2016-04-02 07:15 | カテゴリ:未分類

原発が標的だった?察知され変更か 自爆テロ容疑者

ベルギーのテロ事件で、容疑者が原発を狙っていた可能性が出てきました。地元メディアは、テロで自爆した容疑者のバクラウィ兄弟が、事件前にベルギーの原子力開発の責任者が自宅に出入りする様子をビデオカメラで隠し撮りしていたと伝えました。パリの同時テロに関連した当局の家宅捜索でこのビデオが押収され、先月、140人の兵士が原発周辺に配置されたということです。地元メディアは「容疑者は計画が事前に察知されたため、空港や地下鉄の爆破テロに変えた可能性がある」と伝えています。(2016・03・24)ANNNEWS

 

   

  小生の知人で航空機事故の専門家である某氏は、リスク管理の専門家でもあるのだが、従来事故原因として呼称されてきた「ヒューマンエラー」という言葉だけでは最近の航空機事故はくくれないと年賀状で書いてきた。彼は「ヒューマンファクター」という言葉を提唱している。

      

機器の誤作動以外に、いくら厳格なマニュアル通りのトレーニングを受けても無意識のうちに操作を間違って事故が起きる場合の「ヒューマンエラー」と概念を区別して、意図的に事故を起こそうとしている人物に事故が起因する場合は「ヒューマンファクター」と呼ぶべきである、と提唱している。

      

  上記のANNNEWSの <<原発テロ>> は、まさにその範疇の事故に属する。原発労働者の中に全くそんな人物が紛れ込んでいないとだれが断言できるだろうか? 原発労働者の心まで立ち入って管理するのは至難の業であろう。世界に頻発しているように、人生に絶望的な、あるいはストレスで神経が衰弱した、知的レベルの高い若者が、自爆テロを決意して、「原発テロ」に矛先を向けてくることも十分にありうることだと思われる。

      

世界のどこかで、今度は「ヒューマンエラー」ではなく「ヒューマンファクター」による原発メルトダウンが起こされる予感がしてきた。
 
  日本の原子力規制委員会はそんな「人の深層心理」に踏み込んだ規制基準をどこにも設けていないだろう。また規制委員会に属する工学的発想しかできないメンバーにそんな基準を草案できるはずもない。だから現在の原発規制基準をクリアしたからと言って、今後の再稼働原発はぜんぜん安全安心ではないのである。事故はいつも新しいタイプの要因(それこそ「想定外」)に起因して起こるからである。無責任な言い方かもしれないが、次に世界のどこかでおこる原発事故は地震や津波や火山爆発によるものではなく、「ヒューマンファクター」によるものではないか? と小生は予測する。そうならないことを祈る。
         
(森敏)

付記:この記事を書いたあと、4月9日付けの朝日新聞では、「私の視点」という投稿欄(実際は依頼原稿が多そうだが)で、

 

原発どう守る 「フクシマ」テロの可能性

 

というタイトルで NEW YORK TINMES の記事を抄訳で紹介している。

著者はハーバードケネデイ行政大学院ベルファーセンター所長(グレアム・アリソン)、もと米エネルギー省国家核安全保障局副局長(ウイリアム・トビー)。

 

それによると

::(略):: 先月のブリュッセルの攻撃後やっと、ベルギー当局は核施設の従業員の個人情報を調べ、10人ほどの従業員の作業員資格は無効にすべきだと結論づけた。

最低限の対策として、兵器転用できる核物質もしくは、大規模な放射能漏れを引き起こすおそれがある低濃縮核燃料を保有するすべての施設は、武装した警備員が守るべきだ。そして、原発の全従業員の経歴は、雇用前に徹底的に調査すべきだ。

テロリストたちは原発に目を向けている。だからこそわれわれも目を向けなければならない。

 

とある。この記事の趣旨は小生の文章とあまり変わらない。

 

朝日新聞はこの原発部門のテロのリスク管理に関する専門家が日本にはいないと思っているのだろう。原子力規制庁にはぜひ専門官を設置すべきと考える。政府にテロで原発が爆発したときに「想定外」といわせないためにも。

2016-03-22 21:10 | カテゴリ:未分類

裁判官らが避難区域3町で検証 「生業を返せ」福島原発訴訟
          

 東京電力福島第1原発事故による県内外の被災者約4000人が、国と東電に原状回復や慰謝料を求めた「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟で、福島地裁の金沢秀樹裁判長らは17日、全域が避難区域となっている浪江、双葉、富岡の3町を訪れ、被害の現状を検証した。原告側弁護団によると、全国の20を超える地裁で起こされている原発事故をめぐる訴訟で現地で検証が行われるのは初めて。

 検証は審理の一環として行われ、金沢裁判長と裁判官2人を含む計約80人が参加した。この日の検証の結果は証拠として扱われ、判決に向けた判断材料となる。原告側が「現場に行き、被害を五官で感じることが必要」として地裁に検証の実施を求めていた

 金沢裁判長らは川俣町山木屋地区を経由して浪江町に入った。

 全身を覆う防護服に着替えた後、居住制限区域の同町立野にある、畜産業の原告の自宅を訪れ、動物の侵入や雨風によって荒れ果てた住宅や、震災当時150頭の牛がいたという牛舎を見て回った。

 双葉町では、JR双葉駅から荒廃した店が並ぶ商店街を歩き、帰還困難区域の原告宅を訪れた。第1原発から北西約4キロの位置にあり、自営業を営んでいた双葉町長塚の福田祐司さん(67)の自宅前に近づくと、裁判官らが持っていた線量計の警戒音が一斉に鳴り始めた。その中で福田さんは、自慢だった庭園や、動物に荒らされた自宅の様子を説明した。裁判官らは放射線量が高く、原則立ち入り禁止となっている住宅内部の被害状況などを確認した。

 富岡町では道路1本を境に、帰還困難区域と日中の立ち入りができる居住制限区域に分けられた現状を見た。

 検証には国、東電側の代理人らも同行した。

 原告側は福島市の仮設住宅など中通りでの検証も求めており、次回5月17日の口頭弁論で実施が正式決定する見通し。
20160318 0810分 (福島民友)
   
  

上記、福島民友(福島民報にも同じ記事が掲載されている)に、原発訴訟で担当裁判官が放射能汚染現場にでかけて実況見分を行っているという記事が出ている。線量計を持って防護服を着ての、実地検証ということである。現場を訪れて、その場の4次元の空気(雰囲気)を五感で感じ取り、測定計器でその場で定量的な値を得るということは、科学者ならあたりまえのことである。ところが実に不思議なことであるが、日本の裁判官は、「書面審査」と「証拠物件」と、「証人尋問」で最初から最後まで貫き通すことがほとんどである。小生のこれまでのいくつかの公害裁判にかかわった経験からの感想では、裁判官が現場検証をあまりしたがらないのは「現場に出かけて稚拙な質問をして恥をかきたくない」という間違ったエリート意識からくるもではないかと思われる。

      

現場検証では、文字化されたり図面化されたり、写真にとられたりして、人為加工処理された(なんらかのフィルターにかけられた)裁判用の原告や被告から提出された証拠類では、本当に明らかにされていない事象が浮かび上がってくる可能性が大いにある。なので、本来ならばどんな裁判でも、裁判官自身による「現場検証」は必須であると思う。

   

今回原発裁判では初めて現場検証が行われたとのことである。この報道を聞いて小生には「原発裁判もやっとここまで来たか」と感慨新たなるものがある。

     

ここからは蛇足で、私事になるが、小生は15年前ごろ、東京理科大学の専門職大学院(MOT)で2年間客員教授を務めたことがある。ここでは社会人が多額の年間授業料を払って、仕事がはねてから午後6時から午後9時までの授業を各人がパソコンを持ち込んで熱心に聴講していた。その中に、女性の司法研修生がいた。小生の授業は主として土壌・食料・健康・環境などに関してであったのだが、若いころいくつかの公害裁判にかかわった経験から、ダイオキシン、水俣病、催涙ガス、カドミウム中毒、DNA鑑定、農薬汚染、放射能汚染などの公害問題も講義した。理系の知識が必要であったが、彼女はよく食いついてきていたと思う。現代裁判は理系の知識がなくては判断ができない場合が多いので、極力若い時に裁判官候補生は機会をとらえて、自然科学的知識を積極的に取り込んでおくべきだ、裁判官自身による現場検証が非常に重要である、ということを彼女には強調したつもりである。

    

最近、テレビや新聞では科学鑑定を争う裁判にも陪席裁判官や裁判長に女性が起用されている場合が多くなっている。名前と顔をすっかり忘れたが、そのうちの誰かは当時の彼女であるかもしれないと思うことがある。
    
(森敏)


付記:みなさま、タンポポの奇形観察お忘れなく。
2016/03/10 : タンポポの奇形をお見逃しなく :観察次第ご連絡ください

 


2015-12-14 07:20 | カテゴリ:未分類

これまでの「WINEPブログ」で何度も述べてきたように、小生の所属していた東大農学部植物栄養肥料学研究室は(故)三井進午教授が農学関連の研究への放射性同位元素(ラジオアイソトープ)導入の日本での先駆者であった。だから、1960年代は東海村の国産第一号原子炉(JRR1)を放射性同位元素の製造に利用して植物生理学実験をしたり、1970年代以降は高崎の原子力研究所での泊まり込みでの共同利用研究が連綿と行われてきた。三井先生自身は国際原子力機構(IAEA)の参事で頻繁にウイーンでの国際会議に通っていた。IAEAからは研究資金ももらっていた。また、研究室にはインドからの留学生も受け入れていた。

    

今回日本とインドが原発輸出協定を結ぶことにしたようだ。しかし、インドは原爆を所持し、核実験を行い、NPT(核不拡散条約)署名国に頑として参加していない。インドからすれば原爆を有するパキスタンや中国が脅威であるので、抑止力としてぜったいに原子爆弾は放棄しないという立場である。だから従来から日本の文科省はインドからの留学生を原子力機構など原子力関連の研究に共同参画させなかった。核保有国でNPT非加盟国の留学生たちを日本の核の機密に近付けさせない(軍事目的に原子力技術を転用されたら困るので「スパイ」させない)ために施設に立ち入りさせない、というのがその建前上の強固な理由であった。そのために、せっかくの先端的なラジオアイソトープを用いた高度の研究手法を彼等に体験させられずに泣く泣く帰国させざるをえないことも多かった。核を保有し、核実験を繰り返した中国やパキスタンからの留学生に対しても同じ扱いだった。被爆国として核に関しては日本国政府はそれほどかたくなだったのである。

 

日本-インド間で、どの研究分野がいちばん学術交流を推進してきたのかと問われれば、昔は農業分野、現在では間違いなく IT関連だろう。上述のような断固とした日本政府の理由で理学工学系の日ー印間の「原子力関連の交流」は皆無であったはずである。今回は、原発輸出を契機にその矜持を簡単に捨ててしまおうということらしい。原発輸出のためには被爆国の悲願であるNTP(核不拡散条約)という国際的な協約なんかどうでもいい、ということなんだ。『これを契機にインドが今後NTPに加盟しやすくなるかもしれない』とか『停電が頻発するインドの電源が安定する』だとか『COP21の温室効果ガス削減に寄与できる』とか、『将来インドが原爆実験をやったら即原発支援を停止する』とか(単なる口約束)、安倍首相と岸田外相が国民を愚弄する詭弁を繰り返している。それをマスコミが無批判に繰り返し報道している。「嘘も堂々と繰り返せば、国民はいずれ忘却してどうでもよくなる、つまりいつの間にか既定事実になる」という政策手法が安倍政権の国民愚弄化政策として堂々とまかり通っている。安倍は被爆国日本の世界に冠たる矜持をかなぐり捨てて、福島第一原発暴発国日本の居直りを世界に宣言した。言っちゃ悪いが、政治家としての職業倫理がずっこけた〇〇としか思えない. 東芝・三菱重工・日立など「原発コンツエルン」に天下りをねらう経産省や財務省の狡猾な官僚に操られているのだろう。彼は国を危うくする。(○○に適当な言葉を入れよ)

 

 

(森敏)

付記1:インドからの一番最初の留学生マハトマ・シン氏は非常に優秀であり、戦後のインド人留学生としては日本での最初の農学博士号を得た人物である。「老朽化水田」の原理を学び帰国後「インドの水田農業」の生産力上昇の強力な立役者となった。その後も植物栄養肥料学研究室ではインドから数人が留学してきた。中でもG.K.バラット氏は物静かなベジタリアンで彼と小生とはヒンデイー哲学論義をよくしたものである。素晴らしい人格者だった。非常にためになった。我々の分野ばかりでなくとも農学関連分野ではインドの各大学との連携は続いたが、ほかの医学、薬学、工学、理学の研究分野ではそうでもなかったように思う。インドの研究者は英語が通じる宗主国U.K.や U.S.A.への志向が強く、日本に顔を向ける研究者はほかのアジア諸国に比べれば今でも格段に少ないのではないだろうか。

     

付記2:小生のインド人研究者への印象は、かれらは英語(機関銃を打つような早口のIndian Englicだが)が堪能なので、頭がいい研究者は、国際研究機関や国際学会では総合的な取りまとめ役に秀でており事務局長や議長になっている人物が他国に比べて多いと思う。一般的に手足を動かしてデータを取る作業よりは、他人のデータを使って“きれいに”話を作り上げること(モデル化)に長けている。つまり「分かったように思わせる抽象論」に長けている。多分99x99の九九を諳んじる数理的才能がそうさせているのだと思う。エリート階級は手足を動かす汚い作業をあまり忠実にやりたがらないように思う。これは彼らの深層心理に骨肉化した旧来の陋習であるカースト制も関係していると思う。概して日本の大学では英語が通じるので日本語を熱心に学ぼうとする姿勢はあまりないようだ。以上今日の若いインドからの留学生が聞いたら激怒するかも知れない老書生の偏見です。
   
追記1:その後「インドへの原発輸出」の件では以下のネットで優れた多角的な見解が展開されている。
http://www.fsight.jp/articles/-/40781
 
要するにほとんどの日本国内原発メーカーから見ても、企業不信のインド世論からみても、インドへの原発輸出はほとんど不可能な提案だということである。

追記2:その後の展開です。

日印原子力協定締結へ=首脳会談で署名方針

 日本、インド両政府は、11月中旬にモディ首相が来日し、安倍晋三首相と会談するのに合わせ、日本からインドへの原発輸出を可能にする原子力協定に署名する方針を固めた。政府関係者が31日、明らかにした。安倍政権はインフラ輸出を成長戦略の柱に掲げており、インドに対する原発輸出の環境が整う。
 日本が核拡散防止条約(NPT)非加盟国と原子力協定を締結するのは初めて。インドは核保有国であるため、被爆地である広島、長崎両市などから「核不拡散体制を形骸化しかねない」との反発が出る可能性もある。(2016/10/31-16:59

  

 

 

2015-12-08 10:26 | カテゴリ:未分類

   一昨日の日曜日には、情操欠乏を感じて、日比谷に「黄金のアデーレ」という復刻版映画を急に思いついて見にいった。だが、ときすでに遅し満席だった。仕方なしに付近の映画館を物色していたら「杉原千畝 SUGIHARACHIUNE」をやっているところがあった。監督、脚本、俳優と国際色豊かな作品なので、学校できちんと学ばなかった戦前・戦中・戦後の現代史を勉強する意味も兼ねて切符を買った。
   

上映までにまだ1時間あったので、そこら辺をぶらついていると三省堂があったので、ちょうど必要かなと思っていた「2016年用の日記帳」を買った。MENsビルで強烈な男性用香水の匂い(じゃ香:ムスクか?)を嗅ぎながら冬物ブーツを物色したが高くて買わなかった。ビルの外に出たら、日比谷公会堂から3000人ばかりの延々続く「戦争法案反対」「脱原発」のゆっくりした車道のデモに突然ぶつかった。一方の人道側の西銀座の10カ所ばかりの宝クジコーナーでは2千人ばかりが年末宝くじを買う順番待ちで、ヒトがあふれかえっていた。
       
さて、  

杉原千畝は情報戦のエキスパートとして、当時のソ連とドイツ国境の動向調査のために1939年リトアニアのカナウスに領事館設立の任務を帯びて副領事として赴任する。任務はソ連の動きに対する情報収集活動である。しかし杉原はリトアニアで結果的に約6000人(記録に残っているのは約2300人)のユダヤ人の「日本通過ビザ」を発注するべきかどうかの事態に追い込まれることになる。結局「ビザを発注する」と決断するのだが、それは日本本国とリトアニアの手紙での通信の交換に時間がかかるという時間差を利用した実に巧妙な外交官としての才覚だったようだ。ユダヤ人にビザを支給して良いかどうか3回も本国に問い合わせて松岡洋右外相から3回目の否定の回答が来るまでの約1週間の時間差を利用した。
 
  情報収集プロとしての彼の現地の動向観察から、向こう一週間後にはドイツ軍のソ連への宣戦布告により、逆にリトアニアは進軍するソ連に占領されて、国が消滅している可能性が高い。だからその時はリトアニアの日本領事館も閉鎖されているだろう。だから日本領事館は本国政府からの訓令を受け取ることができない。だからその間杉原副領事はビザ発注に関して「独自の判断をせざるを得なかった」という屁理屈である。その時間差を巧妙に利用して、サインペンの続く限り、大使館閉鎖後も、ホテルや、駅の待合室でも杉原はユダヤ人にビザを発注し続けた。現在、そのとき救済された子孫のユダヤ人は全世界に4万人にも達する、という。
   
  杉原は結果的に本国の訓令に背いた、すなわち公務員の服務規程に違反したということで戦後1947年に外務省を辞職(実態はクビ)させられている。
外務省ではキャリア組ではなかったことが、いろいろな意味で杉原の人生観を支えていると思った。映画では「オマエは今も世界を変えたいと思っているか?」という外交官同志の問答が2回も出てくるが、上意下達に忠実な旧帝大出身者では決して杉原千畝のような行動は取れ無かっただろう。また後藤新平が制定した千畝が卒業した「ハルビン学院」のモットー「自治三訣」は、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう(杉原千畝:Wikibedia)であり、これが千畝の人道精神を強く鼓舞した、と映画では語られている。
    
 

その後杉原千畝は1991年(辞職後44年目)に名誉が回復されたが、余りにも遅すぎた対応だったというべきだろう。これも世界に冠たる日本の偉人を日本人自身がなかなか認めたがらない一例である。
   

映画では主役の唐沢寿明の演技がすばらしく光っていた。杉原の決断でユダヤ人が日本渡航ビザの申請ができることになって、リトワ二アの日本領事館門前で出国希望するユダヤ人たちが歓喜雀躍するクライマックス場面では、久しぶりに心が洗われた。
           
               
(森敏)  

 付記1:小生の義兄は外交官であったので、この映画で展開されている情報戦(スパイ合戦)は興味津々であった。現在も東京をはじめ世界中でスパイ合戦は行われているだろう。戦後70年日本では平和が続いてわれわれは平和ボケになっているが。
        
付記2:1990年代にイスラエルで開催された「植物鉄栄養学会」に学生たちと一緒に参加した。その時にも、杉原千畝が救ったユダヤ人入植者がいたはずなのだが、うかつにも小生自身はこの話は全く知らなかった。その後小生の研究室にはイスラエルから留学生が来たり土壌学と土壌微生物学の教授を短期滞在で日本に招請したがことがあるが、イスラエルの人たちは今でも親日であることは間違いないと思う。杉原千畝のおかげだと思う。
 
付記3:言うまでもなく現下の日本では、あらゆる手練手管を弄した、マスメデイア、ミニコミ、インターネットを通じた『原発再稼働』への ”情報戦”がまさに熾烈を極めている。
 
追記1:後日以下の記事が読売新聞に載った。実にめでたいことだ。この通りは永遠に「日本―イスラエル友好」のメモリアルになるだろう。


イスラエルに「スギハラ通り」命のビザ

20160607 2023

【ネタニヤ=上地洋実】イスラエル中部ネタニヤで7日、第2次世界大戦中にユダヤ人へ「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝(ちうね)氏にちなんだ「スギハラ通り」の命名式が行われた。

 杉原氏はリトアニアの日本領事代理だった1940年、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民に日本を通過するためのビザを発給し、約6000人の命を救った。ネタニヤには、この時に助けられたユダヤ人が多く移り住んでおり、今年が杉原氏の没後30年にあたることを記念して通りの建設が決まった。

 式典には杉原氏の四男、伸生さん(67)も出席し、「大変名誉に感じている。亡くなった父もどこかで見守ってくれていると思う」とあいさつした。伸生さんは式典に先立ち、杉原氏から「命のビザ」を受け取った人々やその家族とも面会した。

 

2015-11-26 17:52 | カテゴリ:未分類
反原発細川牧場裁判を支援する会 からの連絡の転載です。この裁判には小生も発起人に名を連ねています。

ーーーーーーー
沓沢です
今日、東電本社に細川牧場裁判での要求実現を求めて要請書を5人で出し、色々訴えてきました。
参加は(敬称略)、三上、町田、高杉、藤井、沓沢
東電は、本社福島相談室の2人。約20分。こちらがるるしゃべり、向こうは聞いているだけ。「担当の者、代理人にも伝える」とのこと。全国に支援があり、注目している裁判だぞ、と、印象付けました。

(以下要請文です)


東京電力株式会社

代表執行役社長 廣瀬 直己 様

 

福島県飯館村・細川牧場裁判に関して原告の損害賠償要求を認め公正な解決をはかること

 

 貴社のご清祥をお喜び申し上げます。

 現在、東京地方裁判所において係争中の細川牧場裁判(民事第32部合議A係、平成26年(ワ)第8710号 損害賠償請求事件)は、提訴から約1年半、訴訟外手続きADRでの係争も含めれば約3年がたった今も解決の糸口がみえません。その原因は、貴社が飯館村の放射能被害の現状、細川牧場という個人経営の零細な牧場の経営慣行の実態から目を背け、いたずらに損害を過少に評価し賠償額を値切ろうとする姿勢にあります。たとえば、保有する馬の頭数が130頭は「信じられない」、保健所の予防注射の数29頭だといつまでも主張しています。細川牧場は、馬を放牧し自然交配させながら家畜生産と家畜仲買商を営んでいる福島で唯一の馬の牧場です。このことを理解しようとせず、番号で管理されている牛や競走馬生産と同じような牧場だと先入観を持ってみています。損害を与えた加害者として、一部の書類だけを見ず牧場の被害の実態に寄り添いながら、原告・細川徳栄さんの要望に応えていくことが求められます。

 高濃度の放射能により細川牧場は避難地域とさせられていますが、原告は家族同然の馬を見捨てることができず、しかも貴社や国が代替地を用意するわけでもないため、今も飯館村にとどまり馬の生産を続けています。その結果、事故後の放射能の影響のため、馬30数頭が異常な死を遂げ、今も異常死がつづきます。平穏な暮らしをしてきた元の牧場に戻ることはできず、このまま命を削るように暮らさなければなりません。細川牧場を救済する責任は貴社にあります。当然の損害賠償について、原告・細川徳栄さんの要求をみとめ一日も早く実現してください。

 

20151126

 反原発細川牧場裁判を支援する会

共同代表:大久保貴弘(大東学園高校教諭)沓沢大三(平和と民主主義をめざす全国交歓会)、三上玲子(大東学園高校教諭)                      

呼びかけ人:佐藤八郎(飯館村村議)、森敏(東京大学名誉教授)、細川美和(細川牧場・娘)、大久保貴弘(大東学園高校教諭)、馬場光則(吉川コミュニティ牧場)、三上玲子(大東学園高校教諭)、樋口司朗(1982‐水俣「無辜なる海」カメラマン)、土屋典子(足立区議)

ーーーーーーー                                            

 

付記:この文章は許可を得て掲載しています。

追記:先日、飯舘村/福島再生支援東海ネットワーク 事務局から以下の報告が送られてきました。細川牧場では原因不明の馬の死がいまだに続いています。

   

細川牧場・あじさいの死。連続死はこれで34 頭目に

11 15 日朝、2010 年生まれのメスのミニチュアホース「あじさい」が死にました。詳しくは獣医の検視を待ってお知らせ致しますが、馬・羊の連続死は2013 年初頭以後約3 年、これで34 頭になってしまいました。あじさいは妊娠中、来春出産予定だったとのことです。これも初期被曝の影響である可能性は高いわけですが、残念ながらまだ断定には至りません。

アジサイの死ー

 

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