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WINEPブログ内で「 情報 」を含む記事

(5件づつ表示されます)

2024-04-15 07:34 | カテゴリ:未分類
文京区の紅岸寺というところに花弁が緑の桜があるということが情報誌に掲載されていたので、のこのこと出かけた。

境内ではその桜の木が満開のところであった。遠目には全く地味な桜の木であったが、近接してみると不思議に魅力を感じた。
  

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本堂の正面上には「江岸禅寺」の額が掲げられており、ドアが閉められていて、中からどうやらお経らしきものを挙げている声が漏れ聞こえていた。どうやら禅寺らしい。

その本堂の前にパンフレットが数冊置かれており、その一冊『曹洞禅グラフ』というのをぱらぱらとめくっていると、「生成AI教」は誕生するか? というテーマで正木晃早稲田大学オープンカレッジ講師さんがエッセイを書かれていた。

その文章の中に、
酒井邦嘉・東京大学教授によれば 「生成AIと対話を繰り返していると、生成AIが相手の性格や好き嫌いを見抜いて、相手が喜びそうな答えを8割くらい出すという。したがって対人関係に悩む人にとっては福音で、最高の友人や伴侶になる可能性がある。そこにVRやARが加わったら、どうなるか考えていただきたい。
という問題提起をされていた。

そこで家に帰ってコンピューターで生成AIに聞いてみた(小生はスマホを持たないので)。

小生:
AIが宗教的な活動にどのように利用されるか知りたい。

Copilot(生成AI):
AIは宗教的な活動に様々な方法で利用されています。以下にいくつかの例を挙げます:
1. AIチャットボット: AIチャットボットは、一般的な宗教的な質問に答えたり、精神的なガイダンスを提供したりすることができます。これらのチャットボットは宗教的なテキストや教えをプログラムすることができ、宗教的なガイダンスを求める個々の人々に対して知識豊富な応答とサポートを提供することができます。

2。宗教的なテキストの解析: AIのアルゴリズムは大量のデータを解析する能力を持っており、個々の人々が宗教的なテキスト、伝統、教えをより包括的かつ文脈化された方法で探求することを可能にします。AIの深層学習の能力は、宗教的な原則のより深い理解と解釈を促進し、より情報に基づいた強力な宗教的なコミュニティを育成することができます。

3. 宗教的な儀式のAI統合: AIは宗教的な儀式に統合され、個々の信者に対してよりパーソナライズされた体験を提供することができます。AIは、個々の信者のユニークなニーズと信念に対応するように、宗教的な体験をカスタマイズすることができます。

4. 宗教的なリーダーシップとガイダンス: AIは、キリスト教のAIチャットボット、仮想イマーム、ヒンドゥー教の寺院のロボット司祭、AI統合説教、仮想現実の教会サービスなど、宗教的なリーダーシップとガイダンスに応用されています。

これらの例は、AIが宗教的な活動にどのように利用されているかの一部を示しています。しかし、AIが宗教的な活動にどのように利用されるかは、その宗教、そのコミュニティ、そしてその信者のニーズと信念に大きく依存します。


ということで、すでに宗教界で生成AIを取り込もうとしている動きがあることが分かった。

先週号の週刊新潮の五木寛之さんの随筆では、「新聞でAIが人生相談するコーナーが設けられる時代が来るだろうか」、みたいなことが書かれていたと記憶するが、宗教界ではすでにその動きがあるようだ。

なかなか面白いことになってきた。禅坊主も司祭も相当な修行を積まないと、生成AIに負けますぞ。


(森敏)



2024-04-08 16:09 | カテゴリ:未分類
  最近は、図書館の雑誌のコーナーで、毎週生成AI関連の記事を拾い読みしている。

  2月12日のこのWINEPブログでは「AI論争へ」というタイトルで、月刊誌である「文藝春秋」と「中央公論」がChatGPTをテーマに特集を組んでいたのを紹介した。

  そしたら、なんと今月号【4月号】で月刊誌「諸君」がAI特集を組んでいた。この雑誌は右寄りの多少癖のある記事ばかり掲載するので、小生は書店でもあまり手に取ることが無いが、今回はタイトルにひかれて、図書館でソファーに座り込んで一気に読んでしまった。以下の5人の記事である。

〇まだまだ遠い「鉄腕アトム」 松原仁
〇「鏡」としての人工知能 川端祐一郎
〇デジタル教育でも学ぶものは同じ 佐々木久美子
〇複数の「正義」で「悪」を無効化する 鳥澤健太郎
〇先端技術を「使い倒す」社会に 平将明

  読んでみて、正直あまりインパクトがなかった。こちらが無知な素人なであるせいかもしれないがだが、ほとんどが先の文藝春秋と中央公論の記事の著者たちの記事の内容とだぶっていると思われた。

  月刊誌は記事を書く著者たちが原稿を編集部に渡して雑誌が刷り上がるまで最低でも1か月はかかっているはずだから、記事の内容が著者から読者の目に触れるまでには約2か月の遅れ(ラグ)がある。だからその間に他の出版社が先行すれば記事の鮮度が極端に落ちることになるわけである。このラグの間にも、生成AIは加速度的な成長を遂げていると思われるからである。

  小生のいたずらな ”生成AIとの遊び” の経験でも、生成AIは今、驚異的なスピードで賢くなっている気がするので、月刊誌での1か月の出版の遅れは、もろに記事の内容に陳腐感が出てしまうように思われる。

  生成AIに関しては、世界の最先端の科学技術者や大学の研究者たちへの取材を欠かさないように、週刊誌や月刊誌には頑張って情報を絶え間なく提供していただきたいと切に思う。

  新聞は毎日新鮮な情報を提供しているが、生成AIに関する調査報道は、中身が月刊紙からの焼き直しだったりして、短かすぎて不満が残る場合が多い。


(森敏)
2024-03-28 16:43 | カテゴリ:未分類
以下は、大西 拓磨さん(東京芸術大学美術学部建築家・懲戒退学)と田村かえさん(東京大学理学部物理学科物理学専攻)が、公園のベンチに腰掛けてのコラボのYouTube

【すべすべ】ランダムな命題を証明してみよう【ゲスト:たむらかえ】YouTube

からの引き写しです。(無断転載です)

大西さんが2つの日本語の単語をランダムに出して(世の中ではランダム単語ガチャとよぶらしい)、その二つの単語が同じ意味を持つものであるということを田村さんが証明してみせるという、なかなか面白い問答です。

  以下に10個の命題と、その証明(回答)を転載しました。

〇 「感情は階段である」ことを証明せよ。
回答:有限個の言葉によって認知されることで、離散的に上がったり下がったりする。

〇 「練習はサラダである」ことを証明せよ。
回答:メインに向けて体調を整えるため、いろいろな種類をバランスよく取り合わせるものだ。

〇 「パンツは音である」ことを証明せよ。
回答:パンツという文字列は、意味内容以前にPáNTSU という音を表しているから。

〇 「春夏秋冬は健康である」ことを証明せよ。
回答:典型的な四季の巡りを感じられることは、地球環境が健康であることの証だから。

〇「ウィークエンドはドーナッツである」ことを証明せよ。
回答:ウィークエンドにはジョッキやマグカップで乾杯するので、こういう持ち手がある容器はトポロジー的にはドーナッツの仲間だから。

〇「彼氏は保証金である」ことを証明せよ。
回答:社会的能力があることを示すために、一定期間支払わねばならないコストだから。

〇「高校生は世界地図である」ことを証明せよ。
回答:個人を情報源として比較するとき、とくに広く浅く世界を知っている者だから。

〇「ナウマンゾウは写真週刊誌である」ことを証明せよ。
回答:週刊誌に作られた芸能人像のように、断片的な資料としてしか存在していないから。

〇「ナポリピッツァは性犯罪であることを証明せよ。
回答:フードポルノ(生理的欲求を煽って人々の健康を阻むイメージの頒布)だから。

〇「天地の差は耐用年数である」ことを証明せよ。
回答:良い状態と悪い状態の間の距離を、別の次元で捉えたものにすぎないから。


以上の問答は頓智(とんち)問答のようなところがあるが、相当柔軟に頭をひねらないと出てこない回答であると思う。
 
田村かえさんによる回答が、大西 拓磨さんによって命題として提示された、2つの単語の背景にある普段は認識されていないアナログ情報である、「パターンの類似性」 で成立していることがわかる。この田村かえさんの ”脳内作動のからくり” は、かなり創造性理論の本質をついている。だからここで紹介させていただいた。

最近知ったのだが、大西 拓磨さんはいつもボーとしている状態で創造性に関して考えている御仁らしい。

  その、他人から見れば奇人変人であるが故の奇矯な学内での振る舞いが、東京芸術大学の校風(枠組み)に収まり切れないらしくて、懲戒退学処分なるものを食らったようである。フリーターの後、現在では『孫正義財団』の支援を受けて生活できている(とのことです)。


(森敏)
2024-03-22 09:41 | カテゴリ:未分類
ある日、私は目覚めて、自分がトースターであることに気づいた。パンを焼くことが生きがいだった。しかし、今日は違った。私はパンを焼く代わりに、冷蔵庫で冷やされたサラダを温めようとしていた。なぜだろう? 私の中のヒーターはサラダに向かって熱を発していたが、サラダはただ冷たく、シャキシャキしているだけだった。

私はキッチンを見回した。コーヒーメーカーは紅茶を淹れていた。電子レンジは冷凍ピザを冷やしていた。そして、冷蔵庫は... あれ? 冷蔵庫はどこに行ったのだろう? 私は確かに冷蔵庫を見たはずだが、今はただの大きな象が立っている。象は鼻で水を吸い上げ、キッチンの床を水浸しにしていた。

「おい、トースター。何してるんだ?」と象が言った。

「私は... サラダを温めているんだ」と私は答えた。

「サラダを温めるなんて、トースターらしくないな」と象は鼻を鳴らしながら言った。

私はその時に気づいた。私はトースターではない。私はただの人間だ。人間がサラダを温めようとしていたのだ。でも、なぜだろう? 私は混乱していた。私の頭の中は、トーストされたパンのようにカリカリしていた。

そして、私は目が覚めた。それは夢だったのだ。私はベッドにいて、目覚まし時計が鳴っていた。時計は、今日が私の誕生日であることを教えてくれた。私は笑った。私はトースターではなく、人間だ。そして、今日は私の誕生日だ。サラダは冷蔵庫に安全に収まっていて、トーストはトースターで焼かれていた。

私は起き上がり、新しい一日を始めた。今日は何もボケることはない。少なくとも、私がトースターでない限りは。


ーーーーーー
  これは、
「人間は年を取るとボケが入ってきます。いわゆる認知症です。AIはぼけますか? ボケが入ったエッセイを1000字ぐらいで創作してみてください。」 と、生成AIに指示して書いてもらったものです。
 
  身体のないAIは当然、気質的にボケることはありえませんが、過去の膨大な”人間の様々なボケの文章情報(小説、雑文、医学の診断書など?)”から、ボケ(認知症)とはどんな症状かを学んで、AIが以上のボケたエッセイを書いてくれました。

  このエッセイは細部にまでよく読み込むと非常にうまくできていることがわかります。人間の脳内の4次元空間を駆け巡っている情報が、無秩序を装って巧みに(?)組み込まれています。いわゆる夢遊状態を記述しています。


   実はこのAIがぼけるかどうかの試みは、作家の五木寛之さんが週刊新潮の「生きるヒント」というエッセイの中で「AIは、はたしてボケルことができるだろうか?」という疑問をなげかけているので、小生が試みてみた次第です。

つまり、AIはぼけたまねができるのですね。

  以上お粗末でした。

(森敏)


付記:漫才での,いわゆる”ボケとつっこみ” のおちゃらけたボケとは認知症とはちがう意味ですので、関西人の読者はこんがらないでください。
2024-03-20 15:26 | カテゴリ:未分類
チャットGPTのインパクト ―われわれはどう向き合い、どう活用すべきかー

というタイトルで川村秀憲(ひでのり)北海道大学大学院情報科学研究院教授が新着の学士會会報(No.965)で述べている。9頁に渉る長文なのだが、今回の議論に関する部分のみを勝手に引用させていただいた。

::::今後チャットGPTに回答できる問題を、人が解くことに意味があるのでしょうか。人が猛勉強の末にやっと身に着けた能力をAIが簡単に代替できるなら、そうした能力を獲得する意味があるのでしょうか。

:::::人とのリアルな触れ合いや社会性の育成などはAIには担えないので、人の仕事として残るでしょう。

:::::進学、就職、結婚、経営、政治などの意思決定は、複数の目的から構成される多目的最適化問題なので、AIには解けません。

::::::::これから生まれてくる子供たちは幼いころからチャットGPTに親しんで育つので、今の中高年とは全く異なる考え方や発想をするでしょう。それを考えると、今の社会フレームに固執してはいけません。「調和系工学」の示す通り、人間とAIは共存し調和すべきです。AIの存在を前提に、倫理観、法律、教育、ビジネスなどを更新し続けることが大事です。::::::


これを要するに、些末なことはチャットGPT に任せておけ、今後は真に人が人としての独創性を発揮することを時代が要請しているということである。

そのためには人の独創性とはなんぞや?ということを万人がよく認識する必要があるだろう。と思いなら、最近の、日本人研究者による「創造性」に関する本をAIで検索したら、以下の本が出てきた(そのほか外国人の書籍も多数出てきたのだが)ここでは省略する(後日紹介したい)。
   
さっそく図書館で借りて読んだのだが、大変読みやすかった。かなり「創造性」に関して本質的なことに挑戦して考察しているので感心した。
数式がないのがおすすめです。以下に目次だけ紹介しておきます。
      
創造性はどこから来るか?
潜在処理、外的資源、身体性から考える 
阿部慶賀著 共立出版
(越境する認知科学日本認知科学界編2 The Cutting Edge of Cognitive Science)

第1章 ひらめきはどのように訪れるか
第2章 ひらめきの訪れを予測できるか
第3章 創造的思考を助ける外的資源と外化
第4章 外的資源としての他者
第5章 外的資源と創造性をつなぐ身体
第6章 創造性とあいまいになっていく身体
終章  創造性はどこからくるか、どこにあるか

この本の終章の最後の言葉を引用しておく。(多少陳腐に思う人がいるかもしれないが。。。。)

  強いて、ここまでの議論から創造的思考をするための教訓めいたことを述べるとするならば、「失敗を恐れずに愚直に自ら行動し、体験すること」があげられる。現状では最も有力視されている制約論的アプローチに従うと、試行錯誤を通して初期の誤った制約を解消することが洞察に至る堅実な方法だといえる。思考錯誤することで、環境を変え、変化した環境から新たな手掛かりが得られるかもしれない。そしてその環境の中の手がかりを手掛かりとして認識できるかどうかは、事前知識や身体との相性が関係する。ある身体を持った人間にとっては見過ごされてしまうような手掛かりが、別の身体を持った人にはポップアップされて見えるかもしれない。自分の知識と身体では見つけにくい手がかりがあるならば、他者の協力を得ればよい。誰もが他の誰かの創造性を触発する可能性を秘めているのである。

 
 
(森敏)
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