2018-01-24 07:14 | カテゴリ:未分類

         西部 邁氏の多摩川への入水死で、生物学で言う「プログラム死」という言葉を思い浮かべた。詳細が明らかではないけれども、相当考えに考えた末の死に方なのだろうと思う。水泳ができる小生にはこんな死に方はできない。

  

      氏の死にはいろいろの方面の方が、感想を述べておられる。いずれも彼の死の側面をとらえているだろうが、彼のいつもの持って回った議論の仕方の特徴から推測するに「俺の死はそんなんじゃないぞ」と言う反論が必ず返って来そうな気もする。

 

    禅坊主を含めて、どんな高邁な思想家でも、肉体的な劣化が精神的な無気力につながることは、絶対に避けられない。西部氏は遅かれ早かれ来る、己の終末期の醜悪な姿を、人前にさらしたくなかったのだろう。論客としての武士の矜持なのだろう。

   

      家族にとってはとてもつらいことだと思うが、評論家の故・江藤淳氏の自刃の場合のように、ぜひ遺書を公開してもらいたいものだ。

         

      <潔い死> に冥福を祈りたい。

       

(森敏)

付記1:西部さんは、1960年安保闘争の真っ最中に小生が駒場の教養学部に入学したときの自治会の委員長であった。彼は自分の演説に酔って涙を流しながらの「センチメンタル・アジテーション」で有名であった。うぶな小生もアジられて、4月28日(ヨン・ニッ・パー と呼んでいた)の日に、駒場だけで1000人以上の規模でスクラムを組んで、駒場→渋谷→三宅坂→国会チャペルセンター前デモに出かけて、そこで、さらに唐牛健太郎全学連委員長のアジテーションにあおられて、ずらりと横並びに道路を封鎖した機動隊の装甲車を怖いもの知らずに、乗り越えた。国会内に突入して、待ち構えていた機動隊にポカスカやられて、靴が脱げて 時計が無くなり、シャツを破かれて、這う這うの体で中央線で三鷹寮に帰ったものだ。当時の駒場には教養課程2学年で総勢4000名以上の学生や、ほかに大学院生や教官がいたはずだから、ご存命のかたなら、西部さんのその後の思想の変遷に対する好悪は様々であっても、今日に至るまで、当時の彼の残像は強烈であっただろうと思う。
 
追記1:ネット上での報道では、以下の事が記述されている。極めて合理主義といおうか。。。なかなかまねできない実行力ですね。

 

     
:::::::

近著「保守の真髄」でも「生の周囲への貢献がそれへの迷惑を下回ること確実となるなら、死すべき時期がやってきたということ」と記述。家族によれば、遺書にも迷惑をかけたくない旨が記されていたという。:::::::
 
追記2:やはり西部さんは水泳ができなかったようだ。しかし当時の駒場教養学部の時代は学生には「体育」の科目が必修で、夏には25メートル野外プールで水泳の検定がおこなわれたはずだ。泳げるまで泳げるようにようにさせられたはずだが、彼はなんとかかんとかしてそれをさぼったのだろう。小生は水泳部に入ったのだが、大阪湾で我流で学んできた平泳ぎではいくら頑張っても競泳では勝てないと悟り、また、水泳部の「卑猥さ」に辟易して、3か月で退部してしまった。とかなんとか回想するのもなんだか懐かしいですね。
 
追記3:昨日発刊された月刊誌「文芸春秋」での対談記事(保坂正康x浜崎洋介)では、
西部さんの入水自裁について、家族にはここらあたりの場所で死ぬとか、娘さんに自裁の同意を得ていたとか、実際には水死体が発見されやすいように体に縄をつけていたとか、の間接情報が語られている。どこまでが真実かわかりませんが。(2018年2月13日 記)
 
 

追記4.週刊文春の記事によれば、手が不自由であったにもかかわらず、西部さんの死体では両手を縛られていたということである。そんなことを自分でやれるわけがないので、誰かが自殺ほう助の罪に問われることになるだろう。西部氏の本意ではなかったのだろうが、誰かを巻きこまざるを得なかったようだ。(2018年3月16日)

 

追記5.案の定、西部信者の2人が自殺ほう助で逮捕された。彼らには罪悪感はあまりないのではないだろうか。こういう場合に、もし彼らが刑事事件として起訴されたら、裁判官はどういう判決を書くのだろうか、難しい判断を迫られると思う。かなり興味がある。