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2023-09-11 07:27 | カテゴリ:未分類
明日9月12日から愛媛大学で始まる日本土壌肥料学会では以下のように放射性セシウム汚染に関する研究が発表されます。

現在世間では東電福島第一原発から出る汚染トリチウム水を海洋放出し始めた問題で、世界規模で大騒ぎになっていますが、福島の広大な土壌汚染地域ではまだまだ農作物汚染問題が継続しています。この学会に集結している研究者たちは、農作物のセシウム(Cs-137)の汚染問題の課題解決のために、現在も地道に研究をし続けています。

以下に発表課題を列挙しました。

〇 阿武隈川沿いに分布する農耕地土壌の K 放出・Cs 吸着に対する粗粒雲母の影響の把握と雲母の目視判定技術への応用 中島彩乃・中尾 淳・黒川耕平・藤村恵人・矢内純太

〇 福島県内の農地における放射性物質に関する研究(第60報) -除染後農地における各種野菜のカリ施肥による放射性セシウム吸収抑制効果-
浅枝諭史・吉田雅貴・平山 孝・菊池幹之・齋藤 隆・八戸真弓・丸山隼人・信濃卓郎

〇 水田の放射性セシウム移行性を示す指標としての交換性放射性セシウムと非交換性カリの比較
若林正吉・藤村恵人・江口哲也・中尾 淳・矢内純太

〇 カリ無施用を継続した水田における玄米 Cs-137濃度の年次変動
藤村恵人・羽田野(村井)麻理・石川淳子・松波麻耶

〇 田面水および間隙水中137Cs 濃度の変化とイネへの移行
塚田祥文・齋藤 隆・平山 孝・松岡宏明・中尾 淳

〇 水稲の放射性セシウム移行モデルの改良とリスク評価 ○矢ヶ崎泰海 8-1-11 牛ふん堆肥を施用した除染後圃場におけるダイズおよびソバの生育と放射性セシウムの移行性
久保堅司・八戸真弓・佐藤 孝・丸山隼人・信濃卓郎

〇 未除染草地での放射性セシウム移行の実態
山田大吾・渋谷 岳

〇 農業用水路内堆積物が保持する137Cs の特徴と動態 柿畑仁司・鈴木一輝・野川憲夫・
原田直樹

〇 植物固有のセシウム吸収係数を用いた植物体放射性セシウム濃度予測の検討
望月杏樹・鈴木政祟・久保堅司・藤村恵人・浅枝諭史・丸山隼人・渡部敏裕・信濃卓郎

〇 福島県内農地(水田および畑地)における農作物および土壌中の放射性セシウム濃度変動
井倉将人・藤村恵人・八代沙絵子・大越 聡・湯田美菜子・齋藤正明

〇 施肥・施業の違いがワラビの137Cs 吸収に与える影響
井上美那・氏家 亨・山村 充・赤間亮夫

〇 放射性 Cs 固液分配評価における133Cs 利用の検討
江口哲也・藤村恵人・松波寿弥・信濃卓郎

〇 放射性ヨウ素の土壌固相-液相間分配係数の変動要因
武田 晃・海野佑介・塚田祥文・高久雄一
2023-08-17 10:09 | カテゴリ:未分類

もしも今核兵器が使われたら 初のシミュレーションが示す脅威

NHK 初回放送日
G: 8月21日(月) 午後7:30 〜 午後7:57
BS1: 8月22日(火) 午前5:30 〜 午前5:59

もしも今、核兵器が使われたらどうなるのか?長崎大学を中心とする国際プロジェクトが北東アジアでは初めて詳細にシミュレーションした。十分起こりうる30のシナリオがまとめられ、5つについては何人亡くなるのか推定。明らかになったのは従来の想定をはるかに上回る甚大な被害と、日本も攻撃の標的にされるリスクだ。核兵器が使われる懸念が高まる今、研究者が導き出した破滅的な結果とは?そして避けるには何が必要か考える。
2023-08-05 17:06 | カテゴリ:未分類
  今週号の朝ドラ「らんまん」では万太郎に東京大学からの追放、長女園子の死、郷里佐川町の実家の酒蔵の倒産閉鎖など、不幸が一気に度重なった。

  この中で、酒蔵の閉鎖の直接の原因として、日本酒の腐敗現象「腐造」が示されていた。しかしこれは、史実かどうかはわからない。
本当の原因は放蕩息子の牧野富太郎が研究に必要な高価な書籍の購入や、長期国内採取旅行の旅費や、冠婚葬祭や、その他の多彩な趣味道楽に、湯水のごとく散財しまくったために、郷里の実家が破産した、ということが、牧野富太郎の自叙伝には書かれていないが、他人による伝記ではあちこちで語られている。

  ところで、この時点での朝ドラを見ながら小生は思わず東大農芸化学科4年生の時代の有馬啓教授(1916-1988)の「発酵学」の講義を思い出した。その中で、有馬先生は自分の発酵学教室での歴史的研究成果として、田村学造先生(当時助教授:1924-2002)による、「火落酸(hiochic acid)」の発見について紹介されたのである。

  有馬先生によれば、
「この化合物は現在ではほとんどの世界の生化学や有機化学の教科書にはメバロン酸(mevalonic acid)と呼ばれている。 発見者の田村学造君が命名した “hiochic acid” (ヒオチックアシッド)というネーミングでは、外国人にとても発音しずらい、外国人には「イオイックアシッド」、「イオキックアシッド」、「ハイオチックアシッド」などといかようにも読めるので、インターナショナルに読み方が定着し難い。それに比べて mevalonic acid はメバロニックアシッドとしか読めず発音がしやすい。君たちも将来、自分が発見した化合物についてはネーミングがとても大事である」と述べられたのである。
    
(森敏)
付記1.
少し専門的で長くなるが、以下に田村学造先生自身が農芸化学会誌に書かれている総説の一端を多少わかりやすく補足して紹介する。

“火落ち” という日本酒の腐敗現象は, 日本酒産業上重大な災害であった. そのため “火入れ” と称する低温殺菌操作が, Pasteurによるパスツーリゼーション(:食品全般で行われる加熱による殺菌法で、「低温殺菌法」)の発明の300年も前から経験的に行なわれていた. “ 火落ち” の原因 となる 桿菌を初めて顕微鏡で観察したのはAtkinsonである(1881). 
その後 高橋偵造先生が, この “火落ち”の原因 となる菌を分離し, こ れ らの中 に培地に清酒を加えないと生育しない菌 がいることを認めて “真性火落菌” と命名された.  
火落菌 のこのような性質は, わが国の多くの研究者の興味をひいたが, その未知生育因子を解明するには至らなかった. 
しかしその後, パ ン トテ ン酸, ビ オチ ン, リ ポ 酸 などの ビタ ミンが微生物の生育因子 として発見されたことと思い合わせると, これらの研究は先駆的なものであったといえる.  
戦後, 筆者は坂 口謹一郎先生の御指導の下で, 前 記のように合成培地を用いた アミノ酸や ビタミンの微生物定量法の研究を進めたが, この合成培地に生育しない真性火落菌 (Lactobacillus heterohiochiiおよびL. homohiochii) の未知生育因子の解明を思いたった. 
ま ず, 清酒のような醸造物中に存在する因子は, 微 生物の代謝産物 に由来 す るものに違いないと考えた.
そこで, 各 種の微生物の培養液を合成培地に加えて検討した結果, 各種の糸状菌, 酵母, 細 菌の培養液中に, 火落菌の未知生育因子が蓄積されていることを見いだした. 
ついで, その生産能が高く, 清酒の醸造にも用いられているコウジカビ(Aspergillus oryzae)の 一菌株を選出し, その培養液中から精製分離し, キニーネ塩の結晶を得, さ らに δ-ラク トンを 単離 し, そ の化学的性質を明 らかに して火落酸(hiochic acid)と命名した.  
同年, メ ル ク研 究所 のK.Folkersらがニワトリの成長因子の探索中に, ウイスキー蒸溜 廃液か らL. acidophilusの 酢酸代替因子 として メバ ロン 酸(mevalonic acid)を 報告 した. 
この両者の性質が類 似 していた ので試料を交換 して調べた結果, 同 一物質で あることが筆者 とFolkersに より確認 さ れ た. 
火 落 酸 (メ バ ロ ン酸)は, 動 植物 の細胞中では 代謝の調節 に よ り, 常 に微量に しか存在 しない ことが後に明 らかにされたが, 微生物は代謝産物を培地に排出することも調節の一つであり, 培 養液中に分泌 されていたものが見いださ れた ことになる.
 
付記2.
蛇足かもしれないが、以下に田村学造先生の実質的な指導者であった当時の坂口謹一郎教授(1897-1994)の、火落酸発見の件に関するコメントも紹介しておく。(坂口謹一郎 酒学集成 5 岩波書店 より)

田村学造君の発見も:::::このもの(:火落酸)を造ることの特に多い麹菌株の選択と、明治製菓でそれをタンクで大量培養してくださったおかげでもあった。
これはきわどいところでアメリカのメルク社の研究陣と発表のプライオリテイーの競り合いとなった
これは全く「醸造論文集」のおかげで、同じ年のこちらは私が醸友会で同君の研究を紹介させてもらったのが5月、先方は9月であった。
メルクの研究者たちも結局これを認め、同社長が私を大学に訪れ、共同発表の形にしたいというので、報文の原稿まで書いて持参した。それには田村君の名前が先に出してあったように思う。
この問題は、その後の数年間、大げさに言えば生化学者の研究のブームを引き起こした。
これにより、今まで生成の経路が不明であった数多くの天然物の経路が解明され、リネンやブロッホのような、ノーベル賞受賞者まで出したことは周知のとおりである。
:::::::::おかげで火落菌や火落問題が解明されたのは周知のとおりである。
  

付記3.
小生も参加した田村学造先生のお葬式は護国寺で壮大な参列者の下に行われたが、お棺には「火落酸キニーネ結晶」が入れられたそうである。

付記4。 参考のため、火落酸(メバロン酸)の構造式は以下の通りである。
メバロン酸

付記5.火落酸の発見と、チュニカマイシンの発見で、田村学造先生は学士院賞恩賜賞を受賞され、文化功労者に指名されている。



2023-07-31 14:01 | カテゴリ:未分類
   本日の朝ドラ「らんまん」で万太郎(牧野富太郎)が植物学教室の田辺(矢田部良吉教授)に激怒され「研究室への出入りを禁止する!」という場面が出てきた。万太郎がアカデミズムの流儀をわきまえない振舞をしたことに対する最後通牒的なお仕置きである。

   田辺は海外留学の後に初代植物学教室教授として、海外から万巻の専門書を購入整備してきたし、国内の植物の押し葉標本も着々と自分で採取して蓄積してきた、授業も担当し後輩を育ててきた。東京大学の職員でもなく、東京大学の学生でもない万太郎に対してその植物愛に心からほだされて、自分の研究室への自由な出入りを許してきた、という自負があった。だから万太郎がいくら植物学雑誌を自費出版するからといって、論文の共著者に田辺の名を掲載していない、謝辞も載せていないことに、心底カチンと来たのである。論文は研究者の命だからである。朝ドラ「らんまん」では、田辺は万太郎に向かってみんなの前で『お前は研究室に土足で入ってきた泥棒』とまで切れまくっている。

   ところで、ここのところは牧野富太郎自叙伝(講談社学術文庫)には以下のように記されている。

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図篇第六集が出版されたのが、明治23年であったが、この年私には、思いもよらぬことが起こった。というのは大学の矢田部良吉教授が、一日私に宣言して言うには、「自分もお前とは別に、日本植物誌を出版しようと思うから、今後お前には教室の書物も標品も見せることは断る」というのである。私は甚だ困惑して、呆然としてしまった。私は麹町富士見町の矢田部先生宅に先生を訪ね、「今日本には植物を研究する人は極めて少数である。その中の一人でも圧迫して、研究を封じるようなことをしては、日本の植物学にとって損失であるから、私に植物の本や標本を見せぬということは撤回してくれ。また先輩は後進を引き立てるのが義務ではないか」と懇願したが、矢田部先生は頑として聴かず、「西洋でも、一つの仕事の出来上がるまでは、他には見せんのが仕来りだから、自分が仕事をやる間は、お前は教室に来てはいかん」と強く拒絶された。私は大学の職員でもなく、学生でもないので、それ以上自説を固持するわけにはゆかなかったので、悄然と先生宅を辞した。
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   これは牧野富太郎による一方的記述であるから100%正確かどうかわからない。この案件を矢田部教授自身がどこかで記している形跡がないからである。とにかく、この後世に残るべき「自叙伝」では、牧野は自分が悪かったと一言も釈明していないのである。
矢田部教授から見ると、当時の研究者としての未熟な牧野富太郎は「自意識過剰で、高慢で、恩義を知らない、恩を仇で返す輩(やから)」のそしりを免れなかっただろうと思われる。

   先にこのWINEPブログでも紹介した大場秀章氏や小説家大原冨枝氏等の説では、牧野富太郎が教室の書籍や標本を勝手気ままに持ち出して、それらを長い間返却したりしなかったので、矢田部教授の研究や教育にも支障をきたし始めたのも「激怒」の要因の一つだっただろうと考察している。

      
       
(森敏)

追記:なお、矢田部良吉の詳しい年譜は以下の文献に紹介されている。

矢田部良吉年譜稿 太田由佳・有賀暢迪 Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 39, pp. 27–58, December 22, 2016


2023-06-13 15:42 | カテゴリ:未分類
文京区の図書館で牧野富太郎関連の本を検索していたら、『牧野富太郎の植物愛』大場秀章著:朝日新書 というのに偶然ヒットした。
 
大場さんは小生が助手のときに同じ習志野市実籾の公務員宿舎に住んでいたので、がぜん懐かしくなって、さっそくこの本を図書館に貸し出しを注文したら、すでに借りている人がいた。2週間ぐらいして図書館から連絡があり、本が返却されたということで、借りに行った。
  
裏表紙を見たら、なんとこの本は、2023年4月23日に出版されたものであった。たぶんNHK朝ドラの牧野富太郎の伝記『らんまん』(第一回放送日は2023年4月3日)に合わせて出版したものと想像した。あまりにも両者のタイミングが良すぎるからである。
  
大場秀章さんは、本の奥付けを見ると、東大名誉教授で、現在も東大総合研究博物館で特招研究員をされており、日本植物友の会会長をもされている現役のフィールドワーカーであり、ある意味では牧野富太郎の後継者といってもいいのではないだろうか。謙虚だから彼はそんなことはどこにも書いていないが。
  
大場さんがこの本を書かれた理由が小生には面白かった。
 
先日のこのWINEPブログでも述べたのだが、第3者による牧野富太郎の伝記は、ほとんどが『牧野富太郎自叙伝』(1956年)に基づいて書かれている。この本の出版時には、牧野は95歳であり、牧野の学術上の先輩は全員鬼籍にはいっていた。だから牧野が書いている人間模様の真偽は、牧野以外の先輩に対するインタビューによる検証が不可能である。
 
大場さんは、巷に流布されている各種の伝記ものや、牧野自身による自伝に書かれている東大植物学教室での牧野とそれを取り巻く人間模様が、本当であったのかどうかについて、「牧野富太郎自叙伝」を詳細に読みながらいくつかの疑問を抱いており、それについていくつかの解明を試みている。むろん尊敬する牧野の実像をさらに明らかいしたいという“牧野愛”を込めてと思われる。この点については、
終章:姿が見えない真の牧野富太郎 
でいくつかの解明をしている。
  
牧野富太郎はこの本の著者の大場秀章さんと同じ東大植物学研究室の大先輩であるので、先輩から受け継がれてきた牧野に関する口伝の口伝が多々あるものと思われる。同じ研究室の後輩が先輩を語るのはなかなか勇気が要ることであるが、遠慮がちに、牧野の思い違いや、表現の唯我独尊的な過激さや、牧野が書かなかった周辺の研究者たちに大いに支えられていた実像を浮かび上がらせている。
  
植物の採取、押し葉標本の作製、ラテン語の学名のつけ方、英作文の書き方をだれにならったのか、などなど学問的な観点からの牧野に対する考証的態度は厳密で、論理的で非常にわかりやすく2時間もかからないで読めた。新書判198ページの薄さなので、2時間もかからないで読了した。小説などよりもすらすらと流れるように読めた。
  
まだまだいろんなところに疑問を持っているらしいが、当面NHKの『らんまん』の放映に合わせて出版を急がされたようで、大場さんご本人、もこの本は粗削りなデッサンのようなものだ、と本の中で述べている。確かに、少し粗削りな書きぶりが散見された。大場さんにとってはもっともっと考証を重ねたじっくりとうんちくを固めた牧野富太郎伝を書きたそうな雰囲気が伝わってきた。
  
参考までにこの本の目次は、以下のとおりである。
  
第1章 牧野富太郎の誕生
第2章 植物学開眼
第3章 疾風怒涛の植物愛
第4章 比類なき富太郎の植物愛
第5章 植物愛が結実した出会い
第6章 植物と心中する博士
終章 姿が見えない真の牧野富太郎
あとがき


(森敏)
付記1:小生の灘高の時のちょび髭を生やした生物の先生(名前は忘れた)は牧野富太郎先生の弟子であると自認していた。富太郎と一緒に芦屋や神戸の六甲山の植物観察会によく参加したといっていた。植物分類学に長けていたのだが、生理学や生化学の授業はからっきし自信無げだった。だから小生は大学受験では化学と物理で受験した。灘高の受験生が全員そうだったと思う。
  
付記2:小生の精道中学校の生物の吉田某先生は広島大学教育学部の生物学科(?)の出身だった。植物の形態学にやたら強く、シダの一生や花の構造などの図を試験問題に出していた。小生は教科書の図を2-3回もなぞればなぜか細部まで完全に丸暗記できたので、この先生には大いに気に入られた。
ある時、夏休みの宿題に六甲山のシダを20種類ぐらい採取して押し葉にして画用紙に張り付けて、牧野植物図鑑で学名を調べて記載して、吉田先生に提出したのだが、この押し葉標本は返してもらえなかった。(このことは以前のブログでも書いたことがある) もしかしたらこの吉田先生も牧野富太郎の弟子で、小生のシダの標本を牧野富太郎に送付していたのではないだろうか、と大場さんのこの本を読みながら思ったことである。50万点という牧野富太郎の標本はまだまだ開封されていないものも多くあるようだ。もしかしたらその中に????
 
付記3:研究室の偉大な大先輩にまつわる噂話というものは尾びれ背びれがついて後輩に次々と語り継がれているものである。この大場秀章さんの本はたぶん、東大理学部植物学科の関係者たちによって、いろいろな意見が寄せられて、より実像に迫る牧野富太郎像が、改訂版に盛り込まれることを期待したい。
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