2016-03-10 14:39 | カテゴリ:未分類
新刊紹介です。

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長泥住民たちが 

もどれない故郷 ながどろ 飯舘村帰還困難区域の記憶」 

という本を出版した。
 

この本の帯には以下のように本の内容が紹介されています。

 

第一部    「写真で見る長泥」は家のアルバムから剥がされた写真と、事故後現地を取材しつづけている写真家の作品をもとに編集。共に生きてきた地域の歴史が浮かび上がってきます。写真点数は約300点、114頁。

第二部    「聞き書きでたどる長泥」は、住民と密接なコミュニケーションを取り続けてきた大学教員・ジャーナリスト・自治体職員らによって実施された聞き取りなどをもとに編集。事故当時の状況、見えない放射線への恐怖、失われたコミュニテイーへの思いなどが、ナマの言葉で語られています。住民同士の結束力の強さ、ふるさとへの深い愛着などが行間から滲み出てきます。読み応えのある240頁。 



この本に関連して 、以下に昨日(3月9日)の朝日新聞(朝刊)の記事を無断転載しました。
 

帰還困難・・・でも

福島県飯舘村長泥地区の農業、鴫原(しぎはら)良友さん(65)は福島市で避難生活を続ける。長泥は放射線量が高く、村唯一の帰還困難区域。それでも3日に一度は帰って家を掃除している.「温かい思い出は全部、長泥にある」

3年前、長泥の田で米を作ってみた。田植えや稲刈りの作業で汗をかくと、生きがいを感じた。「ああ、いいなあって。昔を思い出したよ」

だが、自分でも長泥の米は食べる気がしない。一緒に暮らす孫を思えば、放射線量の高い故郷に戻るのは難しい。それでも悩む。「若者は切り替えが早いけど、俺はダメ。土地はどうすんだとか考えて、メソメソしちまう」

故郷への思いは、断ち切れそうにない。
   
(森敏)
追記1:この本の編集に係わられた写真家の関根学氏から以下のような書評をご紹介いただきました。

http://www.sankei.com/premium/news/160310/prm1603100007-n1.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160311-00000004-asahik-soci #Yahooニュース

追記2:(2016年4月20日 記)
以下読後感です。
1ヶ月後やっとこの本を読み終えた。時々寝るときに読んだら、語り口が方言で、それが忠実に反映されて書かれているので、キビに富んでいて面白いのですが、なかなか読みづらく、睡眠を誘うので先に進みませんでしたが、やっと読み終えました。

山村「長泥」の歴史が非常によくわかりました。調査で土地勘があるので出てくる地名がわかりやすかったです。

津波と原発事故当時の住民たちのカオスの状況が非常によくわかりました。

事故当時現地入りした山下とかタカムラ(タカヤマ)とか、飯舘村の住民が1か月以上の長期滞在を許すことになった「安全宣言」を吹聴して回った教授たちが、今でものうのうと大学に在籍して、社会的に発言をしているのは実に犯罪的で解せません。

写真集を含めて住民にとっては素晴らしい記録本とあらためて思いました。

 

 

2015-12-01 15:02 | カテゴリ:未分類

 一昨日(11月29日)上野都美術館講堂で

「コウノトリ保全フォーラム 野生復帰10年、そして新たな旅立ち ~全国へ そして世界へ~」

という集まりがあるという連絡がネットから飛び込んできたので、参加した。

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図1.豊岡での放鳥式:秋篠宮夫妻と(故)河合隼雄文化庁長官

       

10年前2005年9月24日に豊岡の「コウノトリ郷」の野外ケージで飼育馴化されたコウノトリの内の5羽が日本で初めて放鳥された。そのときの放鳥セレモニーに、小生は東京から女房と一緒に鉄道でのこのこと出かけて、3500人の住民と一緒に放鳥の瞬間に立ち会ったことがある。放鳥セレモニーは秋篠宮ご夫妻の立ち会いのもとに行われた。最初の一羽が地表すれすれにゆっくり飛び出し、よたよたと付近の様子を見ながら次第に円を描いて舞い上がる姿はなかなか感動的であった。

    

芦屋市精道中学校の恩師である広井大先生が郷里の出石(いずし)に隠居して住んでおられるので、われわれの豊岡行きはその訪問を兼ねていた。広井先生はこの放鳥行事の数年前まで母校である豊岡高校の校長や市の教育委員会の委員長をされており、このコウノトリの郷の事業の立ち上げに佐竹節夫さん(現NPOコウノトリ湿地ネット代表)と一緒に参加されたと聞いている。そういうこともあって、以前に一度ここを広井先生の紹介で訪れたときには「コウノトリの孵化の苦労や、野外ケージ飼いの細かな苦労話」などを、飼育作業員から直接聞いていたからでもある。

     

今回のこの「コウノトリ保全フォーラム」への参加は、その放鳥後の、様々な関係者のご苦労を間接的に小耳に挟んではいたのだが、今回まとめて聞く機会でもあるので、非常に興味があった。

    

午前10時30分から午後17時過ぎまで、みっちりと、実にまじめに講演が行われた。参加者は250人ばかりで途中退場者はほとんどいなかったと思う。それほど魅力的な濃密な講演会であった。多分参加者の半分以上が動物園や鳥類学会の関係者だったのだろう。

     

日本におけるコウノトリの再生保全の試みは、1971年日本でコウノトリが絶滅に至る前に捕獲したコウノトリの懸命の人工孵化の試みの失敗の連続があったのだが、1988年多摩動物公園での輸入ペアによる人工繁殖の成功を皮切りに、豊岡のコウノトリ郷の放鳥に至るまで、多くの技術的苦難の歴史がある。その放鳥後も、さらにヒトとコウノトリの共生の試みが必要となり、様々な先進的な問題を提起し続けている。例えば新しい環境経済事業(利益を追求する事業により環境が改善される事業)を生み出し、小中学校の環境教育、種の保存など遺伝子レベルの学問も多岐に発展している。コウノトリ郷公園内には兵庫県立大学大学院地域資源マネージメント研究科が2014年4月に開設され、2016年4月から「但馬で、博士になれます」という大学院生の募集を行っている。

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図2.コウノトリのメタ個体群構造の将来像

    

現在福井県越前市、千葉県野田市、韓国の忠南道礼山郡などで放鳥に成功している。豊岡で放鳥されたコウノトリはすでに全国41府県280市町村(若鳥のフローターは青森から奄美大島)にまで飛来している。飼育環境下に96羽、野外に81羽、合計177羽が現存している。韓国のコウノトリが沖永良部島に飛来してGPS通信を絶ったので心配しているとのパク・シリオン国立韓国教員大学校教授の話もあった。逆に豊岡の若鳥が韓国にも飛来し帰還している。

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図3.若鳥の日本全土への放浪例

  

現在の豊岡の環境では80羽が棲息の限界であるようなので、豊岡への定着羽数を増やすためには、耕作放棄田や河川敷を利用したビオトープの再生や、田んぼの冬季湛水、などでコウノトリの食べるドジョウ(なんと一日80匹たべる!)などをさらにふやすこころみが必須である。もちろんもともとコウノトリが絶滅した主因は農薬の使用であるから、減農薬や無農薬の田んぼの生息域を拡大することは必須である。しかし、そのためには農家にもリスクを上回るメリットがなければならない。現在、お米30キログラムの値段(2014年)が通常米で5900円、「コウノトリ育むお米(減農薬)」で7900円、「コウノトリ育むお米(無農薬)」で11000円、と環境に優しいお米は2倍の値段の付加価値が付いて売れている。現に次第に無農薬農法生産者の比率が増えている。さらに今年のミラノ国際万博では大人気の日本館フードコート(7店舗)ではすべての店舗で「コウノトリ育むお米」が全部で24.5トン消費されたとのことである。

    

  野田市ではせっかく放鳥したコウノトリ2羽が野田市やその関東周辺自治体にいまだに定着していないので、それを今後の放鳥に向けてどうするかの苦悩が根本崇市長から述べられた。学際的取り組みが強く求められている。

     

中貝宗治豊岡市長は「豊岡の挑戦」という講演で

「:::::コウノトリ野生復帰事業は、豊岡の自然を舞台に自らの歴史や伝統を見つめ直しながら、コウノトリ保護の上に“自然環境”と“文化環境”の再生・創造を重ね合わせる取り組みであり、豊岡の地に「コウノトリも住める」豊かな風景を創り上げていくことにねらいがあります。その成否は、市民、団体、行政、研究者の共同がどこまでできるかにかかっています。しかし、道半ばです。私たちの挑戦は、これからも続いていきます。」と述べている。実に哲学が感じられるプレゼンテーションであった。地方にはこういう首長がいるということに感動した。
     
(森敏)
追記1:実は昨年だったと思うが、福島県浪江町の内陸部を調査しているときに、普段から放射能の影響で鳥類がほとんど観察されないのに、とつぜん北から南に向かって頭上100メートルくらいの高さで、大型の切羽が黒い鳥が1匹悠々と飛んでいくのを呆然と見つめていた。一瞬「コウノトリか?」 と思ったのだが、「まさか豊岡のコウノトリが福島に?」 と一瞬思ってそのままになっていた。上に示した図3には若鳥のフローターが1羽青森から福島沿岸部を南下したことが記されている。あれはきっとコウノトリだったんだ!
 
追記2:佐竹節夫さんの「ハチゴロウの残したもの」という感動的な講演記録が以下に掲載されている。
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/announce/tp_20110528_satake.php
    
追記3:実に情けない以下のような残酷なニュースが1年半後に載った

ハンター誤射、コウノトリ死ぬ 4月にひなが誕生したばかり 害鳥のサギと間違われ

 島根県雲南市教育委員会は19日、コウノトリ(国の特別天然記念物)の雌の親鳥がハンターの誤射で死んだと発表した。4月にひなが誕生したばかりだった。

 市教委などによると、害鳥の駆除活動をしていた地元猟友会のメンバーが、同日午前、サギと間違って撃ったという。

 兵庫県立コウノトリの郷公園(同県豊岡市)によると、雌は5歳で、豊岡市で生まれた。つがいの雄は福井県越前市で放鳥されていた。今年3月には雲南市教委などが雲南市大東町の田園地帯にある電柱で巣や産卵を確認。4月に少なくとも1羽が誕生していた。

 野生のコウノトリが昭和46年に国内で姿を消して以来、野外での孵化(ふか)は豊岡市周辺などを除くと、徳島県鳴門市に続き2例目だった。

 コウノトリの郷公園の山岸哲園長は「非常に残念に思います。巣立つのを心待ちにしていた地域の皆さまの心中を察します。残されたひなが無事成長することを願ってやみません」とのコメントを出した。

(産経新聞2017年5月20日)

 

 

 

 

 

 

 

2015-11-09 07:54 | カテゴリ:未分類

住民が帰還するに備えてあちこちで米の試験栽培が行われていることが報じられている。収穫のにぎやかなお祭り騒ぎの風景がいつも報じられているが、肝腎の放射能の測定結果がいつも報じられていないのではないだろうか? 現地の方、ご存知でしたら教えてください。単に規制値の100ベクレル以下であったというのではなく、何ベクレルあったのかが科学的には重要だ、ということを小生は口を酸っぱくして主張しているのだが。試験栽培だから細かい内容は公開する必要がないということなのだろうか?
     
 
「販売」目指し稲刈り 浪江・居住制限区域で「試験栽培」

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 東京電力福島第1原発事故に伴い、全町避難が続く浪江町の居住制限区域にある酒田地区で13日、「試験栽培」したコメの稲刈りが行われ、地元農家のほか、町や国の関係者らが黄金色に実った稲を刈り取った。

 同地区では昨年、4年ぶりにコメの試験栽培を実施したが、今年は全袋検査して販売するための「実証栽培」と、請戸川の河川水を利用した栽培で安全性などを確かめる「試験栽培」を行った。

 同地区は作付再開準備区域となっており、全量全袋検査を実施し、収穫したコメが食品の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回れば出荷や試食が可能になる。今後の検査結果などを踏まえ、震災後初めての販売を目指す。

 稲刈りには馬場有町長など約30人が参加。参加者は鎌や機械を使って収穫作業に取り組んだ。コメを育てた同町の松本清人さんは「きちんと検査して、消費者に納得してもらうレベルになるかどうかが重要だ」と話した。(福島民友)

 

販売用コメ収穫 原発事故後初農業再生へ期待 浪江の酒田地区

 東京電力福島第一原発事故で居住制限区域となっている浪江町酒田地区で13日、原発事故後初めてとなる販売用のコメの収穫が行われた。
 酒田農事復興組合の松本清人さん(76)のほ場に馬場有町長らが訪れ、松本さんと共に稲刈りをした。馬場町長は黄金色に実った稲を見詰め、「農業の再生が町民帰還に向けての弾みになる」と言葉に力を込めた。
 収穫したコメは放射性物質検査で安全性を確認し、JAふたばを通じて政府備蓄米などとして出荷する
 同地区では平成26年に原発事故後初の稲刈りが行われ、収穫したコメの放射性セシウムは全て食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回った。

2015/10/14 09:59 カテゴリー:福島民
  
   
付記:最近の福島民報、福島民友の両紙は、ともに原発や放射能汚染に関してして、「臭いものにふた」、「知らしむべからず」の報道姿勢になってきていると思う。原発事故で記者たちは科学的にも鍛えられたはずだから、科学的な追及が甘いはずがないので、編集部(デスク)が「科学的にぼやけた記事」にしてしまっているのだろう。記事全体が迫力がなく、つまらなくなってきた。だから現地をこの目で見なければ本当のことはわからないのだ

2015-11-06 10:06 | カテゴリ:未分類
 

以下のような不祥事があると、福島県産の多くの農作物が放射能をノーチェックで、市場に流れて、人々の口に入っていると思われることだろう。ダイズやアズキなどのマメ科の作物は、セシウムが種子に移行しやすいと言われています。現状ではその原因がまだ十分に解明されているとは言い難い。だから、お米の全袋検査以上にマメ類は厳密な放射能をチェックする管理体制が必要です。付記でマメ科の子実のセシウム汚染に関してコメントしておきました。

      
          
  

検査前のアズキ販売 福島県「食べても問題はない」

20151031 0908分 (福島民友)
 県は30日、棚倉町にあるJA東西しらかわの農産物直売所「みりょく満点物語棚倉店」で、出荷の可否を判断するための放射性物質検査が行われる前のアズキ計21袋(1袋300グラム)が販売され、流通したと発表した。検査前のアズキが市場に流通したのは初めて。県が自主回収を始めた。売れ残っていた袋は全て放射性セシウムが不検出だったことから、県は「食べても問題はない」としている。

 県によると、同町の旧棚倉町、近津村、高野村の3地区の農家3戸が9月26日から今月30日にかけてアズキ31袋を出荷、このうちの21袋が販売された。

 アズキは、旧市町村単位で県が毎年行う抽出調査で安全性が確認されたものだけが販売可能となるが、同直売所の職員は、店舗で自主検査をして問題がなければ出荷できると誤解していたという。

 県は関係者に周知するとともに「再発防止に努める」としている。自主回収に関する問い合わせは同直売所(電話0247・33・1212)へ。
   
   
(森敏)
付記:先日(2015年9月9日)の京都大学での「第61回 日本土壌肥料学会大会」での発表では、放射性セシウムによるダイズの子実の汚染に関して5題の報告がありました。それらを簡単に要約すると、

      

1.         ダイズ栽培期間中に硫安で窒素追肥すると確実に子実の放射性セシウム含量が増加する。おそらく粘土鉱物にイオン吸着していた放射性セシウムイオンがアンモニウムイオンと交換して遊離して吸収されやすくなったものと思われます。
       

2.          低いカリウム土壌では子実や植物体のセシウム含量が増加した。土壌の交換性カリが30mg/100g土壌以上で子実のカリ含量が急激に低下した。これは、過去のWINEPブログでもしつこく解説してきたのですが、セシウムイオンとカリウムイオンが根で吸収されるときに、根の細胞膜輸送体で拮抗するため、カリウム施肥によって放射性セシウムの総吸収量が抑えられるためです。

               

3.カリウムの保持力の低い老朽化畑では基肥でカリウムを施用しても雨で流亡するのでダイズの子実のセシウム含量が高くなる。
    

4.         ダイズの地上部のK濃度が高まると登熟期のセシウム濃度が低下した。
        

5.         日本のダイズの栽培品種コアコレクション96品種を栽培したところ、子実中のセシウム含量は最大と最小の間で4.5倍あった。
              
以上の研究結果はおおむねイネでも解明されていることです。ダイズではきちんとこれまで確かめた人がいなかっただけでしょう。低セシウム品種を使い、養分保持力の高い土壌にして、高カリウム施用をし、アンモニア追肥をしない、という農法が奨励されるべきです。アズキも同じことです。 
           
(森敏)
    

2015-09-19 18:59 | カテゴリ:未分類

     昨日の新聞に大きく「NORIN TEN」の映画の広告が載った。東京での有楽町の「スバル座」での封切り上映のあとに出演俳優が舞台で挨拶するというので、朝から出かけた。別に特別な理由があるわけではないが、最近小生は少し映画づいている。

   

「NORIN TEN」に関しては、北陸地方でまず上映されたので、小生はまだこの映画を見ていなかったのだが、すでにこのWINEPブログでも、このコムギ倒伏耐性品種「農林10号」の育成者の稲塚権次郎に関しては詳しく紹介しておいた。「農林10号」はノーベル平和賞に輝いたボーローグ博士のコムギの多収性品種創製の母本として使われたものである。

NORIN TEN 稲塚権次郎物語」(主演 仲代達矢、監督 稲塚秀孝) (くりっくどうぞ!)

 

「育種」という新品種育成に何十年もかかる地味な実学分野で、幸いにもヒット作を打ち出せた人物がどのように描かれているか興味があった。ほとんどの育種学者は生きている間に彼が開発した品種が日の目を見ないで世を去る運命にあるので。

  

一番知りたかったのは、この半矮性のコムギ(フルツ達磨とターキーレッドの掛け合わせ)を圃場で見出したときの感動の場面であったのだが、それは残念ながら描かれていなかった。描かれなかったのはその場面を稲塚権次郎氏が書き残したり、周りに語ったりしていなかったからなのかも知れない。あるいは収穫後の収量調査などの解析結果が出なければ、卓越した差が圃場での観察のみではすぐにはわからなかったのかも知れない。

 
      じじつ中央政府によってつけられた系統番号が「農林1号」ではなく「農林10号」であったということは、全国の他の指定試験地でも相応の成果を示す品種が相次いで出ていたせいかと思われる。しかし、病害虫耐性、倒伏耐性、低温耐性、高収量性などの総合評価の卓越した結果が農水省中央での検討会議で発表されたときの育種家としての喜びは大変なものであったと想像できる。そこの所の喜びの表現があまり映画では印象に残っていない。彼が最初に手がけた大曲(おおまがり)試験地でのイネの「農林1号」の開発に成功したときの喜びは、政府から電話連絡を受けて、喜んで飛び上がる演技が印象にはあるが。

 

それにしても、この映画で出てくる四季折々の富山の田園風景はすばらしい。とくに航空写真がすばらしい。

 

映画は青年~壮年期の権次郎を演じた松崎謙二(映画のあとのカーテンコールでは仲代達矢の弟子だと自己紹介していた)が健闘していた。仲代達矢が危惧しているように、仲代よりも演技が上手かったと思う。松崎自身が実際に稲や小麦の花粉交配の実技を自分でやったのだそうである。この交配の子細な場面は非常に教育的でよかったと思う。

 

最後に仲代達矢の挨拶があった。「昨日、安保法案が国会を通りました。この映画を与党の人にも野党の人にもぜひ見ていただきたいと思います」

 

この映画は是非カンヌ映画祭などに打って出てもらいたいと思う。1人の日本人農業技術者が「緑の革命」に貢献したという世界に通用する話題であり、世界に誇れる日本の伝統文化と自然を映し出しているからである。

 

ストーリーを追うのに気せわしかったので、機会をつくってもう一度見に行かなければと思う。
     
    農学部学生や農学研究者必見と思う。

     
    
(森敏)

追記1:昔、サッポロビールの工場を見学したときに、そこの育種圃場に案内された。育種家が、圃場で丁寧にビール大麦を一本一本観察しながら、マークし、有望と思われる穂株を切り取っているのが非常に印象的であった。圃場現場では鋭い観察眼(直観)が必須なのである。
 
追記2:そもそもどういうルートでボーローグ博士がこの農林10号の種子を手に入れたのかが小生には疑問だったのだが、この映画で納得した。太平洋戦争で日本が敗戦後、アメリカ軍は科学技術将校を日本に派遣して日本の知的資源を収奪して回った。当時京都大学の育種学教室の木原均教授(のちに小麦の起源であるタルホ小麦を発見した)を訪れて、日本の小麦の優良品種を紹介されて、NORINTENを東北農試から持ち帰った、それがボーローグ博士にわたった、ということであった。
(木原教授はのちにカラコルム・ヒンズークシ探検隊を組織し小麦の起源である「タルホ小麦」を発見した、という映画を小生が中学生の時に見た記憶がある)
 
追記3: 仲代達矢氏は11月3日に今年の文化勲章を授賞した。しかし、芝居の公演日とぶつかって授賞式には参加できなかった、とのことである。芝居日を授賞式にぶつけたのだろう。これまでも文化勲章の授賞式に参加しないヒトが時々いるが、参加しない理由は意味深長である。

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