- 2023/05/31 : 大輪の「カサブランカ」からの連想
- 2022/12/31 : 駄句:逍遥の連作
- 2022/08/04 : 総武線快速寸描
- 2022/02/16 : 心椛 を読めますか?
- 2022/01/24 : 野ばら の枝葉の放射能
WINEPブログ
「飯舘村のカエルの放射能汚染」
WINEPブログ内で「 葉 」を含む記事
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2023-05-31 11:30 |
カテゴリ:未分類

写真1 真紅の八重の花弁で、雄蕊が2つしかない、雌蕊が見当たらない。

写真2 あと三つ、つぼみが控えている。

写真3 花びらが八重で雄蕊が3本雌蕊が1本。花弁が縦じまのまだら模様。

写真4 花弁が6弁で花びらがまだら模様で、雄蕊が6本、雌蕊が1本。
上掲の写真1は2年前に亡くなった姪のY子が、亡くなる一年前に贈ってくれた鉢植えのカサブランカの花が、今年も真紅に全開したところである。直径25センチの大輪である。写真2に見られるように後ろにつぼみがあと3つひかえている。だから昨年のように、あと3週間は次々と楽しめるはずである。
この花の名前を「カサブランカ」とよぶ、とはY子からの伝言である。しかし、近所の鉢植えの似たような花とは全く異なる八重の花弁を持つうえに、雄蕊と雌蕊が退化している。発生学的には恐らく6本あるべき雄蕊が消えて多くの花弁に変異したものと思われる。
ネットで調べて見ると、もともとカサブランカという名前の由来は「白い家」という意味らしく、基本は花弁が純白らしい。1970年代に葬儀用の花として日本輸入されてきたらしく、当然昭和15年発刊の牧野富太郎の「日本植物図鑑」のユリ科の項目には掲載されていない。
最近散歩していると、東大キャンパス裏の「暗闇坂」に面して、日蓮宗のお寺があるのだが、その玄関先の庭に、これと似たような花だが赤い縦縞のぶちが入った花が路地植えで数株咲いていた(写真4)。 よく観察すると、なんと!その花の中に八重の花弁の株があるではないか!(写真3)
そこで、以上の知見を総合して、カサブランカは品種改良されて、白色6弁、赤色ぶち入り6弁、赤色ぶち入り八重、真紅八重、と品種改良されてきたのではないかと勝手に想像をたくましくした。
Y子にもらったカサブランカはこれまでに全く同じものをどこの花屋さんでも見かけたことがない。
Y子のロシア正教様式の葬儀は御茶ノ水のニコライ堂で執り行われた。そのことはすでにこのWINEPブログのどこかで述べた。夫が日露二世だったからである。母親が白系ロシア人で太平洋戦争のあと、日本に逃れてきたらしい。
話がそれるが、牧野富太郎は東大植物学教室の矢田部良吉教授に最初は歓迎されて、研究室への出入りを許されたのだが、その数年後、出入りを禁止される(きっとそのうち、朝どらの「らんまん」でもその場面が出てくるだろう)。困窮した富太郎は日頃から手紙で植物の押し葉標本を送って品種名の同定を頼んでいたロシアの植物学者マキシモビッチ氏のところに自費留学を決意する。
そのためのロシア語の紹介状を書いてもらいに、お茶の水のロシア教会の「ニコライ堂」の司祭に面会に出かける。ロシア本国と子細に連絡を取ってもらうが、ロシアから帰ってきた返事は、肝心のマキシモビッチ氏がすでに急死していた、ということで、富太郎はそれを知らされて呆然とする。
このとき、窮地に落ちいった彼の「むじなも」の研究の場を提供したのは、駒場の農科大学の池野成一郎助教授であった。池野は裸子植物であるソテツの精子の発見者であった。
以上、カサブランカ・・・・Y子の葬儀・・・・ニコライ堂・・・・牧野富太郎と、とめどもなく妄想した。
(森敏)
追記:家の近くの通称「ひとは(一葉)通り」の民家が、家の片隅に鉢植えを置いており、それが何と八重の花弁の先がピンクのカサブランカだった!なんと、この花は雄蕊も雌蕊も消失している。

2022-12-31 16:19 |
カテゴリ:未分類
12月30日は朝から快晴だった:以下は朝の散歩道の逍遥の駄句連作です。
こらえ切れず 倒産店頭の 街歩む
今年はコロナのせいでいくつもの店が本郷通りと春日通りでも倒産閉店した。転売改修中の店も多い。
限りなき コブシの蕾(つぼみ) 芽吹きおり
無縁坂のコブシが2月末の開花を目指してすでに無数に着いている。
家々に ごみ集積す 晦日(みそか)前
年末最後の大掃除をしたのだろう、今日が最後のごみ回収日なんだろう。マンション入り口にゴミ袋が満載である。
ちゅんちーちー 仲間呼び交う 樹々の朝
三菱資料館や岩崎邸の高木には多種類の小鳥が住んでいる。
献血後 ダムに身投げし 若き君
なぜか、歩いていると、突然、小生が大学の助手のときに隣の土壌学教室の元気だった4年生の学生が突然いなくなって、あとで聞いたら小河内ダムに身投げした、ということを思い出した。彼は投身自殺前に御茶ノ水の赤十字に献血してささやかに社会に貢献しておきたかったのではないかという噂であった。
本年も まだらに剥けたり ポプラ肌
不忍通りのポプラの樹の葉が全部散って、木肌から鹿の子まだらに皮がむけて、木の代謝が感じられる。
タイ人か 定点陽だまりに 談笑す
不忍の池の周りには各所に外国人が集まって交流を重ねている。民族によって集まる場所が決まっているようだ。
なにゆえに 幼き子らは 滑り台
親が見守る中、2家族の幼い娘子3人が繰り返し繰り返し滑り台に登っては滑って、時々転んで泣いたりしている。高低差をお尻で感じながら滑るということが、何か人類の原始的な快感の進化と関係があるのだろうか?
読経なり 人々座りて 厳粛に
上野寛永寺の鐘の音が正午を告げている。不忍池の弁天堂では読経が始まった。参拝しようとしたが、賽銭箱の音がうるさいのか、参拝の皆さんは堂内や屋外の椅子に座って、黙然としている。終わってから投げ銭するのだろうか? 読経が長くなるので小生は退散した。
老女友 ホット饅頭で 若返る
老いた女友達が弁天堂参道の屋台から買ったと思われる、ほかほかのまんじゅうをたべながら嬉しそうに談笑している。お二人ともすでにご主人がなくなっているのかもしれない。
望遠の チャンス狙いで 逆光に
多分、多種類の鳥たちの振る舞いのシャッターチャンスを狙って、玄人並みの装備をしたカメラマンが何人かが池の周りをうろうろして、あえて逆光映像を狙っている。
アメ横や コロナ恐れぬ 人の浪
と、テレビの歳末風景で見たので、アメ横にはいかなかった。
我は杖 横走り去る 若老人
小生は足がつり気味なので杖を突いてよたよた歩いているのに、そこを颯爽とやせ型の老人が若々しくマラソンで駆け抜けていった。
廃線の 園内モノレール 輝けり
小池知事により、上野公園のモノレールが老朽化で廃線と決まった。これは子供や孫を楽しませてくれた。金網のフェンス越しに図らずもこのモノレールが輝いて見えた。お役目ご苦労様でした。
間引きせぬ 鯉福福と 蓮(はす)食らう
不忍池では夏には蓮が池の全面に生育して秋には枯れていき、湖面より上が人手で除去される。しかし地下茎のレンコンは全く回収されていないので、これがこの池の生態系を持続的に維持し続けていると考えられる。一方、これらを食べる鯉は、全く間引きされていないようだからか、太る一方である。いつどこで見ても数十センチの○○と太った鯉が無数に悠然と泳いでいる。
頸(くび)伸べて ねだる湖面に エサ投げ男
ベンチに座っていると、目の前のカモが繁く寄ってきて餌をねだる。生態系保護のためにカモや鯉には餌を投げてはいけないことになっているが、つい可愛さにほだされて、ベンチの老人はパンくずを投げてしまうのである。
ベンチにて もぐもぐ茶のみする 老いし人よ
ポンチ絵に出てくるような凹面顔のおちょぼ口の日焼けした老人が、食後にうまそうにお茶を喉音を立てて飲んでいた。その横顔がいかにも漫画チックであった。前歯が全部抜けているのだろう。公園のあちこちでねぐらを求めて生きているのだろう。
鵜(う)は潜り 波紋残してや 突出し
鵜が浅い池にエサを求めて潜って、波紋を残して、30秒ぐらいして、数メートル先にひょっこりと浮かび上がることを繰り返している。どこに浮上するのか見ていて飽きない。だが、獲物をくわえて浮上したのを見たことがない。
スーパーに 第九流れ ニシン昆布巻き
業務スーパーに立ち寄ってみたら、正月用品が満載されている。明日が大晦日だからというわけで、ベートーベンの交響曲第9番が流れている。だがあまり、買い物の雰囲気にはそぐわないと感じた。年越しそば用に昆布巻きだけを買った。
ご飯粒 群れなすハトに 手延べする
このおじちゃんは公園の常連らしく、ハトが30匹ばかり続々と群がってきており、そのうちの数匹のハトは、おじちゃんが指につけたごはんつぶみたいなものを直接口に渡してもらっていた。随分親しい。
赤銅(しゃくどう)に 光る頭が カップ麺
最近湖畔に建立された鑑真像のようなつるっぱけで赤銅色に照る照る頭のおじさんが群がるハトの前でカップ麺をおいしそうにすすっていた。この人も無宿らしい。
弛(たる)みの女身(み) ゆっくりマラソン 歩き無く
少しおなかが太り気味の中年女性がゆっくりゆっくりマラソンしていた。絶対に歩かないぞという真剣な雰囲気だった。
晴れやかに 語る男女が 不忍池(いけ)に入る
背が高くスマートでセンスのいいオーバーを着た若い男女が、いかにも楽しいことがありそうな晴れやかな顔をして不忍湖畔に入っていった。小生は出ていくところだった。
初(はつ)日の出 打倒プーチン 祈りたし
それでは、皆様にとって来年が良いお年でありますように!
(森敏)
こらえ切れず 倒産店頭の 街歩む
今年はコロナのせいでいくつもの店が本郷通りと春日通りでも倒産閉店した。転売改修中の店も多い。
限りなき コブシの蕾(つぼみ) 芽吹きおり
無縁坂のコブシが2月末の開花を目指してすでに無数に着いている。
家々に ごみ集積す 晦日(みそか)前
年末最後の大掃除をしたのだろう、今日が最後のごみ回収日なんだろう。マンション入り口にゴミ袋が満載である。
ちゅんちーちー 仲間呼び交う 樹々の朝
三菱資料館や岩崎邸の高木には多種類の小鳥が住んでいる。
献血後 ダムに身投げし 若き君
なぜか、歩いていると、突然、小生が大学の助手のときに隣の土壌学教室の元気だった4年生の学生が突然いなくなって、あとで聞いたら小河内ダムに身投げした、ということを思い出した。彼は投身自殺前に御茶ノ水の赤十字に献血してささやかに社会に貢献しておきたかったのではないかという噂であった。
本年も まだらに剥けたり ポプラ肌
不忍通りのポプラの樹の葉が全部散って、木肌から鹿の子まだらに皮がむけて、木の代謝が感じられる。
タイ人か 定点陽だまりに 談笑す
不忍の池の周りには各所に外国人が集まって交流を重ねている。民族によって集まる場所が決まっているようだ。
なにゆえに 幼き子らは 滑り台
親が見守る中、2家族の幼い娘子3人が繰り返し繰り返し滑り台に登っては滑って、時々転んで泣いたりしている。高低差をお尻で感じながら滑るということが、何か人類の原始的な快感の進化と関係があるのだろうか?
読経なり 人々座りて 厳粛に
上野寛永寺の鐘の音が正午を告げている。不忍池の弁天堂では読経が始まった。参拝しようとしたが、賽銭箱の音がうるさいのか、参拝の皆さんは堂内や屋外の椅子に座って、黙然としている。終わってから投げ銭するのだろうか? 読経が長くなるので小生は退散した。
老女友 ホット饅頭で 若返る
老いた女友達が弁天堂参道の屋台から買ったと思われる、ほかほかのまんじゅうをたべながら嬉しそうに談笑している。お二人ともすでにご主人がなくなっているのかもしれない。
望遠の チャンス狙いで 逆光に
多分、多種類の鳥たちの振る舞いのシャッターチャンスを狙って、玄人並みの装備をしたカメラマンが何人かが池の周りをうろうろして、あえて逆光映像を狙っている。
アメ横や コロナ恐れぬ 人の浪
と、テレビの歳末風景で見たので、アメ横にはいかなかった。
我は杖 横走り去る 若老人
小生は足がつり気味なので杖を突いてよたよた歩いているのに、そこを颯爽とやせ型の老人が若々しくマラソンで駆け抜けていった。
廃線の 園内モノレール 輝けり
小池知事により、上野公園のモノレールが老朽化で廃線と決まった。これは子供や孫を楽しませてくれた。金網のフェンス越しに図らずもこのモノレールが輝いて見えた。お役目ご苦労様でした。
間引きせぬ 鯉福福と 蓮(はす)食らう
不忍池では夏には蓮が池の全面に生育して秋には枯れていき、湖面より上が人手で除去される。しかし地下茎のレンコンは全く回収されていないので、これがこの池の生態系を持続的に維持し続けていると考えられる。一方、これらを食べる鯉は、全く間引きされていないようだからか、太る一方である。いつどこで見ても数十センチの○○と太った鯉が無数に悠然と泳いでいる。
頸(くび)伸べて ねだる湖面に エサ投げ男
ベンチに座っていると、目の前のカモが繁く寄ってきて餌をねだる。生態系保護のためにカモや鯉には餌を投げてはいけないことになっているが、つい可愛さにほだされて、ベンチの老人はパンくずを投げてしまうのである。
ベンチにて もぐもぐ茶のみする 老いし人よ
ポンチ絵に出てくるような凹面顔のおちょぼ口の日焼けした老人が、食後にうまそうにお茶を喉音を立てて飲んでいた。その横顔がいかにも漫画チックであった。前歯が全部抜けているのだろう。公園のあちこちでねぐらを求めて生きているのだろう。
鵜(う)は潜り 波紋残してや 突出し
鵜が浅い池にエサを求めて潜って、波紋を残して、30秒ぐらいして、数メートル先にひょっこりと浮かび上がることを繰り返している。どこに浮上するのか見ていて飽きない。だが、獲物をくわえて浮上したのを見たことがない。
スーパーに 第九流れ ニシン昆布巻き
業務スーパーに立ち寄ってみたら、正月用品が満載されている。明日が大晦日だからというわけで、ベートーベンの交響曲第9番が流れている。だがあまり、買い物の雰囲気にはそぐわないと感じた。年越しそば用に昆布巻きだけを買った。
ご飯粒 群れなすハトに 手延べする
このおじちゃんは公園の常連らしく、ハトが30匹ばかり続々と群がってきており、そのうちの数匹のハトは、おじちゃんが指につけたごはんつぶみたいなものを直接口に渡してもらっていた。随分親しい。
赤銅(しゃくどう)に 光る頭が カップ麺
最近湖畔に建立された鑑真像のようなつるっぱけで赤銅色に照る照る頭のおじさんが群がるハトの前でカップ麺をおいしそうにすすっていた。この人も無宿らしい。
弛(たる)みの女身(み) ゆっくりマラソン 歩き無く
少しおなかが太り気味の中年女性がゆっくりゆっくりマラソンしていた。絶対に歩かないぞという真剣な雰囲気だった。
晴れやかに 語る男女が 不忍池(いけ)に入る
背が高くスマートでセンスのいいオーバーを着た若い男女が、いかにも楽しいことがありそうな晴れやかな顔をして不忍湖畔に入っていった。小生は出ていくところだった。
初(はつ)日の出 打倒プーチン 祈りたし
それでは、皆様にとって来年が良いお年でありますように!
(森敏)
2022-08-04 10:25 |
カテゴリ:未分類
午後5時過ぎに久しぶりに総武線快速に乗った。小生はスマホを持たないので、座って足の貧乏ゆすりをやりながら、久しぶりの遠出の外出なので乗客をあちこち観察してみた。平日の夕方なので、立っている人がいないので向かいの座席が丸見えである。
小生の右隣とそのまた右隣の男性はスマホを正面に立てて向ってスマホをやっていた。そのまた右隣の男性(ドアの横)は、小生とおなじくなにもせず手持ちぶ沙汰であった。
しばらくわからなかったのだが、10分ばかりして気が付いたのは向かいの座席のドアの横に座っている女性だ。
彼女は涼しそうな模様入りの足元まで流れるワンピースを着て、細身で、薄いピンクのマスクをしているのだが目鼻立ちが立体的なので西欧系外国人と思われた。そして、ずーっとマスクをしていながら「お化粧」に余念がなかった。眉とまつ毛と目の周りとを、膝の上に化粧品セットをおいて、化粧筆をとっかえひっかえして塗ったり、化粧紙ではがしたりしていた。
全く自分の正面(我々の側)に誰がいるかを見ていないようであった。手鏡の自分の映像に没入している様子。耳元にイアホンをはめていたので、それで外界の音が消されていて、化粧に集中できているようである。小生の右横の2名も、スマホ見て見ぬふりをしているようだが、スマホをしていない隣の隣の隣の男は真顔でまじまじと眺めており、彼女の化粧への集中ぶりには「大したもんだ!(あきれたもんだ?)」と感嘆の様子である。
小生は30分後に東京駅で降りたのだが、彼女はまだ化粧を続けており、降りなかった。「夜の商売」に遥か千葉から横浜あたりに出かけるのかもしれない。
小生が昔下宿をしていたころ、隣の部屋のご婦人は、いつも夕方になると和服すがたでご出勤されていたことを思い出した。ひとこともことばをかわしたことがなかったのだが。高度成長期の華やかな時代だったね。
(森敏)
小生の右隣とそのまた右隣の男性はスマホを正面に立てて向ってスマホをやっていた。そのまた右隣の男性(ドアの横)は、小生とおなじくなにもせず手持ちぶ沙汰であった。
しばらくわからなかったのだが、10分ばかりして気が付いたのは向かいの座席のドアの横に座っている女性だ。
彼女は涼しそうな模様入りの足元まで流れるワンピースを着て、細身で、薄いピンクのマスクをしているのだが目鼻立ちが立体的なので西欧系外国人と思われた。そして、ずーっとマスクをしていながら「お化粧」に余念がなかった。眉とまつ毛と目の周りとを、膝の上に化粧品セットをおいて、化粧筆をとっかえひっかえして塗ったり、化粧紙ではがしたりしていた。
全く自分の正面(我々の側)に誰がいるかを見ていないようであった。手鏡の自分の映像に没入している様子。耳元にイアホンをはめていたので、それで外界の音が消されていて、化粧に集中できているようである。小生の右横の2名も、スマホ見て見ぬふりをしているようだが、スマホをしていない隣の隣の隣の男は真顔でまじまじと眺めており、彼女の化粧への集中ぶりには「大したもんだ!(あきれたもんだ?)」と感嘆の様子である。
小生は30分後に東京駅で降りたのだが、彼女はまだ化粧を続けており、降りなかった。「夜の商売」に遥か千葉から横浜あたりに出かけるのかもしれない。
小生が昔下宿をしていたころ、隣の部屋のご婦人は、いつも夕方になると和服すがたでご出勤されていたことを思い出した。ひとこともことばをかわしたことがなかったのだが。高度成長期の華やかな時代だったね。
(森敏)
2022-02-16 15:58 |
カテゴリ:未分類
今朝の朝刊では、昨日の北京オリンピックで上位で活躍した女子スキーやスケートの選手の名が新聞で踊っていた。
村瀬心椛(ここも)、高木美帆、
高木菜那、坂本花織、
樋口新葉(わかば)、川辺愛菜(なな)、
岩渕麗楽(れいら)
鈴木夕湖(ゆうみ)、吉田夕梨花
藤沢五月、吉田知那美
などである。
いずれも素直には読めない当て字である。現今では命名に関しては、どんな漢字をどう読ませてもいいようだから、学校の先生も、マスメデイアも、我々読者も、頭をひねらざるを得ない。
上記の中でもとりわけ “ここも”(心椛) は難物であった。非学の小生には「椛」という字をどう読むかわからず、手元の電子辞書の大辞泉、明鏡国語辞典、広辞苑、新漢語林という辞書で「手書き」で調べてもなかなか読み方が出てこなかった。百科事典などをあちこちいじくりまわしているとモミジ(紅葉の意味)と読むらしいことが分かった。カバともハナとも読むらしい。
それにしても最近の女の子の名は相当親が凝って名づけていることがうかがわれる。命名に凝れば凝るほど愛情が注がれて、上記オリンピック選手のように子供もすくすくと育つのだろう。この場合はまさに「名は体を表す」というべきか。
と、言いたいのだが、最近のニュースでは、親の虐待や、子殺しで、登場する被害者のお子さんにはほんとうに愛っ苦しい名前が登場することもあるので、その極端なギャップには唖然とする場合がある。
真に、昔も今も名づけはむつかしい。
(森敏)
2022-01-24 11:02 |
カテゴリ:未分類
空間線量が毎時17マイクロシーベルトの双葉町の道路わきの崖の灌木に野ばらが巻き付いていた。
ばらのとげを避けながら、一枝を丁寧にはがして採取した(図1)。
そのオートラジオグラフが図2,図3である。
先端に近い葉が放射能が濃いように見える。
すべての植物に共通な現象であるが、このバラでも枝の節位の各部分が濃いことがわかる。



ばらのとげを避けながら、一枝を丁寧にはがして採取した(図1)。
そのオートラジオグラフが図2,図3である。
先端に近い葉が放射能が濃いように見える。
すべての植物に共通な現象であるが、このバラでも枝の節位の各部分が濃いことがわかる。


