2017-10-12 05:23 | カテゴリ:未分類

        この映画は新聞やネットでの宣伝では中身がよくつかめなかったのだが、観てよかったと思う。

    

1960年代の第一次安保闘争世代では、フィデル・カストロとともにキューバ革命を成功させたチェゲ・バラは今でも圧倒的に人気があるのではないだろうか。彼はボリビアでの革命運動でのゲリラ作戦の最中にとらえられて射殺されたが、その時のグループの中にボリビア出身の日系人(ゲリラ名エルネスト)がいて、同じくとらえられて射殺された。そういうことはこの映画を見るまで小生は全く知らなかった。

      

現在キューバのゲバラの霊廟にゲバラとほかの同志とともに壁面に彼のパネルが張られていることが映画の最後に紹介されていた。

      

主役俳優のオダギリジョーの抑えた演技が光っている。以前の藤田嗣治画伯の映画では、彼の演技はあまり感心しなかったが、今回は実にいい。ネット情報ではこの映画の演技のために彼は体重を15kg近くも減らしたとのことである。なかなかできる芸当ではない。相当の入れ込み方だったのだろう。実に演技が自然体で、スペイン語も流暢で、すばらしかった。

       

カストロとゲバラの決起したキューバ革命の事をあまり知らない人がこの映画を見ると、これはキューバ革命賛歌と単純にとらえたがるかもしれない。だが、全くそうではなく、主人公はキューバ革命後に青雲の志を抱いて、ボリビアからの奨学生として、キューバの医科大学に留学していた。だが、その最中に母国ボリビアが暴虐の政権に見舞われて、医学の道を捨てて、もともと医師であったエルネスト・ゲバラの影響を受けて、自分も祖国ボリビアの革命運動に身を投じて、1967年9月に25歳でゲバラとともに革命運動に殉じた短い期間だが若き日系青年の生長物語である。

          

先日ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロも5歳の時に父親とともにイギリスに渡って帰化した日系で、先進国イギリスで若いときは昨年ノーベル文学賞をもらったボブデイランなどの音楽にかぶれてミュージシャンになろうかなどと、非常に揺れていたようだが、一方で、ボリビアという最貧国で鹿児島から父が移民として渡ってきた若き日系人実名「フレデイ・前村」は、未完の大器だったのかもしれない。この映画で名が後世に知れて本当に良かったと思う。

        

2時間弱の長丁場だったが、足の痙攣をさすりながら抑えつつ鑑賞した。
    
  映画が映わっても、みんな無口であった。席を立たずにハンカチで涙をぬぐっていたご婦人も何人かいた。
   
  なぜか、医学の道を目指して日本に中国から留学して小説家に転じた「魯迅」のことなども思い出した。  
   
     
(森敏)

2017-09-28 06:35 | カテゴリ:未分類

 (語る。人生の贈り物)浅田次郎:7 あの一冊、逃していまだに後悔
2017926日 0500分 朝日新聞

■作家・浅田次郎

 やっぱり大学に行けば良かったと思う。知識って、自己流だと体系づけられてないから、回り道なんだよ。ちゃんとした先生について4年間やっていたら違ってただろうなと、すごく思うね。

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(森敏)
付記:作家の浅田次郎が珍しく人生を後悔している。一連の連載の回顧録の前後を小生流に勝手に解釈すると以下のごとくかと思われる。

  浅田氏は高校卒業後、大学に行かずに、自衛隊に入って訓練を受けたのはよかったのだが、また、そういう肉体労働が実にマニアックな自分には向いていたのだが、自衛隊はあまりに居心地が良すぎて、のめりこみそうになったので、これではいかんと、自分から一念発起して、自衛隊をやめて、アパレル業界に入りながら、小説を書き始めた。そうしたら、自分には一般教養が大いに貧困なことに気が付いて、やはり若いときは大学に行って、専門分野をきちんと大先生について勉強して「学問というものが体系的にできていることにもっと早く気が付いていたら、その後の文筆家として回り道をしなくてもよかったのに、と言っている。
    
  しかし、私見では、浅田氏は大学に行かなかったからこそ、彼自身による我流の体系的な方法論を編み出して、流行作家として成長していったのではないのだろうか?
           
  実は、先日NHK で『あの人に会いたい』 物理学者 湯川秀樹 1907-1981 
という番組があった。
    
  その中で、若くして中間子論を発表してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は、京都大学物理学科に在学中の、自分の勉強の仕方は 
『どちらかといえば 独学流であって、さらにいえば我流です。我流的な傾向が非常に強いと思います。』
と述べている。
  
  真に個性的でポテンシャルの高い人は、我流で独自の方法論を編み出してこそ、何人もかなわない「独創」を行うのである。なまじ大学でその道の学問の大御所の体系的指導を受けると、えてして強烈な個性をつぶされかねないので、実は要注意なのだ。
            
湯川秀樹jpeg 
晩年の湯川秀樹博士へのNHKインタビュー

2017-09-22 06:39 | カテゴリ:未分類

  仙台(東北大学青葉山新キャンパス)での日本土壌肥料学会の合間をぬって、風光明媚な観光地「松島」を約10年ぶりに訪れた。遅まきながら、震災の後の復興状況を一目見ておきたかったからである。

 

  東日本大震災「復興地蔵堂」 というのが遠慮がちに、4メートル四方の仮の台座に建てられていた。その中には京都の佛師富田睦海師による地蔵菩薩(瑞巌寺起雲軒老大師により悲母地蔵と命名)が安置されていた。(図、1,2,3)
  

 スライド1
(図1)復興地蔵堂への案内 
     
 
スライド2 
(図2)復興地蔵堂
       
 
 スライド3
(図3)復興地蔵堂の中の新創作「悲母地蔵」
     

  まずもって、てっきり「透かし橋」で海岸からすぐつながっている孤島の上の『五大堂』は津波をかぶっていただろうと思ったら、まったく健全だった(図4)。この島の高さは海水面から3.5メートルばかりと思われた。茨城県の海岸際の岡倉天心の建てた有名な六角堂は東日本震災の大津波で消失したと報じられたので、ここの岸辺の絶壁の「五大堂」もあわやと思っていたのだが。。。これは実に意外だった。
 
 

 スライド4
(図4)津波が上昇せず健全だった「五大堂」 
         
   

  そこでつらつら思うに、そこから海を遠望すると松島海岸は沖合のあちこちに島が美しく点在しており、きっとこれらの島々が津波を複雑に ”干渉”して打ち消し合って、あたかも強い緩衝能の防波堤の役割を演じたのだろうと勝手に解釈して納得した(図5)。見えない海底にも小高い山が障壁としてきっと林立しているのだろう。(後に、以下に示すようにネットで調べると、宮城県では、女川漁港では14.8メートルという最高の津波に襲われたがここ松島町では2.9メートルで済んだということである。(図6)
   
松島沖 
(図5)五大堂から松島沖合を望むと数々の小さな島がある。観光船のフェリーボートがが絶え間なく行き来している。
            
 
津波の高さjpeg 

(図6) 図録 東日本大震災で確認された津波の高さ  より転載. 松島町は最下位であることがわかる。 
            
  

  沿岸では、まだあちこち堤防の修復などが行われていたが、その高さが、海水面から3メートルもないのにはいささか驚いた。上図に示すように、東日本大震災の経験から、将来もここ松島海岸では高さが3メートル以上の津波は来ないと考えているのかもしれない。
      
  高さ2メートルばかりの「震災記念碑」は、堤防工事の邪魔になるからなのか、道路わきの実に目立たない片隅に佇(たたず)んでいた(図7)。この謙虚すぎる展示の仕方のせいか、通行人の観光客のほとんどは気が付いても何気なくさっさと通り過ぎていくようであった。

            
   
スライド5 
(図7)東日本大震災慰霊記念碑 から  海岸沖を遠望する。堤防は工事中
            
   

  昔、文科省のプロジェクトの研究会で参加した海際の「松島センチュリーホテル」は、ホテルマンによると、「津波で一階が全面浸水して、名画が全部台無しになった」、けれども、地震でホテルが倒壊することはなかったようで、亀裂などは、外壁が塗りなおされていて、どこまで津波で浸水したかの跡かたがなかった。二階ロビーの壁面の日本画家の「片岡球子(かたおかたまこ)」さんの名画は健在だった。飛び入りだったが、誰もいないここのロビーで450円の飲み放題のコーヒーなどをいただいて、広大な全面ガラス越しに、美しい海をしばらく堪能した。
                
  「津波が来たら高台へ避難せよ」という意味の絵のパネルが道路の電柱の高い位置に掲げられていた。これは、来るべき関東・中部・南海大震災に備えて、これらの沿岸域の低地の、あらゆるところに今すぐにでも掲げられるべきパネルだと思われた(図8)。
    
スライド6

(図8) 「津波が来たら高台へ避難せよ」 の表示パネル

       
   
  以上、急ぎ足の感想です。  
    
(森敏)
付記: 伊達正宗が再建(1609年とか)の瑞巌寺は裏山の登り口にあり、海抜10メートルぐらいか? さすがに過去の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年)などの幾多の津波を経験した結果の位置決めと推察した。
        
追記: 昨日の報道では、きたるべき「巨大地震の3日前からの予知などできない」という最終的な結論が出たようだ。延々50年間以上にわたって予知連にむらがる地震学研究者たちは、「地震予知はできる」と「ホラ」を吹きつづけて巨額の研究費を消費してきたことになる。
            
これは「原子力の平和利用」で50年間以上にわたってを国民を欺いてきた結果、東電福島第一原発事故(メルトダウン)を起こした「原発マフィア」とあまり変わらない科学技術者の精神構造だ。(20170926 記)

   
2017-09-09 10:30 | カテゴリ:未分類
  

浪江町の空間線量9.5マイクロシーベルトという高放射能汚染地域で、墜落して間もないと思われるシジュウガラの死体を発見した。その、内臓を取り出して、遺体全身と内臓を乾燥させて、それぞれのオートラジオグラフに撮像し、放射能も測定した。
   
   これでツバメ、ヒヨドリ、シジュウガラと、いずれも小鳥は放射能汚染しており、内臓も被ばくもしていることが分かった。
    

        2017/01/10 : ヒヨドリの内部被曝

        2016/03/06 : ツバメの放射能汚染像について

        2015/06/03 : 鳥の放射線被曝について

    シジュウガラの採取と丁寧な解剖は加賀谷雅道カメラマンと桑原隆明博士(茨木キリスト教大学・助教)によるものです。
     
   
スライド1

シジュウガラの全体像(背面) 
 
 
 スライド2
上図の放射線像。左:ネガテイブ像。右:ポジテイブ像
眼球の周り、背筋、などの汚染が強いことがわかる。



 
スライド4
シジュウガラの腹面 (内臓を取り出して圧迫乾燥して、平らにしたもの)
  
 


スライド5
シジュウガラの腹側からのオートラジオグラフ。
羽根の外部被ばくも激しいが、腹部の筋肉や眼球の周りが激しく汚染していることがわかる。

  
  
  
  
  

スライド6

シジュウガラの腹側からのオートラジオグラフ (ネガテイブ画像)
  
  
  



スライド7
シジュウガラの内臓



スライド8
シジュウガラの内臓のオートラジオグラフ (個々の部位の同定はできていない)。

  
       
放射能しじゅうがらjpeg

 シジュウガラの放射能 (ゲルマニウム半導体による検出)。全身よりも内臓の放射性セシウム値が高い。内臓は消化されつつある胃腸の内容物もすこし含まれると思われるが、その寄与率はわからない。
 

 




   

(森敏)
2017-08-15 11:29 | カテゴリ:未分類

   

ガラケー携帯電話の着信音が鳴らなくなった。これでは仕事に差し支えるので、DoCoMoショップに行くと、「電池はあるが、音声を出す内部回路が壊れている」というご託宣だった。1か月前に、携帯用充電器と、どこかに無くした充電用電源をこのDoCoMoショップで購入したばかりだったのに。「もうこのガラケー型は在庫がない」という常套手段の業者の策略にはまって、仕方なく「ガラホ」というやつを買わされた。これでDoCoMoで買わされた携帯電話は4つ目である。「ガラホ」からはメールなどの機能を全部取っ払って電話だけにしてもらったつもりなのだが、購入してイロイロいじっていると、まだいっぱい機能がONにされていたのでそれらも全部OFFにした。待機電力浪費による電池の持ちが心配だったからである。
    
  ただし、歩数計が内蔵されていたのでこれだけはONにして「ガラホ」の画面に出しておいた。この「ガラホ」をジーパンのポケットに入れて時々覗くのだが、コンピューターに向かって座学ばかりやっていると一向に歩数が進まないことを改めて確認した。最近減量のためになにかと努力をしていたつもりだったのだが、いっこうに下腹の筋肉のタブタブがへっこまない。テレビの健康番組によるとコンピューターの合間に息抜きに食べる「甘いもの」が体重が落ちない諸悪の根源なのだ。

     

  体重が落ちないとどういうことになるかというと、必然的に腰痛の危険性が高まる。小生は若いときから腰痛の常習犯だったのだが、最近はとみに脊柱の椎間盤ばかりでなく、大たい骨の骨盤の付け根や、ひざのお皿のあたりに鬱屈感の自覚症状がある。時々杖を使うと歩行が楽になるのは困ったものだ。急速にあちこちの関節の老化が進んでいることを実感している。実は去る5月上旬に、奇形タンポポの現地調査を一人でしていて、カメラで撮影しようとして、斜めの姿勢になったとたんに、右脚の付け根がギクッとして、激痛でその場で倒れてしまった。偶然通りがかった車いすのおじいさんに携帯電話で救急車を呼んでもらって、病院に運ばれたのだった。

     

  8月の上旬はむちゃくちゃ東京が暑くなりそうだったので、某旅行社のクラブツーリズムをあらかじめ予約しておいた。それに参加して長野県の某所に1週間滞在した。ところが、この、周辺を2000メートル級の山に囲まれた場所は、滞在中はほとんど東京と同じ気温で、がっかりだった。長野県は軽井沢以外は夏でも気温が高いのだということをすっかり忘れていたのだ。それでも空気は何となくきれいだったので、毎日ホテルからバスで遠方に出るツアー企画には参加せずに、毎日ホテルの周辺を2-3時間散歩して減量に努めた。長時間のバスによる上下振動はとても腰痛には悪いのだ。

  散歩道の途中にあった登山用具の専門店で登山者用の伸縮自在の雪山用の杖を売っていたのでそれを衝動買いして、それを突いて歩いたら、なかなか快適だった。それでも山道をゆっくり3時間歩いて6000歩も歩数を稼げない。そこで、ホテルでは室内でテレビや時々コンピューターに向かいながら足踏みを繰り返して毎日13000歩までをこなした。昔、腰のベルトに着ける歩数計は感度が悪くて激しく歩かないと、ときどき歩数を数えてくれなかったのだが、この「ガラホ」の歩数計はなかなか感度がよろしいようで、ゆっくり歩いても歩数を数えてくれるのが気に入った。だから13000歩も歩いたといっても、昔の歩数計では10000歩ぐらいのものだろう。しかし、少しの振動でもサクサクと数えてくれるのは、努力のしがいがあるようでなかなか気分が良かった。

 

  滞在したホテルには塩水温泉があり、露天風呂もあったので、そこで毎日一時間以上入ったり出たりしながら過ごした。露天風呂はホテルのまわりの芝生や、水田のあぜ道の雑草を刈っていたようでその枯草のにおいが緩やかな冷気とともに流れ込んできてなかなか良かった。青葉アルコールの匂いだろう。心地よいかったるい気分で裸でベンチで眠りこけそうになった。湯上りに体重を測ると確実に減量していた。(7日間の滞在で1.5kg減量したことが分かった。)

 

  しかし、ホテルで階段を上がるときに何となく、普段よりも両足がだるいと感じた。その原因を考えてみた。よく言われるように、減量のために糖質摂取を減らす場合は、その分だけタンパク質を多く摂取しなければならない。そうしないと自分の筋肉たんぱく質が分解して、アミノ酸になりそれから「グルタミン酸やアラニンなどを通じてTCAサイクルを回してATPを生産する」という非能率なエネルギー生産代謝に切り替わるので「筋力が低下する」。

 

  だから、ホテルに滞在中は減量のためにパンやご飯や大好きなケーキなどの糖質を控えて、その一方で極力「肉」を多く摂取することを心掛けたのだった。ところが、このホテルはツアー代金が安いだけあってか、朝夕のバイキングに牛肉が一片も出なかったのには驚いた。山菜など野菜類の品ぞろえはとても豊富なのだが、肉といえば鶏肉か豚肉か一切れの魚肉である。いくら頑張っても一日平均で必要量といわれている80gのたんぱく質を摂れたかどうかも怪しいと思った。

 

  東京に帰ってきても、今のところ「ガラホ」の歩数計で一日13000歩をキープしている。歩数が足りないと就寝前に30分以上の足踏み動作を繰り返してしなくてはならない。普段から脊柱管狭窄で足裏がざらざらしているのが足踏みすると一層熱を持ってくるので不快である。体重は確実に減ってきたが、なかなか今の減量レベルを恒常的に維持するのはむつかしいものだと実感している。これは我が人生で数回目の減量への挑戦である。
  
(森敏)
付記:上記の旅行中にホテルのロビーで読んだ朝日新聞の文化欄に、経済アナリストの森永卓郎さん(独協大学教授)が 肉食考(3)として「知恵使えば 安くおいしく」という随筆を書いていた。

:::平日は仕事場に泊まり込んで自炊しているんですが、穀物をバンバン食べていた時代には,一週間(5日分)の食費が約1000円でした。今は、肉、魚、豆腐や葉物野菜を主に食べていますが、それでも1200円ぐらいですんでいる。工夫さえすれば、一日三食約250円で、肉は十分に食べられます。:::

 

そのあとに森永さんが実際に倹約した買い物の技法が縷々開示されております。 上記はちょっと信じがたい食費の額ですが、いつかテレビで見た最近の彼の裸体は筋力を落とさないでダイエットに成功しているように見えます。実践経済学者の面目躍如ですね。

 
追記:本日朝7時半ごろテレビで見た森永さんのソファーへのすわり姿は、黒いベストを着ているのであまり判然としなかったのだが、おなかが少しだぶりバラのようであり、顔がふっくらしており、体重がリバウンドしているように見受けられた。テレビなんかに出ると、たぶん外食になるだろうから、節制はなかなかむつかしいだろう。



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