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- 2021/02/23 : 森戸辰男のお墓を発見
- 2021/02/08 : 福島を語る言葉 私たちは十分に掘り起こせて来ただろうか:日経新聞文化時評
- 2021/02/02 : 蠟梅の香り
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産業界が以下の産経新聞の記事のような「エネルギー基本計画策定」を政府に要望したいということである。
2011年から10年たったから、もうそろそろ東電福島第一原発の、惨禍を、国民が忘れてしまったと考えているのだろうか?
日本国民も随分となめられたものである。
日本国民を「認知症」だと思っているのか!
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産業界、原発の新設や更新を要望 エネルギー基本計画議論
2021/02/24 16:41
産経新聞
経済産業省は24日、今夏にも取りまとめるエネルギー基本計画策定に向けた検討会を開催し、今回は産業界から幅広く意見を聞いた。政府が表明した「2050年カーボンニュートラル」、また、30年の電源構成の在り方に関し、各業界からは、主力電源としての再生エネルギーの積極活用を挙げる一方、特に、CO2を排出しない原子力発電に関しては政策方針に「新増設・リプレース(建て替え)」を含めるよう求めるなど、最適な電源構成の重要性を指摘する声が相次いだ。
同日の検討会で経団連の越智仁副会長は政府のカーボンニュートラルの宣言を「英断であり、経済界として高く評価する」とした。一方、2050年の電源構成に関しては「すべての電源を排除しない姿勢を明確にすべきだ。とりわけ、原子力は確立した脱炭素電源で、将来に向けた重要な選択肢。政策方針へのリプレース、新増設の盛り込みが不可欠だ」と指摘した。さらに、30年時点でも、「技術や人材維持の観点から対応は待ったなし」とし、政府に原子力に関する方針の明確化を求めた。
また、日本商工会議所の三村明夫会長は「再エネは供給の不安定さが最大の課題で克服が不可欠。(再エネ固定買い取り制度の)FIT賦課金をはじめ電力料金上昇は中小企業の経営に影響を与えている」と指摘。電力の安定供給やコスト抑制の観点から、特に原子力に関して「早期再稼働、リプレース・新増設、さらに核燃料サイクルなどの課題に国が前面に立って責任をもって推進してもらいたい」と注文した。
一方、連合の神津里季生会長は「中長期的に原子力エネルギーに対する依存度を低減させるべきだ」としつつも「代替エネルギー源が確保されるまでの間は活用していく」との考え方を示した。全国消費者団体連合会の二村睦子理事は「30年までに電力の50%以上の再エネ導入をめざし、主力電源化を求める」とする一方、「30年代の原発稼働ゼロに向けた工程計画を求める」とした。
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(森敏)
付記:以下に、「放射線像」をYouTubeで継続して発信しております。ぜひご覧ください。

図1.東京都文京区白山神社周辺の寺社の地図。 本記事の「蓮華寺」は、一番右下の二寺の左側。この地図は本郷通りの三宅石材店の門柱に刻まれている。

図2. 森戸家の墓

図3. 図2の拡大図

図4.森戸辰男の戒名「碩徳院育英日辰居士」と右側が奥方の戒名と思われる。

図5.墓石背面に記された森戸辰男のサイン
中共コロナのせいで、室内での座り仕事ばかりしていて、体調が極めて不良なので、午後3時ごろから散歩に出かけた。
本郷三丁目の「かねやす」までは江戸のうち、と読まれているぐらいで、そこから南や北には、本郷通り、白山通り、春日通り に沿って、半径5キロ圏内には約80ぐらいの寺社が存在している(図1)。京都市内に次ぐぐらいのお寺の密集度ではないだろうか。
最近は、寺社が敷地を幼稚園にしたり、切り売りしたりして、墓地の建立の余地が無くなってきたためか、「陵苑」と称して敷地内マンション形式で数百基も入る回転式の屋内お墓が増えてきた。そういうところには、あかの他人が入れないが、解放系の墓地は今でも、午後4時ごろまでは、関係者以外でも比較的出入りが自由である。
小生は大学院生のころは東大植物園の近くの白山御殿町に下宿していたので、久しぶりに白山通り周辺を、杖を突きながら、休み休みうろうろしてみた。そうしたら、なんと、「蓮華寺」というお寺の入り口の看板に、森戸辰男(学者・広島大学総長・元文部大臣)と広沢虎造(浪曲師)のお墓がある、と書かれていた。
興味が湧いたので、急峻な階段を上がって、広い墓地をくまなく探していたら、森戸家の墓なるものが2つあった。子細に吟味してみたら、この墓地では珍しい横長の墓石の方に(図2、図3)、その背面に、<昭和三十九年九月 森戸辰男建之> というサインが刻まれていた(図5)。また、墓の後ろに立てられた木片には 碩徳院育英日辰居士 という戒名が書かれていたので(図4)、間違いなく森戸辰男の墓と同定できた。花も植木もない実に簡素なたたずまいであった。
家に帰ってWikipedia で調べてみると、森戸辰男は1888年12月23日生まれで、1984年5月28日に96歳の長寿で没しているので、このお墓を1960年(小生が大学に入った年)の72歳の時に立てた後も、20年間も生きていたことになる。生前のその用意の良さ、というか、墓の建之以来自身が長生きしたことには、自分でも驚いたのではないだろうか。
経済学者であった森戸辰男は戦前は無政府主義者クロポトキンの研究者として、東京大学の国粋主義の法学者たちによって内部告発されて、官憲に逮捕留置されて失職したが(有名な「森戸辰男事件」として、小生が学んだ昔の現代史の教科書には載っていた)、戦後は復職して、広島大学初代総長や文部大臣など文教関連の戦後民主主義体制の創建を主導した。小生の若いころは、「家永裁判」で国側の証人に出たりしたときは、「反動」だとか呼ばれていた。文化功労者や勲一等を授賞している。戒名(図4)の「::育英::」という文字には、彼が日本の戦後教育の再建に貢献した意味が込められているのだと思ったことである。
波乱万丈で、現在では右翼からも、左翼からも批判があるだろうが、森戸辰男氏は世間の批判をものともせず、主観的には常に前向きな建設的な人生を貫徹したのではないだろうか。
お寺巡りもたまにはいい。森鴎外も、時代小説の取材のために、谷中方面の寺巡りを相当詳しくやっていたようだ。
(森敏)
付記:以下に、「放射線像」の YouTubeを継続発信しております。ご笑覧ください。
「福島を語る言葉 私たちは十分に掘り起こしてきただろうか」
というタイトルで 滝順一記者による新聞紙半ページにわたる秀逸な記事が掲載されています。
2011年3月11日東電福島第一原発事故以来、この10年間で、芸術や文学が十分に福島を語りえているであろうか、と多角的な取材で記者は懊悩しています。
その記事の冒頭で、福島県飯舘村で2014年に採取したヒノキの葉と球果の 小生が撮像した放射線像の写真が大きく紹介されています。
このヒノキの放射線像に関しては、映像作家加賀谷雅道さんと小生がYouTubeで対談しているので、お暇なときに以下をご笑覧いただければうれしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=WC_cGzlegtw
(森敏)

蠟梅 鐙坂上にて

蠟梅 東大裏どおり 暗闇坂にて
雨上がりに下を向いて、ゆっくり歩いていると、いきなり日本的な古風な良い匂いがした。
頭を上げると、民家の塀先から黄白色のロウバイ(蠟梅)の花がのぞいていて満開だった。
嗅覚が衰えていないことを実感した。
まだ自分は中共コロナにかかっていなくて、認知症でもないかも、と勝手に解釈して安心した。
蠟梅の匂い感じて安心し ビン
(森敏)
追記: 蠟梅は、東大小石川植物園の塀際に立派な樹があります。今は中共コロナで入園中止かもしれませんが。
付記:以下に、「放射線像」の YouTubeを継続発信しております。ご笑覧ください。
2020年1月25日から3月31日までの上海から武漢に上海共産党の勧めで派遣されて、勇躍逆行(あえて人が行きたがらない戦場に向かうこと、という意味らしい)入りした中国共産党員である女医査ケイ芳さんの奮闘の日記である。
読み終わってなんとなく複雑な気持ちをぬぐい切れないでいる。文字では彼女の奮闘の記録が伝わらないのだ。医療に必要な技術の詳細が書かれていないし、周りがいい人ばかりに描かれているし。
査けい芳さんは未知のコロナウイルスにやられた重症患者を最初に受け入れた金銀潭病院に仲間とともに支援に入ったあと、様々な危険な体験(防護服やマスクのことが頻繁に出てくる)をして、患者を救ったり、残念ながら死亡させたりした野戦病院的な修羅場の雰囲気での中での滅私奉公を語っている。
日記の形式になってはいるが、ウイチヤットでの音声記録を後で書き下ろしたものを、共産党上層部に見せて修正を加えて、世の中に公開されたものと思われる。そうでなければ激務の毎日にこんな長編の文章を書きおろせるはずがない。相当、彼女自身や共産党上層部によって添削されていると思われる。
文章のところどころに共産党員の集会や新しい党員の入党式などが書かれていて、この点は全く知らなかったので小生には新鮮だった。
随所に毛沢東や習近平や有名な過去の中国の文人の格言みたいな言葉がでてくるので、これらは中国共産党員の常識であり、彼らの精神の存立基盤であることがよくわかる。
日本でも重症患者を担当している病院では、医師たちは彼女と同じすざまじい医療業務体験をしているはずであるが、その現場の医師たちが奮闘している映像記録があまり開示されていない。なので、われわれ日本国民は、中共コロナは強いインフルエンザぐらいだろう、と思って、医師たちに対する同情が薄かったのではないだろうか。その結果、日本でも医療崩壊が始まって、結局受診入院できずに在宅自粛死が始まっている。
重症患者の医療現場のすざまじさをもっともっと可視化する必要があると、この本を読んで、改めて思ったことである。
映像を撮るカメラマンがECMOなどの操作されている患者の病室に入れないのが最大のネックになっているのだろうが、そこは何とか工夫して、苦闘する患者や奮闘する医師や看護師のすがたを、もっともっと可視化するべきだと思う。
現在WHOの調査団が武漢入りして中共ウイルス発症の起源に関する調査を行っているらしい。一番最初にこの金銀潭病院に入ったということである。要注目!である。
(森敏)
追記:WHOの調査団は、やっと当初中共側が発生源と主張していた「海鮮市場」の調査に入れたようだ。すでにきれいに全店が閉鎖されていて、徹底的に消毒されている現場には、証拠が残されているはずがない。 中国側主導のスケジュールで調査団は行動させられているようで、マスコミと調査団との遮断が激しいみたいだ。黒ずくめの私服警察が、徹底的に両者の接触を妨害している。何を隠蔽したがっているのかね??? 調査団内部での議論が全く伝わってこない。