- 2023/09/11 : 今も続く 「放射性セシウム汚染に関する研究」
- 2023/09/01 : 朝ドラ 「らんまん」によせて: 平瀬作五郎君及理学博士池野成一郎君授賞に関する審査要旨(第2回学士院賞)
- 2023/08/25 : 朝ドラ「らんまん」での『ノジギク』 の登場に関して
- 2023/08/12 : 「がんと戦う食べ物たち」(第一出版)の紹介
- 2023/08/05 : 朝ドラ「らんまん」に寄せて:日本酒の腐敗現象から火落酸の発見へ
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「飯舘村のカエルの放射能汚染」
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2023-09-11 07:27 |
カテゴリ:未分類
明日9月12日から愛媛大学で始まる日本土壌肥料学会では以下のように放射性セシウム汚染に関する研究が発表されます。
現在世間では東電福島第一原発から出る汚染トリチウム水を海洋放出し始めた問題で、世界規模で大騒ぎになっていますが、福島の広大な土壌汚染地域ではまだまだ農作物汚染問題が継続しています。この学会に集結している研究者たちは、農作物のセシウム(Cs-137)の汚染問題の課題解決のために、現在も地道に研究をし続けています。
以下に発表課題を列挙しました。
〇 阿武隈川沿いに分布する農耕地土壌の K 放出・Cs 吸着に対する粗粒雲母の影響の把握と雲母の目視判定技術への応用 中島彩乃・中尾 淳・黒川耕平・藤村恵人・矢内純太
〇 福島県内の農地における放射性物質に関する研究(第60報) -除染後農地における各種野菜のカリ施肥による放射性セシウム吸収抑制効果-
浅枝諭史・吉田雅貴・平山 孝・菊池幹之・齋藤 隆・八戸真弓・丸山隼人・信濃卓郎
〇 水田の放射性セシウム移行性を示す指標としての交換性放射性セシウムと非交換性カリの比較
若林正吉・藤村恵人・江口哲也・中尾 淳・矢内純太
〇 カリ無施用を継続した水田における玄米 Cs-137濃度の年次変動
藤村恵人・羽田野(村井)麻理・石川淳子・松波麻耶
〇 田面水および間隙水中137Cs 濃度の変化とイネへの移行
塚田祥文・齋藤 隆・平山 孝・松岡宏明・中尾 淳
〇 水稲の放射性セシウム移行モデルの改良とリスク評価 ○矢ヶ崎泰海 8-1-11 牛ふん堆肥を施用した除染後圃場におけるダイズおよびソバの生育と放射性セシウムの移行性
久保堅司・八戸真弓・佐藤 孝・丸山隼人・信濃卓郎
〇 未除染草地での放射性セシウム移行の実態
山田大吾・渋谷 岳
〇 農業用水路内堆積物が保持する137Cs の特徴と動態 柿畑仁司・鈴木一輝・野川憲夫・
原田直樹
〇 植物固有のセシウム吸収係数を用いた植物体放射性セシウム濃度予測の検討
望月杏樹・鈴木政祟・久保堅司・藤村恵人・浅枝諭史・丸山隼人・渡部敏裕・信濃卓郎
〇 福島県内農地(水田および畑地)における農作物および土壌中の放射性セシウム濃度変動
井倉将人・藤村恵人・八代沙絵子・大越 聡・湯田美菜子・齋藤正明
〇 施肥・施業の違いがワラビの137Cs 吸収に与える影響
井上美那・氏家 亨・山村 充・赤間亮夫
〇 放射性 Cs 固液分配評価における133Cs 利用の検討
江口哲也・藤村恵人・松波寿弥・信濃卓郎
〇 放射性ヨウ素の土壌固相-液相間分配係数の変動要因
武田 晃・海野佑介・塚田祥文・高久雄一
現在世間では東電福島第一原発から出る汚染トリチウム水を海洋放出し始めた問題で、世界規模で大騒ぎになっていますが、福島の広大な土壌汚染地域ではまだまだ農作物汚染問題が継続しています。この学会に集結している研究者たちは、農作物のセシウム(Cs-137)の汚染問題の課題解決のために、現在も地道に研究をし続けています。
以下に発表課題を列挙しました。
〇 阿武隈川沿いに分布する農耕地土壌の K 放出・Cs 吸着に対する粗粒雲母の影響の把握と雲母の目視判定技術への応用 中島彩乃・中尾 淳・黒川耕平・藤村恵人・矢内純太
〇 福島県内の農地における放射性物質に関する研究(第60報) -除染後農地における各種野菜のカリ施肥による放射性セシウム吸収抑制効果-
浅枝諭史・吉田雅貴・平山 孝・菊池幹之・齋藤 隆・八戸真弓・丸山隼人・信濃卓郎
〇 水田の放射性セシウム移行性を示す指標としての交換性放射性セシウムと非交換性カリの比較
若林正吉・藤村恵人・江口哲也・中尾 淳・矢内純太
〇 カリ無施用を継続した水田における玄米 Cs-137濃度の年次変動
藤村恵人・羽田野(村井)麻理・石川淳子・松波麻耶
〇 田面水および間隙水中137Cs 濃度の変化とイネへの移行
塚田祥文・齋藤 隆・平山 孝・松岡宏明・中尾 淳
〇 水稲の放射性セシウム移行モデルの改良とリスク評価 ○矢ヶ崎泰海 8-1-11 牛ふん堆肥を施用した除染後圃場におけるダイズおよびソバの生育と放射性セシウムの移行性
久保堅司・八戸真弓・佐藤 孝・丸山隼人・信濃卓郎
〇 未除染草地での放射性セシウム移行の実態
山田大吾・渋谷 岳
〇 農業用水路内堆積物が保持する137Cs の特徴と動態 柿畑仁司・鈴木一輝・野川憲夫・
原田直樹
〇 植物固有のセシウム吸収係数を用いた植物体放射性セシウム濃度予測の検討
望月杏樹・鈴木政祟・久保堅司・藤村恵人・浅枝諭史・丸山隼人・渡部敏裕・信濃卓郎
〇 福島県内農地(水田および畑地)における農作物および土壌中の放射性セシウム濃度変動
井倉将人・藤村恵人・八代沙絵子・大越 聡・湯田美菜子・齋藤正明
〇 施肥・施業の違いがワラビの137Cs 吸収に与える影響
井上美那・氏家 亨・山村 充・赤間亮夫
〇 放射性 Cs 固液分配評価における133Cs 利用の検討
江口哲也・藤村恵人・松波寿弥・信濃卓郎
〇 放射性ヨウ素の土壌固相-液相間分配係数の変動要因
武田 晃・海野佑介・塚田祥文・高久雄一
2023-09-01 21:44 |
カテゴリ:未分類
今朝の朝ドラ「らんまん」にでてきた平瀬作五郎と池野成一郎は、前者が公孫樹(イチョウ)の精蟲を発見し、後者が蘇鉄(そてつ)の精蟲を発見している。その功績で以下に述べるようにこの二人は、明治44年5月12日第2回学士院賞恩賜賞を同時受賞している。
この文章を読めば、当時西欧に追いつけ、という明治政府の国威発揚に、図らずもいかに両者が貢献したが、読みとれる。この審査書をだれが書いたかわからないが、文面からすると当時の東大植物学教室の教授であった松村任三であったと思われる。
世界に冠たる研究成果としてよほどうれしかったのだろうことが、躍動した文面からうかがわれる。
朝ドラ「らんまん」では、二人の発見者を前に松村教授が歓喜の涙を流して喜ぶ姿が演じられている。
原文は擬古文調の縦書きのカタカナ文字なので、読みやすいように、横書きに手打ちで変換しました。ちょっと苦労しましたね。
平瀬作五郎君及理学博士池野成一郎君授賞に関する審査要旨
一、 平瀬作五郎君は圖書を専攻せる者なるが、明治21年理科大学雇となり、植物に関する圖書を製作して教授を助くる余暇を以て、植物の解剖実験に就て十分その素地を養ふところあり、明治26年7月公孫樹(イチャウ)の胎生に就て実験に着手せり。その研究の動機を考ふるに、鷗州植物学大家2,3の実験説に「10月に至り成熟して落ちたる銀杏を験したるに、胚の形跡をも認めず、意らくこれ受胎せざりしものなるべしと。然るに両3月を経て貯蔵せしものを再検すれば、ことごとく生育せる胚を収めたり」とあり。又「秋期におよび母樹を辞して後受胎し、その冬期中に胚発育す。」とあるに疑問を起せるに因れるが如し。是に於いてか着々研究に歩を進め、明治27年発行の植物学雑誌に於て、
Notes on the Atlraction-spheres in the Pollen-cells of Gonkgo biloba.
と云ふ論文を掲載して、公孫樹の雄花なる花粉細胞内に異状あることを6月発行の同雑誌に於て
Ètudes sur le Ginkgo biloba.
と題する豫報を掲げ、次いで理科大学紀要8巻(P.307-321)に
Ètudes sur la fécundation et I’embryogénie du Ginkgo biloba.
と題せる詳論を載せて、公孫樹に於ける雌花の卵球に変動あることを報せしが、ついに其研究愈々(いよいよ)精密に亘るの結果、翌明治29年4月開会の植物学会総会において、公孫樹の花粉より2個の精蟲を発生せる事実を発表し、同年10月発行の植物学会誌に「公孫樹の精蟲について」と掲げて、その精蟲の形状は卵円形にして、長さ82ミクロン、幅49ミクロンあり。頭部渦線状を成して茲(ここ)に繊毛を列生し、花粉管の一端より飛び出して、胚珠心の内面に留まれる液汁内を、自転しながら迅速に遊走せる状を目撃せることを論ぜり。その独乙文は1897年発行の
Botanishes Centralblatt (P.33-35)に在り。題して
Untersuchungen ueber das Verhalten des Pollens von Ginkgo biloba.
と云ふ。又その詳論は1898年出版の理科大学紀要(P.103-149)に登載せり。題して
Etudes sur la Fécondation et l’Embrvogénie du Ginkgo biloba.
と云う。
そもそも公孫樹は日本及支那の特有産にして、その祖先は遠く地層の石炭紀及べる太古の遺物なるが如し。今その植物学史を案ずるに、199年前、ドイツ人ケンプフェル氏によりてGinkgoと命名せられ、その日本産なることを初めて紹介せられて以来、1836年頃よりその植物界は榧科と確定し、その後1880年ごろは狭義榧科なれども広義には之を松柏科に編入せられしが、平瀬作五郎君が研究の結果以来松柏科は勿論榧科より分離して特に植物界に新設する変更を来すの止むなきに至れり。
蓋(けだ)し植物の精蟲たるや、1822年以来苔類、藻類、その他花を有せざる隠花植物と称する下等の植物に於て之が発見ありしも、最初は単に動物の「インフーゾリア」なりとの見解にのみとまりしが、漸次学術の進歩するに従ひ、1851年ごろに至りては、下等植物は動物と等しく精蟲を具有して生殖作用を営むものなりとの確定説に到着せりと云えども、公孫樹如く、天に聳ゆる松柏科所属の顕花植物類に、精蟲の存在せんとは夢にも之を知らざる所なりき。然れどもドイツの植物学大家ホーフマイステル、プリングスハイム両氏のごときは、すでに50年前諸種の植物に於ける生殖器官の比較研究によりて、松柏類にも隠花植物に等しき生殖作用のあるならんとの推測をなしたれども、これは単に比較上よりの推測仮定止まりて、いまだ実際に之が証明を成したるものにあらず。又近代の大家ストラスブルガー氏のごときは大に進歩せる説を持して、公孫樹ついて精査せるところありしも、このごとき顕著なる精蟲発生の事項に至りては之を洩らせり。
夫れ平瀬作五郎君は未だ欧米の学府に出入りしたることなき一個の図画家にして、我が大学の実験室に於いて他の指導をも仰がず、僅かに職務の余暇を利用して此のごとき研究に従事して、欧米の大家が未だ曾て収めざる効果を得たるは、主として其顕微鏡視察上、手術の巧妙なると、精力絶倫なるとに由れるのみならず、刻苦精励4年の星霜孜々(しし)として一問題の研究を継続したるに因るものなり。
斯くて公孫樹精蟲の発見有りて以来、欧米の学会に於いては、平瀬作五郎君の名噴噴として喧伝せられ、1903年以降の植物学教科中公孫樹に関する生殖事項は、同人の名を挙げて其の図を採用せざるは無きなり。且つこの発見はただに精蟲の発見として、学術界の耳目を()動せしのみにとどまらず、之に因て植物の分類学、形態学及生理学上の不備を完うしたるところ少なからざる大に我国の以て誇りとするところなり。
二、 農科大学教授理学博士池野成一郎君は明治28年公孫樹の近類たる蘇鉄の生殖機関の発育及び其結実作用の研究に従事し、精密なる観察を遂行して、公孫樹と等しく蘇鉄の雄花に、精蟲を発生せる事実を発見せり。その研究の状況及び結果は当時内外の諸雑誌に登載セリといえども、精蟲発見の公表は明治29年11月発刊の植物学雑誌にして、是実に平瀬作五郎君が公孫樹の精蟲発見の発表後一か月にあり。「蘇鉄の精蟲」と題せる報文の予報是なり。是より先10月発刊の同雑誌に、
Note préliminarie sur la Formation de la Cellule de canal chez le Cycas revoluta.
と題せる論文の掲載有りて、蘇鉄の雌花における研究を報道せり。ついで1896年発刊の
Botanishes Centralblattに於ては、
Vorläufige mittheilung ueber die Canalzellbildung bei Cycas reevoeuta.
と題する論文、1897年発刊の同雑誌に於ては、
Vorläufige Mittheilung ueber die Spermatozoiden bei Cycas revoluta.
1898年発刊のBotanische Zeitung に於ては、
Zur Kenntniss des sog. Centrosomäbnlichen körpers in Pollenschlauch bei Cycadeen.
と題する論文などを登せ、また同年発刊のJahrbucher fur Wissenshaftliche Botanik と同年発刊の理科大学紀要第12巻とに於ては、
Untersuchungen ueber die Entwicklung der Geschlechtsorgane und den Vorgang der Befruchtung bei Cycas revoluta.
と題せる詳論を掲げて、蘇鉄に関する生殖全般の研究を完うせり。
抑も、蘇鉄は一種異様の植物にして、公孫樹と異なり其種類も多く、熱帯亜細亜、ポリネシヤ、豪州などに産するものなるが、幸に本邦温暖の地に之を産し、200年以前には、日本棕櫚の名を以て欧州人に知られ、150年前既に英国に輸入されたり。この類も化石の研究によれば、その祖先は遠く「ペリミアン」の地層に遡りて起れるが如し。
元来蘇鉄の種類たるや公孫樹に近似すと云ふといえども、同科の植物にはあらずして、唯広義において公孫樹と同じく裸子類に属するのみ。されば公孫樹の精蟲と同じく、池野成一郎君のこれが発見あらざりし以前は、世人は夢にもその事実を知らざりしなり。蘇鉄は東京のごとき寒地においてはまれに花を着くることあれども、その結実に至るまでの材料を得んこと不可能なれば、発見者は鹿児島に於いてこれが材料を収集して、その研究を遂行せり。是より先蘇鉄科の或る種類について、その生殖器官の発育に関するその精密なる研究は、1877年と1879年とに於いて、ワーミング氏、1882年と1888年とに於いて、トロイブ氏等の諸大家によりて、吾人の知識を増進せるところ多しとするにもかかわらず、諸氏の研究中には精蟲発生の事実を洩らして、後進なる池野成一郎君の研究によって精蟲の発生を確実に証明し、尚進みて其精蟲が卵内に侵入して其核と融合するの事実を開明するに至りしは、我が国の誇りとするところならざるべからず。
以上二人者の精蟲発見に関する研究は、各々特別の業にして、毫も他の助力を借れるものにあらず。その材料たる公孫樹と蘇鉄とは、我が国の固有産にして、鷗州に在りては蘇鉄のごときは温室内に培養するにあらざれば、その生育すら容易ならず、公孫樹のごときは戸外に栽培すべしといえども、結実完からざる不便あるより、二人者共にその材料の豊富なる本邦において、これが研究に従事したるは、その着眼宜しきをえたるものというべく、為に学術上この偉大なる貢献を成したるなり。
茲に米国において「ザミヤ」と称する一種の蘇鉄科植物を産するを以てウエッバーという人其生殖器官の研究に従事せしが,池野成一郎君の研究に遅るること一年にして、その精蟲の発見を公表せるは、奇と云ふべし。植物学勃興の当時、各自の着眼するところ同一の方針なりしにや、前後3年の間に、恰も言い合わせたらんごとく、三種の裸子植物より精蟲の発見を促せしものなるべし。この三幅対中、その二者は本邦人にして、発見は恰も姉妹の関係ありて其の功その労は互いに兄たり難く、弟たり難きものあり。
今日わが植物学会において、苟(いやしく)も一事を研究するごとに、多少の新事実を発見し、乃至は先輩の研究中に、誤謬を指摘して、これは修正を試むるなどのごときは、比比として有之といえども、この二人者のごとく、顕花植物中に精蟲の発見ありしは、植物学史上一新紀元を劃せるものというべく、1903年以降の植物学教科中いやしくも、公孫樹と蘇鉄と相遠からざる植物科名のもとに、平瀬、池野好一対の日本人名を掲ぐるに至れり。
追記:1962年に小生が農芸化学科に進学したときに、進学生歓迎コンパを教官たちが東大の小石川植物園で開いてくれた。その時に植物園の技官の方だったと思うが、園内に入って左手にある高木のイチョウを指さして。「これが平野作五郎さんが公孫樹の精蟲を発見した公孫樹です」と紹介されたことを今でもおぼろげに覚えている。久しく小石川植物園には出かけないが、公孫樹の前には、その由緒が書かれた立札があるはずである。
ネットで見ると、鹿児島の公園の案内の動画で「池野成一郎先生はわざわざ苦労して東京大学から出かけてこられて、この蘇鉄から精蟲を発見されました」というのが出ている。
この文章を読めば、当時西欧に追いつけ、という明治政府の国威発揚に、図らずもいかに両者が貢献したが、読みとれる。この審査書をだれが書いたかわからないが、文面からすると当時の東大植物学教室の教授であった松村任三であったと思われる。
世界に冠たる研究成果としてよほどうれしかったのだろうことが、躍動した文面からうかがわれる。
朝ドラ「らんまん」では、二人の発見者を前に松村教授が歓喜の涙を流して喜ぶ姿が演じられている。
原文は擬古文調の縦書きのカタカナ文字なので、読みやすいように、横書きに手打ちで変換しました。ちょっと苦労しましたね。
平瀬作五郎君及理学博士池野成一郎君授賞に関する審査要旨
一、 平瀬作五郎君は圖書を専攻せる者なるが、明治21年理科大学雇となり、植物に関する圖書を製作して教授を助くる余暇を以て、植物の解剖実験に就て十分その素地を養ふところあり、明治26年7月公孫樹(イチャウ)の胎生に就て実験に着手せり。その研究の動機を考ふるに、鷗州植物学大家2,3の実験説に「10月に至り成熟して落ちたる銀杏を験したるに、胚の形跡をも認めず、意らくこれ受胎せざりしものなるべしと。然るに両3月を経て貯蔵せしものを再検すれば、ことごとく生育せる胚を収めたり」とあり。又「秋期におよび母樹を辞して後受胎し、その冬期中に胚発育す。」とあるに疑問を起せるに因れるが如し。是に於いてか着々研究に歩を進め、明治27年発行の植物学雑誌に於て、
Notes on the Atlraction-spheres in the Pollen-cells of Gonkgo biloba.
と云ふ論文を掲載して、公孫樹の雄花なる花粉細胞内に異状あることを6月発行の同雑誌に於て
Ètudes sur le Ginkgo biloba.
と題する豫報を掲げ、次いで理科大学紀要8巻(P.307-321)に
Ètudes sur la fécundation et I’embryogénie du Ginkgo biloba.
と題せる詳論を載せて、公孫樹に於ける雌花の卵球に変動あることを報せしが、ついに其研究愈々(いよいよ)精密に亘るの結果、翌明治29年4月開会の植物学会総会において、公孫樹の花粉より2個の精蟲を発生せる事実を発表し、同年10月発行の植物学会誌に「公孫樹の精蟲について」と掲げて、その精蟲の形状は卵円形にして、長さ82ミクロン、幅49ミクロンあり。頭部渦線状を成して茲(ここ)に繊毛を列生し、花粉管の一端より飛び出して、胚珠心の内面に留まれる液汁内を、自転しながら迅速に遊走せる状を目撃せることを論ぜり。その独乙文は1897年発行の
Botanishes Centralblatt (P.33-35)に在り。題して
Untersuchungen ueber das Verhalten des Pollens von Ginkgo biloba.
と云ふ。又その詳論は1898年出版の理科大学紀要(P.103-149)に登載せり。題して
Etudes sur la Fécondation et l’Embrvogénie du Ginkgo biloba.
と云う。
そもそも公孫樹は日本及支那の特有産にして、その祖先は遠く地層の石炭紀及べる太古の遺物なるが如し。今その植物学史を案ずるに、199年前、ドイツ人ケンプフェル氏によりてGinkgoと命名せられ、その日本産なることを初めて紹介せられて以来、1836年頃よりその植物界は榧科と確定し、その後1880年ごろは狭義榧科なれども広義には之を松柏科に編入せられしが、平瀬作五郎君が研究の結果以来松柏科は勿論榧科より分離して特に植物界に新設する変更を来すの止むなきに至れり。
蓋(けだ)し植物の精蟲たるや、1822年以来苔類、藻類、その他花を有せざる隠花植物と称する下等の植物に於て之が発見ありしも、最初は単に動物の「インフーゾリア」なりとの見解にのみとまりしが、漸次学術の進歩するに従ひ、1851年ごろに至りては、下等植物は動物と等しく精蟲を具有して生殖作用を営むものなりとの確定説に到着せりと云えども、公孫樹如く、天に聳ゆる松柏科所属の顕花植物類に、精蟲の存在せんとは夢にも之を知らざる所なりき。然れどもドイツの植物学大家ホーフマイステル、プリングスハイム両氏のごときは、すでに50年前諸種の植物に於ける生殖器官の比較研究によりて、松柏類にも隠花植物に等しき生殖作用のあるならんとの推測をなしたれども、これは単に比較上よりの推測仮定止まりて、いまだ実際に之が証明を成したるものにあらず。又近代の大家ストラスブルガー氏のごときは大に進歩せる説を持して、公孫樹ついて精査せるところありしも、このごとき顕著なる精蟲発生の事項に至りては之を洩らせり。
夫れ平瀬作五郎君は未だ欧米の学府に出入りしたることなき一個の図画家にして、我が大学の実験室に於いて他の指導をも仰がず、僅かに職務の余暇を利用して此のごとき研究に従事して、欧米の大家が未だ曾て収めざる効果を得たるは、主として其顕微鏡視察上、手術の巧妙なると、精力絶倫なるとに由れるのみならず、刻苦精励4年の星霜孜々(しし)として一問題の研究を継続したるに因るものなり。
斯くて公孫樹精蟲の発見有りて以来、欧米の学会に於いては、平瀬作五郎君の名噴噴として喧伝せられ、1903年以降の植物学教科中公孫樹に関する生殖事項は、同人の名を挙げて其の図を採用せざるは無きなり。且つこの発見はただに精蟲の発見として、学術界の耳目を()動せしのみにとどまらず、之に因て植物の分類学、形態学及生理学上の不備を完うしたるところ少なからざる大に我国の以て誇りとするところなり。
二、 農科大学教授理学博士池野成一郎君は明治28年公孫樹の近類たる蘇鉄の生殖機関の発育及び其結実作用の研究に従事し、精密なる観察を遂行して、公孫樹と等しく蘇鉄の雄花に、精蟲を発生せる事実を発見せり。その研究の状況及び結果は当時内外の諸雑誌に登載セリといえども、精蟲発見の公表は明治29年11月発刊の植物学雑誌にして、是実に平瀬作五郎君が公孫樹の精蟲発見の発表後一か月にあり。「蘇鉄の精蟲」と題せる報文の予報是なり。是より先10月発刊の同雑誌に、
Note préliminarie sur la Formation de la Cellule de canal chez le Cycas revoluta.
と題せる論文の掲載有りて、蘇鉄の雌花における研究を報道せり。ついで1896年発刊の
Botanishes Centralblattに於ては、
Vorläufige mittheilung ueber die Canalzellbildung bei Cycas reevoeuta.
と題する論文、1897年発刊の同雑誌に於ては、
Vorläufige Mittheilung ueber die Spermatozoiden bei Cycas revoluta.
1898年発刊のBotanische Zeitung に於ては、
Zur Kenntniss des sog. Centrosomäbnlichen körpers in Pollenschlauch bei Cycadeen.
と題する論文などを登せ、また同年発刊のJahrbucher fur Wissenshaftliche Botanik と同年発刊の理科大学紀要第12巻とに於ては、
Untersuchungen ueber die Entwicklung der Geschlechtsorgane und den Vorgang der Befruchtung bei Cycas revoluta.
と題せる詳論を掲げて、蘇鉄に関する生殖全般の研究を完うせり。
抑も、蘇鉄は一種異様の植物にして、公孫樹と異なり其種類も多く、熱帯亜細亜、ポリネシヤ、豪州などに産するものなるが、幸に本邦温暖の地に之を産し、200年以前には、日本棕櫚の名を以て欧州人に知られ、150年前既に英国に輸入されたり。この類も化石の研究によれば、その祖先は遠く「ペリミアン」の地層に遡りて起れるが如し。
元来蘇鉄の種類たるや公孫樹に近似すと云ふといえども、同科の植物にはあらずして、唯広義において公孫樹と同じく裸子類に属するのみ。されば公孫樹の精蟲と同じく、池野成一郎君のこれが発見あらざりし以前は、世人は夢にもその事実を知らざりしなり。蘇鉄は東京のごとき寒地においてはまれに花を着くることあれども、その結実に至るまでの材料を得んこと不可能なれば、発見者は鹿児島に於いてこれが材料を収集して、その研究を遂行せり。是より先蘇鉄科の或る種類について、その生殖器官の発育に関するその精密なる研究は、1877年と1879年とに於いて、ワーミング氏、1882年と1888年とに於いて、トロイブ氏等の諸大家によりて、吾人の知識を増進せるところ多しとするにもかかわらず、諸氏の研究中には精蟲発生の事実を洩らして、後進なる池野成一郎君の研究によって精蟲の発生を確実に証明し、尚進みて其精蟲が卵内に侵入して其核と融合するの事実を開明するに至りしは、我が国の誇りとするところならざるべからず。
以上二人者の精蟲発見に関する研究は、各々特別の業にして、毫も他の助力を借れるものにあらず。その材料たる公孫樹と蘇鉄とは、我が国の固有産にして、鷗州に在りては蘇鉄のごときは温室内に培養するにあらざれば、その生育すら容易ならず、公孫樹のごときは戸外に栽培すべしといえども、結実完からざる不便あるより、二人者共にその材料の豊富なる本邦において、これが研究に従事したるは、その着眼宜しきをえたるものというべく、為に学術上この偉大なる貢献を成したるなり。
茲に米国において「ザミヤ」と称する一種の蘇鉄科植物を産するを以てウエッバーという人其生殖器官の研究に従事せしが,池野成一郎君の研究に遅るること一年にして、その精蟲の発見を公表せるは、奇と云ふべし。植物学勃興の当時、各自の着眼するところ同一の方針なりしにや、前後3年の間に、恰も言い合わせたらんごとく、三種の裸子植物より精蟲の発見を促せしものなるべし。この三幅対中、その二者は本邦人にして、発見は恰も姉妹の関係ありて其の功その労は互いに兄たり難く、弟たり難きものあり。
今日わが植物学会において、苟(いやしく)も一事を研究するごとに、多少の新事実を発見し、乃至は先輩の研究中に、誤謬を指摘して、これは修正を試むるなどのごときは、比比として有之といえども、この二人者のごとく、顕花植物中に精蟲の発見ありしは、植物学史上一新紀元を劃せるものというべく、1903年以降の植物学教科中いやしくも、公孫樹と蘇鉄と相遠からざる植物科名のもとに、平瀬、池野好一対の日本人名を掲ぐるに至れり。
追記:1962年に小生が農芸化学科に進学したときに、進学生歓迎コンパを教官たちが東大の小石川植物園で開いてくれた。その時に植物園の技官の方だったと思うが、園内に入って左手にある高木のイチョウを指さして。「これが平野作五郎さんが公孫樹の精蟲を発見した公孫樹です」と紹介されたことを今でもおぼろげに覚えている。久しく小石川植物園には出かけないが、公孫樹の前には、その由緒が書かれた立札があるはずである。
ネットで見ると、鹿児島の公園の案内の動画で「池野成一郎先生はわざわざ苦労して東京大学から出かけてこられて、この蘇鉄から精蟲を発見されました」というのが出ている。
2023-08-25 13:04 |
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本日のNHK朝ドラ「らんまん」では、お座敷で、牧野富太郎の妻スエコの説明に対して岩崎弥之助が感銘を受けた「ノジギク」が登場しました。この場面を境に、土佐出身の岩崎弥之助(豪商岩崎弥太郎の息子)と同じく土佐の出身の牧野富太郎が以後の関係を持つことになります。
この「ノジギク」に関しては、5年まえの2017年に、福島県浪江地区の高瀬川の道路わきで採取したノジギクに関して、以下に記す WINEPブログ で、放射能測定値とオートラジオグラフの図を紹介して、詳しい説明もしておきました。このブログの読者はおぼえておられるかもしれませんが、ぜひ改めて鑑賞のほどお願いいたします。
この「ノジギク」は牧野富太郎が全国を回って様々なキクを採取した結果、日本の菊の原種であろうと考えて、彼自身が描いた図版を「牧野日本植物図鑑」に1ページ大に気合を入れて掲載しています。
2017/01/25 : 牧野富太郎が命名した のぢきく(野路菊 )の放射能汚染
このブログの右にある空欄に ノジギク と入れてクリックすれば上記ブログ文がでてきます
(森敏)
付記: その後、様々なキクの遺伝子解析の結果、この牧野富太郎が指名した 「ノジギク: Chrysanthemum japonense (Makino) Nakai]
が、日本の菊の原種であるという結果になっているのかどうかは、残念ながら小生は存知あげません。
この「ノジギク」に関しては、5年まえの2017年に、福島県浪江地区の高瀬川の道路わきで採取したノジギクに関して、以下に記す WINEPブログ で、放射能測定値とオートラジオグラフの図を紹介して、詳しい説明もしておきました。このブログの読者はおぼえておられるかもしれませんが、ぜひ改めて鑑賞のほどお願いいたします。
この「ノジギク」は牧野富太郎が全国を回って様々なキクを採取した結果、日本の菊の原種であろうと考えて、彼自身が描いた図版を「牧野日本植物図鑑」に1ページ大に気合を入れて掲載しています。
2017/01/25 : 牧野富太郎が命名した のぢきく(野路菊 )の放射能汚染
このブログの右にある空欄に ノジギク と入れてクリックすれば上記ブログ文がでてきます
(森敏)
付記: その後、様々なキクの遺伝子解析の結果、この牧野富太郎が指名した 「ノジギク: Chrysanthemum japonense (Makino) Nakai]
が、日本の菊の原種であるという結果になっているのかどうかは、残念ながら小生は存知あげません。
2023-08-12 22:12 |
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「がんと闘う食べ物たち -食事によるがん予防-」
(第一出版 定価3300円)
原著 Richhard Beliveau博士, Denis Gingras博士
完訳 吉村悦郎(東京大学名誉教授・放送大学名誉教授)
目次
第1部 がんは強敵
第1章 がんによる災禍
第2章 がんとは何か
第3章 がんは細胞にとっての環境問題
第4章 食事によるがんの予防
第5章 ファイトケミカル:夕食には抗ガン化合物の小皿を
第2部 がんと戦う食べ物たち
第6章 がん細胞はキャベツを嫌う
第7章 ニンニクと玉ねぎ
第8章 ダイズ、抗がん作用を持つ植物エストロゲンの比類なき貯蔵庫
第9章 スパイスとハーブ、ガンを予防するおいしい方法
第10章 緑茶、それはがんと戦う心の癒し
第11章 ベリーへの情熱
第12章 オメガ3:つまるところ、体によい脂質を
第13章 トマト:がんが恥ずかしさで赤面する
第14章 柑橘類、それは香り立つ抗がん化合物
第15章 酒の中に心理あり
第16章 食べ物の多様な抗がん作用
第3部 日々のがん予防
第17章 がんと戦う献立
結論
第二版の序
近年、我々のがんに対する考え方は大きな変化を遂げている。長い間、がんは一夜で生じる破滅的な病気と捉えられていたが、今日では慢性的な病気として知られるようになっている。がんは臨床的な段階に至るまでには数十年の年月を要するのである。我々は皆、未熟な腫瘍を体内に持っている。この腫瘍はがんになる可能性が高い前がん細胞というべきものであるが、最近の研究は、この前がん細胞の進展を遅らせる可能性を示している。質の高い生活習慣を実行することで、変異を蓄積して前がん細胞が成熟したがん細胞段階へと進展するのを防ぐことができるのである。したがって、ガンを防止する主要な方法は、がん細胞が発生するのを阻止するのではなく、むしろその進行を遅らせることにある。そうすることで、前がん細胞は、80、90年の人生の間には成熟段階には到達できない。
ここ10年間での研究で、欧米の国々での食習慣が我々の社会におけるがんの高い発症率の主な原因であることが確認されている。欧米式の食生活-砂糖、肉類、超加工食品が多く、植物性食品が少ないーに倣っている国では、例外なく、肥満、糖尿病、それに数種類のがんの驚くような増加に対応を迫られている。
このような状況の深刻さに鑑みると、最新の研究成果を取り入れて本書の全面的な改定を行った。がんを予防できる可能性があることは、最も注目に値する。食生活を含んだ生活習慣を変えるだけで、がんの3分の2は防ぐことができるのである。
ーーーーーーー
上記に紹介した本は、後輩の吉村悦郎東大名誉教授から先日贈呈されて来た、彼自身による完訳本です。
文中の中身には素人にも一目でわかりやすい68枚のカラー写真と28枚の表が掲載されています。文献は400点巻末に掲げられています。
日本人の半数がガンに罹患して死んでいます。だから、この本をよく読んで、日頃からの食生活では、「がんと戦う献立」の章を参考にして、できるだけ自分の体細胞の変異とがん細胞への進展を抑止するように心がけましょう。そして健康寿命を延ばしましょう。
(森敏)
付記:別件だが、吉村君の 「訳者まえがき」 の文章の最後は
令和5年5月
薫風に揺れるカーテンの下、まどろむ老犬のかたわらで
と、締められている。
コロナ流行前に、東大農学部構内の家畜病院前で、珍しくも吉村君に偶然出会った時には、「奥さんが犬が心配だというので、付き合って連れてきたんだけど。。。白内障じゃないかと思う」 と心細げだった。
2023-08-05 17:06 |
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今週号の朝ドラ「らんまん」では万太郎に東京大学からの追放、長女園子の死、郷里佐川町の実家の酒蔵の倒産閉鎖など、不幸が一気に度重なった。
この中で、酒蔵の閉鎖の直接の原因として、日本酒の腐敗現象「腐造」が示されていた。しかしこれは、史実かどうかはわからない。
本当の原因は放蕩息子の牧野富太郎が研究に必要な高価な書籍の購入や、長期国内採取旅行の旅費や、冠婚葬祭や、その他の多彩な趣味道楽に、湯水のごとく散財しまくったために、郷里の実家が破産した、ということが、牧野富太郎の自叙伝には書かれていないが、他人による伝記ではあちこちで語られている。
ところで、この時点での朝ドラを見ながら小生は思わず東大農芸化学科4年生の時代の有馬啓教授(1916-1988)の「発酵学」の講義を思い出した。その中で、有馬先生は自分の発酵学教室での歴史的研究成果として、田村学造先生(当時助教授:1924-2002)による、「火落酸(hiochic acid)」の発見について紹介されたのである。
有馬先生によれば、
「この化合物は現在ではほとんどの世界の生化学や有機化学の教科書にはメバロン酸(mevalonic acid)と呼ばれている。 発見者の田村学造君が命名した “hiochic acid” (ヒオチックアシッド)というネーミングでは、外国人にとても発音しずらい、外国人には「イオイックアシッド」、「イオキックアシッド」、「ハイオチックアシッド」などといかようにも読めるので、インターナショナルに読み方が定着し難い。それに比べて mevalonic acid はメバロニックアシッドとしか読めず発音がしやすい。君たちも将来、自分が発見した化合物についてはネーミングがとても大事である」と述べられたのである。
(森敏)
付記1.
少し専門的で長くなるが、以下に田村学造先生自身が農芸化学会誌に書かれている総説の一端を多少わかりやすく補足して紹介する。
“火落ち” という日本酒の腐敗現象は, 日本酒産業上重大な災害であった. そのため “火入れ” と称する低温殺菌操作が, Pasteurによるパスツーリゼーション(:食品全般で行われる加熱による殺菌法で、「低温殺菌法」)の発明の300年も前から経験的に行なわれていた. “ 火落ち” の原因 となる 桿菌を初めて顕微鏡で観察したのはAtkinsonである(1881).
その後 高橋偵造先生が, この “火落ち”の原因 となる菌を分離し, こ れ らの中 に培地に清酒を加えないと生育しない菌 がいることを認めて “真性火落菌” と命名された.
火落菌 のこのような性質は, わが国の多くの研究者の興味をひいたが, その未知生育因子を解明するには至らなかった.
しかしその後, パ ン トテ ン酸, ビ オチ ン, リ ポ 酸 などの ビタ ミンが微生物の生育因子 として発見されたことと思い合わせると, これらの研究は先駆的なものであったといえる.
戦後, 筆者は坂 口謹一郎先生の御指導の下で, 前 記のように合成培地を用いた アミノ酸や ビタミンの微生物定量法の研究を進めたが, この合成培地に生育しない真性火落菌 (Lactobacillus heterohiochiiおよびL. homohiochii) の未知生育因子の解明を思いたった.
ま ず, 清酒のような醸造物中に存在する因子は, 微 生物の代謝産物 に由来 す るものに違いないと考えた.
そこで, 各 種の微生物の培養液を合成培地に加えて検討した結果, 各種の糸状菌, 酵母, 細 菌の培養液中に, 火落菌の未知生育因子が蓄積されていることを見いだした.
ついで, その生産能が高く, 清酒の醸造にも用いられているコウジカビ(Aspergillus oryzae)の 一菌株を選出し, その培養液中から精製分離し, キニーネ塩の結晶を得, さ らに δ-ラク トンを 単離 し, そ の化学的性質を明 らかに して火落酸(hiochic acid)と命名した.
同年, メ ル ク研 究所 のK.Folkersらがニワトリの成長因子の探索中に, ウイスキー蒸溜 廃液か らL. acidophilusの 酢酸代替因子 として メバ ロン 酸(mevalonic acid)を 報告 した.
この両者の性質が類 似 していた ので試料を交換 して調べた結果, 同 一物質で あることが筆者 とFolkersに より確認 さ れ た.
火 落 酸 (メ バ ロ ン酸)は, 動 植物 の細胞中では 代謝の調節 に よ り, 常 に微量に しか存在 しない ことが後に明 らかにされたが, 微生物は代謝産物を培地に排出することも調節の一つであり, 培 養液中に分泌 されていたものが見いださ れた ことになる.
付記2.
蛇足かもしれないが、以下に田村学造先生の実質的な指導者であった当時の坂口謹一郎教授(1897-1994)の、火落酸発見の件に関するコメントも紹介しておく。(坂口謹一郎 酒学集成 5 岩波書店 より)
田村学造君の発見も:::::このもの(:火落酸)を造ることの特に多い麹菌株の選択と、明治製菓でそれをタンクで大量培養してくださったおかげでもあった。
これはきわどいところでアメリカのメルク社の研究陣と発表のプライオリテイーの競り合いとなった。
これは全く「醸造論文集」のおかげで、同じ年のこちらは私が醸友会で同君の研究を紹介させてもらったのが5月、先方は9月であった。
メルクの研究者たちも結局これを認め、同社長が私を大学に訪れ、共同発表の形にしたいというので、報文の原稿まで書いて持参した。それには田村君の名前が先に出してあったように思う。
この問題は、その後の数年間、大げさに言えば生化学者の研究のブームを引き起こした。
これにより、今まで生成の経路が不明であった数多くの天然物の経路が解明され、リネンやブロッホのような、ノーベル賞受賞者まで出したことは周知のとおりである。
:::::::::おかげで火落菌や火落問題が解明されたのは周知のとおりである。
付記3.
小生も参加した田村学造先生のお葬式は護国寺で壮大な参列者の下に行われたが、お棺には「火落酸キニーネ結晶」が入れられたそうである。
付記4。 参考のため、火落酸(メバロン酸)の構造式は以下の通りである。

付記5.火落酸の発見と、チュニカマイシンの発見で、田村学造先生は学士院賞恩賜賞を受賞され、文化功労者に指名されている。
この中で、酒蔵の閉鎖の直接の原因として、日本酒の腐敗現象「腐造」が示されていた。しかしこれは、史実かどうかはわからない。
本当の原因は放蕩息子の牧野富太郎が研究に必要な高価な書籍の購入や、長期国内採取旅行の旅費や、冠婚葬祭や、その他の多彩な趣味道楽に、湯水のごとく散財しまくったために、郷里の実家が破産した、ということが、牧野富太郎の自叙伝には書かれていないが、他人による伝記ではあちこちで語られている。
ところで、この時点での朝ドラを見ながら小生は思わず東大農芸化学科4年生の時代の有馬啓教授(1916-1988)の「発酵学」の講義を思い出した。その中で、有馬先生は自分の発酵学教室での歴史的研究成果として、田村学造先生(当時助教授:1924-2002)による、「火落酸(hiochic acid)」の発見について紹介されたのである。
有馬先生によれば、
「この化合物は現在ではほとんどの世界の生化学や有機化学の教科書にはメバロン酸(mevalonic acid)と呼ばれている。 発見者の田村学造君が命名した “hiochic acid” (ヒオチックアシッド)というネーミングでは、外国人にとても発音しずらい、外国人には「イオイックアシッド」、「イオキックアシッド」、「ハイオチックアシッド」などといかようにも読めるので、インターナショナルに読み方が定着し難い。それに比べて mevalonic acid はメバロニックアシッドとしか読めず発音がしやすい。君たちも将来、自分が発見した化合物についてはネーミングがとても大事である」と述べられたのである。
(森敏)
付記1.
少し専門的で長くなるが、以下に田村学造先生自身が農芸化学会誌に書かれている総説の一端を多少わかりやすく補足して紹介する。
“火落ち” という日本酒の腐敗現象は, 日本酒産業上重大な災害であった. そのため “火入れ” と称する低温殺菌操作が, Pasteurによるパスツーリゼーション(:食品全般で行われる加熱による殺菌法で、「低温殺菌法」)の発明の300年も前から経験的に行なわれていた. “ 火落ち” の原因 となる 桿菌を初めて顕微鏡で観察したのはAtkinsonである(1881).
その後 高橋偵造先生が, この “火落ち”の原因 となる菌を分離し, こ れ らの中 に培地に清酒を加えないと生育しない菌 がいることを認めて “真性火落菌” と命名された.
火落菌 のこのような性質は, わが国の多くの研究者の興味をひいたが, その未知生育因子を解明するには至らなかった.
しかしその後, パ ン トテ ン酸, ビ オチ ン, リ ポ 酸 などの ビタ ミンが微生物の生育因子 として発見されたことと思い合わせると, これらの研究は先駆的なものであったといえる.
戦後, 筆者は坂 口謹一郎先生の御指導の下で, 前 記のように合成培地を用いた アミノ酸や ビタミンの微生物定量法の研究を進めたが, この合成培地に生育しない真性火落菌 (Lactobacillus heterohiochiiおよびL. homohiochii) の未知生育因子の解明を思いたった.
ま ず, 清酒のような醸造物中に存在する因子は, 微 生物の代謝産物 に由来 す るものに違いないと考えた.
そこで, 各 種の微生物の培養液を合成培地に加えて検討した結果, 各種の糸状菌, 酵母, 細 菌の培養液中に, 火落菌の未知生育因子が蓄積されていることを見いだした.
ついで, その生産能が高く, 清酒の醸造にも用いられているコウジカビ(Aspergillus oryzae)の 一菌株を選出し, その培養液中から精製分離し, キニーネ塩の結晶を得, さ らに δ-ラク トンを 単離 し, そ の化学的性質を明 らかに して火落酸(hiochic acid)と命名した.
同年, メ ル ク研 究所 のK.Folkersらがニワトリの成長因子の探索中に, ウイスキー蒸溜 廃液か らL. acidophilusの 酢酸代替因子 として メバ ロン 酸(mevalonic acid)を 報告 した.
この両者の性質が類 似 していた ので試料を交換 して調べた結果, 同 一物質で あることが筆者 とFolkersに より確認 さ れ た.
火 落 酸 (メ バ ロ ン酸)は, 動 植物 の細胞中では 代謝の調節 に よ り, 常 に微量に しか存在 しない ことが後に明 らかにされたが, 微生物は代謝産物を培地に排出することも調節の一つであり, 培 養液中に分泌 されていたものが見いださ れた ことになる.
付記2.
蛇足かもしれないが、以下に田村学造先生の実質的な指導者であった当時の坂口謹一郎教授(1897-1994)の、火落酸発見の件に関するコメントも紹介しておく。(坂口謹一郎 酒学集成 5 岩波書店 より)
田村学造君の発見も:::::このもの(:火落酸)を造ることの特に多い麹菌株の選択と、明治製菓でそれをタンクで大量培養してくださったおかげでもあった。
これはきわどいところでアメリカのメルク社の研究陣と発表のプライオリテイーの競り合いとなった。
これは全く「醸造論文集」のおかげで、同じ年のこちらは私が醸友会で同君の研究を紹介させてもらったのが5月、先方は9月であった。
メルクの研究者たちも結局これを認め、同社長が私を大学に訪れ、共同発表の形にしたいというので、報文の原稿まで書いて持参した。それには田村君の名前が先に出してあったように思う。
この問題は、その後の数年間、大げさに言えば生化学者の研究のブームを引き起こした。
これにより、今まで生成の経路が不明であった数多くの天然物の経路が解明され、リネンやブロッホのような、ノーベル賞受賞者まで出したことは周知のとおりである。
:::::::::おかげで火落菌や火落問題が解明されたのは周知のとおりである。
付記3.
小生も参加した田村学造先生のお葬式は護国寺で壮大な参列者の下に行われたが、お棺には「火落酸キニーネ結晶」が入れられたそうである。
付記4。 参考のため、火落酸(メバロン酸)の構造式は以下の通りである。

付記5.火落酸の発見と、チュニカマイシンの発見で、田村学造先生は学士院賞恩賜賞を受賞され、文化功労者に指名されている。