fc2ブログ
2023-08-12 22:12 | カテゴリ:未分類
スライド2


「がんと闘う食べ物たち -食事によるがん予防-」
(第一出版 定価3300円)

原著 Richhard Beliveau博士, Denis Gingras博士 
完訳 吉村悦郎(東京大学名誉教授・放送大学名誉教授)


目次
第1部 がんは強敵
第1章 がんによる災禍
第2章 がんとは何か
第3章 がんは細胞にとっての環境問題
第4章 食事によるがんの予防
第5章 ファイトケミカル:夕食には抗ガン化合物の小皿を

第2部 がんと戦う食べ物たち
第6章 がん細胞はキャベツを嫌う
第7章 ニンニクと玉ねぎ
第8章 ダイズ、抗がん作用を持つ植物エストロゲンの比類なき貯蔵庫
第9章 スパイスとハーブ、ガンを予防するおいしい方法
第10章 緑茶、それはがんと戦う心の癒し
第11章 ベリーへの情熱
第12章 オメガ3:つまるところ、体によい脂質を
第13章 トマト:がんが恥ずかしさで赤面する
第14章 柑橘類、それは香り立つ抗がん化合物
第15章 酒の中に心理あり
第16章 食べ物の多様な抗がん作用

第3部 日々のがん予防
第17章 がんと戦う献立 

結論

第二版の序
近年、我々のがんに対する考え方は大きな変化を遂げている。長い間、がんは一夜で生じる破滅的な病気と捉えられていたが、今日では慢性的な病気として知られるようになっている。がんは臨床的な段階に至るまでには数十年の年月を要するのである。我々は皆、未熟な腫瘍を体内に持っている。この腫瘍はがんになる可能性が高い前がん細胞というべきものであるが、最近の研究は、この前がん細胞の進展を遅らせる可能性を示している。質の高い生活習慣を実行することで、変異を蓄積して前がん細胞が成熟したがん細胞段階へと進展するのを防ぐことができるのである。したがって、ガンを防止する主要な方法は、がん細胞が発生するのを阻止するのではなく、むしろその進行を遅らせることにある。そうすることで、前がん細胞は、80、90年の人生の間には成熟段階には到達できない。
  ここ10年間での研究で、欧米の国々での食習慣が我々の社会におけるがんの高い発症率の主な原因であることが確認されている。欧米式の食生活-砂糖、肉類、超加工食品が多く、植物性食品が少ないーに倣っている国では、例外なく、肥満、糖尿病、それに数種類のがんの驚くような増加に対応を迫られている。
  このような状況の深刻さに鑑みると、最新の研究成果を取り入れて本書の全面的な改定を行った。がんを予防できる可能性があることは、最も注目に値する。食生活を含んだ生活習慣を変えるだけで、がんの3分の2は防ぐことができるのである。


ーーーーーーー

  上記に紹介した本は、後輩の吉村悦郎東大名誉教授から先日贈呈されて来た、彼自身による完訳本です。

  文中の中身には素人にも一目でわかりやすい68枚のカラー写真と28枚の表が掲載されています。文献は400点巻末に掲げられています。

  日本人の半数がガンに罹患して死んでいます。だから、この本をよく読んで、日頃からの食生活では、「がんと戦う献立」の章を参考にして、できるだけ自分の体細胞の変異とがん細胞への進展を抑止するように心がけましょう。そして健康寿命を延ばしましょう。




(森敏)
付記:別件だが、吉村君の 「訳者まえがき」 の文章の最後は

令和5年5月
薫風に揺れるカーテンの下、まどろむ老犬のかたわらで

と、締められている。
コロナ流行前に、東大農学部構内の家畜病院前で、珍しくも吉村君に偶然出会った時には、「奥さんが犬が心配だというので、付き合って連れてきたんだけど。。。白内障じゃないかと思う」 と心細げだった。



2023-07-26 16:34 | カテゴリ:未分類

康保険証の2024年秋廃止方針、河野デジタル相「待ったなしだ」…期限延長しない意向
読売新聞 によるストーリー • 9 時間前

 マイナンバーカード問題に関する参院地方創生・デジタル社会特別委員会の閉会中審査が26日午前、開かれた。河野デジタル相は健康保険証とマイナカードを一体化する「マイナ保険証」に関し、「メリットは非常に大きい。医療DX(デジタルトランスフォーメーション)は待ったなしだ」と述べ、健康保険証を2024年秋に原則廃止する方針は変更しない考えを示した。
 マイナ問題を巡っては、マイナ保険証に別人の情報がひも付けられる誤りが相次いでいるほか、埼玉県所沢市がマイナンバーの誤登録により、別人の公金受取口座に振り込みをしていたケースも明らかになっている。与党内からもマイナ保険証への一体化の期限について延長を求める意見が出ているが、河野氏は「保険証を廃止し、マイナカードの利用に統一した後も安心して保険診療を受けていただけることに変わりはない」として、延長しない考えを示した。
 河野氏は、最長1年間は発行済みの現行保険証を利用できる経過措置も設けているとあらためて説明し、「この期間も使いながら丁寧に説明し、不安払拭(ふっしょく)に努めていきたい」と強調した。デジタル庁が個人情報保護委員会による立ち入り検査を受けたことについては「個人情報保護に関する重大な事案が起きてしまったと認識している」と述べた。

---------


 大学を退職したときに財布に入るカード大の「名誉教授の証」をもらったが、これが大学の外で身分証明書として役にたったことはこれまで一度もない。

  小生は車に乗らないので (乗ると人をひき殺す自信があるので) 車の免許証を一度も持ったことがない。運転免許証は顔写真があるので、日本のどこでも本人確認には最高に威力を発揮するようである。

  最近、小生は体調不良で国際学会にも過去10年ばかりは外国出張していないので、パスポートも2027年には切れる。延長申請するつもりもないし、外国人でもない限り、普段は日本人が日本国内でパスポートを持ち歩くことなんか無いだろう。だがこのパスポートも写真付きなので、本人確認には日本の役所では重宝がられているようだ。

  というわけで小生にとっては、健康保険証は「命綱(いのちずな)」といってもよい。定職を持たない後期高齢者などは、みんながそう思っていることだろう。

  国民総背番号制 (マイナンバーカード) が定着したから、国民の資産がくまなく紐付(ひもづ)けられて政府当局には丸見えになったので(つまり、国民一人一人の全財産が可視化されるので)、タイやインドの「経済が飛躍的に発展している」と報じられている。

それは事実かもしれないが、これらの国の行く先は、経済合理性を極めた末に、そのまま放っておくと中国のような人権無視の弱者いじめの独裁国家になるのがオチだろう。日本も後塵を拝するつもりなのか、小生には河野デジタル相はIT企業に尻を叩かれて血迷って旗を振っているとしか思えない。

  病院に行って、窓口で「健康保険証」を見せて、診察や治療を受けて、病院窓口で受診料を払い、医者に薬の処方箋をもらって、薬局で薬を出してもらって、お金を支払うときが一番「あー俺は日本国民でよかった」と実感するときである。

医学の発達に感謝しつつも、不遜な話かもしれないが、一方では小生の壊れつつある体が、巡り巡って、医薬品業界や、医療器機メーカーの発展にも貢献して、ひいては日本の GDP(国民総生産) の向上にも貢献しているんだろうなと、勝手に思うことにしている。

  紙ベースの「健康保険証」こそは日本国民としての強固な identity (存在証明)の基盤であると思う。

  その意味で、小生は紙の健康保険証の廃止には断固反対である。
    
   
 (森敏)
2023-06-29 14:28 | カテゴリ:未分類
スライド1
図1。不忍池湖畔の鑑真像 向こう側に見えるのは八角堂とスカイツリー

スライド2
図2。盲目の鑑真

スライド3
図3。台座のネームプレート

スライド4
図4。雨の日の鑑真像



少し古い話になるが、コロナ禍最盛期の2021年から2022年の間は小生も散歩を控えていた。その後、不忍池を散歩していると、ある日忽然と銅色の立派な銅像が建てられているのには驚いた。(図1)
  
像はなんだか目を閉じているか、薄目らしい。(図2)
台座を見ると「鑑真像」688-763と金文字で刻印されている。呉島一糸書(と読めたが間違いかもしれない)2022年立 と書かれている。(図3)
だれがどういう理由で建てたのかその由来について像の裏面には何も書かれていない。
思うにどこかの日中友好人士が建てたのだろうと勝手に推測した。
  
70年ほど前に芦屋市宮川小学校の遠足で奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)に連れていかれて、鑑真和上(がんじんわじょう)の座像をわけもわからず、畳の上に上がってま近かで拝まされた記憶がある。
  
その時、このお坊さんは大陸から来た偉い人で、盲目だと教えられた。どす黒い顔で目をつぶっており、両目の周りが白かった。その理由は教えられなかった。このお坊さんのどこが偉いんだろうと全然ありがたいという気持ちになれなかった記憶がある。(小学生の感想なんてそんなものでしょう)
  
最近散歩のたびにこの像を眺めているのだが、最初は風景になじまない違和感があったのだが、最近は銅像(?)も風雨にさらされて、色がくすんできて湖畔の風景になじんできたと思う。そぼ降る雨のときに顔の拡大写真を撮ったのが(図4)である。
  
盲目であるにもかかわらず両目から涙が頬を伝って法衣の胸元まで流れており、大陸から日本になかなか到着できない悔し涙なのか、それともやっと到着したといううれし涙なのか、なかなかたくまざる感動的な光景だった。
  
あらためて調べてみると鑑真は749年から753年にかけて、大陸から日本に向けて6回も渡航を試みており、船が難波や漂流を繰り返して、やっと六回目に日本の屋久島に漂着したのだった。すでに当時66歳であった。その後76歳で没するまでわずか10年間の間に、日本の各所に戒壇を設け菩薩戒を布教したとのことである。
  
この法衣を風になびかせている鑑真像を、散歩のたびに観るのだが、その立像の風貌は湖岸に映えて、歌舞伎でよく演じられている喜界が島に流された「俊寛僧都」の姿や、横山大観が描いている中国の紀元前の春秋戦国時代の憂国の士「屈原」の像などを思い浮かべる。
  
ちなみに「鑑真の立像は、日中のどこかにありますか?」とチャットでに問いかけたら、真偽のほどは不明だが「どこにもありません」という回答が返ってきた。だからこの鑑真の立像は後世に残る少なくとも日本初のものかもしれない。


(森敏)

追記: 全くの偶然だが、最近古い本である宮冬二 短歌実作入門(1982年4月出版)を書棚から取り出して読んでいたら

  若葉しておん眼の雫(しずく)払わばや 芭蕉

という小生の上述の光景にぴったりの俳諧が出てきた。
図らずも、小生は芭蕉と同じシチュエーションを実際に発見したのだ。
しかしこの芭蕉の句は、唐招提寺の鑑真和上の盲目の座像をみて、その涙を想像して若葉で拭ってあげたいと空想をたくましくしたものである。
2023-06-18 16:21 | カテゴリ:未分類
村上春樹さんの中学生卒業時の写真1
村上春樹の精道中学時代の写真 広井大先生提供 (転載)

  村上春樹の『街とその不確かな壁』(新潮社)を2週間かけて読んだ。

  読んでいるうちに、この話の展開はいつもの村上春樹が得意とするパラレル・ワールドの記述法であり、整合性のあるストーリー展開でもなさそうで、感性が鈍磨している小生にとって、読んでいて中身がわくわくするものでもなかったので、一気読みする必要がないと思った。

  出版後2か月もたっているので、そろそろ、村上春樹自身によるインタビュー記事(読売新聞(文化部 待田晋哉)や、正攻法に構えた鴻巣友季子の文学潮流など、読書評論家によるこの本に対する深読みの村上春樹論が雑誌やネット上で出始めたので、普通の読者である小生は、ここでは専門の評論家とは別の得手勝手な読後感を述べたい。

  読書の途中で、今回遅まきながら、はじめて気が付いたのだが、この小説にはいたるところに、美文がはめ込まれている。おそらくこれまでもそうだったのだろうが、今回初めて気になったので、これまでの小説よりもその頻度が高いのではないだろうかと思った。大まかに言うと、

「:::::は、まるで::::::::::かのようであった」

というカタチの「たとえ話」の文章表現が満載であった。全655頁のうち軽く数えて付箋を挟んでいっても、50カ所以上にわたってそういう表現があった。それぞれがけっこう普通にはあまり思いつかない軽妙なあるいは深遠な表現なのである。
   
  小生はそういう表現をなめるようにじっくり味わいながら、この作家がどうしてそういう表現を発明することができるのか、想像を巡らせながら読むのが今回はすこし楽しかった。

付記に、その例を書き写しておいたので興味のある方は味わってください。
  
   
  ところでここからいつものように話が少し脱線するのだが、小生は中学生の時に、高価な筑摩書房の作家ごとのA4判の大きさの文学全集を親に買ってもらったことがある。その中で、太宰治の様々な短編小説や、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中での、えもいわれぬ文章表現に、大いに感心して、それらをノートに熱心に書き写した時期があった。その一部を「潮騒」という精道中学校の文芸雑誌に投稿したら、掲載されて、なんとなくうれしかった。

  実は、この精道中学校の国語の先生が神戸大学教育学部(国語学科?)出身の広井大先生であった。広井先生の卒業論文は紀貫之の「土佐日記」であったと聞いている。年譜を調べると、村上春樹さん(現在74歳)は、小生の7年後輩で、この精道中学校の同窓生であるらしい。このことはこのWINEPブログでも述べたことがある。

  広井先生は国語学でこの春樹君のお父さん(確か当時甲陽学院の国語の先生?)と家庭訪問などで親しかったので、「村上春樹がノーベル賞を取るまで生きていなくては」と、人知れず頑張って生きておられた。春樹君が本を出版するとすぐに買い求めていたとのことである。ただし、『ノルエーの森』以外はなんとなく本の内容には馴染めなくて、自宅の本棚への積読(つんどく)が多かったとか、ご本人から聞いたことがある。

  今回、「村上春樹」で画像検索すると、彼の中学校卒業時の写真が出てきた。なんと、その写真の下には、広井大氏提供と書かれているではないか!!

  先日のWINEPブログで紹介した92歳で逝去された人物は実はこの広井大先生なのである。先生は「村上春樹がノーベル賞を取ったら、マスコミのインタビューを受けて彼の中学時代の人物像を語ってみたい」と楽しみににされていたのだ。

  しかし、実のところ、村上春樹の小説には、香櫨園の小学校の時と神戸高校の時のことが時たま、登場してくるが芦屋在住の精道中学校の時のことは、小生の知るところではどの本にも登場してこなかった。

  今回の小説 『街とその不確かな壁』 の中にわずかに中学時代と思われる記述が以下に修飾的に出てくる。

:::::学校での生活についても、取り立ててかたるべきことはない。成績はそれほど悪くはないが、人目を引くほど優秀なわけでもない。学校でいちばん落ち着ける場所は図書室だ。そこで一人で本を読んで、空想のうちに、時間をつぶすのが好きだ。読みたい本のおおかたは学校の図書室で読んでしまった。
  
  春樹君は、きっと中学時代も、体調などにわけがあってか、学校が面白くなくて、自宅で好きなレコードをかけたり、本ばかり読んでいた目立たない、人好きの良くない子だったと、勝手に想像される。小生の時代には、精道中学から神戸高校に行く子は結構クラスでも成績が上位の子が多かったと記憶している。小説家村上春樹には、残念ながらいくら思い出しても、小説に書くほどの中学時代の感動的な体験のネタがないのかもしれない。
     
 
(森敏)

付記:以下は [街とその不確かな壁」から「:::::は、まるで::::::::::かのようであった」 の類の表現を拾ったものです。


・古井戸のように深いため息をついた。

・規則性と単調さとの間に線を引くのは、ときとしてむずかしいものになるとしても

・そこにあったのは喩えようもなく奇妙な感触だった。その層は物質と非物質の間にあるなにかでできているらしかった。

・その針が午後三時をわずかに回っていることを確認してから、一度深呼吸をし、湖に張った氷の厚さを、そこを渡る前に慎重に確かめる旅人のように。

・そして彼女たちの意見は、あるいは総体としての意見は、汚れた洗濯物のように、どこか奥の方にそそくさと仕舞い込まれてしまった

・「どうだろう?恋愛というのは医療保険のきかない精神の病のことだ、と言ったのは誰だっけ?」

・小さな口を半ば開き、虫を間違えて喉の奥に飲み込んでしまった時のような顔をした

・私はため息をつき、机の上に両手を置いて目を閉じ、時間の過行く音に耳を澄ませた。

・旅人が自分でも気づかぬうちに、大事な意味を持つ分水嶺を踏み越えてしまったみたいに。

・岩の隙間から水が湧き出すみたいに、文章がすらすらと目の前に浮かんできたものだったが。

・自分はいったいこれまで何のために生きてきたのだろう?ひょっとして地球が逆に回転し始めたのではあるまいかと、真剣に不安に駆られたほどだった。

・嫌な予感がした。心臓が乾いた音を立てた。

・なんだか建物の太い柱があっさり取り払われたような、そんな虚脱感に襲われました。

・「意識とは、脳の物理的な状態を、脳自体が自覚していることである」という誰かの定義を:::

・松の大枝に積もった雪が時折重く積もった音を立てて地面に落下した。まるで力尽きて手を離した人のように。

・そうするうちに出し抜けに―まるで足元の茂みから鳥が飛び立つみたいに唐突に―その題名を思い出した。

・頭の中にあるのは心地よいただの空白だった。あるいは無だった。雪の予感を含んだ寒冷さが、鉄の腕のように私の意識を厳しく締め上げ、支配していた。

・私は黙ってストーブの火を眺めていた。私の体内で時間が淀む感触があった。

・まるで栄養ドリンクでも飲むみたいに、そこにある情報を片端から吸収していきます

・まるでついさっき世界の裂け目を目撃してきたかのような悲痛さを含んだ叫びだ。

・いくら特殊な能力があるといっても、個人のキャパシテイーには当然限度がある。まるで海の水をバケツでくみ上げているようなものだー

・そして身動きせず、一心不乱に猫たちを観察していた。まるで地球の創生の現場を見守る人のように。

・共存共栄。誰も傷つかない。それは読書という行為の優れた点の一つだ。

・彼はそれをじっと見つめていた。ポール・セザンヌが鉢に盛られた林檎の形状を見定めるときのような、鋭く批評的なまなざしで。

・私はどうやら本格的に、習慣を自動的になぞって生きていく孤独な中年男になりつつあるようだ。

・私の中で時間が入り乱れる感覚があった。二つの異なった世界が、その先端部分で微妙に重なりあっている。満潮時の河口で、海の水と川の水が上下し、前後し、入り混じるように。

・私はそれに対してうまく返答することができなかった。しばらく沈黙が続いた。その沈黙は宇宙に浮かぶ白紙の息というかたちをとっていた。

・心も身体もまだじゅうぶん馴染んではいない。新品の衣服に身体がうまく慣れないみたいに。

・寒い夜に赤々と輝く火には、遺伝子に深く刻み込まれた集合的記憶を呼び起こすものがあった。

・考えてみれば、私がそこに暮らしている時から既に、町を囲む壁は刻々とその形状を変化させていたのだ。まるで臓器の内壁のように。

・電車が固定された軌道の上を進んでいくみたいに、その習慣から外れることはまずやりません。

・父親はそれについてじっくり深く考え込んでいた。飲み込みにくい形のものを、何とか喉の奥に吞み込もうとしている人のように。

・彼女は山の端に上ったばかりの月のような、淡い微笑みを口の脇に浮かべた。

・言うなれば水面下深くにある無意識の深い領域に」

・強い既視感が、私の身体全体にもやもやとした痺れをもたらした。身体を巡る血液に何か目に見えない異物が紛れ込んだかのように。

・その顔には、いったんは笑いかけたが思い直してやめた時のような、どことなく中途半端な表情が浮かんでいた。

・それで少しは気持ちがおちついたものの、心臓は相変わらず、槌で平板を打つような、乾いた音を立てていた。

・彼女の指先で優しく撫でられたあと私の耳の痛みは―その微かな夢の名残は―あとかたもなく消え失せていた。新しい陽光に照らされた朝霧のように。

・夢の内側と、夢の外側との境界線がきっと不明瞭になっているのだ。

・まるで強い潮の流れに運ばれていく漂流者のように、私の内側で周りの情景が転換する。

・君の隣に腰を下ろすと、なんだか不思議な気持ちになる。まるで数千本の目に見えない糸が、君の身体と僕の心を細かく結び合わせているみたいだ。

・その安定した日常が、今日初めて乱されたのだ。梯子の段がひとつ取り払われるみたいに。

・私の心は私の意思に反して、若い兎が初めて春の野原に出た時のように、説明のつかない、予測のできない野放図な躍動を欲しているようだった。

・振動のおかげで、トレースされた画像が原形から微妙にずれていくみたいに。

・「さよなら」と彼女も言った。まるでこれまで見たこともない食べ物を始めて口に入れる人のように、ゆっくり注意深く、そして用心深く、そのあと、いつもの小さな微笑みが口元に浮かんだが、その微笑みもいままでと同じものではなかった。

・この作品は僕にとってずっと、まるでのどに刺さった魚の小骨のような、気にかかる存在であり続けてきたから。
2023-06-09 10:50 | カテゴリ:未分類
日曜日に、国立新美術館に出かけました。日洋展の切符が親類の画家から送られてきたからです。
  
湯島駅から千代田線に乗ったら、若い男女でいっぱいでした。小生と同様に乃木坂駅で彼らがどっと降りました。国立新美術館に向かって階段を上っていくと、なんとルーブル美術展が開催されていて、その当日切符売り場が長蛇の列でした。
  
館内もルーブル展入り口からヒトがいっぱいでロープで二重三重に人波でとぐろを巻いており、続いて建物の外にも4重ぐらいに人の波がくねっていました。全部で3000人以上いたのではないだろうか。これでは入館まで2時間以上待機する必要があるのではないだろうか。若い人が大半で、男女はスマホを見ながら待つことにぜんぜん苦痛を感じないように見受けられました。
  
これを見て、フランスの「ルーブル展」という名の集客力は相当なものだと思ったことです。相変わらず小生も含めてですが、いつまでも日本人は芸術面ではフランスかぶれですよね。
  
小生も、一度パリで国際学会の合間にルーブル美術館に出かけたことがあります。野外で並んでいると、周りでじゃれあっていると思っていた女の子3―4人組に体あたりされて、ショルダーバックを奪われそうになりました。例の有名な流浪の民「ジプシー」には気をつけろ!と言われていたので、おもわず「このやろうー!!」と日本語で怒鳴りつけて、振りほどいたら、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。ルーブル館内では「モナリザ」像が含み笑いをしていましたっけ。
  
この国立新美術館での長蛇の光景をガラス張りの三階から見下ろしながら、思わず昔の安保闘争や学園闘争での街頭デモを思い出しました。これだけの人数がデモをすれば迫力があるのになー、なんて日本は平和ボケしてるんだ、と「新老人」は回顧的になりました。
  
一方、同時展示している招待券をもらって入った日洋展の会場は、2階と3階に展示されているのですが、人影がまばらで、ルーブル展とはまったく対照的でした。絵が多すぎるうえに足腰が疲れるので、杖を突きながら全554点を1時間かけて早足で鑑賞しました。
    
絵の中で一点だけ「ウクライナ平和への祈り」小林章男 というのがあり、目に留まりました。ウクライナ戦争の真っただ中、現在進行形を、どのように表現するのか、むつかしい課題に挑戦しているナーと、なぜか少し同情しました。それが以下の絵です。展示会場で写真を撮るな、とは書かれていなかったので作者に無断掲載しています。
       
スライド1
「ウクライナ平和への祈り」 小林章男
   
    
FC2 Management