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WINEPブログ内で「 写真 」を含む記事

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2024-01-04 22:46 | カテゴリ:未分類
  ご高齢の某先生から
「満○○歳になり 心身の老化を自覚せざるを得ませんが 
皆様からのお便りを頂くことは嬉しいので
賀状の交換は今しばらく続けさせていただきたいと思っております」

という年賀状を頂いた。

  実は小生は、毎年すこしずつ年賀状を減らしてきて、今年こそは年賀状を全部やめよう、と思って、年末には一切出さなかったのだ。しかし今年は、元旦に上記某先生の年賀状を頂いて、思い直すことにした。そういうわけで、新年にいただいた年賀状には全部手書きで細かい返事を出した。相手への宛名がきはまちがえてばかりになってきたので、全部女房にやってもらっているざまなのだが。

  改めて思ったのだが相手に自身の生存確認を発信するためにも、年賀状は今でもよい習慣だと言えるのではないだろうか。
一時流行ったメールでやり取りする新年の挨拶は実に味気ないと思う。

  死ぬまで毎年年賀状を発信して、死んだら喪中ハガキを身内から発信してもらえばいいのだ。

  ある時期から年賀状が来なくなった知人や、過去に何人か年賀状を出しませんと宣言した知人が、今まだ生きているかどうか確認するのも気が引けるので、そのままになっている。

  今さらながらの感想ですが、昨今は何でも省略合理化するのは、ぎすぎすした潤いのない世相になっていっているように感じます。

  年賀状に添えられた写真や、干支(えと)の独創的な版画や挿絵などは、日本独特の維持すべき文化ですよね。
  
(森敏)


追記:先日、2人いる同姓の某君に間違って携帯電話をしてしまった。NTTDOCOMOの応答は「この電話は現在使われておりません」ということであった。10年以上前から病床に伏していて、ある時から年賀状が絶えていた。亡くなったのかもしれない。喪中はがきは来ていないのだが。
もう一人の某君は現在病床に付していて、時々連絡を取っている(1月24日記)
2023-10-31 20:50 | カテゴリ:未分類
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Ranの看板もこれでお終い。 左側は本郷通り。

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写真の展示額縁が外されても、積年のたばこの煙を浴びなかった壁が、白いままである。

らん奥

右の空白は、らくだの毛を編んでできたジュータンを取り外したあと

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店の守り神であった「蛇を呑み込もうとしている鳥」 。大きすぎて引き取りてがつかない。

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奥さんが壁からアフリカの大地図を外しているところ。

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傷心だが店じまいに勝気にふるまう奥さん。

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かたずけ中の店内側に向けて撮影。

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かたずけ中の店外側に向けて撮影。店の向こう側は本郷通りを隔てて東大農学部キャンパス。

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常連客からの閉店別れの花束。

  

開店以来50年以上が経過したレストラン「らん」が今日閉店した。

現在の店主は2代目であったが、小生は2代目になってからは、東大農学部の生協食堂がいつも同じ味付けで飽きていたので、ある時期からはここでほとんど昼食を食べていた。1種類が定番の定食で3種類は日替わり料理を供していた。最近まで670円と格安で通していた。

研究室でのコンパや、外国人の歓迎会などは頻繁にここで行っていた。

店主はフランス料理を修行しており、1970年代にはJICAの鉱物発掘の探検隊の調理人としてアフリカに参加してきた人物であった。そのときにアフリカの各所で集めた様々な化石や民芸品を店頭の棚に飾っていた。壁にはタピスリーや絨毯も。写真にも趣味があり、センスのいいカラー写真を店内に飾っていた。ラクダやアフリカの砂漠の民族やニコニコ顔の現地の子供たちである。

10年ほど前から、店主がたびたび病気で入院するようになってから、「店内での喫煙は禁止したら方がいいのではないか」と何回も忠告したのだが、たばこのみの客筋が離れるのを恐れて、店内でのたばこはずっと解禁であった。

物価が上がるたびにでも、極力値上げを低くして、最近でも定食は670円だった。お客さんは誰もが「こんなおいしい料理で670円なんて、考えられない値段だね」と言っていた。チェーン店ではない付近のレストランは今はほとんど800円から1000円台だ。

店主は10年ほど前に大手術をして以来、様々な病気を繰り返しては全部で5回ぐらい手術したようだった。何とか入退院を繰り返して店に出てきては味の変わらぬ料理を提供してくれていたが、8月ごろ調理場でずいぶんせき込んでいるなーと危惧していたら、やはり入院してしまった。1か月ぐらいがんばっていたが、今回はついに帰らぬ人となった。奥さんによれば、入院するたびに病床では「また新しい料理を発明したぞ!」といつも再起を期してやる気むんむんだったということであった。

それからが大変だった。店主の店内の遺品をどう処分するか奥さんが困っている様子だったので、小生もいろいろアドバイスをして、店の前の狭い道路わきに、ぎちぎちに遺品を日替わりで展示して、超格安で売ることにしたようだ。自宅にもっていく容積がないので、店を閉じるときは60万円も払って全部粗大ごみになるということであった。なので、ダダに近い値段で、展示していると、意外にも店の常連客ばかりでなく、様々な通行人が立ち寄って、予想外に大小様々遺品を買ってくれたそうである。特に留学生など外国人が興味を示してくれたとのことである。

主逝きて 壁に残りし ジュータンの影


【森敏)


2023-08-12 22:12 | カテゴリ:未分類
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「がんと闘う食べ物たち -食事によるがん予防-」
(第一出版 定価3300円)

原著 Richhard Beliveau博士, Denis Gingras博士 
完訳 吉村悦郎(東京大学名誉教授・放送大学名誉教授)


目次
第1部 がんは強敵
第1章 がんによる災禍
第2章 がんとは何か
第3章 がんは細胞にとっての環境問題
第4章 食事によるがんの予防
第5章 ファイトケミカル:夕食には抗ガン化合物の小皿を

第2部 がんと戦う食べ物たち
第6章 がん細胞はキャベツを嫌う
第7章 ニンニクと玉ねぎ
第8章 ダイズ、抗がん作用を持つ植物エストロゲンの比類なき貯蔵庫
第9章 スパイスとハーブ、ガンを予防するおいしい方法
第10章 緑茶、それはがんと戦う心の癒し
第11章 ベリーへの情熱
第12章 オメガ3:つまるところ、体によい脂質を
第13章 トマト:がんが恥ずかしさで赤面する
第14章 柑橘類、それは香り立つ抗がん化合物
第15章 酒の中に心理あり
第16章 食べ物の多様な抗がん作用

第3部 日々のがん予防
第17章 がんと戦う献立 

結論

第二版の序
近年、我々のがんに対する考え方は大きな変化を遂げている。長い間、がんは一夜で生じる破滅的な病気と捉えられていたが、今日では慢性的な病気として知られるようになっている。がんは臨床的な段階に至るまでには数十年の年月を要するのである。我々は皆、未熟な腫瘍を体内に持っている。この腫瘍はがんになる可能性が高い前がん細胞というべきものであるが、最近の研究は、この前がん細胞の進展を遅らせる可能性を示している。質の高い生活習慣を実行することで、変異を蓄積して前がん細胞が成熟したがん細胞段階へと進展するのを防ぐことができるのである。したがって、ガンを防止する主要な方法は、がん細胞が発生するのを阻止するのではなく、むしろその進行を遅らせることにある。そうすることで、前がん細胞は、80、90年の人生の間には成熟段階には到達できない。
  ここ10年間での研究で、欧米の国々での食習慣が我々の社会におけるがんの高い発症率の主な原因であることが確認されている。欧米式の食生活-砂糖、肉類、超加工食品が多く、植物性食品が少ないーに倣っている国では、例外なく、肥満、糖尿病、それに数種類のがんの驚くような増加に対応を迫られている。
  このような状況の深刻さに鑑みると、最新の研究成果を取り入れて本書の全面的な改定を行った。がんを予防できる可能性があることは、最も注目に値する。食生活を含んだ生活習慣を変えるだけで、がんの3分の2は防ぐことができるのである。


ーーーーーーー

  上記に紹介した本は、後輩の吉村悦郎東大名誉教授から先日贈呈されて来た、彼自身による完訳本です。

  文中の中身には素人にも一目でわかりやすい68枚のカラー写真と28枚の表が掲載されています。文献は400点巻末に掲げられています。

  日本人の半数がガンに罹患して死んでいます。だから、この本をよく読んで、日頃からの食生活では、「がんと戦う献立」の章を参考にして、できるだけ自分の体細胞の変異とがん細胞への進展を抑止するように心がけましょう。そして健康寿命を延ばしましょう。




(森敏)
付記:別件だが、吉村君の 「訳者まえがき」 の文章の最後は

令和5年5月
薫風に揺れるカーテンの下、まどろむ老犬のかたわらで

と、締められている。
コロナ流行前に、東大農学部構内の家畜病院前で、珍しくも吉村君に偶然出会った時には、「奥さんが犬が心配だというので、付き合って連れてきたんだけど。。。白内障じゃないかと思う」 と心細げだった。



2023-07-26 16:34 | カテゴリ:未分類

康保険証の2024年秋廃止方針、河野デジタル相「待ったなしだ」…期限延長しない意向
読売新聞 によるストーリー • 9 時間前

 マイナンバーカード問題に関する参院地方創生・デジタル社会特別委員会の閉会中審査が26日午前、開かれた。河野デジタル相は健康保険証とマイナカードを一体化する「マイナ保険証」に関し、「メリットは非常に大きい。医療DX(デジタルトランスフォーメーション)は待ったなしだ」と述べ、健康保険証を2024年秋に原則廃止する方針は変更しない考えを示した。
 マイナ問題を巡っては、マイナ保険証に別人の情報がひも付けられる誤りが相次いでいるほか、埼玉県所沢市がマイナンバーの誤登録により、別人の公金受取口座に振り込みをしていたケースも明らかになっている。与党内からもマイナ保険証への一体化の期限について延長を求める意見が出ているが、河野氏は「保険証を廃止し、マイナカードの利用に統一した後も安心して保険診療を受けていただけることに変わりはない」として、延長しない考えを示した。
 河野氏は、最長1年間は発行済みの現行保険証を利用できる経過措置も設けているとあらためて説明し、「この期間も使いながら丁寧に説明し、不安払拭(ふっしょく)に努めていきたい」と強調した。デジタル庁が個人情報保護委員会による立ち入り検査を受けたことについては「個人情報保護に関する重大な事案が起きてしまったと認識している」と述べた。

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 大学を退職したときに財布に入るカード大の「名誉教授の証」をもらったが、これが大学の外で身分証明書として役にたったことはこれまで一度もない。

  小生は車に乗らないので (乗ると人をひき殺す自信があるので) 車の免許証を一度も持ったことがない。運転免許証は顔写真があるので、日本のどこでも本人確認には最高に威力を発揮するようである。

  最近、小生は体調不良で国際学会にも過去10年ばかりは外国出張していないので、パスポートも2027年には切れる。延長申請するつもりもないし、外国人でもない限り、普段は日本人が日本国内でパスポートを持ち歩くことなんか無いだろう。だがこのパスポートも写真付きなので、本人確認には日本の役所では重宝がられているようだ。

  というわけで小生にとっては、健康保険証は「命綱(いのちずな)」といってもよい。定職を持たない後期高齢者などは、みんながそう思っていることだろう。

  国民総背番号制 (マイナンバーカード) が定着したから、国民の資産がくまなく紐付(ひもづ)けられて政府当局には丸見えになったので(つまり、国民一人一人の全財産が可視化されるので)、タイやインドの「経済が飛躍的に発展している」と報じられている。

それは事実かもしれないが、これらの国の行く先は、経済合理性を極めた末に、そのまま放っておくと中国のような人権無視の弱者いじめの独裁国家になるのがオチだろう。日本も後塵を拝するつもりなのか、小生には河野デジタル相はIT企業に尻を叩かれて血迷って旗を振っているとしか思えない。

  病院に行って、窓口で「健康保険証」を見せて、診察や治療を受けて、病院窓口で受診料を払い、医者に薬の処方箋をもらって、薬局で薬を出してもらって、お金を支払うときが一番「あー俺は日本国民でよかった」と実感するときである。

医学の発達に感謝しつつも、不遜な話かもしれないが、一方では小生の壊れつつある体が、巡り巡って、医薬品業界や、医療器機メーカーの発展にも貢献して、ひいては日本の GDP(国民総生産) の向上にも貢献しているんだろうなと、勝手に思うことにしている。

  紙ベースの「健康保険証」こそは日本国民としての強固な identity (存在証明)の基盤であると思う。

  その意味で、小生は紙の健康保険証の廃止には断固反対である。
    
   
 (森敏)
2023-06-29 14:28 | カテゴリ:未分類
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図1。不忍池湖畔の鑑真像 向こう側に見えるのは八角堂とスカイツリー

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図2。盲目の鑑真

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図3。台座のネームプレート

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図4。雨の日の鑑真像



少し古い話になるが、コロナ禍最盛期の2021年から2022年の間は小生も散歩を控えていた。その後、不忍池を散歩していると、ある日忽然と銅色の立派な銅像が建てられているのには驚いた。(図1)
  
像はなんだか目を閉じているか、薄目らしい。(図2)
台座を見ると「鑑真像」688-763と金文字で刻印されている。呉島一糸書(と読めたが間違いかもしれない)2022年立 と書かれている。(図3)
だれがどういう理由で建てたのかその由来について像の裏面には何も書かれていない。
思うにどこかの日中友好人士が建てたのだろうと勝手に推測した。
  
70年ほど前に芦屋市宮川小学校の遠足で奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)に連れていかれて、鑑真和上(がんじんわじょう)の座像をわけもわからず、畳の上に上がってま近かで拝まされた記憶がある。
  
その時、このお坊さんは大陸から来た偉い人で、盲目だと教えられた。どす黒い顔で目をつぶっており、両目の周りが白かった。その理由は教えられなかった。このお坊さんのどこが偉いんだろうと全然ありがたいという気持ちになれなかった記憶がある。(小学生の感想なんてそんなものでしょう)
  
最近散歩のたびにこの像を眺めているのだが、最初は風景になじまない違和感があったのだが、最近は銅像(?)も風雨にさらされて、色がくすんできて湖畔の風景になじんできたと思う。そぼ降る雨のときに顔の拡大写真を撮ったのが(図4)である。
  
盲目であるにもかかわらず両目から涙が頬を伝って法衣の胸元まで流れており、大陸から日本になかなか到着できない悔し涙なのか、それともやっと到着したといううれし涙なのか、なかなかたくまざる感動的な光景だった。
  
あらためて調べてみると鑑真は749年から753年にかけて、大陸から日本に向けて6回も渡航を試みており、船が難波や漂流を繰り返して、やっと六回目に日本の屋久島に漂着したのだった。すでに当時66歳であった。その後76歳で没するまでわずか10年間の間に、日本の各所に戒壇を設け菩薩戒を布教したとのことである。
  
この法衣を風になびかせている鑑真像を、散歩のたびに観るのだが、その立像の風貌は湖岸に映えて、歌舞伎でよく演じられている喜界が島に流された「俊寛僧都」の姿や、横山大観が描いている中国の紀元前の春秋戦国時代の憂国の士「屈原」の像などを思い浮かべる。
  
ちなみに「鑑真の立像は、日中のどこかにありますか?」とチャットでに問いかけたら、真偽のほどは不明だが「どこにもありません」という回答が返ってきた。だからこの鑑真の立像は後世に残る少なくとも日本初のものかもしれない。


(森敏)

追記: 全くの偶然だが、最近古い本である宮冬二 短歌実作入門(1982年4月出版)を書棚から取り出して読んでいたら

  若葉しておん眼の雫(しずく)払わばや 芭蕉

という小生の上述の光景にぴったりの俳諧が出てきた。
図らずも、小生は芭蕉と同じシチュエーションを実際に発見したのだ。
しかしこの芭蕉の句は、唐招提寺の鑑真和上の盲目の座像をみて、その涙を想像して若葉で拭ってあげたいと空想をたくましくしたものである。
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