2015-06-20 12:24 | カテゴリ:未分類

居住制限区域の営農許可 帰還困難区域条件付きで事業所設置

 政府の原子力災害現地対策本部は19日、東京電力福島第一原発事故に伴い設定された居住制限区域で本格出荷に向けた営農活動の実施を同日付で認めた。帰還困難区域で、社会基盤の復旧などに関わる事業所の再開・新設を可能とした。いずれも屋外の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト(年間積算線量20ミリシーベルト)を大きく超えない範囲であることが条件。
 同本部は、避難区域の放射線量が自然減衰や除染などにより徐々に低下していることを踏まえ、被災市町村と協議して決定した。農業者と事業者は、農地や事業所付近の線量や事業内容を市町村に申請し、同本部と市町村長の許可を得る。
 これまで居住制限区域(年間積算線量20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)では原則的に営農はできず、コメの実証・試験栽培が一部地域で例外的に認められてきた。
 今後はコメや野菜などを栽培し、放射性物質検査で食品衛生法の基準値を下回れば出荷できる。県によると、居住制限区域の農地は3千ヘクタールを超える。
 一方、帰還困難区域(年間積算線量50ミリシーベルト超)では、政府と市町村の協議で必要性が認められれば事業所を設置できる。対象は社会基盤の復旧業務や廃棄物処理、ガソリンスタンドなどを想定している。

2015/06/20 09:29 カテゴリー:福島民報

  この記事を読んで、恐怖を覚えない生物学研究者はいないと思う。毎時3.8マイクロシーベルトという放射線濃度は、ガンマ線線量計は連続音で鳴り続ける。付近の物にガイガーカウンターを近づければ高いところでは毎分1万カウント以上を示す恐怖の連続音で鳴り続けるだろう。東電福島第一原発暴発事故以来4年経過して、今では放射線や放射能に理解を十分に高めた現地農民からしても、驚くべき決定と受け止めれられているのではないだろうか。いくら除染した水田でも一日8時間野外勤務していればも優に30マイクロシーベルト前後は被曝するだろう。農家の意欲は理解できないわけではないが、本当にこんなところでも栽培したいのだろうか?生産されたお米がたとえ基準値以下であっても、ほかのお米と一緒に「福島産」のお米として流通するという考えは都市の子供たちを育てている消費者を甘く見ていないか?
 
  お米は完全に福島県によるチェックシステムが出来上がっているようだが、今後原発廃炉作業中でのアクシデントで原発からの粉塵被ばくなどで様々な玄米の異常値が各地で出た時に(2003年がそうであったことを忘れてはいけない)、このような場所の異常値をミソもくそも一緒にするような、原因を迷宮入りにする口実にも使われかねないだろう。ましてやこれまでも福島の全野菜の放射能チェックシステムは完全に出来上がっているということを聞いたことがない。福島産の野菜はますます窮地に立たされるだろう。東京のスーパーでは、福島産野菜は、茨木県産、群馬県産、長崎県産、熊本県産、鹿児島県産などとあえて混在させて売るという姑息なことをやっている所が時たまあるので呆れている。

  上記の福島民友新聞の記事の冒頭に出てくる「政府の原子力災害現地対策本部」なる組織の構成員の農業部門には誰が科学者として参画しているのだろうか? 
     
  現安倍内閣の「政治判断は日本国憲法に優先する」という勇猛果敢(?)な精神が「政治判断は科学に優先する」というところに国の末端組織である原子力災害現地対策本部にまで波及し、ますます暴走し始めたと思われる。    
 
  このことに限らず、次第に批判記事を書けない状況に追い込まれつつあるこの地方紙も情けない。
        
(森敏)
追記:以下、転載です。

20ミリ帰村で累積被曝は数シーベルトに

     2015618日 飯舘村/福島再生支援東海ネットワーク 事務局

 

 

  年間1ミリシーベルト上限とする放射線障害防護法の明確な逸脱であること。これ  

は国家そのものが法を破り、憲法に定められた生存権を公然と否定したことを意味している。これをまず確認しておこう。

  20ミリの被曝なら20年間では累積400ミリに達することになる。これ自体がすでに政府みずからの云う「100ミリまで安全」の4倍である。

  2011年の圧倒的な初期外部被曝がこれに加わってくる。例えば飯舘村長泥の2011315日〜410日の実効線量はほぼ毎時10020マイクロシーベルトであり、平均値は毎時51.7マイクロシーベルト。24時間屋外最大値では27日間で累積33,502マイクロ、つまり約34ミリシーベルト。避難完了の630日までなら51.7×24時間×75日=93,060マイクロ、つまり約93ミリシーベルトになる、

  内部被曝こそが特に深刻。政府の弁を信じて露地栽培の野菜を食べて(平均摂取量大人で0.6kg)いた場合、その実効線量は1517ミリシーベルトであり、これを仮に7ミリとしてもやはり75日では525ミリシーベルトにも達する。また吸入被曝約0.45ミリ×75日=33.8ミリを加算すると合計558ミリシーベルト。

 

これで避難前75日間の累積被曝線量は…

 外部93ミリ+内部558=約651ミリシーベルト

 これに県内避難後4年間の被曝量を加えれば、総累積はゆうに

 700ミリを越えることになる。

  なお幼児の場合の甲状腺等価線量では、75日で数千ミリという途方もない被曝量となってくる。甲状腺ガンはこれからも急増していくのは必定である。

 

  以上、詳しくは山田先生の報告書をご覧頂きたいが、とにかく大人で700ミリシーベルト以上、幼児甲状腺で数千ミリシーベルトに近い被曝をさせられてしまった飯館村の住民。この方々に対しさらに20年間で400ミリ以上となる被曝を加えようというのが、今回の「帰村」政策なのである。100ミリ安全論はもちろん間違っており、安全の基準はあくまで法規でいう年1ミリ以下でなくてはならない。その1,000倍以上の被曝を住民に強いようとしているのがこの「帰村」政策なのである。


 

 


2015-03-14 18:37 | カテゴリ:未分類

KANO1931海の向こうの甲子園』という映画を見てきた。小生の母親が台北で生まれ育ったということを知っている知人が紹介してくれたのである。映画のストーリーは 戦前の台湾南部の嘉義農林学校(KANO)の当初全く無名の野球部が近藤平太郎監督の指導の下に甲子園に台湾代表として初出場して中京商業との優勝決定戦までいって残念ながら4対0で敗れたが、これは台湾では有名な高校野球史上素晴らしい歴史的事実である、ということを映画化したものである。当時の台湾は日本の領土であったのだが、日本人、台湾人(漢人)、台湾原住民の混成チームが “KANO” というゼッケンをつけて一丸となって、甲子園出場にまで急成長していった「青春」「友情」「根性」ものでもある。

 

  KANOの野球部の近藤監督を演じる永瀬正敏が熱血漢ぶりを発揮している。彼の振る舞いや目つきなどは、なぜかところどころ高倉健に似ていて、熟慮の末の演技と思った。ピッチャー呉明捷を演じるツアオ・ヨウニンが実にたくましく可憐で初々しい。

 

  小生にとってはこの映画に出てくる八田與一という人物と、彼が設計した台湾南部の大規模灌漑事業「嘉南大圳」(かなんたいしゅう)をこの映画で紹介していることに感銘をうけた。 彼は石川県金沢市の出身、東大土木工学科卒業の技師で「鳥山頭ダム」と周辺の灌漑施設を完成させ嘉南平野を台湾の一大穀倉地帯に変えた人物として日本の土木工学の歴史に名を残している。京都で有名な『琵琶湖疏水』を設計した工部大学校出身の若手技師田邉朔郎と共に小生の頭に刻まれている。

 

この映画は台湾では興行収入10億円の大ヒットしたのだそうである。映画の内容ではあえて一切「反日」の雰囲気を見せていないので、見る人が見ると逆に著しく「親日」に見えるのか、台湾内部には「親日的すぎる」という批判もあるとか。ところがこの監督の前作は1930年の台湾原住民による抗日暴動いわゆる霧社事件を扱った映画「セダックバレ」の監督で大成功を治めたとのことである。だから、映画の思想性に関してはステレオタイプに反日とか親日とか言わずにきちんと意識して仕分けして取り組んでいると思えた。話はそれるが、この時日本軍は暴徒鎮圧のために最初に毒ガスを台湾原住民に対して実験的に使用したといわれている。小生は助手の時に1969-71年に大学闘争に頻繁に使われた「催涙ガス」の研究をしているときにその歴史的事実を初めて知ったのである。

 

知人によれば現在台湾では大陸系の漢人が政治勢力を伸ばしており、好日や親日の印象を与える史跡や、史実を教科書から消去したがる傾向にあるとのことである。上記八田與一の現地の銅像などもいずれ破壊される運命にあるのかもしれない。

 

小生の母は台湾高女の出身でその父は台北中央郵便局長だった。これをステレオタイプに表現すれば、祖父は植民地勢力の先兵であったのだ。その祖父母の写真が小生の幼少時には、高知の自宅では壁に掛けられていたが、繰り返した引っ越しにより今では全く散逸している。年代を計算するとこの映画の舞台である1931年にはすでに母は高卒後すぐに京大生の父と結婚して京都に住んでいたはずなので、今は亡き母の台湾時代とこの「KANO」の映画とは時代が少しずれている。しかし、生まれて一度も母の生まれ故郷の台湾には小生はまだ行ったことが無い。なので、すこしばかりこの映画の中の台湾の風景には「郷愁」を感じた。ここも死ぬ前にいずれは巡礼しなければと思ったことである。これまでは熱帯性の病気が気になって、機会があっても決して東南アジア諸国に行かなかった。わが恩師Prof.Horst Marschner はアフリカのニジェールに教え子の招待で講演にいって、ドイツに帰国してわずか二週間でマラリアで死亡したということが、小生の心のトラウマになっている。おくびょうなのかもしれないが。。。
  
(森敏)
追記:以下のような現今の台湾の政治家の感想もある。

日本統治がもたらした恩恵も記憶を=台湾総統

[台北 25日 ロイター] - 台湾の馬英九総統は25日、日本による台湾統治終了から70年を記念する今年の「光復節」に際して演説し、日本が統治時代に行った悪いことを忘れない一方、良いことを記憶するのも重要と述べた。

総統は、日本の侵略により多くの命が奪われたことも、いわゆる「従軍慰安婦」などの問題が今日も大きな痛みをもたらしていることも事実と指摘。

そのうえで、嘉南大シュウや烏山頭水庫など日本が監督した2つの水利事業を挙げ「日本の統治は台湾に建設事業をもたらした。これにより台湾の農家は恩恵を受けており、それは当然肯定すべきことだ」と述べた。

さらに、今後は双方が「恩と恨みを区別する」態度をもち、議論していくことが必要だと述べた。

 

2015-02-25 16:59 | カテゴリ:未分類

以下に引用する記事は北京大学学長の解任について、その理由についての新聞記事である。多くの全国紙と地方紙は中国共産党発表を丸飲みした共同通信の記事をベタ記事で紹介している。これに対して東京新聞のみが白石徹記者の独自取材を載せている。
 
 
 習近平は 出身大学清華大学人文社会学院マルクス主義理論と思想政治教育専攻卒業、学歴:修士、法学博士。彼は清華大学閥で北京大学閥ではない。また 20032007年浙江省委書記、省人民代表大会常務委員会主任 を務めており、浙江大学の学長人事を握っていたと考えられる。以下の記事を読むための参考まで。
 
   
それにしても政党政治家が大学学長の人事に采配を振るうなんて「なんて時代錯誤なんだろう、日本でいえば明治時代か?」と思いたい。だが、日本も国立大学学長人事がこれからどうなることやら。
     

 
 
北京大学長汚職にからみ解任か 異例の人事(共同)

 

中国共産党中央組織部は15日、北京大の王恩哥学長を任期前に解任する異例の人事を発表した。同大傘下の企業は、胡錦濤前国家主席の元側近が絡む汚職事件に関与した疑惑が浮上。解任理由は明らかにされていないが、王氏もこの企業の活動に加わっていたとされる。
 16日付の北京各紙は学長人事を写真付きの1面トップで報道。疑惑には触れていないが「春節(旧正月)を控えた休校中の突然の発表」などと異例ぶりを強調した。学長任期は4年で、王氏は3月で就任2年だった。
 問題の企業は「北京北大方正グループ」。中国メディアなどによると、北京大と同大幹部が100%出資して1986年に同大の研究成果を産業化する目的で設立。現在はデスクトップ・パソコン分野などで大きなシェアを占めている。

    
     

 

北京大の学長免職  習政権、思想統制を強化 (東京新聞 北京=白石徹)

 

中国共産党の人事を担当する中央組織部は15日、中国一の名門大学・北京大学の王恩哥学長(58)を免職し、後任に林建華氏(59)=浙江大学学長=を充てる人事を発表した。北京紙・新京報(電子版)が伝えた。習近平政権は欧米式の学問の自由や普遍的価値観を教え、マルクス主義理論の指導を重視しない大学教育に不満を強めており、王氏の突然の免職につながったとされる。第26代学長だった王氏の在任期間は2年足らずで、歴代学長では最短という。北京大の学長職は教育省の次官級で、党組織による王氏免職は全国の大学に大きな影響を与え、「思想統制」やマルクス主義教育が図られると見られる。

   習近平総書記(国家主席)は昨年5月、北京大の教授・学生との座談会で、「国家の重責を担う人材を育てる大学教育は、社会主義の核心的な価値観を重視する教育を実践するべきだ」と発言。マルクス主義教育の重要性を訴え、市場主義経済の拝金思想などを厳しく批判していた。

   ある大学教授は「習氏が総書記になって以来、各大学にマルクス主義学院(学部)が相次いで創設されている。今回の学長人事には習氏の意向に沿わない学長を交代させる意図があったのだろう」と指摘した。

   


(森敏) 


2015-01-26 14:44 | カテゴリ:未分類

ジャーナリストの後藤健二氏が「紛争地域の貧しい人に<寄り添いたい>。 何が起こっても責任は私自身にあります」と言って、出かけて、「イスラム国」に拉致され命の危機にさらされている。(現時点ではこの言葉が彼の精神の深層を正しく反映しているかどうかは分からないのだが、「寄り添いたい」と言う言葉の例として取り上げてみた)。心底から救出されることを祈っている。
 

  

様々な過去の公害問題や近年でも地震、津波、原発事故などの避難者に対して、支援に関わる人たちから「被害者に寄り添いたい」という情緒的な言葉がよく使われてきた。

  

実際にいろいろな支援運動に参画してみればすぐに分かることだが、環境の激変により人生を根底から覆された人たちに、個人的にアカの他人が「寄り添うことは」かなりの困難を伴うことである。「寄り添い続けること」はさらに困難である。場合によっては寄り添った人の人生も激変させられることになるだろう。寄り添う本人が泥沼から抜け出られなくなり、迷走することになるばあいも多々ある。
 

  

いわゆる市民運動が最初は同情的な情熱で盛り上がっても、あまり長続きをしなくて、下火になるパターンを描くのは、運動のプロ(組織政党集団)でない限り、「寄り添う」支援者自身の生活が時間的にも資金的にも体力的にも永久には続くはずがないからである。
 

  

多くの有名ジャーナリストや写真家の場合は危険を冒して普通人が近づけない危険地域に入って紛争の実態を暴く、つまり誰も知らない「価値ある希少な情報」(プライオリテイー争いで機先を制する)を何らかの形でマスメデイアに売ることによって経済的基盤が確立しているので、ある意味では寄り添える様に見えるのである。この場合でもバックに政府資金や政党からの隠れた資金があれば安心して「寄り添える」だろう。
 

  

これに対して普通の市民は、よほどの持続する資金的な支援体制がないと、生真面目な人ほど自分自身が体力・時間・資金的にボランテイア活動でへとへとになるのがオチである。
 

   

だから最初から分をわきまえて、自分自身が経済的にも精神的にも体力的にも再生産可能な持続的な支援活動が出来る範囲で「寄り添う」ことが賢明な寄り添い方である。本気で被災者や被害者が「立ち直る」まで寄り添うつもりなら、支援者自身が政治のプロか、政策や技術者としてのプロとして寄り添わねばならないだろう。裁判などになると日本の場合は通常10年以上寄り添うことを覚悟しなければならない。
 

   

以上は、若いときに無意識に様々な「孤立した弱者支援」に15年以上「寄り添って」回り道をしてきた小生の研究者人生からの述懐です。
 
   
(森敏)
追記1:後藤健二氏は、ISILに殺害されたと、本日早朝に報道された。(2月1日).
小生はその斬首の経過をネットで見る機会がなかったが、凄惨な様子は、各種週刊誌が詳細に報じている。(2月9日)
 
追記2。 東京新聞が「::::::::アフガニスタンで武装組織にとらわれた経験がある常岡浩介氏も、(大手)メデイアとフリーランス(取材記者・カメラマン)のすみわけを容認する。「大手メデイアに危険地帯の取材をされると、僕らの仕事がなくなるのでやめてほしい。」。その上で、「昨年は3回、『イスラム国』の取材をしたが最初の2度はテレビ局に扱ってもらえなかった。ウクライナ紛争は2回、戦場まで行ったが 『視聴率が取れない』と買ってもらえなかった。::::::::」(東京新聞 2月9日朝刊) と述べている。ここではフリーランサーが命を賭けて撮影した危険地帯での「見る人の心臓をえぐる映像」が高付加価値の「商品」として大手メデイアに販売される期待を正直に述べているわけである。避難民や戦災者に「寄り添う」とかいうことはフリーランスにとっては「とってつけた美談」でもありうることがわかる。

追記3:この常岡浩介氏も2015年5月にトルコから消息を絶っている。拉致されたに違いないが、情報がどこかで遮断されている。生きて帰ることを祈りたい。(2016年2月10日 記)
 


2014-01-24 10:32 | カテゴリ:未分類

共産党や社民党が支持すると、どうしてこんなに候補者「宇都宮」自身がかたくなになるのだろうか? だから政党が前面に出てくると心理的拘束がかかってダメなんだ。宇都宮は脱原発が本気ならば候補を途中で降りて「細川」と連携して支援に回ったら? 細川都知事が誕生すれば、細川は「原発ゼロ」行政に専心し、宇都宮は副知事として得意の民生に従事すればいいではないか。本気で脱原発をやる気があるのならば小党勢力は名を捨てて実を取るべきではないか。誰でもそう思うだろう。宇都宮が知事選に勝つことはあり得ないだろうに。細川・小泉は本気で国を憂えて無心で『殿・殿ご乱心』なんだから「舛添」に勝つ可能性がないとは言えない。当選の暁には全野党が“細川神輿(みこし)”を担げばよい。そうなればいかにも今年の東京は「楽しい年」になりそうではないか。政治は明るく楽しくなくちゃ.。どんちゃん!

 

(喜憂)


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