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WINEPブログ内で「 ススキ 」を含む記事

(5件づつ表示されます)

2019-05-10 06:08 | カテゴリ:未分類
   以下に示すのは昨年の春のキンモクセイである(図1)。
 
   下位の古い葉が放射能汚染で薄く感光し、上位の新しい葉が強く感光している。小さな花の集合花も確実に感光して放射能汚染を示している(図2、図3)。

  図2、図3で下位の主茎の部分が部分的に濃く感光しているのは、図1と照合するとでカビでこの部位が黒く覆われていることから、樹木からカビにセシウムが、移行して濃縮しているものと思えわれる。

  以前に、ススキの穂が同じようなカビによる汚染で状態で強く感光していることを報告しておいた。
 
  2018/06/22 : ススキの穂の放射能汚染

また、カビが宿主から放射能を濃縮することはすでに以下のWINEPブログで報告している。
 
放射能を濃縮するカビ
   

 
スライド1  
 
図1.キンモクセイの枝 . 小さな集合花は枯れている。枝の下方の少し黒い部分はカビ。


 
 
スライド2    

 図2. 図1の放射線像

 
 
 
スライド3 

図3.図2のネガテイブ画像

 
 
 
 
  
 

 
 
 表1.キンモクセイの放射能
 
キンモクセイjpeg-1(森敏)
2018-06-22 04:08 | カテゴリ:未分類
 

ススキは、原発爆発当初から注目して、福島県の各地でサンプリングし、放射能を測定してきたが、2011年秋に開花したススキは、あまり放射能が高くなかった。その後もあまり高くなかった。福島第一原発が暴発した時にはススキはまだ芽が地中にあり直接被曝したわけではなかったので、その後に穂が出ていてもこれはほとんどオートラジオグラフに感光しなかったのである。だから毎年ススキは穂が出るのだが、あまり関心がなかった。しかし小生がサンプリングしてきたススキはことごとく道端の畑状態に群生しているものであった。大体福島の農家の人々は結構潔癖好きで、この雑草を疎ましく思うのか、毎年根際から刈り倒しているので道端のススキの地上部には、あまり経年変化立ち枯れした古いものはないのである。

   

しかし今回(2017年晩秋)、久しぶりに試しに双葉町の水田のあちこちに生えているススキの穂を、サンプリングしてきた。これらのススキはすでに穂の種子の「もみ殻」に汚くカビが生えていた(図1、図2)。

   

研究室に持ち帰ってガイガーカウンターを充てると150cpmばかりあった。この放射線量は、これまでの経験と異なり明らかに有意であった。

    

オートラジオグラフを取ると黒カビで汚染している種皮が顕著に放射能汚染していた(図3、図4)。すべての種皮が比較的均等に汚染しているので、これは外部に放射能が付着しているのではなく、種子の栄養をカビが摂取して種皮が放射能で表面汚染しているように見えるのではないかと思われた。

 

穂軸と種子に分けて測定するとほぼ同等の汚染度であった(表1)。今回のように野生のイネ科植物といえども原発事故以来一度も耕作したことがない放棄水田の中に定着したものは、この原発事故以降直近までの数年の内に、何度も乾湿を繰り返す土壌条件の中では、湛水還元状態のときに溶解してくる放射性セシウムイオンを吸収する機会が多くなる。だから、野山の陸地(畑:酸化)状態の、大部分が土壌に固着しているセシウムを吸うのとは訳が違うのかもしれない。
     
  このWINEPブログの過去のどこかで紹介したことがあるが、春先のフキノトウでこのことはすでに証明されている。今回の多年生のススキの種皮の放射能汚染は外部飛来付着ではなく、全部根から吸収して茎を転流してきて種子に蓄積した放射性セシウムを種皮に付着したカビがカリウムの代わりに栄養源として濃縮したことよる内部被ばくと思われる。

 

イネとおなじくススキも生息地が湿地か陸地かによって、セシウムの吸収量が異なるわけである。

 

  

                                                                             



 
スライド1 
 
図1 水田に生えていたススキの穂
 
 
  
 
 
 
 
スライド2
 図2. 図1のオートラジオグラフ
 
   
  

 

 
スライド3 
 
 図3.図2のネガテイブ画像
 
 
 
 
 
 スライド4
図4.図3の拡大図
 
 
 



スライド5  

 図5.図4のオートラジオグラフ
 
 
 

 
 
 表1. ススキの穂の放射能

 すすきjpeg
 
 

(森敏)
2016-11-22 22:29 | カテゴリ:未分類
 
少し論文調になりますが、赤松が奇形になる理由について、以下に説明いたします。
    
  浪江町の津島高校分校は今は誰もいませんが、2011年3月11日東日本大震災の後に起こった、東電福島第一原発事故のあと、浪江町よりも南の市町村の人たちが、避難してきて何日間か宿泊したところです。浪江町の住民は彼らを炊き出しで支援し、自分たちもそこでかなりの被ばくをしたはずです。
     
  ここの校庭は、当時の状況を現状から考察するに、更地にして新しく山土で均平にされて余り年月がたっていなかったと思われます。3月15日にはその更地に近い山土の校庭にかなりの放射能が降雨とともに降り注いで、空間線量は毎時20マイクロシーベルト以上になったのではないかと思われます。現在毎時5マイクロシーベルト前後です。
    
  当時何も生えていなかったその校庭には現在東側の山から次第に赤松が侵入してきて、旺盛な生育を示しております。この山土は酸性で貧栄養なので、松やススキしか生えないようです。(図1)

  

   
   
スライド1 
  (図 1) 東側の斜面から赤松が優先的にランダムに侵入してきている校庭

     

    この山肌の斜面はほとんどアカマツが優先種であり、その松の10-20%ばかりが主茎になんらかの奇形を呈しています。先端部が大きく二股や3つ股に分かれて伸長しているのです。普通は一本だけがすくっと伸びるのですが。(図2、図3、図4)
  
  
 


スライド2 
(図 2) 赤松の群生地と化した東側の斜面

  
  


goyoumatsu jpeg 

(図 3) 主茎が3つ又になっている (中央部分の3本)

   

  

スライド3 
 
(図 4) 分枝が異常に多く太い枝が3本見える。普通は5-6本。
 
    
   そこで、図3の3本の奇形主茎のうち、一本を切り取ってラジオオートグラフを撮ってみました(図5)。すでに先端部は8本の幼芽をつけています。これらが次の枝や松かさになっていくのです(図7)。
    

   

スライド1 
 


(図 5) 3本の奇形枝の1本を採取した。
   
     





スライド1 
 
 


(図 6) 図5のオートラジオグラフのポジテイブ像(左)と、ネガテイブ画像(右)。 先端の葉芽の画像が圧倒的に強く放射線で感光していることがわかる。
 
   

  

スライド4 

 


  (図 7) 先端部分の拡大図  すでに8つの新芽が付いている。

      
   


 スライド5

 
 
(図 8)   図6(右)のネガテイブ画像の拡大図。葉芽が鮮明に濃く映っている。
  
     

    図6、や図8 で定性的に明らかなように、マツの幼芽はほかの組織に比べて圧倒的に放射生セシウムが濃縮しやすい場所と考えられます。事実、この枝の組織をばらしてNaIスペクトロメーターで放射性セシウムを測ると、以下のような数値となりました。新芽は1キログラム乾物重あたり13万ベクレル以上(!!)を含んでおり、これはほかの葉や幹の10倍以上の濃度です (表1)。
             
  この高く濃縮した放射能による内部被ばくと、毎時数マイクロシーベルトの外部被ばくで、ここの赤松はいまだに新芽の細胞の奇形分化が進行していると考えられます。


    
 


     表1 赤松の枝の部位別放射能 (Bq/kg乾物重) 
 
   
五葉松の放射能jpegブログ用 
 
    


   

(森敏)


 
付記1: ネガテイブ画像は加賀谷雅道カメラマン制作によるものです。NaIスペクトロメーターによる測定は広瀬農・助教(東大農学生命科学研究科)の協力によるものです。
 

付記2: 関連記事を以下のWINEPブログに載せています。クリックしてご参照ください。

2015-11-18 07:13 | カテゴリ:未分類

2_201510301652110dc.jpg
  

 南西 全面セイタカアワダチソウ群落。遠方左にセイタカアワダチソウ群落にススキが侵入し始めている。
 
3_20151030165213a0d.jpg 
西 全面セイタカアワダチソウの群落。
   
 4_201510301652164a7.jpg
 北西 全面セイタカアワダチソウの群落。

  
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   全面セイタカアワダチソウの群落。

            
      原発事故の翌年は、飯舘村の農家は水田耕作が再開できるものとを期待して雑草を刈り込んでいたのだが、土壌の放射線量が高すぎて、国に耕作を全面禁止された。その後、この耕作放棄田には、セイタカアワダチソウやタンポポやオオマツヨイグサの群落が急速に蔓延した。しかし、最近はめっきり少なくなっている。除染でそういう種子が土と共に全部えぐり取られたからだと思われる。

        

現在、飯舘村では急速な除染が進み水田が「除染土壌入りの黒い1トンのフレコンバック」の仮置き場(集積場)になっているか、除染されて山土で客土された水田も耕作放置されたままになっている。そのせっかく客土された水田も農家の帰村がなされていないので、耕作されないでマツバイやカヤツリグサが侵入して土壌除染の年度が古い水田から順次雑草で見えなくなっている。すでに、ヨシ・アシがはびこっているところがある。
             
  その一方で浪江町など、いまだに住民が全く帰還していないで、ほぼ耕地の全面積が手つかずのママの水田や牧草地では、「人の手が加わった植生」から「自然の植生」への変遷(サクセッション)が見事に表現され、現在進行形である。浪江町の現状は、植物生態学者にとって、格好の植物遷移の研究のフィールドになっているのである。
 

         
  上に示す4枚の写真は、橋の袂から180度にわたって撮った全面がセイタカアワダチソウの水田である。すでにススキが侵入し始めている。これ以外にも山間部の常時湿田である田圃はオノエヤナギやイヌコリヤナギが3メートルを超える水田跡地の群落が散見される。これらの植物は比較的耐湿性であるので他の植生を駆逐して跋扈(ばっこ)しているのだと思われる。すでに樹下には太陽光線が当たらないので一年生の雑草を駆逐してしまっている。何もしないとそのままで安定した植物相でいくのだろう。
           
  昨年2014年と今年2015年には飯舘村ばかりでなく浪江町でもタンポポの調査を行った。飯舘村では除染が猛烈な勢いで行われ始めたので、水田や牧草地が山土で客土されてタンポポが急速に消滅し、調査にならなくなった。そこでより福島第一原発に近い浪江町にまで触手を伸ばして調査をしたところ、浪江町ではなぜかタンポポが非常にすくなかった。浪江町では水田の除染がほとんど手づかずであるにもかかわらずである。なぜだろうと考え続けているのだが、その疑問が徐々に解け始めている。
         
   タンポポはそもそも明るい空間を好む。原発暴発当初の2011年3月11日-20日は農家は地震や津浪で避難はしたが、水田自体は前年度に稲刈りをして、春先の田植えに備えて、一部では田んぼをすでに耕起していたところがあったのである。また、一部では田んぼの裏作にムギを植えており、まだムギを収穫していなかった。だから2011年当初の水田の植生は田んぼごとに区区であった。放射能汚染土壌での耕作は禁止され稲作は行われなかった。しかし、2011年の秋には農家は放射能汚染水田でも一応美観の為にも猛烈にびこった一年生の雑草刈りを行ったところが多い。そういう水田では、2012年には開放空間を好むタンポポ、セイタカアワダチソウ、おおまつよいぐさなどがいっせいに繁殖したのである。そのあとの年次からは、ヨモギ、ブタクサ、ヨシ、ススキなどが徐々に侵入してきた。すなわち2014年の時点では浪江町では明るい太陽のもとでしか生えないタンポポはすでに駆逐されつつあったのだと思われる。
           
  こいうところでも、もういちど雑草を刈り取り、さら地にして放置すると、またタンポポが繁殖してくるのだと思う。上図のような平場の水田では、いままさにセイタカアワダチソウからススキやヨシなどのイネ科の植生に代わりつつある。ヤナギなどの灌木は一本当たりの種子の数が一年生の雑草に比べて圧倒的に少なく、山から飛んでこなければいけないので、こういう平場では徐々に侵入してくるのだろうと思われる。

     
  以上のような理由で、われわれが2012年から追及している「タンポポの帯化」奇形 の発生率が飯舘村よりも浪江町のほうが高いのではないかという予想を証明する手がかりが、いまだにえられていない。
    
  生態調査は一筋縄ではいかない事を実感させられている。
   
    
(森敏) 
 
付記:タンポポの群落の写真は過去にたくさん撮っているが、WINEPブログでは 

タンポポの多様な奇形花房発見!! :植物に対する放射線の影響(II)

を参照ください。
2010-03-25 11:14 | カテゴリ:未分類
ジャンル:学問・文化・芸術 テーマ:映像・アニメーション

IMG_7705-2.jpg 

周囲128キロメートルの

カルデラ内部の農地(主に水田)

を見下ろす地点から

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      米塚

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    水平な阿蘇外輪の稜線

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   中岳を望む

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 噴煙を上げる中岳(待避壕が見える)

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       草千里

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      烏帽子岳

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     草千里越しの遠望

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      全山ススキ

       

快晴の阿蘇山より

          

飛行機からの阿蘇山一帯はまるで砂漠のような薄い灰色だった。所々に植林した杉林がある。

  

今回そこを大学の後輩の案内で車で回った。

    

阿蘇は一度だけ中岳の火口まで行った記憶があるが、それが一体いつだったのかよく思い出せない。草千里ヶ浜の遠くから火口周辺を見ると、噴火物からの待避壕が見えるので、その記憶からも、確かに火口は阿蘇山だったと記憶する。その時、バスガイドが「阿蘇の恋唄」を何度も何度も乗客に唱和させたので、この唄が実に懐かしい。

 

今は亡き橋元秀教氏(はしもとひでのり:たしか当時九州農試土壌肥料部長)の案内での日本土壌肥料学会九州大会後のエクスカーションのときであったのかも知れない。

   

「阿蘇の恋唄」の歌詞にある朝霧ということばから<あさぎりそう>という朝露できらめく葉を持った植物を見るといつもこの唄と人なつっこい教養人であった橋元さん(彼のことを“はしげん”と我々後輩は愛称していた)を思い出す。

        

阿蘇の恋唄

   

 

阿蘇は朝霧 夕べは夜霧よ
裾野八里を小唄で行けば
浮世 浮世暮らしも ささおつなもの
   
燃ゆる想いか お山の煙はよ
今日もなびくよ あの娘の里へ
里は 里は湯煙 ささ 湯の香りハイハイ
  
青馬の小鈴で 峠をこえりゃよ
恋い情けか 心がぬれる
ぬれる手綱に ささ火が招く

 

  

 (作詞 松本芳明 作曲 陸 奥明)

  

この情緒溢れるメロデイーは下記のホームページで演奏されている

   

 

       

(森敏)

  

付記:はしげんさんの奥さんは、当時、月に一度はいつも新婚気分で東京から熊本に通われており、それを「振り子紀行」という題で、手にすっぽり入る豆本にして出版したからと、小生に寄贈してくれたことがある。

 

http://www.justmystage.com/home/sakurau/japanfolk/asonokoiuta.htm

 

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