2017-10-16 22:38 | カテゴリ:未分類
  双葉町には、これまで「官公庁の放射能関連の研究費をもらっている研究者しか入れてもらえない」、とうわさに聞いていたので、小生らは、この町に入ることを遠慮していた。小生らはそういうお金をこれまで一切もらえていないので。

  しかし福島第一原発から半径10キロメートル以内の「双葉町」は地理的にはそれより外側の浪江町の高放射能汚染地域の「小丸地区」に隣接しているので、双葉町も強烈な汚染地域がまだあ るはずである。そういう地域の動植物の生態系の変遷を、本当は原発暴発事故初期から継続的に放射能線環境影響調査をしておかないと、この地域のデータが後世にブラックボックスになることをずっと危惧していた。そこで今回すでに原発事故から6年経過しているのだが、思い切って、立ち入りを申請したら、許可が下りた。
    
  今回時間の許す限り、われわれ自身がこれまでの調査のなかでもかなり高い被曝をしながら詳細に調査してきた。のだが、住民の個人情報になるので、細かい写真がここで開示できないのが残念である。 
      
  原発事故の影響は気が遠くなるほどだ。放射能汚染生物の放射能を実測すると、現在すでに放射線量としてはCs-134Cs-1371割程度に減少しているので、放射能の主成分はCs-137である。Cs-137の半減期は30年であるから。現在のこの双葉町の高い総放射線量は、これまでのように急速に減少することはないと考えられる。このままでは、今生きている避難住民が、生きているうちに帰還して住めるようになるのはちょっと絶望的だ。
   
  2011年3月をあらためて思い出そうではないか。
   
 
  
   *18日に、いくつかの写真を追加しました。

 
 
    
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立ち入り禁止区域にやっと入れた。防護服の警備員から「どうぞお入りください」の合図。
  
  

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JR双葉駅。JR常磐線はまだここまでは開通していない。駅前広場などは除染されていた。

   
   
 
 
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レールの敷設のためのコンクリート製の枕木がずらーっと、プラットホームに並べられていた。高放射線量なので、JRの下請け業者が作業員を集められないのだとか。
 
   
  

 
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駅前商店街は完全なゴーストタウン。一階が地震で破損しているところが多いので、住むつもりなら、高濃度放射能汚染と地震とのダブルパンチなので、軒並み建て替えが必要なことは言うまでもない。 

 
 
 
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典型的な一例。目の錯覚かと思わせる震災で一階が傾いたままの本屋さん 

  

 
 
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つぶれた家屋の門になぜか「福助足袋」の石像
   
  
  
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ゆきわりそう:忍耐 の町の紋章のマンホールのふた。原発事故で避難させられて忍耐を強いられている双葉住民にとっては強烈な皮肉。
  
   
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幹線道路を時たま通るのは、おそらく原発付近の中間貯蔵施設に向かっている放射能汚染廃棄物が入った1立(リューベ)のフレコンバックを積んだトラックのみ。
  

  
  
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「福島県双葉高等学校」の校庭。 雑草が立ち枯れしている。線量計は毎時0.279マイクロシーベルトという低い値を示していたので。一度は除染したものと思われる。

    
 
 スライド1
   
真に驚いたことに、福島県双葉高等学校の敷地内には、双葉町による原子力災害集合場所として「ひなんばしょ」の標識が建てられていた。原発建設時から、町民は原子炉災害を覚悟していたのだろうか? 原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?

    
  
  
   
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上記と同じく、さる道端の小さなプレハブ集会所には、原子力災害時の「ひなんばしょ」なる標識が張られていた。原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?
   
こういうパネルは福島第一原発から10キロ圏外では見かけた記憶がない。
   
   
 
   
 
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村社八幡神社。これも目の錯覚かとおもわせる、傾いて今にも崩れそうな本殿。ふしぎなことに屋根瓦は一枚も損傷していない。
   
ここでは紹介しないが、室内に神具と思われる「小太鼓」が安置されているが、床は生活用品やガラスの破片が飛び散って荒れ放題である。右の開いたドアから入った野生動物による足跡がいっぱいで、彼らによる狼藉と思われる。
  
  
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上記神社の、向かって手前の左右2体の石像はサルなのか狛犬なのか顔面にびっしりと苔が生えていて、正体が不明。この右の像の苔は原発事故当時相当な高線量被ばくをしたと思う。まだその放射能は残っているはずである。数百万ベクレル/kg乾物重 はあるのではないだろうか? 
     
小生にはこの像が広島の原爆被害者の全身被ばくケロイドに見えた。
現在の空間線量は毎時5.9マイクロシーベルト。 


 
   
  
 
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民家のガラス戸。左のガラス戸の下部が割れている。ここからネズミ、ハクビシン、イノシシなどの野生動物が入ったためだろうか、室内は見るも無残な荒れ具合である。
     
全ガラス戸の下部にはイノシシが鼻をくっつけたと思われる刷り跡が認められる。部屋の中は差し支えるので紹介しない。

 

  
 
  
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イノシシには2日間で3回遭遇した。あまり車を警戒しないようである。車を止めて、このイノシシが道端の雨水で湿った高濃度放射能汚染ヘドロを掘り繰り返して、ミミズなどを土と一緒に摂取している様子を初めて身近に数分間観察できたので、これではイノシシの筋肉や糞がいつまでも高濃度汚染しているのも納得! しかし今回はサルには遭遇しなかった。
       
柿、クリ、キウイ、アケビなどが熟していたが、落下したクリは全部きれいに食べられていた。サルのせいかもしれない。柿を食べて下痢をしたような水便が道路に認められた、イノシシかな?
     
  
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イノシシはこのように道端の湿った部分が大好きで、そこの生き物を土と一緒に食べている。
  
  
 
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双葉町の元の水田地帯には、見渡す限り現在2.5メートル高のセイタカアワダチソウがびっしりと繁茂している。ヤナギやチカラシバも群落としてみられる。
    
これらは除染される1年前の浪江町の水田の姿と同じである。

   
 
 
   
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高濃度放射線地帯でなぜか竹が一斉に立ち枯れしている場所があった。竹は根でつながっているクローン植物なので、放射能が均一にいきわたって循環しているから、6年目の時点で致死線量に達して一斉に枯死したのかもしれない。まさに予期せぬ根絶やしか。
   
   
 

 
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道路沿いには前田建設(除染業者か?)による放射線量の危険度の表示の旗が建てられている。
    
表示によると、青(1以下) 緑(1-2) 黄(2-5.5) 赤(毎時5.51マイクロシーベルト以上)
 
  
この赤い旗の標識がある場所は毎時10マイクロシーベルトであった。 
  

 
  
  
 
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あらゆる道端の茂みにかなりの数の出産前のおなかの大きいのジョロウグモが繁殖していた。ジョロウグモは放射線に強いのかもしれない。 
     

 
  
 
  
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異常な成育を示すもみの木の幼植物が多数見られた。ここの空間線量は毎時12.83マイクロシーベルトであった。もみの下の木の直下の土壌は毎時35マイクロシーベルト。 
     
この実生からの植物は4-5年令と思われる。横に伸びてはいるが、主茎の生長点がやられており、縦には伸び悩んで高さが35センチしかない。 
    
      
   
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サトイモの奇形。葉の形がゆがんでいじけており、いくつかの若い葉の葉脈の間が白化している。
       
湿地に生えているので、周りの道路と山の斜面から流れ込んでくる放射能汚染水で、落ち葉などの有機物が放射能をため込んでおり、それをこのサトイモが根から吸収して、内部被ばくが大であるために、高い外部被ばくとあわせて放射線障害が起こっているものと推察される。

      
  
          
     
 
 
キイロスズメバチの巣jpeg 
 
農家の厩舎の堆肥場の屋根裏にキイロスズメバチの巣と思われるものを見つけた。ハチがその周りをぶんぶん回っているので、余り近寄れなかったので、これは遠くからの拡大写真である。2日間で民家の軒先に全部で数個見つけた。
      
ツバメの巣と同じく、過去の各年度の巣がたくさん回収できれば、なにか法則性が得られるかもしれない。今でもスズメバチ自体や巣自体は放射能汚染が高いものがある。スズメバチは肉食で食物連鎖の上位に位するからなのかもしれない。
         
原発事故年度前には、行政が「ハチに刺されないように」という警告の看板を各所に掲示板を出していて(それが今でも各所に残っており)、民家の軒先では蜂の巣を住民が撤去したり、破壊した巣跡が散見された。
      

ちなみにこの厩舎の放射線量は毎時16.55マイクロシーベルトと驚くべき高さであった。スズメバチは放射線に強いのかもしれない。  
  
            
  
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道路わきの土壌のホットスポットを見つけた。土壌表層が毎時108マイクロシーベルト!  
  
       
    
 
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上の写真の土壌の場所の1メートル高の空間線量は毎時23.6マイクロシーベルト!
      

これは小生らが今までが経験した2番目に高い放射線量値である。最高値は浪江町の小丸地区で100マイクロシーベルトの空間線量のホットスポットを経験している。双葉町でも林内に立ち入ってきちんと詳細に調査すれば、空間線量100マイクロシーベルト以上の地区があるかもしれない。
      
 
 

 
(森敏)
追記:このハチの巣を採取して実験室に持ち帰って測定すると1000cpm以上あったとのことである(ハチの専門家である茨城キリスト教大学・桑原隆明博士による)。今でもこんな想像を絶する高濃度とは!ここのキイロスズメバチによるセシウムの濃縮機構とは?
2017-10-12 05:23 | カテゴリ:未分類

        この映画は新聞やネットでの宣伝では中身がよくつかめなかったのだが、観てよかったと思う。

    

1960年代の第一次安保闘争世代では、フィデル・カストロとともにキューバ革命を成功させたチェゲ・バラは今でも圧倒的に人気があるのではないだろうか。彼はボリビアでの革命運動でのゲリラ作戦の最中にとらえられて射殺されたが、その時のグループの中にボリビア出身の日系人(ゲリラ名エルネスト)がいて、同じくとらえられて射殺された。そういうことはこの映画を見るまで小生は全く知らなかった。

      

現在キューバのゲバラの霊廟にゲバラとほかの同志とともに壁面に彼のパネルが張られていることが映画の最後に紹介されていた。

      

主役俳優のオダギリジョーの抑えた演技が光っている。以前の藤田嗣治画伯の映画では、彼の演技はあまり感心しなかったが、今回は実にいい。ネット情報ではこの映画の演技のために彼は体重を15kg近くも減らしたとのことである。なかなかできる芸当ではない。相当の入れ込み方だったのだろう。実に演技が自然体で、スペイン語も流暢で、すばらしかった。

       

カストロとゲバラの決起したキューバ革命の事をあまり知らない人がこの映画を見ると、これはキューバ革命賛歌と単純にとらえたがるかもしれない。だが、全くそうではなく、主人公はキューバ革命後に青雲の志を抱いて、ボリビアからの奨学生として、キューバの医科大学に留学していた。だが、その最中に母国ボリビアが暴虐の政権に見舞われて、医学の道を捨てて、もともと医師であったエルネスト・ゲバラの影響を受けて、自分も祖国ボリビアの革命運動に身を投じて、1967年9月に25歳でゲバラとともに革命運動に殉じた短い期間だが若き日系青年の生長物語である。

          

先日ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロも5歳の時に父親とともにイギリスに渡って帰化した日系で、先進国イギリスで若いときは昨年ノーベル文学賞をもらったボブデイランなどの音楽にかぶれてミュージシャンになろうかなどと、非常に揺れていたようだが、一方で、ボリビアという最貧国で鹿児島から父親が移民として渡ってきた若き日系二世実名「フレデイ・前村」は、未完の大器だったのかもしれない。この映画で名が後世に知れて本当に良かったと思う。

        

2時間弱の長丁場だったが、足の痙攣をさすりながら抑えつつ鑑賞した。
    
  映画が映わっても、みんな無口であった。席を立たずにハンカチで涙をぬぐっていたご婦人も何人かいた。
   
  なぜか、医学の道を目指して日本に中国から留学して小説家に転じた「魯迅」のことなども思い出した。  
   
     
(森敏)

2017-09-28 06:35 | カテゴリ:未分類

 (語る。人生の贈り物)浅田次郎:7 あの一冊、逃していまだに後悔
2017926日 0500分 朝日新聞

■作家・浅田次郎

 やっぱり大学に行けば良かったと思う。知識って、自己流だと体系づけられてないから、回り道なんだよ。ちゃんとした先生について4年間やっていたら違ってただろうなと、すごく思うね。

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(森敏)
付記:作家の浅田次郎が珍しく人生を後悔している。一連の連載の回顧録の前後を小生流に勝手に解釈すると以下のごとくかと思われる。

  浅田氏は高校卒業後、大学に行かずに、自衛隊に入って訓練を受けたのはよかったのだが、また、そういう肉体労働が実にマニアックな自分には向いていたのだが、自衛隊はあまりに居心地が良すぎて、のめりこみそうになったので、これではいかんと、自分から一念発起して、自衛隊をやめて、アパレル業界に入りながら、小説を書き始めた。そうしたら、自分には一般教養が大いに貧困なことに気が付いて、やはり若いときは大学に行って、専門分野をきちんと大先生について勉強して「学問というものが体系的にできていることにもっと早く気が付いていたら、その後の文筆家として回り道をしなくてもよかったのに、と言っている。
    
  しかし、私見では、浅田氏は大学に行かなかったからこそ、彼自身による我流の体系的な方法論を編み出して、流行作家として成長していったのではないのだろうか?
           
  実は、先日NHK で『あの人に会いたい』 物理学者 湯川秀樹 1907-1981 
という番組があった。
    
  その中で、若くして中間子論を発表してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は、京都大学物理学科に在学中の、自分の勉強の仕方は 
『どちらかといえば 独学流であって、さらにいえば我流です。我流的な傾向が非常に強いと思います。』
と述べている。
  
  真に個性的でポテンシャルの高い人は、我流で独自の方法論を編み出してこそ、何人もかなわない「独創」を行うのである。なまじ大学でその道の学問の大御所の体系的指導を受けると、えてして強烈な個性をつぶされかねないので、実は要注意なのだ。
            
湯川秀樹jpeg 
晩年の湯川秀樹博士へのNHKインタビュー

2017-09-22 06:39 | カテゴリ:未分類

  仙台(東北大学青葉山新キャンパス)での日本土壌肥料学会の合間をぬって、風光明媚な観光地「松島」を約10年ぶりに訪れた。遅まきながら、震災の後の復興状況を一目見ておきたかったからである。

 

  東日本大震災「復興地蔵堂」 というのが遠慮がちに、4メートル四方の仮の台座に建てられていた。その中には京都の佛師富田睦海師による地蔵菩薩(瑞巌寺起雲軒老大師により悲母地蔵と命名)が安置されていた。(図、1,2,3)
  

 スライド1
(図1)復興地蔵堂への案内 
     
 
スライド2 
(図2)復興地蔵堂
       
 
 スライド3
(図3)復興地蔵堂の中の新創作「悲母地蔵」
     

  まずもって、てっきり「透かし橋」で海岸からすぐつながっている孤島の上の『五大堂』は津波をかぶっていただろうと思ったら、まったく健全だった(図4)。この島の高さは海水面から3.5メートルばかりと思われた。茨城県の海岸際の岡倉天心の建てた有名な六角堂は東日本震災の大津波で消失したと報じられたので、ここの岸辺の絶壁の「五大堂」もあわやと思っていたのだが。。。これは実に意外だった。
 
 

 スライド4
(図4)津波が上昇せず健全だった「五大堂」 
         
   

  そこでつらつら思うに、そこから海を遠望すると松島海岸は沖合のあちこちに島が美しく点在しており、きっとこれらの島々が津波を複雑に ”干渉”して打ち消し合って、あたかも強い緩衝能の防波堤の役割を演じたのだろうと勝手に解釈して納得した(図5)。見えない海底にも小高い山が障壁としてきっと林立しているのだろう。(後に、以下に示すようにネットで調べると、宮城県では、女川漁港では14.8メートルという最高の津波に襲われたがここ松島町では2.9メートルで済んだということである。(図6)
   
松島沖 
(図5)五大堂から松島沖合を望むと数々の小さな島がある。観光船のフェリーボートがが絶え間なく行き来している。
            
 
津波の高さjpeg 

(図6) 図録 東日本大震災で確認された津波の高さ  より転載. 松島町は最下位であることがわかる。 
            
  

  沿岸では、まだあちこち堤防の修復などが行われていたが、その高さが、海水面から3メートルもないのにはいささか驚いた。上図に示すように、東日本大震災の経験から、将来もここ松島海岸では高さが3メートル以上の津波は来ないと考えているのかもしれない。
      
  高さ2メートルばかりの「震災記念碑」は、堤防工事の邪魔になるからなのか、道路わきの実に目立たない片隅に佇(たたず)んでいた(図7)。この謙虚すぎる展示の仕方のせいか、通行人の観光客のほとんどは気が付いても何気なくさっさと通り過ぎていくようであった。

            
   
スライド5 
(図7)東日本大震災慰霊記念碑 から  海岸沖を遠望する。堤防は工事中
            
   

  昔、文科省のプロジェクトの研究会で参加した海際の「松島センチュリーホテル」は、ホテルマンによると、「津波で一階が全面浸水して、名画が全部台無しになった」、けれども、地震でホテルが倒壊することはなかったようで、亀裂などは、外壁が塗りなおされていて、どこまで津波で浸水したかの跡かたがなかった。二階ロビーの壁面の日本画家の「片岡球子(かたおかたまこ)」さんの名画は健在だった。飛び入りだったが、誰もいないここのロビーで450円の飲み放題のコーヒーなどをいただいて、広大な全面ガラス越しに、美しい海をしばらく堪能した。
                
  「津波が来たら高台へ避難せよ」という意味の絵のパネルが道路の電柱の高い位置に掲げられていた。これは、来るべき関東・中部・南海大震災に備えて、これらの沿岸域の低地の、あらゆるところに今すぐにでも掲げられるべきパネルだと思われた(図8)。
    
スライド6

(図8) 「津波が来たら高台へ避難せよ」 の表示パネル

       
   
  以上、急ぎ足の感想です。  
    
(森敏)
付記: 伊達正宗が再建(1609年とか)の瑞巌寺は裏山の登り口にあり、海抜10メートルぐらいか? さすがに過去の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年)などの幾多の津波を経験した結果の位置決めと推察した。
        
追記: 昨日の報道では、きたるべき「巨大地震の3日前からの予知などできない」という最終的な結論が出たようだ。延々50年間以上にわたって予知連にむらがる地震学研究者たちは、「地震予知はできる」と「ホラ」を吹きつづけて巨額の研究費を消費してきたことになる。
            
これは「原子力の平和利用」で50年間以上にわたってを国民を欺いてきた結果、東電福島第一原発事故(メルトダウン)を起こした「原発マフィア」とあまり変わらない科学技術者の精神構造だ。(20170926 記)

   
2017-09-09 10:30 | カテゴリ:未分類
  

浪江町の空間線量9.5マイクロシーベルトという高放射能汚染地域で、墜落して間もないと思われるシジュウガラの死体を発見した。その、内臓を取り出して、遺体全身と内臓を乾燥させて、それぞれのオートラジオグラフに撮像し、放射能も測定した。
   
   これでツバメ、ヒヨドリ、シジュウガラと、いずれも小鳥は放射能汚染しており、内臓も被ばくもしていることが分かった。
    

        2017/01/10 : ヒヨドリの内部被曝

        2016/03/06 : ツバメの放射能汚染像について

        2015/06/03 : 鳥の放射線被曝について

    シジュウガラの採取と丁寧な解剖は加賀谷雅道カメラマンと桑原隆明博士(茨木キリスト教大学・助教)によるものです。
     
   
スライド1

シジュウガラの全体像(背面) 
 
 
 スライド2
上図の放射線像。左:ネガテイブ像。右:ポジテイブ像
眼球の周り、背筋、などの汚染が強いことがわかる。



 
スライド4
シジュウガラの腹面 (内臓を取り出して圧迫乾燥して、平らにしたもの)
  
 


スライド5
シジュウガラの腹側からのオートラジオグラフ。
羽根の外部被ばくも激しいが、腹部の筋肉や眼球の周りが激しく汚染していることがわかる。

  
  
  
  
  

スライド6

シジュウガラの腹側からのオートラジオグラフ (ネガテイブ画像)
  
  
  



スライド7
シジュウガラの内臓



スライド8
シジュウガラの内臓のオートラジオグラフ (個々の部位の同定はできていない)。

  
       
放射能しじゅうがらjpeg

 シジュウガラの放射能 (ゲルマニウム半導体による検出)。全身よりも内臓の放射性セシウム値が高い。内臓は消化されつつある胃腸の内容物もすこし含まれると思われるが、その寄与率はわからない。
 

 




   

(森敏)
FC2 Management