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2019-06-03 12:08 | カテゴリ:未分類
 

中敷き1

図1.5本指の後方に土手を作っている。この写真は見る人によっては5本指の後方と、中央の土踏まずの部分が、目の錯覚でへこんで見える人がいるかもしれませんが、実際は盛り上がっています。
     

  最近あちこちの筋肉が落ちてきた。若いときは汗かきだったので、アメリカやヨーロッパでもあえてLLサイズの綿の分厚いポロシャツを買って来て、ひと夏はそれで過ごして快適だった。しかしいまそれらを着ると、両肩の筋肉がガタ落ちしているので、背中がだらんと落ちて、だぼだぼで、われながら見られたものではない。

      

  足の筋肉もげそげそに落ちて、靴のサイズも0.5センチ小さくなった。水虫対策で靴下を2枚履いていた時期があったので、靴のサイズは27センチで30年間は通していたのだが、近年は、文京区に多い急傾斜の坂道などは足底が前や後ろに滑ってきわめて歩きにくくなっていた。これは足底にいつもすべり応力がかかるので足底の皮膚にきわめてよくないし、平地を歩く時でも、足指の踏み込みが定まらなくて、足早に進めなくなった。いつも若い女の子が後ろからきて追い抜いていく。

     

  そこで思いきって、26.5センチの靴に少しずつ入れ替えすることにした。これだと靴下をはいて足がきっちるはまるので踏み込みが良くなった。とりわけ、写真のような名も知れないブランド品でない靴が極めて踏み込みが良かった。この靴をしばらく履いていて、どうしてだろうと、あるとき靴の中敷きを出して調べてみて少し驚いた(図1)。

    

  図1に見るように、この中敷きは5本の足指の部分の下方部分に土手がつけられており、それが、足の5本指が体を前方に押す時に道路をける力を受け止めて、指が後ろに滑らないようにしているのだった。極めて踏み込みが良い。正直言ってこんな中敷きを見たのは初めてである。靴の修理屋さんや、靴屋さんの中敷き売り場にも、今のところ見当たらない。
  
  我々は福島で多くの放置された運動靴や婦人靴などを収集して、放射能汚染された中敷きをオートラジオグラフに撮像してきたが、そのとき一枚もこんな中敷きに出会ったことがない。この中敷きはきっと、健康グッズとしてヒット商品になるだろうと思う。あるいは小生が知らなかっただけで、すでに隠れたヒット商品になっているのかもしれない。
 
 
(森敏)

 
2019-05-31 08:54 | カテゴリ:未分類

スライド1   
(図1)緞帳へのプロジェクションマッピング

 
スライド2
(図2)同上。馬や、牛や、いろいろな階層の人々がゆっくりゆっくりと動いている。



  谷崎潤一郎に関してはこのwinepブログでもたびたび言及してきた。

 

  今回谷崎潤一郎原作「細雪」の明治座での公演切符が手に入ったので、久しぶりに出かけた。30分前に入館したら、緞帳(どんちょう)の画面上で人が動いているのに少し戸惑ったのだが、待ち時間に観察していていつまでも見飽きなかった。「細雪」が舞台の道頓堀当たりの昭和10年台の情景描写ということで、人や牛や馬が登場し、全体に歩みがゆっくりして、当時の雰囲気が出ていると思った。(図1、図2)

    

  幕間に係員に確認したら、どうやら、最近はやりの ”プロジェクションマッピング” だった。数日前からこの劇場でも初めての試みだとか。珍しいので数名のご婦人が写真を撮っていた。最近芝居を観ないので、ほかの劇場でもこの手法は導入されているのかもしれない。

    

  「細雪」は大阪の船場や兵庫県の芦屋市が舞台なのでこの芝居には近親感が湧いた。舞台では入れ替わり立ち代わりの4人姉妹のカラフルな和服の衣装の変化が一つの見せ場である。
  
  大阪弁、神戸弁、芦屋弁と微妙なイントネーションの使い分けに姉妹の役者は苦労しただろうと同情した。芦屋市出身の小生としては、長女鶴子を演じた浅野ゆう子と、女の夫辰雄を演じた磯部勉の2人以外は、なんとなく関西弁に違和感があった。

 

  没落家族とはいえ、それに適応できない、女性家族のまだゆっくりしているときの時代の雰囲気は、芦屋弁を活用して、よくでていた。この雰囲気は今でも小生の芦屋の小中学校の同窓にも引き継がれているように思ったことである。阪神淡路大震災の「生き地獄」を経験しても、変わらないと小生には感じられる芦屋のこの風土や気風とはいったい何だろうね? と芝居が跳ねて、思いをはせた。

 
       

(森敏)
2019-05-24 11:21 | カテゴリ:未分類
 
P4300017.jpg
 
 

 

以下は偶然発泡酒をこぼしたことからの妄想です。案外当たっているかもね。

 

  小生は酒は飲まないが、土佐人が大好きな「カツオのたたき」などを食べるときは、まずのどをうるおすために、たまにビールの代わりに缶入り発泡酒を飲むことがある。

 

  最近は手先の神経が行き届かなくなって、時々、コップをひっくり返したりする。今回も、せっかくなみなみ発泡酒を注いだグラスをテーブルに倒してしまった。し、しまった!と思って慌ててすぐさまグラスを立てたが後の祭りであった。布巾で拭こうとしたら、

 

  まてよ? この泡模様、なかなか美しいではないか?

 

  そこで、他に買っておいた違う2つのメーカーの発泡酒を開けて、テーブルに今度は意識的に垂らしてみた。実はこのテーブルには2ミリ厚の透明なビニールシートが敷いてある。ほとんど同じ泡立ちで、泡は一旦0.1ミリぐらいにきれいに並ぶが、次第に小さくなって消えていった。それでも30分経っても少し残っていた。その過程をデジタルカメラで拡大モードで写真撮影しておいた。

 

  数日後に画像をよく確認すると、泡が大小3種類ぐらいあって、わずか1ミリぐらいの薄さのこぼしたビールの液体に、下から湧き出て次第に大きくなってくる像が写っていた。一見肉眼では、奥(下層)の泡は見えていなかったことがわかった。

   

  これはなぜだか小生には少し感動的な映像、「巧まざる美」であると思った。と、同時にこれは何か昔どこかで見たことがある光景だなと思った。デジャブ(既視感)である。頭の中がぐるぐる回って、そうだ!これは草間彌生のモチーフではなかったか?

      

  そこで、ネットで”草間彌生”と入れて検索すると、以下のように、この画像とそっくりの絵が彼女のホームページに出てきた!

http://yayoi-kusama.jp/j/information/index.html

    

  また、下記のように多くの彼女の絵の中にはこの泡のパターンを多くの応用編が出てきた。

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%8D%89%E9%96%93%E5%BD%8C%E7%94%9F&tbm=isch&source=hp&sa=X&ved=2ahUKEwi7kL_z5pniAhUgx4sBHTArAWkQ7Al6BAgJEA8&biw=1715&bih=793#imgrc=oF-FEF10cigLEM:&spf=1557795225990

          

  草間彌生氏はビールの泡に「水玉模様」の発想のヒントを得たのかもしれない。



(森敏)

2019-03-25 06:50 | カテゴリ:未分類

 
 
スライド1  
図1.タンポポの双頭の帯化茎
 
 
 
 

スライド2
図2.タンポポの双頭の帯化茎
    
   
東大農学部南側の塀の石垣と歩道との境界は、石垣が太陽を反射して、温められるためか、いつもタンポポの開花が早い。栄養がないために小さな一輪のタンポポが数株付近のどこよりも早く咲くが、それが今年は3月10日であった。同じ日に東大農学部内圃場のシロバナタンポポも咲いていた。昨年は両者とも一日遅れの3月11日であった
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-2233.html)。

    

  郊外のタンポポが群生する定点観測地点にさる2月5日に出かけたのだが、真冬なのに、ぱらぱらと今年は実に不規則にタンポポが咲いていた。時々訪れる暖かい日に、今年は例年よりも狂い咲きする株が多いように思われた。しかし帯化(たいか)株は全く見いだせなかった。

 

  3月22日に再度現地に出かけたら、2株の双頭のタンポポを互いに1メートルも離れていない近傍に見つけた(図1、図2)。おそらく同じ変異親株から飛散した種子の発芽した帯化株と思われた。今年も今後全面的に帯化株が見出せれば、この地の帯化株発生の主要因が確定しそうです。

 

  今年も、これから5月上旬まで観察を続けるつもりです。

 

  毎年お願いしていることですが、WINEPブログの読者には、家の近傍付近の空き地などでタンポポの帯化株を見つけたら、その写真などを

 

winep@bird.ocn.ne.jp

 

あてに添付書類でご連絡いただければ大変ありがたいです。

    

(森敏)
追記:その後、3月26日には東大農学部圃場で一株にすでに8本の花茎が立ち上がっているタンポポの1株があった。その花茎のうち3本が双頭の帯化茎であることを見つけた。(図3)
 
 
3本の帯化茎ン1 
図3.左の3つが双頭の帯化茎。左から3つ目のものはまだ完全に花が開いていないが、茎が2本くっついている(写真では花に隠れて見えないが)ことからも双頭であることは間違いない。

2019-03-20 07:45 | カテゴリ:未分類

  駒場(東大教養学部)の同窓会館での同窓会のあと、皆と別れて一人で、近くにある日本農学の原点ともいうべき 「ケルネル水田」 を40年ぶりに訪れてみた(1)。ここは都会のど真ん中にある水田である。その由来は、そこに建てられた標識によれば以下のとおりである(2、図3)。筑波大学付属駒場中学校、高等学校の生徒たちは、この水田を用いた田植え、水管理、稲刈り、脱穀、精米までのすばらしい体験実習をしていることと思う。






 
スライド3 
図1.都心に珍しい本格的な水田  上流水口(みなくち)からの眺め。


 

    
 
 
スライド2 
図2。左は「ケルネル田圃」の説明文(以下に転載しました)。
右は農作業の手順を絵でわかりやすく示している。

 
ケルネル田圃

ケルネル水田は、旧駒場農学校の実習田です。駒場農学校は、明治政府が近代農学に基礎を置く欧米農法取り入れるために、農業指導者を養成する学校として明治11年に設置されました。

   
 札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対して、駒場農学校にはドイツ系統の農学が取り入れられました。
  

 ドイツ人オスカー・ケルネルは、駒場農学校の教師として招かれ、日本農業の特質を配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌、肥料などの研究と教育を行い、多くの成果を収めました。
  

 ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田圃は、新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学校の実習地の跡として貴重な史跡です。
  

 なお、駒場農学校は、のちに東京農林学校となり、東京帝国大農科大学などを経て筑波大学に継承されました。
   

 現在、ケルネル田圃では筑波大学付属駒場中学校、高等学校により教育水田として生徒が実習しています。

 
   
  
 
 
 
 
スライド1 
 図3.水田の周辺に建てられている掲示板と碑文。
左:目黒区緑の散歩道。駒場で花開いた近代農学  のタイトル
右:水田の碑
 
  
 
 
 

  このオスカー・ケルネル先生の像は、古くから当初は確か小生も長く在籍した東大農学部2号館の正面玄関内にあったと思うが(不遜にも今となっては記憶が定かでは無いのだが)、いつの間にか3号館の正面玄関内に運ばれて、今はその片隅に追いやられて、狭い思いで立っている(4)。この胸像は建物の中にずっといたので、東京大学の中央の広報関係者もあまり知らないらしく、最近大学から送られてきた「学内広報」の東大の胸像群の写真には載せられていない。農学部正門に向かって入り口を入って左側にある上野英三郎先生と忠犬ハチ公が戯れている像の方が今では有名である。



オスカー・ケルネル先生の像1 
図4.オスカー・ケルネル先生の像。 文京区向ヶ丘弥生の東大農学部3号館の玄関の中に胸像が建っている。
   
   
 

 (森敏)

追記1:ケルネル先生以降の東大農芸化学科の長い歴史は以下のホームページに簡潔に記載されています。

http://www.bt.a.u-tokyo.ac.jp/science/history/

追記2.筑波大学付属駒場中学・高校校長の林久喜さんは筑波大学教授でもあり、

中学校の総合学習の時間で実施される水田学習の教育効果
林久喜 
日本農業教育学会誌   (別) 67-68   2017年10月

という論文を発表している。

この学校は2019年の東京大学に全国で2番目の入学数(113名、現役83人)ということだ。水田での体験学習の成果もあるのかもしれない。
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