- 2021/04/14 : 帯化タンポポ発見:東大農学部前弥生の交差点
- 2021/04/11 : 現代美術作家杉本博司氏の作品予告を読んで思う
- 2021/03/11 : 美は乱調にあり:「放射線像」 森敏・加賀谷雅道著 のご紹介
- 2021/02/23 : 森戸辰男のお墓を発見
- 2021/02/02 : 蠟梅の香り
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帯化タンポポ(右の茎が太いやつ)。弥生の交差点にて。3月30日撮影

今年は、昨年まで2年間続いた東大農学部正門前の本郷通のイチョウの植え込みにあった帯化タンポポが消えてしまっていた。
その代わりに、本郷通りの農学部わきの弥生の交差点を渡った植え込みに帯化タンポポが1株発生していた。ずっと観察していたのだが、4月12日時点でも、誰も気が付かないのか、綿毛が散り始めていた。
このか所は付近のご婦人たちが散歩させている犬が小便をするところなので、植物ホルモン効果のある成分が、恒常的に放尿されて、帯化したのかもしれない。
これまで調べたところ、東京の街路樹の植え込みには、けっこうな頻度で帯化タンポポの株が観察される。約0.1%ぐらいか。
読者諸氏にはこれから綿毛の最盛期に、遠目に見て異常な形状の綿毛が見えたら、近づいてみて、茎の部分が異常に太くなっていたり、割れていないかどうかなど詳細に観察して見てください。
その写真をwinep@bird.ocn.ne.jpに添付で送っていただければありがたいです。出来れば、観察地点の地名か緯度・経度を明示して。
(森敏)

放電場 (文芸春秋より無断転載)
文芸春秋5月号に「日本の顔」シリーズとして、今回は現代美術作家杉本博司氏が6頁にわたって写真で紹介されています。その最後のページに
“人工的に起こした雷を撮った作品「放電場」をニューヨークで大版に刷り、東京で襖絵に仕立てた。京都建仁寺の両足院で今年11月に公開予定” というコメント付きで、上図が一部写真紹介されています。これは物理現象である雷の一瞬のフラクタル現象を映像として印画紙に焼き付けて可視化したものであるらしい。
奇しくも小生たちは福島で放射能汚染された動植物や日用品が発する放射線をラジオオートグラフで「放射線像」として可視化して撮像してきたので、実に僭越な言い方であるのだが、この作家の美意識が痛いほどよく理解できます。
小生は「放射線像」の本の「あとがき」の タイトルを「美は乱調にあり」としました。この「美は乱調にあり」 という言葉は、「あとがき」の原稿を書いているときに、 自然に小生の頭の中に降りてきたものです。この言葉は瀬戸内寂聴さんの 伊藤野枝(大杉栄の女房)の伝記に出てくる言葉です。その反語として、この寂聴さんの本には、「諧調は偽りなり」 という章建てもあります。
小生にとって自然現象は一見ランダムな「乱調」に見えるが、我々人間が知ると否とにかかわらず、それらはすべからく人知が及ばない自然の法則性に従っているので、美しく、ずっと見ていても、 何回繰り返して見ても、想像や疑問を膨らますことができて、決して見飽きない、と思っています(すなわち「美は乱調にあり」)。一方で、ピカソやダリのように、人が巧(たくら)んだ美は、いくら芸術家が美の最高の技法を凝らしても、 結局は単調で、いずれは飽きが来る(すなわち「諧調は偽りなり」)。
残念ながら、誰もそんな深読みの批評はしてくれていませんが、 この「放射線像」本ではそんな <科学と芸術の融合> も多少は意図しているつもりです。原発事故の惨状を伝える事ばかりでなく。
そういう我々の目で見ると、杉本博司さんの今回の作品「放電場」は、人為的に発生させた雷という自然現象を撮像したモノで、まさに乱調の美を感じさせるものです。
一昨日京都から帰ってきたばかりですが、今回2回も訪れた建仁寺には、秋にこの杉本博司さんの作品を鑑賞しに出かけたくなりましたね。
10年前の本日(2011年3月11日)からの5日間は、東電福島第一原発の原子炉の1,2,3,4号基が、連鎖的にメルトダウンして水素爆発し、日本中を放射能汚染させた、歴史的大惨事であった。福島県人は今も35730人が県外に避難している。帰りたくても帰れない。


本の表紙:放射能汚染した靴底の下敷きの放射能汚染像
この本は森敏と加賀谷雅道が、過去10年間福島に通って、放射能を可視化した「放射線像」の写真集です。
この本に掲載されている、日用品や、動植物をサンプリングした当時の放射能汚染現場(飯舘村、浪江町、双葉町)の様相などは、その詳細を、二人の対談で解説しました。それを以下のYouTubeでこの半年間発信して来ました。
https://www.youtube.com/channel/UCoxOKSbRGkZSNR7no2-7U9g
この「放射線像」は環境にやさしく、省エネを目指して、あえて本屋さんを通さない、独特なネット販売方式をしています.
本と同時に、加賀谷雅道が創意工夫して開発した放射能汚染した日用品の3次元立体画像を、コンピューター上で回転操作したり、豊富な画像が伸縮自在の、アーカイブアプリ「放射線像」も販売しています。
放射線像/Autoradiograph|公式サイト/Official website
今後も継続して調査研究ができる資金が得られるので、ご購入いただければとても嬉しいです。
森敏・加賀谷雅道 拝

図1.東京都文京区白山神社周辺の寺社の地図。 本記事の「蓮華寺」は、一番右下の二寺の左側。この地図は本郷通りの三宅石材店の門柱に刻まれている。

図2. 森戸家の墓

図3. 図2の拡大図

図4.森戸辰男の戒名「碩徳院育英日辰居士」と右側が奥方の戒名と思われる。

図5.墓石背面に記された森戸辰男のサイン
中共コロナのせいで、室内での座り仕事ばかりしていて、体調が極めて不良なので、午後3時ごろから散歩に出かけた。
本郷三丁目の「かねやす」までは江戸のうち、と読まれているぐらいで、そこから南や北には、本郷通り、白山通り、春日通り に沿って、半径5キロ圏内には約80ぐらいの寺社が存在している(図1)。京都市内に次ぐぐらいのお寺の密集度ではないだろうか。
最近は、寺社が敷地を幼稚園にしたり、切り売りしたりして、墓地の建立の余地が無くなってきたためか、「陵苑」と称して敷地内マンション形式で数百基も入る回転式の屋内お墓が増えてきた。そういうところには、あかの他人が入れないが、解放系の墓地は今でも、午後4時ごろまでは、関係者以外でも比較的出入りが自由である。
小生は大学院生のころは東大植物園の近くの白山御殿町に下宿していたので、久しぶりに白山通り周辺を、杖を突きながら、休み休みうろうろしてみた。そうしたら、なんと、「蓮華寺」というお寺の入り口の看板に、森戸辰男(学者・広島大学総長・元文部大臣)と広沢虎造(浪曲師)のお墓がある、と書かれていた。
興味が湧いたので、急峻な階段を上がって、広い墓地をくまなく探していたら、森戸家の墓なるものが2つあった。子細に吟味してみたら、この墓地では珍しい横長の墓石の方に(図2、図3)、その背面に、<昭和三十九年九月 森戸辰男建之> というサインが刻まれていた(図5)。また、墓の後ろに立てられた木片には 碩徳院育英日辰居士 という戒名が書かれていたので(図4)、間違いなく森戸辰男の墓と同定できた。花も植木もない実に簡素なたたずまいであった。
家に帰ってWikipedia で調べてみると、森戸辰男は1888年12月23日生まれで、1984年5月28日に96歳の長寿で没しているので、このお墓を1960年(小生が大学に入った年)の72歳の時に立てた後も、20年間も生きていたことになる。生前のその用意の良さ、というか、墓の建之以来自身が長生きしたことには、自分でも驚いたのではないだろうか。
経済学者であった森戸辰男は戦前は無政府主義者クロポトキンの研究者として、東京大学の国粋主義の法学者たちによって内部告発されて、官憲に逮捕留置されて失職したが(有名な「森戸辰男事件」として、小生が学んだ昔の現代史の教科書には載っていた)、戦後は復職して、広島大学初代総長や文部大臣など文教関連の戦後民主主義体制の創建を主導した。小生の若いころは、「家永裁判」で国側の証人に出たりしたときは、「反動」だとか呼ばれていた。文化功労者や勲一等を授賞している。戒名(図4)の「::育英::」という文字には、彼が日本の戦後教育の再建に貢献した意味が込められているのだと思ったことである。
波乱万丈で、現在では右翼からも、左翼からも批判があるだろうが、森戸辰男氏は世間の批判をものともせず、主観的には常に前向きな建設的な人生を貫徹したのではないだろうか。
お寺巡りもたまにはいい。森鴎外も、時代小説の取材のために、谷中方面の寺巡りを相当詳しくやっていたようだ。
(森敏)
付記:以下に、「放射線像」の YouTubeを継続発信しております。ご笑覧ください。

蠟梅 鐙坂上にて

蠟梅 東大裏どおり 暗闇坂にて
雨上がりに下を向いて、ゆっくり歩いていると、いきなり日本的な古風な良い匂いがした。
頭を上げると、民家の塀先から黄白色のロウバイ(蠟梅)の花がのぞいていて満開だった。
嗅覚が衰えていないことを実感した。
まだ自分は中共コロナにかかっていなくて、認知症でもないかも、と勝手に解釈して安心した。
蠟梅の匂い感じて安心し ビン
(森敏)
追記: 蠟梅は、東大小石川植物園の塀際に立派な樹があります。今は中共コロナで入園中止かもしれませんが。
付記:以下に、「放射線像」の YouTubeを継続発信しております。ご笑覧ください。