳会談はハノイと決まった。

トランプ米大統領は8日、自身のツイッターに投稿し、今月27、28両日に予定している米朝首脳会談の開催都市がベトナムの首都ハノイに決まったことを明らかにした。米国のビーガン北朝鮮政策特別代表が6~8日に平壌を訪問し、北朝鮮の金赫哲(キムヒョクチョル)・元駐スペイン大使との間で最終調整していた。

 トランプ氏は金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長との首脳会談をハノイで開催することを明らかにし、「金委員長と会談し、平和を前進させることを楽しみにしている!」とツイートした。

 米政府関係者によると、米政府はベトナム中部のダナンで開催することを希望。一方、北朝鮮側はベトナム政府の首脳らとの会談も米朝首脳会談と同時期に要望しており、会談場所として都合の良いハノイでの開催を求めていた。(朝日新聞 ワシントン=園田耕司)

 

2019-02-03 10:00 | カテゴリ:未分類

これまで全く立ち寄ったことがなかったのだが、最近整備された上野公園の小高い一角に、なんとアメリカのグラント大統領の石碑が建立されており(1)1879年(図明治12年)825日に大統領お手植えのヒノキ(檜:Cupressus lawsoniana)と夫人のお手植えのタイサンボク(泰山木:Magnolia grandiflora)があった(図)。それぞれの木の下に石碑が建てられていた(図3、図4)。タイサンボクは別名のぎょくらんが石碑には記されている。
 
    (江戸開国後こんなに早くからアメリカの大統領が日本を表敬訪問していたとは知らなかったなー。第2次世界大戦での敗戦後は、日本の首相は、代替わりのたびにアメリカの大統領を表敬訪問する朝貢外交をやらされているのだが。)
     

  ヒノキは一枝のみが健在でいまにも枯れかけているが、タイサンボクはおどろくほど旺盛に上下左右に翼を伸ばしてこんもりとしている。いずれも20メートルを超えると思われる高さである。小生はこんなに大きなタイサンボクを見たことがない。よほど土壌が合っているのだろうと思われる。一方のヒノキの土壌は根の張りに障害があるのかもしれない。計算するとこれらの木は樹齢140年以上ということになる。
 

  上野恩賜公園は1876年(明治9年)4月開園、東京大学の創立が明治10年だから、両木は東京大学とほぼ同じ樹齢ということになる。そう考えると140年の風雪に耐えてきた両木がなんとなくいとおしい。どうかこのヒノキ君が枯れないようにと願わずにはいられない。
     
スライド2 
 
グラント大統領(中央の像)の訪日記念碑。 左のアルミ版に由来が書かれている。
 
スライド1 
 左が大統領婦人お手植えのタイサンボク、右が大統領お手植えのヒノキ
 
スライド3 
 
右から俗称グラント・ヒノキとかかれた石碑
 
スライド4 
 
右から俗称
グラント・ギョクランと書かれた石碑
        
この小高い一角は、桜並木のすぐそばなのだが、人々の流れから外れているのか、普段はあまり人がいないようだ。
  

(森敏)
付記:「このグラント将軍が自ら植えたとされる松が増上寺にあり、【グラント松】との名称で親しまれています」という記事をネットで見つけた。なるほど、訪問記念に木を植えるということは、後世に残る行事だが、その受け方の方を考えると、末代までの維持管理に気を遣うのは結構大変だと思う。現にこの上野の グラントヒノキ は、 いまや息絶え絶え であるとお見受けした。

2019-01-24 07:15 | カテゴリ:未分類

プレゼンテーション1 
図1.願法:燕尾
   
   
       漢字の筆文字でせわしく書かれており数カ所訂正が入っている「書」に「顔真卿」と書かれているポスターが、年末から東京の各所に長い間掲げられていた。小生は「書」にはほとんど興味がないので、中国で高名な人物なのかなとは思っていたが、わざわざ国立博物館にいく気はしなかった。

   

ところが、全くひょんなことからこの展示会の招待状が手に入った。121日は月曜日なので上野界隈の官営建物は全部休館日なのだが、この日は特別に某企業が主催する内覧会ということで、散歩を兼ねて、快晴の日和でもあったので、のこのこと国立博物館に出かけた。その封筒を見せて国立博物館の平成館に入れた。門の外で数人の若い女性の中国人観光客が「我々はなぜ入れないのか」と押し問答していた。この日は通常は休館日だということを彼らは知らないのだろう。 (しかし、 後で家に帰ってネットで検索して分かったのだが、この展覧会は中国人にとっては垂涎の展覧会なのだそうだ。どうりで、いつになく会場の警備の雰囲気が厳しいと思ったことだ。)

   

見学していて分かったのだが、このポスターに描かれている「書」の内容は「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」と言って、中国歴代の支配者が激賞しているとてつもなく有名な顔真卿の「書」の一部だったのだ。この書は、現在は多分蒋介石が持ち込んだのだろう、台湾の故宮に保存されていて、大陸の中国人は目に触れることができないものなのだそうである。「我々中国人が見られないものが、なぜ日本で開催されているのだ!」という観光客や在留中国人の言い分もあるらしい。

   

確かに、1番目の会場の一番最後のコーナーでやっとお目見えする「祭姪文稿」(758年)の心情あふるる内容は「書」を目でおいかけていきながら音声ガイドの説明を聞いていると、非常に迫力があった。玄宗皇帝と楊貴妃で有名な唐時代の安禄山の乱で、顔真卿は孤立に耐えて地方で自分の城を守ったが、他の城にいる兄の顔杲卿とその息子の願秀明は援軍が来なくて殺された。目の前に展示されているものは、その二人を哀惜する、顔真卿が憤激に耐えながら急いで書いた「書」なので、文字の乱れや訂正箇所がそのまま反映している貴重な「原本」なのだそうである。どおりで「なんでこんな荒っぽい書をポスターに使っているのだろう?」という疑問が払しょくされた。写真を撮ってはいけないので、その会場での雰囲気は伝えられない。この書の全文は国立博物館のホームページで見られる。

    

12時から16時まで、我ながら驚くべき忍耐力で鑑賞した。途中で腰痛になりかけて、危機を感じたので、思わず椅子にへたり込んだ。2会場に分かれていて、第1会場の顔真卿のコーナーに行く前に、近くのおばちゃん連中も「やっと顔真卿まで来た、私くたびれちゃった、私トイレに行きたくなっちゃった、でも頑張ろうかな」といって自分で励ましていた。書道などの習いごとをしているご婦人たちと見た。第2会場の後半部にある日本への中国の漢字の伝承者である空海や小野道風などのコーナーでは、集中力に限界が来て、流して観てしまった。

  

数多い作品を見ながら、一点われながら驚いたことがある。それはいろんな書体の変遷を観賞しているときに、たぶん全部で千文字ぐらいあろうかと思われる「故大徳院法師碑」という縦横(2mx4m)ぐらいの碑文に向かった途端、その間10秒ぐらいだと思うが、小生の名前である「敏」という文字が目に飛び込んできたのである。それはまさしく飛び込んできた、という瞬時のできごとであった。最近眼科検診で少し白内障気味だと宣言されていた。そのせいか、意識しないと周りをきちんと見ていない気がしているのだが、今回は我ながら自分自身のパターン認識のすごさに驚いた。昔、湯川秀樹がどこかの雑誌の対談で「人間は100万人の群衆の映像の中にでも、ひとりの知人を瞬時に同定できるのはどうしてだろう?」と言っていたのを思い出した(周知のごとく、いまではAIがそれを超スピードでやり遂げる)。そこでそのあとの2-3の碑文などでは意識的に自分の名前を探したのだが、全く見いだせなかった。敏の文字の一角である「母」という文をどこかの碑文で見出したのみであった。それ以降はあきらめた。焦点を合わせながら意識してみるとだめなようで、漫然と見ることが必要なようである。

  

顔真卿流派の楷書(「顔法」というらしい)の特徴の一つとして、筆使いの書き始めのふくらみが、かいこ(蚕)の頭に似ているので「蚕頭」という手法があって、もう一つの特徴として、例えば「之」という字のしんにゅうの下に伸びる払いのところで、ツバメの尾のように二股に割れるように伸ばす「燕尾」という筆法があるのだそうである。そのように見ていくと、なんと、之 人 入 大 及 夫 尺 丈 文 八 父 とすべてみごとに燕尾である。知らなかったなー。いったいどういう筆使いなんだろう?(本文最初の図1です。パワーポイントで苦労して作図してみました。筆ペンで試みてみたが絶対にうまくいかない。)

   

  素人目にもわかりやすかったのは、当代の顔真卿もその力量を高く評価していた「懐素」という僧侶の書いた自叙帖(726年)というのがあった。これは酒に酔って自由奔放に書いた草書(?)のものだそうで、まさに文字が実にまろやかに踊り狂っている芸術品である。ここまで簡略化するかね!という代物であるが、楷書に翻訳しているものと比較して見ると、なるほどね! と感嘆するものである。いつかこのブログでも紹介したことがある川口雪蓬の書と同じく、読んでいると自分も酔っぱらっているかの如く体が躍動する感じがしたのだ。

  

  というわけで、今まで全く興味をひかなかった書の歴史が少しは理解できたので、今後は「日展」も「書」のコーナーをパスしないで鑑賞したいと思った。実に遅まきながら。

 
  
(森敏)
 
付記:顔真卿の年譜の最後は、
 
785年 77歳で龍興寺で首を絞められて殺された

とある。

顔真卿は主君には絶対服従の生来頑固で融通が利かない忠臣であったのだが、権謀術数の宮廷内での策謀に弱かったようである。だが、
逆に、それ故に「願法」という美しい「楷書体」を創作し得たのだ、と勝手に解釈した。
2019-01-11 13:08 | カテゴリ:未分類
COP24、日本政府の部屋からパソコン盗難か

昨年12月にポーランドで行われた国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)で、日本政府代表団がノートパソコンとUSBメモリーを紛失していたことがわかった。環境省が9日、発表した。他国との会談記録などが入っていたという。
 発表によると、パソコンとUSBは、会場内の日本政府の部屋にあったが、会議終了後の12月16日に紛失が発覚した。状況から盗難の可能性が高く、環境省は今月4日、在ポーランド日本大使館を通じて現地警察に被害届を提出した。
 USBには、2017年11月〜18年5月に行われた国際会議の交渉記録や、他国の環境相との会談記録のほか、政府関係者ら約30人分のメールアドレスが入っていた。パソコンには環境相の日程などが記録されていた。環境省によると、外部への情報流出は確認されていないという。(読売新聞1月9日)



  

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この記事の意味するところは、会場内に国際的に暗躍するスパイがいたということである。

 

    国際会議場では多くの国々の人が入り込むので、格好のスパイ合戦が行われていると考えられる。日本政府代表団の警戒心の欠如は、かなり深刻である。国益に害を与えている。二度あることは三度あるはずだ。

 

    パソコンやUSBのなかからこの日本の代表団の草案作成にかかわった多くの人的情報が流出しているだろう。それらは巡り巡って当人たちに甚大な影響を及ぼしかねないものである。

 

 

以下外国でのパソコン盗難に関する記憶である。
     

    11年前にベルリンの有名ホテルで大学評価に関する日独学術交流が持たれた。お昼にホテルに着いたときに、団長である筑波大学の某先生は、いたってお元気であった。ところが夕飯時に、彼の顔が顔面蒼白になっていた。「どこか体調が悪いんですか?」と聞くと、「ホテルの部屋から!パソコン盗まれた!困った困った! 明日の講演の内容がすっかりパーになった」。

   

そこで皆でホテルのマネージャーとかけあったが、「あちこちに監視カメラを取り付けているので、不審者がわかったら連絡します」と言って直ちには捜索を全くやる気がなかった。あきらめて某先生は食事もせずに、同行の先生のパソコンを借りて、そそくさと部屋に引きこもった。翌日の朝食時にはげっそりと痩せて見えた。徹夜だったのだそうだ。もともと、原稿はよく練りこんでいたのだろう、講演は立派なものだった。
    

  パソコンは出てこなかったし、ホテルの側からは全く謝罪がなかった。一貫して俺たちの責任ではない、というような木で鼻を括る態度には無性に腹が立った。日本人だと思って馬鹿にしている、と思った。ベルリン壁崩壊前後に小生は4回ドイツを訪問していたのだが、その経験も含めて、思わず頑固なドイツ人が嫌いになりかけた。「それはお前の性格が悪いからだ」といわれればグーの音も出ないのだが。

 
          

(森敏)
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